日本語あれこれ研究室

日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます


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 まずは「川越スカラ座」という映画館の説明から始めよう。ここは明治38年に寄席として開館したのが最初で、戦後の昭和20年に映画館になった(スクリーンは一面だけ)。

 シネコンの隆盛で経営難になり10年ほど前に一度閉館したけれど、NPО法人が賛助会員を募って再スタートし、現在に至っている。最近は一般のロードショーとは一線を画した、単館向けの作品などを中心に上映している。ちなみにおれは『宇宙人ポール』や『このセカ』などをここで観ました。

 

 さて先月、この川越スカラ座の「アニメーションいま・むかし」という短期間の特集上映を見に行ったのである。「いま」と「むかし」と、それぞれいったい何が上映されたのかというと、「いま」の方は最近の湯浅監督作品が2本、「むかし」の方は『太陽の王子ホルスの大冒険』『銀河鉄道の夜』だった。

 おれが観たのは『ホルス』と『銀河鉄道』の2本。なぜ今これらを見ようと思ったか、その動機は35ミリフィルムによる上映だったから、に尽きる。35ミリでアニメの長編を見るなんてこれが人生最後の機会かもしれない、と真剣に考えてのことである。

 註1。短編アニメに関しては、今でもジブリ美術館で35ミリフィルムを鑑賞することが可能。

 註2。湯浅作品の方は、あまり好みではないのとDCP上映なのとで、元々見るつもりがなかった。

 

 さて、『ホルス』である。始まる前からフィルム状態が気にかかる。学生時代に何度も自主上映などで見たのだが、フィルム状態の悪いものが多かった。一部が切れていたりキズだらけだったり特定のロールが退色したりしていたが、それでも当時はそれしか手段がないのでよく足を運んだものだ。

 今回のフィルムはというと、ニュープリントでこそなかったが、たまに縦キズが入る程度で色や音響には問題がなく、フィルムが切れている箇所もなく、満足してスカラ座を後にすることができたのであった。

 それにしても、スカラ座の普段の入場料金は1000円なのに、今回の『ホルス』と『銀河鉄道』はそれぞれ何と500円。別に1000円取っても構わないのになあ、と少々呆れもしたよ。

 

 さて、この川越スカラ座をモデルにしたラノベ小説がある。

 地本草子『路地裏テアトロ』(ポニーキャニオン・2014年)。この作者もおれと同じく川越在住。これを書いたとき二十代とのことだが、フィルムや映写機についてよく勉強している。

 内容紹介によると「映画と映画館を愛するすべての人に贈るシネマティック青春ストーリー」。こういう本にももっと売れてほしいと願う。

 

 

 画像は『ヨコハマ買い出し紀行』OVA。

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○鶴ひろみさんが亡くなった。個人的に仕事をしたのは、「きまぐれオレンジ★ロード」のまどかと、「ポルフィの長い旅」のイザベラだった。学生の頃に「ペリーヌ物語」も好きだったので、自分よりも年下だとは思っていませんでした。高速道路で運転中に大動脈剥離を起こしたそうだが、それでもハザードをつけて停車したのは本当に偉いと思う。

 

○今ツイッターなどで話題になっているが、世界にはこんなことを書く人もいるんだね。

「全く。高速道路内で、死ぬとは、迷惑な女だ。この女の事は、よく知らないが、アニメの声優など、売れない劇団員が、片手間でやるような仕事。名も知れぬ女が、一人亡くなっただけ。いちいち、騒ぐ必要も、無いだろう」

 読点の異常な多さだけで教養の無さが知れる。

 

○かつて英語圏のレコードには歌詞カードがついていなかった(今でもかな?)。現役当時のビートルズの日本版アルバムには、日本人(おそらく)による聴き取りと思われる歌詞カードが入っていた。

 例えば「LET IT BE」収録のジョンの曲「Across the Univers」に関しては次のようだった。

 

○歌詞の中の<Jai Guru De Va>のところが、日本版歌詞カードでは……。

I can rule it day love>となっていたのである。

 元の歌詞が聴き取れないなりに何とか英語っぽくしようとしている、しかし意味が全く分からない。その努力が、ちょっとイタイぞ。

 

○下の画像は、この秋に訪れた淡路島の交番に掲示されていたもの。これまで「交通事故の件数」しか見たことがなかったので、これはかなり面白かった。この統計がいつからの件数なのか期間が分からない。にしても一つの島の事件としては、「器物破損」がずいぶん多いような……。

 

 

 

 

 

 

 

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 先日、テレビのニュース番組で偽札に関する話題をやっていた。百ドル紙幣の偽札が多く出回っているという内容の中で、参考としてニセの1万円札はどのくらい出回っているのかが示された。その際にキャスターが持っていたフリップに書かれていた文字が、

ニセ1万円札の発券枚数

 というもの。

 一瞬、偽札が「発券」されているのかと思ってしまったわけだが、ほどなくアシスタントの女性がお詫びをした。先ほど「発券」と表記されていたのは、見つける方の「発見」の誤りでした。……そりゃそうだよね。

 これなどはワープロが登場してからの誤植の典型だろう。手書きではこういう間違いはまずしないが、変換ミスだと、なまじ意味が通るだけに見落とされてしまう。

 

 一方で、次のような微笑ましい?誤植も発券、もとい発見してしまったのである。

 

 東海林さだおのエッセイ集はほとんど読んでいる(文庫化されたら買ってる)。

 最近出た『猫大好き』(文春文庫)を読んでいたら、こんな記述があった。ショージ君にしては長い文だが、一つの文なのでそのまま引用するとしよう。

 

「この論文を書いている当人(自分)が、すなわち客体としての自己(わたくし)が、物質としての自己(身体)とを区別できないでいるところへ、突然、彼(客体としての他人)などというものを持ち二人でくるから、混乱はしているものの、全体として言っていることは何となくわかっていただけたと思う。」(199ページ)

 

 どこが誤植が分かりましたか?

 「~などというものを持ち二人でくるから」の箇所です。これでは意味が分からない。正解を言うと、これ絶対に「持ちこんでくるから」の間違いだと思う。ショージ君は原稿を鉛筆で書いていることをおれは知っているからです。

 「こんで」を走り書きすると「二人で」と読めてしまうこともあるだろう。多分、PCで清書する係の人が間違えたのだと思われる。つまり手書き特有の誤植。それが単行本から文庫本になるときにも見逃されてしまった、ということですね。

 だから何? という話ではありますが、著者自身さえ気づいていない誤植だと推量されるので取り上げてみた次第……。

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○親戚が北海道からジャガイモをたくさん送ってくれて、どんどん使う一環としてポテトサラダを数日おきに何度か作っている。段々に慣れてきて最近ではかなりのレベル(画像)。料理の上達のコツは、一定期間内に同じものを数回作ることかも知れない。

 

○ドラマ「やすらぎの郷」で時々「やすらぎ体操」というコーナーがあり、その中に「チョチョンがチョン、チョチョンがチョン」という歌詞があったのだ。昔から「ドラえもん絵描き歌」という歌があって、その中の「丸かいてチョン」という歌詞がある時から「丸かいて点」に修正されたというのに、新作ドラマでまた「チョン」が出てくるというのが、テレビの基準のよく分からないところ。

 

○川越駅の陸橋でたまに見かけるストリートミュージシャンがいる。かなり歳の行ったおっさん。エレキギターで古いロックのイントロを弾き始めるが、数小節で中断して「おれホントはロック苦手なんだよね」とか言い訳をくどくど喋る。別の曲を始めてもまた中断して「ホントはブルースが得意なんだよ」みたいなことを長々語る。

 じゃあ得意なブルースでとにかく一曲完奏してくれよ、と、いつも心が叫びたがってるんだ。

 

○アニメ「十二大戦」の中で「イノシシも七代目にはブタになる」というセリフがあった。そういえばかつて「オオカミは生きろ、ブタは死ね」というキャッチコピーもあったし、「鳶が鷹を生む」「鵜の真似をする烏」「虎の威を借りる狐」などのことわざもある。

 動物に優劣をつける言い回しは、なんだか好きじゃないな。

 

○「不見点(みずてん)」という言葉があり、これをおれは「見ず伝」から来ていると思っていた。つまり、見てないけど知っているという意味。でもこのたび調べたらそういう語源はないらしい。おれの思い違いはなぜだったのだろう。

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 最近読んだ文庫本に苦言を呈する。ちなみに「最近」というのはおれが読んだ時期のことであって、新刊という意味ではありません。

 さて、一冊は早見和真の『イノセント・デイズ』(新潮文庫)で、もう一冊は湊かなえの『リバース』(講談社文庫)です。以上の二冊に苦言を呈したいと思うわけであります。

 

 最初にきちんと念を押しておくが、この二冊とも内容はとても面白いのである。どちらも練りに練られたストーリーなのである。

 それなのに、残念なことに、いけないのは巻末の解説なのだ。

 

 まず『イノセント・デイズ』から見よう。

 巻末の解説は辻村深月。解説が始まって2ページくらい進むと次の1行が出てくる。

 

※ここから先は、本編のラストに言及しています。未読の方は、どうか読了後に。

 

 そしてそのあと約5ページに亘って、この小説のラストの内容とともにご自分がどのように感動したかを語って下さる。少なくともおれは、辻村さんの感動の内容を知りたいわけではないのに。

 

 次に『リバース』である。

 巻末の解説は佳多山大地なる人物。この人おれ知らん。しかも有名な辻村深月さえ新潮文庫の解説では文末に「作家」と肩書が入っているのに(大概そうだよね)、この佳多山に関しては何も書かれていない。何者だか分からない。講談社文庫どうなってるんだ?

 で、解説が数ページ進むと次のような上から目線の警告が出てくる。

 

湊かなえが、第一に読者を気持ち良く騙すために練り上げた小説本編を未読の向きは、うかつに以下の文章に目を通されぬよう、くれぐれもご注意を。

 

 そしてこの直後に、堂々と犯人の名前を挙げているのである

 何が「うかつに」だ。何が「くれぐれもご注意」だ。注意しなきゃいかんのはお前だろうが。

 

 紙の本というのは、どこからどのように読もうが読者の自由に委ねられている媒体なはずである。それを、ここからは読むなと指図するとか、解説者風情にそんな権利があるわけがない。

 編集者に強く言いたい。解説でネタバレをすることをなぜ許すのか。初めから厳禁にしてほしい。ネタバレ原稿が上がってきたら即刻破り捨ててほしい。

 解説者に強く言いたい。結末や犯人に言及しないでは面白い解説が書けないというのなら、その依頼を初めから断ってもらいたい。お前には解説を書く資格がない。

 おれは中学から高校の頃にミステリやSFの魅力を知り、本屋で解説を立ち読みしてはどれを購入しようか決めていた。当時の解説は、導入部や設定の面白さを語り、もちろん結末は隠したままで読者を誘惑していた。そのことがおれを読書の楽しさに導いてくれたものだったのだが……。

 

 追記として、泡坂妻夫『湖底のまつり』(創元推理文庫)の綾辻行人による解説を見てみよう。こういう書き方なら読者の興味をさらに引くであろうというお手本である。

これ以上は書けない。ここでたとえ『未読の方は本文を先にどうぞ』と注記したにしても、万一ということがある。最高のミステリ作家が命を削って書き上げた最高の作品。それを前にした読者によけいな情報を提供してしまうような真似は、何をおいても避けねばならない。

 

 

 画像は、半月ほど前だが「台風一過の青空」。

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