キャンセルのマナー

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 日本の有力教授のコネなどを一切通さずトリエステ大みたいに風通しの悪いところに留学して、「一院生」として学内にコネを築いていくのはとても難しい。肩書きとか、プロジェクトのような餌でもあれば話はまた別。学界のために、後進の育成のために、なけなしの時間やエネルギーを若手の指導にさく日本の研究者のような純粋さがほとんど感じられない。こっちの大学の研究者の給料は少ない上に契約更新制だから、自分の保身で戦々恐々としているのが現状のようだ。彼らにとっては院生との約束なんて二の次。約束のキャンセルだって簡単にやってのける。
 先日久々にスロヴェニア人の先生と会う約束があってトリエステへ行ってきた。「2日前」に電話で時間を決めたのに、約束の時間に電話しても、そもそも返答がない。結局1時間半、15分おきに電話し続け、さらに研究室にまで電話(スロヴェニアとの国際通話になる)し、ようやく通じたと思ったら「ああ、ごめん今日トリエステに行けなかったんだ」。インフルエンザをもらって家で寝てるんだよね、ごめんね、とかごちゃごちゃ言い訳していたけど、何故電話で連絡できなかったのか謎。
 この人に限らず、こちらに来てから他人のキャンセルのマナーについて不満に思うことが多い。博士号をもち、それなりの名声がある人でも時間にルーズだし、自分の言葉に責任を持つということを軽視する傾向がある。友達との約束なら「15分だけ待って帰るから」と前もって言えるけど、相手が目上の人となるとそうもいかない。常に会う場所をなるべく居心地のよいところにして、時間を無駄にしない準備(本と音楽)を万全にするくらいは当然として、今回みたいに完全にすっぽかされる覚悟までしなければいけないとは。ま、さすがにこんなのは初めてだったんだけど。
da tommaso2
da tommaso
写真はスロヴェニア人教授を待ち続けたDa Tommasoというトリエステの格式のある大きなバール。写真のカップチーノ、3枚くらいのクッキーと小さなチョコレート、生クリーム付きで2.9euro。ゴリツィアの2倍強だけど、何時間でも粘れるので、院生や研究者の姿をよく見かける。
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W RICERCA!(ヴィヴァ!研究)

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 というRAI3の番組を見た。イタリアでは大学の基礎研究に対する予算が小さく、必然的にアカデミアのポスト数も非常に限られている。この希少なポストもほぼ情実人事で決まってしまうため、国際競争力を維持できないのが現状だ。イタリアの大学に籍を置いたことのある人にとっては、「何をいまさら」という内容だし、総選挙を目前に控える今、大学改革の「成功」をウリの1つとするベルルスコーニ政権に物申す趣旨がみえみえだった。個人的には、イタリアで唯一トリエステのSISSAが異例な頑張りを見せている[所謂「情実」人事を排する体制をとっている]という報告に興味を覚えた。
 今回調査の対象になったのは物理だけだったんだけど、イタリア「でも」理系全般で優秀な頭脳流出が問題になっている。この国はモーダと観光でやって行けばいいんだ、と言い切る人が多く見られる一方で、「(F.V.G.を)カメリエレ(ウェーター)だらけにしてはいけない」[つまり観光業頼みになってはならない]と第2次産業とそれを支えるRDの重要性を説く政治家もいる。
 基礎研究の予算はシニストラ(左翼)政権でアップするのが常らしく、今月9日と10日に投票が行われる総選挙は大学関係者にとっても重要な意味をもっている。今回は失言王ベルルスコーニのお陰でシニストラの勝利が予想されているのだけど、これで何が変わるのだろうか。チェントロ・シニストラ政権下でイタリアの学界で支配的なordinario(主任教授)を頂点とするあの強固なアカデミック・ピラミッドが崩されるはずだ、なんて楽天的に考える大学関係者は私が知る限り1人もいない。「時代の終わり」に支配的な閉塞感はイタリア社会にも充満している。
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研究者

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日本人研究者の方々と行動を共にするのも今日が最後。午前はトリエステの古本屋を巡って木版画などを少し購入し、昼は中華料理店で済ませた。指導教官がプーラへ旅立つのをお見送りした後、みんなでミラ・マーレ城へ向かうことにした。城周辺のヨットハーバーや沿岸道をゆっくり散歩して駅に戻り、喫茶店やピザ屋で色んな話を聞いた。分野や方法論の枠組みを越えて「情熱や信念を共有できる同僚をもつこと」、「そういう人達と協力し合うこと」以上のエネルギー源はない。この日トリエステ駅でゴリツィアへ向かう電車がホームから滑り出すまでずっと手を振って見送ってくれた同輩や諸先輩方のためにも、多くを負っている「情熱を共有する同僚」のためにも、なんとかいい研究を出したいと思う。ゴリツィアへ向かう車内、Fabrizio de Andréを聴きながらうっすら孤独感を覚えた。
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志ある若者はボローニャを目指す?

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 最近再び交際範囲がゴリツィアで違和感を覚えるという若いイタリア人達にシフトしつつある。ゴリツィアを客観的に見たい私にとってこれはこれで面白い。TrentoやVicenza、Torino、Udineなどイタリアでは比較的大きな町出身の彼ら曰く「ゴリツィアが町cittàだとは思わない。田舎paeseだよ。」、「ゴリツィアーニは冷たい。」、「ゴリツィアーニはrazista(人種差別主義者)だ。」と、かなり辛辣。ここに住み続ける気など毛頭ない批判精神に富む学生ならではの発言だ。
 彼らの多くが取り敢えず「脱ゴリツィア、ボローニャ行き」を決断するのも面白い。少し野心のある学生であればエラスムスを利用して英、仏、独を目指すのが普通。一方で「ヨーロッパを出る」のは依然としてかなり大きな決断のようだ。
 イタリアの大学はクラッシック音楽、デザイン、モーダ、建築、史学、等々いくつかの特殊な分野を除くと、英仏独あるいは日米のそれに大分遅れを取るのが現状。情報技術の遅れもかなり目に付く。ボローニャへ、あるいは英、仏、独へ脱出する彼らがそこで何を見て、イタリアの何を変えていくのか、たわいもないおしゃべりをしながら漠然と考えたりする。