2006-10-31 18:22:33
先哲が説く指導者の条件 『水雲問答』『熊沢蕃山語録』に学ぶ/安岡 正篤 06302
テーマ:安岡正篤先生に学ぶ
再読 。
やはり指導者として、よりも教育論として読んだ方が、いい。
前回、印象に残ったのは
そこで、しからば親父はどうすればいいかというと、
聖人もお互い同士の子供を取り替えて教えた。
そこに師友、師と友の大事な意義がある。
良い師につける。
良い友を与える。
そして、親は、悪まずしてしかも厳である。
厳とは、子に厳しいことよりも自己に厳しくすること。
子供に親らしくない、父らしくない姿を見せないことが
大事だと言うておるのであります。
だったが、今回は、
大石内蔵助の中国版にしたような人で、
晋の時代に謝安という名宰相がおった。
非常に偉い人で、奥さんも賢夫人であったが、ある日その奥さんが、
「あなたはちっとも子供を教えてくださらない」
と言う。すると謝安は、
「いや、わしは年中教えているつもりだがな」
と答えたと言う有名な逸話がある。
そのように、本当の家庭教育というのは、
親そのものの普段の態度、姿勢次第なのであります。
だ。
親が子を見る以上に子は親を見ている、ということだ。
家の中くらい一息つかせてほしいのが本音だけれど、
・・・頑張ろう。





