嵐の中、ゴリツィアに帰る

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 コルティーナ・ダンペッツォは実はもうヴェネト州なのだ。地図を見るとここからゴリツィアまで実は200kmほどしかないことが分かる。サッパダ方面に向かいながらしばらく続く谷カドーレといえば、眼鏡製造やここからドイツに移住した人々が始めたジェラートの美味しさで知られている。ヴェネツィア派のティツィアーノもこの地方出身なのだそうだ。カドーレの谷を抜ける辺りにあるPieve di Cadoreにある古くて味わいのあるオシャレなエノテカに入った。ここでカベルネとサンドイッチを頼み、みんなで旅行を振り返った。
 バイクの趣味と性格の相関関係に興味があるという人がいたので、「そんなに複雑な問題じゃないと思う」と言った。そこにちょうど若いバイカー達が入って来て、「じゃあ彼らはどんなバイクに乗ってると思う?」と聞かれたので、「日本製かドゥカーティ」と答えた。経済的な制約のある人(若い人)はまず日本製。五月蠅いエンジン音が好きでスポーティな人ならドゥカーティ、という印象を受けたから。実際両方とも正解だった。BMWは品の良さそうなおじさん。ハーレイはおじさんというより髭を生やし、全身黒でキメたおじいさん世代に愛好者が多い印象を受けた。
 この後雲行きが怪しくなり、カドーレを出る辺りで降りは本格的になった。雨の降る山道、手で自分の体重を支えているという危険な状況だったにもかかわらず、前夜の寝不足とワインのせいで恐ろしい眠気に襲われた。実際うとうとして「はっ」と気付くことが何度かあった。バイクに乗る前はよく眠り、ワインはせいぜい1杯までに抑えようと心に誓った。ジェモーナの辺りで唐突に交通渋滞があり、がらがらの反対車線を前に進んでいくと風で倒された木を除去する消防局員達の姿があった。彼らが木を移動させ、数メートルほどの隙間ができるとバイカー達は即座にそこへ突入していった。
 高速に乗りウーディネ方向に向かうと雨はさらに激しくなった。しかもフェラゴスタの休暇から町に戻る車が渋滞を作っていて、追い越しをかけ続けた。この雨の中、時速140kmというのはかなり怖い。さすがに眠気はどこかに行ってしまった。ウーディネに着く頃には雨が止んだので雨合羽を脱ぎ、時速160km出していつもの道を通ってゴリツィアに帰り着いた。9時前にベッドにばったり倒れ込んで深い眠りに落ちた。
 翌朝9時には「家のアイロンが壊れたから貸したアイロンを1週間くらい返してくれる?」という大家さんの電話で起こされた。私がフェラゴストから帰ってくるのを待っていたらしい。オーストリア旅行の話を少ししたら、「帝国下の生活は豊かだったんだから!」とここでもオーストリア時代を懐かしむ話を聞かされた。ナポリの人々はブルボン時代を懐かしむというけれど、彼らのほとんどはオーストリア時代を知らないはずだ。それでも「昔はよかった」と結論しようとする人々にその内根拠を問いただしてみよう。
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コルティーナ・ダンペッツォ

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この後再びコルヴァーナに戻り、今度はコルティーナ・ダンペッツォへ向かった。
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(町の遠景)
町中を歩くと、所謂セレブ御用達の高級リゾートであることが実感できる。町中の高級商店のショーウィンドーにはあまり惹かれなかったけど、近隣の山々、特にクリスタッロ山のスキー場にはゴリツィアの友人の話を聞いて以来、何となく憧れている。そうでなくともイタリア・スロヴェニア・オーストリア国境地域に住んでいるとスキー場の話を聞くことが多い。彼らの生活に根付いた文化なのだと思う。今年は無理としても、いつか上手になったらみんなと一緒にクリスタッロへ行ってみたい。
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ドロミティの凄さは例えプロの写真を見てもよくは分からないと思う。写真に収まった山塊は美しいけれど小さ過ぎて全く迫力が伝わってこないから。実際には周囲360°を凄まじいパノラマに囲まれる。光りの加減で常にその姿を変える巨大な山塊や谷間を背景に、苦しそうに山岳道路を上っていく自転車やバイクの様子を見るのも楽しい。足下には可愛らしい高山植物、空には真っ青な空と真っ白な雲。牧草地では牛が放牧され、昼寝やピクニックをする家族連れや若いカップルの姿もみられる。
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途中で休憩を入れた茶屋の前で、65年のMoto Morini製のCorsarino(48cc)とかいうバイクに乗る集団と言葉を交わした。日本のカブに似ていて、なんともsimpatico。こんな小さなバイクで若者がひょいとドロミティに遊びに来られるというのはヨーロッパならではの贅沢だなあ、と思った。
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イタリア側ドロミティへ

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 ここからドロミティの内奥に入って行き、私のドロミティ・イタリアーネに対する印象は全く違うものになった。S.Lorenzo – Piccolino – Pedraces – La Villaと南下し、様相が大きく変わるのはCorvaraコルヴァーナ。つまりGruppo di Sellaがその雄大な姿を現す辺りだ。
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 ここからPasso di Campolongoを通ってArabbaへ。
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Arabba自体はなんということのないアルプスの谷間の町なのだけど、この先がすごい。苦しそうに山を登るチクリスタ達を追い越しながら眼下に広がってくるパノラマは感動もので、Passo Pordoi(2239m)に至っては思わず笑ってしまうほど。
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 この上り坂で友達に預かってポケットに入れておいたガイドブックを気付かないうちに落としたらしく、気付いて拾ってくれた後続のバイカーに峠で「はい」と手渡された。ここで同行者の1人に「なんでもなくすな~。おっちょこちょいだね。」とからかわれたのに対して、疲れのせいか「なんで“なんでも”なの?」本気で怒ってしまった。みんなを茶屋に残して1人で散歩して、茶屋に帰ってから素直に謝り、ついでにこれまでの様々な失敗を披露した。そしたら友達の1人が、軍事教練で落下傘兵になったときそれまで親に頼り切って忘れ物だらけだったのが全く別の人間に生まれ変わった、という話をしてくれた。別の人は君が彼の歳になるころには完璧になってるよ、と言った。留学生活にも慣れて緊張感に欠けるようになって来ているのかな、と反省した次第。
 茶屋で人が注文したクヌーデルを一欠片もらって、甘くした熱いレモンティーを飲み、再びバイクは先に進んでいった。この先すぐ待ちかまえているのがドロミティ東部で一番美しいと言う人もいうPasso di Sella。このパノラマを見て感激は絶頂に達する(かもしれない)。

「イタリアは騒々しい」

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 8月21日(日)、朝9時頃リエンツに近い宿を出発してイタリアとの国境を越え、イタリア人スキー客でにぎわうS.Candidoサン・カンディド、Dobbiacoドッビアコを通ってBrunicoブルニコへ。ここでお茶のみ休憩を入れて経路を確認。ここまで来る間に「イタリアはなんて騒々しいんだ。トランクイリタとかオルディネというものはイタリアには存在しないのだろうか。チロル風の家も粗製濫造されているし…。確かに山の規模や形はイタリア側に軍配が上がるけど。」などと考えていた私。カプチーノを飲みながら、みんなが同じことを考えていたことが分かって笑った。ホモジェニックでのんびりしたオーストリアの田舎からイタリアの町に入ると、その緊張感にどっと疲れてしまうのは私に限ったことではなさそう。
 この辺りで友達の1人に「バイクに乗るとき、もう少し重心を後ろにするように」とアドヴァイスされ、他のモトチクリスタを観察するようになった。確かに慣れていそうな人は運転者と距離を保っている。椅子の後ろの支えを掴み、足に力を入れて自分の体重を支えている様子だ。恐る恐る挑戦してみたところ、これがいい全身運動で、山道ではより楽しく、景色に変化がないときには退屈しのぎにもなることが分かった。この“ヌオヴァ・テクニカ”は運転手にもことごとく好評。ただし長時間やってると腰にくるのと、高速ではあまりにも恐ろしくて無理。
 ところで今回はささっと通り過ぎてしまったけど、S.CandidoやDobbiacoを起点にしたle Dolomiti di Sestoと言われる辺りもバイカーに非常に愛されている。S.Candido (1174) – Sesto – S.Giuseppe/Moos – Passo M. Croce di Comelico (1636) – Padola – S.Anna – Passo del Zovo (1489) – S.Caterina – Auronzo di Cadore – Valle di Ansiei – bivio Dogana Vecchia – Col Sant’Angelo (1757) – Carbonin – Dobbiaco Nuovo – S.Candidoという89kmほどのコースだ。3000mくらいあるTre Cimeの近くやMisurinaなどの美しい湖を幾つも通るそうで、いつか是非行ってみたい。
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(Gruppo di Sellaに向かいながら1枚)

ドロミティに向かって南下

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 ハルシュタットでまったりと1日過ごした後、午後4時過ぎにはドロミティに向かって南下することにした。HallstattからBad Ausseeを通ってザルツブルク行きの国道に乗り、Radstadtの手前でVillach方面に向かう道に入った。小さな町をどんどん通り過ぎ7時前にはGmündという、ポルシェの最初の工場(というよりガレージに近い)がある町を通った。見学は生憎18時まで!!
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 この先道路はVillachとLienz方向に分かれ、私たちは後者に向かった。Lienzから15kmくらいのところでトラック祭りをやっていて、牧草地の辺り一面にずらりと派手なトラックが並んでいた。
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農作業用の小屋を利用して造った田舎風のバーやディスコにはトラック運転手やその関係者が集いご機嫌な様子。
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どうやらオーディエンスが投票して賞を決めるらしく、運転手は自慢のトラックの電飾を光らせさかんにアピールしていた。トラックはオーストリアの他イタリアなどからも参加していて、十字架をフロントにつけているものが目立っていた。カメラを構えると一斉にクラクションを鳴らされてびっくり。
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 リエンツからドッビアコ方面に向かって一番最初の集落で1泊することを決め、すぐに宿は見付かった。宿の1階にはドロミティ行きのバイカーか近所の人が客のほとんどを占めるカジュアルなレストランがあったのだが、夜9時にキッチンを閉めたと聞いてがっくり。私たちは加工肉を適当に盛ってもらい、ビールと一緒に食べた。ともあれイタリアはもう目の前。こんな小さな店にもイタリア語を解する若い店員がいた。旅の疲れがあった上、インターネットの天気予報は「ドロミティの降水確率、明日、午前50%、午後70%」。夕食は重い雰囲気になった。更にホテルは改装中で共用シャワーには鍵もかからなかった。外はいつまでも騒々しいし、気分も晴れないままなかなか眠ることができず、超睡眠不足のまま朝を迎えた。

ハルシュタットの塩鉱

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 旅の4日目、8月19日(土)はバイクの移動を最小限に抑え、疲れを癒し翌日のドロミティ周遊に備えることにした。というわけでまずはBad GoisernからHallstattハルシュタットへ移動。「ハルシュタット」といえば誰でもなんとなく聞き覚えがあるはず。それもそのはずハンガリーからフランス中部に栄えたヨーロッパ初の鉄器文明であるハルシュタット文明(B.C.1200-450)の示準遺跡ある町なのだ。 
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(遺跡の発掘現場)
 湖岸にはボートを泊める木製の収納庫を持つ美しい家々が並ぶ。町中には2つの教会がある。カトリックが圧倒的に優勢なオーストリアにしてこの町ではプロテスタントが競合しているらしく、双方が教会をもっているのだ。
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 モーターボートを借りて湖を遊覧すると、周辺の山々はいかにも地滑り、山崩れが起こりそうに見えた。実際山に木が生えていない箇所では、道路に山崩れに対応する屋根のような加工がしてあることが分かった。湖の水は雨が降ったのだろうか、生憎透明感には欠けたけれど、落ち着いた静かな場所で美しい湖岸の景色を見ながら、とてもリラックスできた。
 船着き場近くの店で土産などを調達し、湖岸のベンチに座ってビールで乾杯した。同行者達は「すっごくバイカーって感じだよな」と興奮していた。普段小さな町でブルジョワっぽい生活をしている彼らにとっては、この程度のことが嬉しいらしい。この後近くのケーブルカー乗り場へ向かった。これで塩鉱や遺跡の発掘現場まで行けるらしい。
 まずケーブルカーで山を上るとかつて鉱夫達の家があったという場所に到着する。そこから15分程歩いて山を上ると塩鉱に到着。ところでこの塩鉱はなんと7000年〔推定〕の歴史があり、世界最古にして現在もなお操業しているというとんでもない代物らしい。鉱夫っぽいユニフォームに着替えさせられ、帝国仕官のような格好をしたガイドが私たちを塩鉱内部に案内してくれる。
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(塩鉱入り口)
 内部には、瞬間速度が出る写真撮影付きの滑り台〔64mというヨーロッパ最長の木製滑り台らしい〕、光のショーを見せてくれる1400㎡の地中湖、ハルシュタット方言をしゃべるロボット鉱夫Seppさんが「塩男」の発見談を語ってくれるコーナーなどがあり、全く退屈させるところのない非常によく出来たツアーだった。塩鉱が内陸部にできた歴史やその仕組み、かつてと現在の採塩技術の違いなどを簡潔に説明するコーナーもあり、大人も満足できるはず。ところで、説明によると鉱塩も海塩も元をただせば同じらしいのだが、一般に海塩の方がミネラル分に富み健康によい、とされるのはどういうワケなのだろうか???
 Seppさんが語った「塩男」というのは1734年に塩の鉱床で見付かった遺体のことで、不思議な衣服や道具を身に付けていたという記録が残っているそうだ。発見した鉱夫らが麓の町に持ち帰ったところ大騒ぎになり、最終的には埋葬されたそうだが、その後この遺体の行方は分からなくなっている。現在の研究者達はこの遺体の古さは数千年前まで遡ると見なしているらしい。Seppさんも新たな塩男の発見に情熱を注いでいる様子だった。Dachstein-Hallstättersee地方がUNESCOの世界遺産に登録されたのはこの塩鉱の存在が大きかったらしい。
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(ツアーを終えて)
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(塩鉱入り口辺りからの景色)
 塩鉱を出ると外の光がまぶしかった。塩鉱からケーブルカー駅の方に歩いていくと、物々しい木組みの上に白い布で包まれた何かが置かれていた。どうやら火をつけようとしている人、ヴィデオカメラやカメラを抱えた人々、消防局員がその周りを囲んでいた。近くにいた人によると、この地域では昔火葬が多かったらしく、それを観光客の前で再現しようという趣旨らしい。ただし死体は人間ではなく羊。この後炎はすごい勢いになり、羊肉は真っ黒に炭化してしまったに違いない。さて、この後ケーブルカー駅の近くにあるレストランでハルシュタット湖のパノラマを楽しみながら、ドイツビールと一緒にこの湖で採れたSaibling(鱒の一種らしい)のグリルを食べた。
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(羊の火葬)
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(パノラマ・レストランから見えるハルシュタット湖)
 店を出て階段を下りて行くと、水道口から勢いよく水が流れる音がした。その先には消防用のホースが繋がれ、例の火葬コーナーの方にのびていた。どうやら羊が焼けたみたい。その辺の牧草地で何も知らずに草をはむ羊たちを横目に、私たちはケーブルカー駅に戻った。

オーストリアの湖水地方

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 ザルツブルクの南東一帯に2000m級の山々や湖が広がるザルツカンマーグートと呼ばれる地方がある。その中でも比較的アクセスが容易で多くの観光客を集めるWolfgangseeヴォルフガング湖畔の町St.Gilgenサンクト・ギルゲンにはモーツァルトの母の生家があり、彼の姉も暮らしていたという。パラグライダーを始め、様々な水上スポーツを楽しむ若者の姿が見られた。
 さらに南東に20kmほど進むとBad Ischlバート・イシュルという非常に有名な温泉保養地がある。この地にはフランツ・ヨーゼフの別荘もあり、周辺の森で狩りを楽しんだようだ。そういえば常用しているハーブ入り塩のパッケージにはBad Ischlerと印刷されている。この辺りにも塩鉱があるということか。
 取り敢えず町の外れにある食堂でKnödel入りのグラーシュにドイツビールを。ここは気のいいおばさんがいて、クラッシックカーに乗っていたり、店の犬に餌を持参する面白い常連が多い店だった。是非この町に投宿して夜の散歩を楽しみたかったのだけど、フェラゴスタのど真ん中にあたるこの日は観光シーズンのピーク。結局飛び込みでは宿を見つけられず、インフォの人のすすめに従って近くのBad Goisernへ向かった。
グラーシュ
(バート・イシュルの外れで)
 すぐに町の外れにあった農家の貸し部屋に落ち着くことができ一安心。高額なバイクを盗難から守りたい同行者達は大きな納屋がある農家をいたく気に入っていた。
 ベルヒテスガーデンから再び山道に入りHintereckまで登って駐車。ここから30分に1回出発するバスに乗り換えて、ヒトラーが要人との外交に使ったというKelhsteinhausへ。Hintereckにはヒトラーやゲーリンクの別荘やSSの兵舎などがあり第3帝国第2の政府所在地と呼ばれていたそうだが、終戦間際に連合軍によって全て破壊された。一方のKehlsteinhausは52年までアメリカ軍に接収され、破壊を免れたらしい。
 ともあれバスはHintereckから麓のベルヒテスガーデンの町を見下ろすヘアピンカーブが続く険しい山道を登っていく。バス停から薄暗いライトで照らされたトンネルを最奥部まで進み、トルコのハマムのような(あるいは教会のクーポラのような)薄暗い部屋でエレベーターの到着を待つ。緑の皮ソファや時計が備え付けられ真鍮で鍍金された キッチュなエレベーターで一気に124m登るとケールシュタインハウスに到着する。「悪の基地」に乗り込んでいくような気分。
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 実際山の上で邪悪な空気を感じて動揺した、とか、天才の邪気に当てられて気分が悪くなったとか、色んな感想をイタリア人の友達から前もって聞いていた場所だったんだけど、私は山荘自体に特別な「邪気」を感じることはなかった。敢えていうならムッソリーニが贈ったという大きな赤大理石(「(最高級)緑大理石じゃないのはおかしいな」とは友人の弁)の暖炉が一番邪な雰囲気。この施設にはちょっとした説明コーナーもあるけど、完全にドイツ語限定。辞書がないときびしい。こんなに有名な観光ポイントなのに?と不思議な気も。
 付近にある山頂の標高は1834m。オーストリア、ドイツの美しいパノラマが広がっていた。この山荘の主な用途は外交だった〔とはいえほとんど使われることはなかった〕というけれど、一体全体何故こんなところに〔単にHintereckとかObersalzbergに近かったから?〕トンネルを掘ってエレベーターまで作った上に、大して役にたたなそうな〔しかもその存在は特にコンフィデンシャルというわけでもなかった〕小さな山荘を建てたのか、不思議で仕方がない。1939年に50歳の誕生プレゼントとしてナチ党からヒトラーにプレゼントされたものの、結局10回くらいしかここには訪れずしかもそれぞれの滞在時間は30分以下だったらしい。ヒトラーは第1次大戦で受けた傷に由来する偏頭痛もちで、高所でそれに苦しまされたのではないか、という見解もあるようだ。
ベルヒテスガーデン
 ここのレストランでソーセージとケーキを食べてから下山し、ザルツブルクの南東一帯に2000m級の山々や湖が広がるザルツカンマーグートと呼ばれる地方へ向かった。ちょっと山に疲れていたのかもしれない。

ザルツブルク・アルプス

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 旅の3日目、8月18日(金)も晴れ。Zell am Seeで少し朝の散歩をしてからザルツブルクのアルプスとベルヒテスガーデンを巡るツーリングに出発した。詳細なルートは以下の通り。 Saalfelden - Maria Alm am Steinernen Meer – Filzensattel(1291) – Dienten am Hochkönig - Dietner Sattel(1379) – Mühlbach am Hochkönig – Arthurhaus - Bischofshofen– Werfen– Tenneck– Paß Lueg – Golling– Wegscheid – St.Koloman – Vigaun - Hallein – Bad Dürnberg - Oberau – Roßfeld-Ringstraße – Berchtesgaden。イタリアのIn moto sulle Alpiという本にはLe alpi di Salisburgo e Berchtesgadenと銘打たれているコースだ。
 それにしてもあらゆるところで出会うバイカーのマナーの良さ、愛想の良さに驚いた。バイカーにもお国柄があらわれるのは本当に面白い。旅の途中で出会ったドイツ人の多くは上半身から頭まで一続きの肌着のようなものの上にヘルメットを被り、全身を専門店のバイク用品でプロテクトする周到さで、私たちに「寒くないの?」と聞いてくる人もいた。それ以上に私たちを感嘆させたのは、プリントアウトした詳細なルート設定をバイクに貼り付けるスイス人だった。
 今回のルートではMaria Alm am Steinernen MeerからArthurhausの辺りが1番気に入った。ドロミティのようなド迫力はないけれど、モデラートで絵になる山々の麓には落ち着いて可愛らしく品がよい町が点々としている。
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特にMaria Almはオススメ。スキー観光の基地としてもよさそうだった。
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 Arthurhausもなかなか印象的だった。ここは登山基地で、有名なチーズ職人の乳製品を売る山小屋が有名。客はほとんど高齢のドイツ語話者で、彼らの中にはバケツを持ってきて大量にチーズを買いこむものもいた。牛乳とリコッタチーズを頼んだら、自家製パンに自家栽培の野菜を添え、バルサミコと香辛料を使った美しい一皿がサーヴされ思わずびっくり。こんな田舎でチーズ職人をする彼だけど、おそらく大都市で料理修行をしたことがあるに違いないとみんなで話し合った。ちなみにこの店の経営は近くの中規模ホテルのようだ。
 Roßfeld-Ringstraßeはドイツの1番高いところを走る有料道路。実は直接Berchtesgadenへ行こうと思って迷い込んでしまった道だ。最高地点は標高1543mのHennenköflで気持ちのよいパノラマがそこかしこに広がっていた。ピクニックをしている家族連れと沢山すれ違った。この後いよいよベルヒテスガーデンへ。
ドイツパノラマ