旅から戻った火曜日の夜、ルームメイト、カーティヤのSečovljeセチョウリェに住む両親が部屋に遊びに来た。初めてお会いしたお父さんはSv.goraスヴェタ・ゴーラ(Monte Santoモンテ・サント)の麓にあるGrgarグルガルという村で生まれ、子供の頃にはゴリツィアに花を売りに行っていたという。一方お母さんは現在のクロアチア領Poreč(Parenzo)生まれでセチョウリェの塩田や畑を手伝っていたのだそうだ。2人はノヴァ・ゴリツァで知り合いモンテ・サントの教会で結婚したのだそうだ。
 お父さんはセチョウリェでワインを作っているので、話はイストゥリアのワインから歴史、料理に及び、ひっじょーに濃密な時間を過ごせた。例えばWWII後もバスや船で国境を毎日越え、イタリアの市や工場へ働きに行っていたスロヴェニア人の行動パターンについて事細かに教えてもらった。
 例えばピラン周辺のスロヴェニア農家の主婦達は、自家製の野菜や加工肉、卵などの農産品を売りに毎日ピランから出る船でトリエステまで通ったらしい。またノヴァ・ゴリツァとの国境にあるゴリツィアの広場カザ・ロッサでは毎年秋にキノコ市が開かれ、国境地域のスロヴェニア人が沢山そこに集合したそうだ。毎年この市にはヴェネトなど、イタリアの他地域からの業者が集まり、質の割に値段の安いキノコを仕入れていったらしい。80年代の終わりまでこうした市がゴリツィアで開かれていたのだそうだ。
 お父さんとお母さんに、「イストゥリアの伝統料理を作るからいらっしゃい!」とセチョウリェに招待してもらったんだけど、数日休んだばかりだり、自重すべきか?
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ブレッド紅葉
(写真はブレッド湖周辺の紅葉)
 イタリア・スロヴェニア国境地域に住んでいると、3回、4回と訪れる観光ポイントが幾つかある。スロヴェニアのブレッド湖はその代表格だ。というのはやっぱり絵になるし、アクセスも比較的容易で、鱒料理も美味しく、観光客の満足度が高いから、なのかな。
 今回湖周辺にはうっそうと霧が立ちこめて、アルプスの壮大な光景も見えず、中の島もうっすらとその姿を見せるにとどまった(写真)。
ブレッド島
通り過ぎたイタリア人観光客もみな「残念だ」と言っていた。ただ今回は今まで言ったことのなかったお城(写真)に上って、小さな歴史博物館を見学したら意外と面白かった。
ブレッド城
スロヴェニアという国は「1つのnation」としてその歴史を把握するのが非常に難しい国だ。その点はイタリアも同様なのだけれど、こうした主題を扱った2次文献の厚みが全然違う。イタリア・スロヴェニア国境地域の旅先で知る「郷土史」は、「国境」という近代的かつ可変的な制度の檻に閉ざされた「1国史」にしばられがちな私たちの思考の枠を、少し相対化してくれるような気がする。
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 シロコのおじさんに言われた通り、10時にモスト・ナ・ソーチから出発するAvtovlakアウトウラック(自動車鉄道)に乗ることにした。アウトウラックって何か?答えはこの写真で一目瞭然。
avtovlak
要するにユリアン・アルプス山越え道路の不便を補うための策なのだ。日々Most na Sočiモスト・ナ・ソーチとBohinjska Bistricaボヒンスカ・ビストリツァの間を2回くらい往復しているようだ。ヨーロッパの山岳地帯では普通に見られるものなのだろうか?日本では?

モスト・ナ・ソーチ駅
モストナソチ
アウトウラック
アウトウラック
アウトウラックに乗った!
アウトウラック2

 ブレッド湖については以前にも書いているので此方をご参照下さい。
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 コルモーンスからゴリツィア経由で再度スロヴェニア入りし、一路トルミンを目指して北上した。(写真)
トルミンへの山
(ちなみに上の写真はノヴァ・ゴリツァのカザ・ロッサ国境近くにあるユダヤ人墓地とカジノ。イタリア側には親ユダヤ的な雰囲気があって、かなり問題視されている。)
ユダヤ人墓地
スロヴェニアカルソの山々を越えてトルミンにたどり着く頃にはアルプスが大分キレイに見えるようになる。残念なことに今回はあまり天候に恵まれなかったので、すぐにモスト・ナ・ソーチから近いこの日の宿、シロコŠiroko(Tolminski Lom 41a, SI-5216 Most na Soči, Tel. 386 (0)5 388 72 20, Email tksiroko@volja.net)へ向かうことにした。(写真はモスト・ナ・ソーチからロムへ向かう山道から見える紅葉)
しろこ近くの紅葉
しろこ近くの紅葉2
シロコのおじさんは一見愛想がなさそうだけれど、とっても親切な人だった。家族全員英語は苦手、イタリア語もかなり厳しそう。なんとかスロヴェニア語で意思疎通を図ろうと苦闘したら、色々世話を焼いてくれた。
 こんな奥まった山の上にあるアグリツーリズムでも土、日は人でいっぱいになるという。私が到着したときも庭には車が溢れかえっていたし、食堂もほとんど満席だった。食事に関しては何が特別という訳でもなかったけれど、スロヴェニアの伝統料理štrukljeシュトゥルクリェと称しながら見たことのない形で出てきたコレ(写真)は面白かった。
しろこのドルチェ
町のレストランで食べるシュトゥルクリェはもっと薄い生地にほうれん草や木の実などを伸ばし、それをロール・ケーキのように巻いてから薄くスライスして、食事に添えられる。今回のシュトゥルクリェには木の実が詰まっていて、デザートとして食べた。
 朝食時におじさんと世間話をしていたら、ブレッド湖に辿り着くのにavtovlakという電車に車を乗せて山越えをする方法を勧められた。車1台8euroくらいで、Most na Sočiモスト・ナ・ソーチからBohinjska Bistricaボヒンスカ・ビストリツァまで鉄道用のトンネルを利用して一気に抜けることができる。宿を出発する前にはおじさん自ら、霧がなければ見えるというブルダやカナル渓谷、ユリアン・アルプス、ソチャ渓谷、ツェルクノ連山、カニン山の方向を指さしながら説明してくれた。「ちょっとスロヴェニア語が分かっちゃってるんじゃない?」という自己満足と一緒に、宿を後にした。またゆっくり滞在してもいいな~。

コルモーンス

 ゴリツィア周辺では、カザ・ロッサを除いてパスポートで通過できる国境は唯一Neblo(写真)のそれになる。NebloからはイタリアのCormònsコルモーンスまですぐだ。(写真はコルモーンスの町並み)コルモーンスといえばオーストリア帝国下でもブルダ産のワインやサクランボウの市が立つことで知られた町。現在はワイン農家が共同出資する町のエノテカ(Enoteca di Cormòns)が多くの観光客を引きつけているようだ。毎年10月末のこの時期にはWine and Jazzというお祭りをやっていて、国内外のミュージシャンが集合する。小さいながらもなかなか面白いところだ。
コルモンス
 さて日曜日はブルダからモンテ・サントを見に行き、ブルダに戻ってエディ・シムチッチさんのカンティーナを訪問し、イタリア側のコッリオに抜け、ゴリツィアから再度スロヴェニアに入りトルミン、モスト・ナ・ソーチからLomロムという村にあるアグリトゥーリズムにお世話になることにした。
 モンテ・サントから見えるゴリツィアには生憎霧が立ちこめていて、見晴らしはいまいちだった。そこでさっさとブルダに戻り、ATMを探しついでにコイスコを訪れた。(写真はコイスコの教会)
コイスコ教会
 11時頃にVipolžeにあるエディ・シムチッチさんのカンティーナを訪問し、現在マーケティングや品質改善に取り組んでいるEdiさんの息子Aleksさんの話をゆっくりと聞くことができた。彼は以前石油会社のセールス・マネージャーをやっていたと言うだけあって、新規参入したワイン作りにも新しい試みにも果敢に挑戦している。これはエディさんのところに限らず、85年くらいまで国のカンティーナに葡萄のほとんどを納め、ワインの「質」にこだわりをもたなかったスロヴェニアの人々だったが、90年頃を境にブルダ全体で精力的に品質改善に取り組むようになったのだという。例えばブルダといえば伝統的に白が強いのだけれど、エディさんのところでは98年から赤の生産に取り組み、1年の学習を経ておいしいDuetを生産できるようになったという。もはや「ブルダの赤はいまいち」などとは言えなくなっているのだ。
 ただ栽培やワイン作りの技術については海外のワイン・フェアなどに集まる同業者(フランス人やイタリア人)の話を参考にする程度で、基本に忠実な方法をとっていると言っていた。現在世界中から評判を聞きつけたバイヤーが彼らのカンティーナを訪れるのだそうで、話を聞いたすぐ直前にはスイスから数千本単位で注文が入ったと喜んでいた。非常に野心的なアンドレイさんは、「質をもう1段階上げたい」と熱く語ってくれた。
 ちなみにイタリア側コッリオとの国境を挟んだ協力関係というのは全く行われていないのだそうだ。地形的には一続きで、しかもこんなに狭いブルダ(イタリア名コッリオ)なのに、国境を挟んだ両地域が競争関係にあるというのはなんだか不思議な気がする。ブルダの中でもPlešivoプレシーヴォ、Cegloツェグロ、Vipolžeヴィポルジェの3つの村は47年に農地が国境で分断された歴史を持っている。分断後も特別の通行許可証を得ることでイタリア側で葡萄の生産を続けることができたらしい。当然国境の両側にスロヴェニア人のワイン農家が住んでいるのだし、ゴリツィアとノヴァ・ゴリツァの協力が始まる以前にブルダとコッリオに協力関係が成立しているかと思いきや、実際こんなものらしい。双方の接続を意識的に行い、共同マーケティング等でより魅力的なワイン生産地として内外の観光客にアピールし、より多くの収益を得られるとは考えられないのだろうか。(写真はシムチッチさんのカンティーナの試飲室)
エディ

ブルダヘ

 トリエステを後にし、一路ゴリツィアを目指した。システィアーナやドゥイーノからのパノラマを楽しむつもりだったのだけれど、トリエステ付近に霧が出ていたので今回はパス。ところがゴリツィアに近づくとどんどん霧が晴れて、再度スロヴェニアに入国しサボティン山を越えてブルダに入る頃には空がすっかり晴れ上がっていた。
 まず向かったのはドブローヴォDobrovoのお城(写真)にあるVinoteka。
ドブローヴォ城
今回生ハムや羊、山羊などのチーズと一緒に試飲したのはEdi SičičのDuet RiservaとRebula、Vinska Klet(ブルダのカンティーナ・ソチャーレ)のChardonnay Bagueri 2003、JakončičのCarolina Rdečなど(写真)。Rebulaはいまいち好きになれなかったけど、他は美味しかった。その中でもやはりDuet Riservaは別格だ。近い将来、なかなか手の届かない値段になりそうで寂しい。ちなみにCarolinaは15euro、Duet Riservaはその倍以上33euroする。
ヴィノテカ
 今日の宿はŠtekar(Snežatno 26, 5211-Kojsko, Goriška Brda, Slovenija, Tel.05 30 46 540, Fax05 30 46 541, e-mail stekar@siol.net)(写真)。
シュテカル
ここを仕切っているのはAnuškaアヌシュカさん。とっても暖かく心のこもったもてなしをして下さる方だった。朝食に出た各種自家製ジャムとトマトのサラダは絶品。またそのうちにお世話になるような気がする。ブルダはオーストリア人が多く訪れるから、かなり英語が通じるらしい。翌朝の出発前にはカンティーナ(写真)を見学させてもらった。どこでもきちっと片付けられていて、気持ちのいい滞在ができるところだ。
シュテカルカンティーナ
(下の写真はスロヴェニアで一番大きいブルダのカンティーナ・ソチャーレ。ドブローヴォの城からよく見える。畑の地下に貯蔵庫が広がっている。)
カンティーナ・ソチャーレ

トリエステ

trieste.liberta
(写真は町の中心、リベルタ広場)
 ポストイナから向かったのはイタリアのトリエステ。Kozina経由で戻った久しぶりのイタリアではいきなり物価の高さを実感した。移動は日本→イタリア→スロヴェニアの順なら気が楽なのだが、その逆は大変。北イタリアは南ドイツやフランスよりキツい感じがするのは気のせいだろうか?
 今回スロヴェニア側からイタリアに入ってトリエステの町をぶらぶらしながら感じたのは、港の表玄関でありオーストリア帝国時代の壮麗な建築物に縁取られらリベルタ広場、その裏に広がる中東欧の文化が入り交じったような下町、そしてトリエステを取り囲むカルソの山々に点在するスロヴェニア村落の際だった相違だった。

市庁舎
トリエステ市庁舎
「トリエステの坂道」
トリエステの坂道
トリエステの金融街
トリエステの金融街
トリエステのローマ劇場跡
トリエステローマ
ポストイナ洞窟城
(写真はポストイナと洞窟城)
 スロヴェニアでは10月29日(土曜日)の午後から11月1日(火曜日)まで連休に入るので、29日にはまずPostojnaポストイナで買い物。その後、1818年にオーストリア皇帝のポストイナ洞窟訪問に際して入った調査隊が偶然発見した鍾乳洞を見学した。27kmほどのポストイナ洞窟にはPivka川が石灰岩に染みこんでその炭酸カルシウムが解け、流れ出したものが天井から垂下した鍾乳石stalactiteと床上に滴下したそれが堆積してタケノコ状に成長した石筍stalagmiteが織りなす幻想的な光景が広がっている。stalactiteは10年1mmペースで成長するのだそうで、洞窟が現在の姿になるまで10万年以上かかっているらしい。ただこの辺の数字はガイドによって毎回言うことが微妙に違っているような気がするので、正確な情報かどうかは分からない。
 ちなみに出口周辺の比較的気温の暖かいところにはPivkaに棲むProteus anguinusという体長15cmほどのピンクの両生類が水槽で飼われており、ポストイナ洞窟のシンボルになっている。そういえば入場料がなんと20euroくらいまで上がっていて(数年前は5euroくらいだったのに…)びっくりしてしまった。ここスロヴェニアでもEU加盟後、目に見えて物価が上昇している。
 その後さらにポストイナから12kmほどのPredjamski grad洞窟城へむかった。ここの入場料は5euro。観光客は城内に入らず、みんな城から遠巻きに写真やヴィデオを撮っていたのが印象的だった。周辺の見所との5時間有効共通チケット(30euroくらい?)も売っていたのだけれど、これはちょっと取り過ぎ?。