2009-01-04 05:34:02

超常識の方法/小室直樹 09004

テーマ:自己啓発

超常識の方法/小室直樹

★★★★☆


論理的発想、数学的発想の

基本、根本を教えてくれる本。


随分昔に本書を読んだ時は、

結構苦しかったことを覚えているが、

理屈はクリティカル・シンキングでやったことばかり。

それを面白おかしいレトリックで引っ張り続ける。


 「意見の否定」を「人格の否定」と感じる日本人


 さて、日本には科学的精神がないということは、

 今までずっと述べてきたとおりだが、

 そのために日本人は、先にも触れたとおり

 討論・議論というものができない。

 近代社会においては、科学が知識の規範なのだから、

 人々の意見も科学を基にして構成されなくてはいけない。

 したがって、欧米デモクラシーの考え方においては、

 「これは私の意見です」と言った場合、

 当然、「科学とは仮説である」という立場を踏まえており、

 「私の意見は一つの仮説にすぎません」という意味を持っている。

 そしてまた、当然、、「あなたの意見も仮説にすぎません」ということになる。

 

 では、どちらの意見が正しいのかということは、

 どちらの論理の筋が通っているか、

 どちらが実証的妥当性を持っているか、

 によって決まってくることになる。


 だから、欧米において討論の始まりは、

 まず、相手の言っていることが矛盾しているかどうかを

 見つけることに集中するわけで、

 矛盾が見つかれば、それでもう負けとなる。

 もし、矛盾がないとわかれば、

 次は、どちらがより現実的妥当性を持っているかを、

 いろいろな例を挙げながら議論することになる。

 結局、討論とは、それに尽きるのであり、

 論理的一貫性、現実的妥当性だけが問題で、

 それ以外にはない。

 だからこそ誰とでも討論できる。

 仮説としての意見は、検証されるか、否定されるか、

 あるいは部分的に正しいところもあるが間違っている部分もあるか、

 そのいずれかでしかないのである。

 

 ところが日本では、意見が実体化されてしまい、

 その人の人格と不可分になってしまう。

 したがって、その意見が否定されたとなれば、

 人格まで否定されることになるのだから、

 ひとたび討論が始まれば、絶対に負けるわけにはいかない。

 だから、そういうのはお互いにしんどいから、

 討論は最初からやめてしまおうという土壌が根づいたわけである。

 

 そのため、日本においては真の討論というのを見ることができない。

 一見、討論のように見えたとしても、それは実は単なる言い合いであり、

 怒鳴る声が大きいか小さいか、

 腕力があるかないかで勝ち負けが決まるのである。

 真の討論とは、あの人の意見はここまでは正しいが、

 ここからはいけない、だから、自分はこう積み重ねる。

 また別な人物が、その積み重ねた意見はここまでは正しいが、

 ここからは間違っている、だから自分はさらにこう積み重ねる、

 というふうに展開されるものなのだ。

 しかもこうした討論のあり方こそ、

 近代デモクラシー社会を支える柱の一本なのである。


・・・全くその通り、だ。

「真の討論」なんて、会社や家庭、友人とやったら

あっという間に「嫌われ者」である。

身近で、唯一許されるのは成熟した学生で構成された

グロービスの講義ぐらいなものだろう。


意見と人格は別物である、

というのが大前提で、双方納得済みであるならば、

討論は実に楽しく、有意義で建設的なのに。


日本人のいいところでもあり、悪いところでもあるよなぁ。

そして、欧米人や中国人には、

到底理解しがたいところだろうけど。


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