曇天・雨天

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 が続いていて憂鬱。冬のゴリツィアは毎年こんな感じ。冬でもカラッと晴れる関東平野がちょっと懐かしい。 
 病院に行ったことを何人かの友達に話したら、みんな私のホームドクターや市民病院の担当医のことを知っていた。本当におっそろしく狭い町なのだ。担当医に関しては親切で正直な人だな~といい印象を受けたのに、「家の診療室に市民病院の患者を誘導する」、「腕はいいけど、やり方が汚い」という評判らしい。更には「夫婦揃ってアグレッシブでお互い愛人について干渉しない主義」という話まで聞かされた…。
 ともあれ病院通いをするようになって医者のありがたみを痛感するようになった。特にこの国の市民病院で働く医者は大変みたい。ノヴァーラで泌尿器科医をしている友達は絶望的に疲れ果てている。「仕事と趣味のジム通いで人生が終わってしまう」、と悲嘆している。勿論、町とか病院、科にもよるんだろうけど。
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アレルギー検査

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 を10日くらい前にしてもらい、昨日その結果をもらいに行ってきた。市民病院では検査結果だけをもらい、今朝はホームドクターのところに戻った。朝9時から11時半まで2時間半待って、1分話し、市民病院へまた送られることになった。なんと非効率な…。市民病院では2度の診察、薬、検査など込みで40euro(6000円)くらい。アレルギー検査は日本でかなり高いと聞いたことがあるから、まあ経済的なのかなと思う。
 検査の結果はなかなか面白かった。トマトとかオレンジのアレルギー反応まで調べるのはイタリアらしい。その他エビ、リンゴ、犬、猫、ダニ、カビなど色んなものに対するアレルギー反応を確認することができる。その割アルコールとかコーヒー、タバコがないのが不思議。
 その後久々に買い物に行ったらなんとなく色んなモノが高く感じた。なんと言っても1euro=153円。例えばちょっといい茹でハム150gで2.7euro(413円くらい)なんて言うと、日本なら安いお弁当が買えてしまう~。サラダなんかに入れるうっす~いノルウェー産薫製鮭が数枚(1人分)で4euro(612円)。パルメザンチーズは中くらいのサイズで8euro(1224円!!)。いちいち円に換算していたら買えなくなりそう。ただここには「スロヴェニアへ行く」「オーストリアへ行く」「ドイツ系の激安スーパーへ行く」「中国人の店を利用する」「郊外のショッピングセンターへ行く」「市場を利用する」、など色んな選択肢がある。みんな自分の懐具合を勘案して、行動しているのだろう。
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体調不良

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 でまたしても病院へ。昨日の朝、取り敢えず雨の中ホームドクターのところへ行き、そこから市民病院へ。ちょうどルームメートがジムに行くところだったので、車に乗せてもらった。
 「科」の予約を取りに行ったら、ホームドクターが「緊急」と書いていないから1月半ば(!?)まで待ってもらうと言われた。結局コネに頼るしかないのか?と思いつつ、一応自助努力をしておこうと科の窓口で直接交渉したら、ちょうどキャンセルが出たとかで5分も経たずに診てもらうことができた。僥倖僥倖。先生の意見は想像していた通りだった。処方された薬を薬局でもらって帰宅。翌朝(つまり今朝)7時半にまた血液検査をしてもらったら、36ユーロ(5000円くらい)かかった。今風邪まで引いていて、気分は満身創痍だ。
 これまでイタリアの病院について色々文句を書いたけれど、一旦医者のところに辿り着けば、結構きっちりやってくれるし、説明も明快だし、薬はタダだし、そんなに悪いものでもないのかも。
 昨夜、ウーディネでメディアセットのお笑い番組の収録があると誘われていたけど断った。薬をきっちり飲んでしばらく大人しくしていよう。
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眠い

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先週末、再度病院へ。退院後の検査のため。先生と最近の具合について話をした。週明けにまたキチンとした血液検査をするから、と言われて帰ってきた。意外と後を引くので面倒。結果が完全に出ないと、お礼行脚も終わらない~。
 退院後の経過について先生に質問され「慢性的に疲れているんです。すっきりしなくて…、外出も億劫。」と言うと、「そうだと思いますよ。数ヶ月この倦怠感が続くかもしれない。」と言われ、がっくりきた。「眠ろうと思えば1日でも眠れちゃうんですけど…。」と言うと「眠ってください。眠ってください。」だって。
 びしっと気持ちが引き締まらないというのは恐ろしいことだと実感した。帰国前のこの時期、1日1日をフルに活用しなければいけないはずなのに、イマイチ攻めの姿勢になれない。更年期障害とか鬱病の人達の文章を読みながら、その辛さを想像してみたりする今日のこのごろ。

病院食みたい

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 イタリアでもまずい食事をこう表現するのだと、ナポリ出身のヴェネツィアーニが教えてくれた。通常の食事から油と香辛料をある程度抜いたら、イタリア人が作ったってまずくならざるを得ないのだろう。
 病院のメニューには日本の病院でみられる多様性がなかった。パスタ各種、肉かチーズ、生野菜、果物(生か煮たやつ)から選べるようになっていて、肉はヨーグルト2つとトレードできたはずだ。
 パスタといっても、ツブツブパスタ入り無味無臭スープとかトマトソースと和えたブヨブヨパスタなど。チーズなんてモッツァレッラが袋のまま出てきたりした。気に入ったのは、オリーブ・オイル、塩、バルサミコ酢が付いてくる生野菜、ミネストローネ(緑色のどろどろスープ)、七面鳥ステーキ、野菜入りオルゾット。
 ともあれ、こっちの病院では各患者の病状にあわせてメニューを工夫してくれるようなことはないから、多くの人は家族や友達がもってくる食料を一緒に食べている様子だった。ま、入院費タダと知れば、こんなの当たり前だよなと思える。でも家族もお金もない人にはキツい制度だ。

退院

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 退院の手続きは簡単。担当医師に書類を1枚書いてもらい、点滴を引き抜いて終了だ。入院中に頂いたお菓子を看護士に残し、部屋の人達に挨拶して、久し振りに強い日差しの下に出た。友達の車で家まで送ってもらい、夜には別の友達がわざわざ様子を見に来てくれた。電話で様子を聞いて気にかけてくれる人達にもとても励まされた。
 月並みだけど、健康と人間関係を置き去りにしては何も出来ないってことを身を以て学んだ。研究計画は「大分」狂ってしまったけど、やれるだけやって後悔なく帰国できるようにしたい。
 老婆心ながらイタリアの大学に留学している(/する)人には、以下の点を強調しておきたい。

・保健証があり、救急の人々に認められれば医療費はタダ(任意の保健証は正規の大学生なら1年間150eruo程度で簡単に作成できる。ホームドクターも割り振られるし、オススメ。他州についてはよく分からない。)
・病院サービスの不徹底は「家族」がカバー(つまり家族がいない以上、それを代替する友人・知人の助けが必要不可欠)
・人脈=「マシ」な待遇

結局最後は「人脈」か

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 最後の挨拶を終え、ようやく合点がいった。彼が全てを手配してくれたのだ。
 彼というのはイタリア銀行の支店長で、私がゴリツィアに来てから2年半ほど世話になっているPさん。彼の近所にすむ友人に入院の件を聞いて、その日の内に夫婦で様子を見に来てくれた。入院中夫婦揃って3日間、奥さんには更に色々助けてもらった。
 「全て」と書いたのは、身の回りのものや雑誌、新聞、食料などの差し入れのことではなく、「人脈」のこと。彼は某社交クラブ経由で病院関係者にくまなく連絡を取ってくれたらしいのだ。そういえば入院初日から任意の健康保健証を作った方がいいからと事務の人がやって来ては、必要書類への記入、郵便局での支払いを代行してくれたり、翌日にはもう出来上がった保健証を手渡され、「どうもイタリアっぽくないなあ???」と思ったのを覚えている。病院職員(事務を含む)の態度は一貫して親切で、入院2日目には他部局長が挨拶に来た。さらに最終日には課長、部局長、他部局長、友達の友達だという医師らが次々と担当医師を訪れたので、先生も「一体どうなってるんだ?」と不思議がっていた。
 このPさん、来週にはゴリツィアを後にしてピエモンテへ転任するそうで、退院の日には最後の挨拶をした。すると彼は途中経過を改めて説明するまでもなく、入院初日からの全過程をよく把握していた。保健証に必要な費用とか病院関係者の名前が次々彼の口から出るのを聞いて、どわ~っと感謝の気持ちが沸き上がってきた。考えてみればこの2年、「何かあっても大丈夫」という気持ちが心のどこかにあったような気がする。それは何より彼のアシストがあったからなのかもしれない。
 ちなみにPさんは3年後には定年退職を迎えるのだが、その内ゴリツィアにアパートを購入し老後はここで暮らすことを考えているそうだ。イタリア全国津々浦々で仕事をしてきた彼もゴリツィアの住みやすさを認めたということか。数年後にゴリツィアで再会することもあるかもしれない。

病院の日常

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 朝6時半頃から部屋に看護士や医者がやって来て、検温、採血、血圧測定などをする。その後部屋の掃除、シーツの交換などがあり、8時前後にはお茶かカフェラテにビスコッティという激烈に軽い朝食。この後ドクターが状況を説明したり、様子を聞きにやって来る。昼食は12時。食事介助はないから、最初は枕元に置かれたトレーから手でつかめるものを食べようと思ったけど、難しく、断念せざるを得なかった。若干の「食欲はあった」のに…(恨)。ともあれ食後は消化などの負担があるので、ゆっくり横になり、気がつけば午後6時の夕食だ。昼食、夕食時が面会のピークになるんだけど、その理由は「食事介助がないから」だと思う。夕食を終えると、後はやることもなく、翌朝6時半まで悶々としながら過ごすことになる。
 私と相部屋だったのは2人のおばあさんで、1人は退院直前のカザルサ。もう1人は呼吸機能に障害がある(と思いこんでいる)人だった。後者が異様な心配性で、15分ごとに緊急連絡ブザーを押すものだからたまらない。朝も昼も、ご機嫌斜めな看護士がやって来ては、「いい加減にしてよ!何でもないんだから。大丈夫なの。呼吸は出来てるんだから。もうブザーは押さないで!!!」と怒鳴り散らされるのだ。それでもおばあさんはブザーを鳴らし続け、同じことを繰り返し要求するのだった。ちなみに私がこのブザーにお世話になったのは点滴してた腕が痛くなった1回のみだった。
 入院中カザルサの友達や親戚を見ることは一度もなかった。彼女はグラディスカの老人ホームに住んでいるらしく、「私には帰る家もない」と言っていた。ポーレッツ出身の彼女はいつもティトーやパルティザンの暴虐について話していた。元気な彼女は部屋の内外を行ったり来たりして、夜も眠れないのか、いつまでもお菓子をぱりぱり食べていた。2日目からは一緒に食事をするようになり、廊下で椅子に座りお菓子を食べながら話しこんだりした。せっかく仲良くなったのに、彼女はその翌日には元気に退院して行った。
 カザルサの後、若い女性が2人来て、1晩で退院していった。その後極端に食事量が少なくて気絶したというおばあさんが運ばれてきた。

パデッラ!

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 私は血圧が超低かったから入院させられたわけで、ベッドから起きてトイレに行くなんて無理だろうとドクターに言われた。尿瓶なんて恥ずかしいなあ、と躊躇していた私だけど、最後には看護士にお願いすることにした。このとき彼女が持ってきたのが「パデッラ」。どう見ても「ちりとり」なんだけど、コレにしろ、というワケ。これはヨーロッパの伝統なのか?こんなもの使ったらベッドは悲惨なことになって、看護士の仕事だって増えるのに…。
 覚悟を決めたものの心理的な拒絶は決定的で、結局点滴したままトイレに行くことにした。ダメ、と言う割に止める人もいないのが、なんとも。自己責任(放ったらかし)の国、イタリア。

入院

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 土曜の朝、ベッドに横になったまま点滴を受け、4階の小部屋に運ばれた。1階の喧噪を逃れて辿り着いた4階の部屋は、古いけど1階よりは断然広くて明るかった。それになんと言っても看護士達の態度が格段にマシだった。
 看護士の1人に「あなた入院したんだけど、パジャマとか必要なものある?友達とかに電話してあげようか?」と言われ、ああ、人生初の入院をイタリアですることになったのだなあ、という実感がわいてきた。
 ここで何人かの友達に連絡を取ったところ、イタリアの病院事情をよく知っている近所の友達が家からパジャマや身の回りのもの、水などをすぐに持ってきてくれた。ゴリツィアの病院事情は日本のそれに比べると大分違いがあるので、それを承知していないと入院当初は少し大変な思いをする。その点、私は彼女のお陰で順調な入院生活のスタートを切れたし、その後も不自由なく過ごすことが出来た。感謝、感謝。

以下はイタリアで入院生活を送る可能性がある方に。参考まで。

・看護士や医者は頼まない限り基本的に何もしてくれない
・院内に知り合いがいないと放っておかれる可能性がある
・流動食の準備、食事介助、入浴、シャンプーなど「余計なサービス」は一切なし
・尿瓶はなく、あるのはパデッラという「ちりとり」のみ
・看護士も面会に来る関係者達も入院患者にお構いなく大声でしゃべりまくるので、ここで「休憩」するのはまず無理。
・同室の人にもよるのかもしれないけど、夜も昼も安眠不可能
・携帯は自由に使える(注意されたのは救急で1回のみ)
・プライヴァシーは一切なし