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2011-08-16 14:30:40

頑張れアブラゼミ!

テーマ:ブログ
子供時代(とくに小学生低学年)に東京の多摩地区に住んでいた人に聞きたい。
「君の子供時代の夏に見た蝉は何蝉ですか」と

僕は1961年生まれで、小学校低学年時代は東京都日野市の近くに浅川が流れる住宅街で育った。
僕がこの時代に見た蝉で圧倒的に多かったのがアブラゼミで残りのほとんどがツクツクボウシだった。
アブラゼミとツクツクボウシの比は4対1くらいだったという印象だ。
あとひと夏に一度見るか見ないかという程度の珍しい蝉がニイニイゼミで、鳴き声は結構耳にするけど稀にしか見ることができない蝉がヒグラシだった。

アブラゼミは、羽が茶色で身体も黒っぽくて「美しくない」ので、少年入来院君は子供心にもこのアブラゼミが好きになれなかった。
また、やたらと多くて希少価値を全く感じさせなかったことも、アブラゼミを好きになれなかった理由と思う。
少年入来院君は、図鑑でしか見たことのないクマゼミとかミンミンゼミのように大型で羽が透明な蝉を一度でいいから自分の手で捕まえてみたかった。
ある日の午後、少年入来院君は蝉の鳴き声でお昼寝から目を覚ました。何気なく蝉の鳴き声を聞いていると、どうも「ミーンミーン」と聞こえてくる。
少年入来院君は「ミンミンゼミだっ」と思わず飛び起きて、興奮したまま虫取り網を持って玄関を飛び出した。
鳴き声がすると思われる木の根元まで走って行って木の上方を見上げるがいつの間にか鳴き声も止み、辺りを一所懸命に探すけど、どこにもミンミンゼミは見当たらない。
長い夏休みの間にはこんな午後がいくたびかあった。

月日は「あっと」流れて40年程経った2007年の夏の夜、中年入来院(僕)は事務所の近くで蝉の幼虫を発見した。事務所の裏が公園なのだが、きっとそこから這い出してきたのだろう。羽化しようと歩道の脇に立つ木を目指していたようだ。人通りは少ないとはいえ誰かに踏みつぶされないとも限らない。僕はこの羽化直前の蝉の幼虫をヒョイとつまんで事務所に持って帰ると、ベランダにある高さ約2mのユッカの木の根元に置いた。
どのくらいの時間放っておいたか忘れたが、しばらくして見に行くとユッカの木の高さ1.5mくらいの高さでちょうど羽化を始めている最中だった。
しばらく仕事を中断して羽化の様子を見ていると、どうやらこの蝉は子供時代に捕まえるどころか生きている姿を見たことすらなかったミンミンゼミのようだ。僕はてっきりアブラゼミだとばかり思っていたので驚き、興奮して写真を撮ったりしてネットで確認するとやっぱりミンミンゼミだった。

さて、今年も暑い夏の真っ最中だけど、お盆休みが始まったあたりからあちこちと蝉の死骸を見かけるようになった。
子供の頃はアブラゼミの死骸ばかり目にしていたけど、最近では確かにミンミンゼミの死骸も見かけるようになった。
4年前に実際にミンミンゼミの羽化を目の当たりしたこともあり、気になったのでウィキペディアを見てみると、実際に東京都心部ではミンミンゼミが増えている(アブラゼミが減っている)ことが分かった。
「アブラゼミは幼虫・成虫とも、クマゼミやミンミンゼミと比べると湿度のやや高い環境を好むという仮説がある。このため、都市化の進んだ地域ではヒートアイランド現象による乾燥化によってアブラゼミにとっては非常に生息しにくい環境となっており、乾燥に強い種類のセミが優勢となっている。東京都心部ではミンミンゼミに、大阪市などの西日本ではクマゼミにほぼ完全に置き換わっている。」(ウィキペディア)
また、「セミの多くは透明の翅をもつが、アブラゼミの翅は前後とも不透明の褐色をしていて、世界でも珍しい翅全体が不透明のセミである。」(ウィキペディア)
実はアブラゼミは蝉の仲間のうちでは珍しい種だったのだね。知りませんでした。
アブラゼミが減少しているというけれど、僕ら大人が子供時代にアブラゼミ君たちを大事にしてこなかったつけがまわってきたのかもしれないね。
ごめんね。そして、頑張れアブラゼミ!
2011-08-13 14:28:55

ヤギと男と男と壁と万里の長城

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僕はBS放送でやっている面白そうな映画をHDD録画機にどんどん録りためて、暇な時間に見ている。
先日見た「ヤギと男と男と壁と」という米国映画には驚いた。
そのつまらなさに驚いた。
ジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー、ケヴィン・スペイシー、ジェフ・ブリッジス、スティーブン・ラングという堂々たる俳優が勢ぞろいしているので、期待度が高かった分がっかり度も大きかった。「山高ければ谷深し」とでも言おうか。
「『ヤギと男と男と壁と』(ヤギとおとことおとことかべと、原題: The Men Who Stare at Goats)は、2009年のアメリカ映画。ジョン・ロンスンによるノンフィクション本『実録・アメリカ超能力部隊』を原作としたコメディである。」 (ウィキペディア)
この駄作映画は確かにアメリカの超能力部隊の話だが、こんなの「ふざけた創りものの世界」だと思っていたら、どうやらノン・フィクションらしいのでさらに驚いてしまった。
なにせ映画では主人公のジョージ・クルーニーは、眼力で山羊を殺すことができるのだ。アメリカ超能力部隊は実在して、そこでは超能力兵士たちが戦闘訓練として山羊を眼力で殺す訓練をしているなんて、原作は読んでないが(読みたいとも思わないが)ちょっと信じ難い。
ところが驚くことはまだ続き、先日BOOKOFFでたまたま買った「発明マニア」(米原万里著/2007年発売)という本を読んでいたら、この「眼力による殺人」について、驚愕の事実が紹介されていた。
「最近プーチンが復活をはかるKGBは、昔から超能力者の発見、養成に理論と実践の両面から熱心に取り組んできたが、視線で人を殺す超能力者の開 発にも力を注いできた。わたしの手元には、そのことを裏付ける資料がある。長年のわたしの親友であるロシア人の研究者が送ってきてくれたものだ。彼は今年 三月、ロシア極東のハバロフスク市内のレストランで、そのような超能力者に出会ったというのだ。四人の凶暴な酔っぱらいに囲まれ、殺されそうになったごく 普通の中年男が一切相手に接触することなく一瞬にして四人をなぎ倒してしまったというのだ。(中略)一人は意識不明のまま死亡し、三人も要介護の精神障害 者になってしまった。」というのである。
さらに米原さんは、友人がこの中年男から伝授されたという、「眼力で人を殺す能力」を身につけるトレーニング方法 も紹介している。
真似されると個人的に困るので(とくに妻に知られると怖い)、このトレーニング方法については触れないが、たとえば、電車で向かいに座って いる人がよく見ると眼球を不必要にぐるぐる回していたり、レストランや駅のトイレに入ったら鏡の前でじっと自分の顔を睨み続けている怪しい男(あなたが女 性の場合は女)を最近よく見かけるなんてことが多発するようであれば注意しないといけない。自分の胸に手を当てて人の恨みを買うようなことをしていない か、殺されても文句がいえないような悪さをしていないかよーく考えた方がいい。かもしれない。
ちなみに最近僕は、他人と目を合わすことに若干恐怖を感じ始めている反面、止まっている扇風機をじっと見つめて『動け』と念じてみたりしていることがあることに気づいた。
僕は単純というか何かと影響を受けやすい性格である。
ところでこの米原万里さん(2006年満56歳没)の「発明マニア」は、サンデー毎日に2003年~2006年にかけて連載したものだが、今読んでも楽しいし、面白いアイデアが満載である。米原万里さん今更ながらに凄い才能だと思う。「国家的損失」いえるくらい惜しい人を亡くしました。

アイデアといえば、文藝春秋9月号に素晴らしいアイデアを発見した。映画監督の新藤兼人さんが「99歳の日本人への遺言」という記事の中で次のよ うなアイデアを披露している。「津波は大変だったと思います。歌ったり踊ったりするのもいいけど、もっと実際的に役にたつ案を出したいね。僕は万里の長城 を作ったらどうかと思う。青森の突端から関西、九州まで。幅は十メートル。ドライブウェイができるわけ。百姓の根性でね、ガーっと土着的にやるんですよ。 青森の突端から九州まで、幅が十メートル、高さは二、三十メートルで津波を見降ろす感じ。途中で船も人も出たり入ったりできるようになってましてね、津波 が来ても、来てるなぁと、上から見下ろせる。日本の土地はそういうところなんだから、逃げてちゃだめだね。向かっていかないと。「津波、何するものぞ!」 と。そんなこといったら、笑われちゃったよ。だけどここから逃げていくわけじゃないでしょ。ずっとこれから百年も二百年もここにいるんだからね。」
万里の長城を作る!?僕はこれは本当に凄いアイデアだと思う。文中にもあるように、笑われたのも事実と思う。多くの人が「非現実的」と思うに違い ないし、出来ない理由はいくらでも挙げられるだろうけど、実際に地球上には万里の長城という前例が存在しているのだから作れない理由はない。たとえ何十 年、何百年かかったっていい。現在だってスペインのサグラダ・ファミリアみたいに200年かけて作ろうという例もある。「その気になってできないことなど ない」と千年後の我々の子孫に思い知らせてやろうじゃないか。
2011-08-08 07:44:23

言論後進国日本

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最近本を読んでいて「あれ」と思うことがたまたま続いた。

1冊目は「新・堕落論」(石原慎太郎)

石原氏は、アメリカの「核の傘」は幻に過ぎないという。

そして、アメリカによる日本統治は実に巧みに、実に効果的に運ばれてきたものだとつくづく思うといい、その象徴的左証が広島の原爆死没者慰霊碑に記された「過ちは繰返しませぬから」という自虐的文言だという。

「世界で初めての原爆投下で、瞬時にして二十万余の非戦闘員を殺してしまったのはアメリカ人であって他の誰でもありはしない。あの強力な破壊兵器の使用について、それを過ちとして反省すべきはアメリカ人であって、その殺された相手の日本人であるはずがない。記念碑の文言の主語があきらかに違っています。」

僕もホームページのコラムで書いたが(7月10日)、石原氏が著書で取り上げたことで、多分また、碑文論争が活発になることと思う。

 

2冊目は、「報道災害(原発編)」(上杉隆・島賀陽弘道)

前に中国人経営者と飲んだときのこと、彼から「中国人は国の報道を全く信じていない。人民日報に書いてあることで正しいことは2つしかないと言われている。日付と天気予報だ。日本人はマスコミ報道をそのまま信じているから、むしろき厄介だ」という話を聞いた。

「報道災害」で、著者の一人である上杉隆氏が全く同じことを言っていた。

「何といっても日本と一番違うのは、中央電視台、新華社、人民日報を作っている記者も、書いている記者も、読んでいる読者も、全員「政府のプロパガンダだ」と了解しているところなんですね。そこをちゃんと認識している。「報道に真実はない」ということをみんなわかっている。だけど日本は政府のプロパガンダをやっていて、政治家も政府も官僚も記者も「政府のプロパガンダじゃない」と思って発表をそのまま書いている。」

氏はこの差は、日本ではまだ「ツイッターもインターネットも生活の中心部分にきていない」ことによるという。

今や言論分野も日本は中国に超されてしまった。

この2冊は必読である。

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