ノヴァーラは雨

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 14日火曜日、ノヴァーラは雨だった。お陰で駅前に駐車するのに一苦労。10:14のVeneziaS.L.行きI.C.に乗って、Milanoを通り、Mestreでregionaleに乗り換え、Udineを経由してGoriziaへ向かった。
 I.C.最後尾の車両にはアラブ系の家族が乗っていて、彼らのラジオからアラブのポップスが流れていた。トルコ系とかアラブ系の移民労働者、及びその家族はとても賑やかなのだけど、何故なんだろう。彼らの文化は公的空間の騒音に寛容なのかな。それとも彼らの中でも教育水準が高い人は静寂を指向するのだろうか?
 ChamberyからNovaraまでのTGVの中でも移民の子供達がひっきりなしに泣き声や叫び声を上げていた。イタリア人はこういう騒音に特にイライラする様子がなくて、彼ら自身も携帯でプライヴェートなことまで大声でしゃべりまくる。彼らの行動規範はそんなに遠くないのだろう。
 こういう行動規範や感覚の差はどこから生じるのだろう。自分の価値観に照らし、その倫理コードを共有しない人々は「行儀が悪い」と見なして距離をおきつつ、自分の仲間以外には決してこうした価値判断を口にしないのが「良識ある大人」の振る舞いなのか。
 外国人に対して比較的閉じた労働市場をもつ日本でも、グローバリゼーションが進み今以上に社会が多文化的になれば、「行動規範の違い」による文化間の軋轢がますます生じやすくなる。そういうなかで大人は子供にどういう教育を施すべきなのか。
 例えば公的空間で静かにするように躾ければ、そんなことを考えもしない子供達、その親達、彼らが属するコミュニティ、ひいてはその民族、出身国、にある種の否定的な烙印を押すことになる。つまり「彼らは彼ら、自分たちは自分たち」という教え方はコミュニティ間の断絶を決定的にするような気がする。とはいえ、過剰に相対主義的な教育方針を貫くべき、とも思えない。
 などと考えつつゴリツィアに到着した。I.C.が30分遅れたせいでregionaleに乗り遅れ、Mestreで1時間も待たされた。結局、Novaraから家までなんと8時間もかかってしまった。あ~疲れた。
 イタリア北部ではここ数日雨や曇天が続いているみたい。この日も雨が降ったりやんだりしていた。面倒だったのでAlla Lunaという比較的近所にあるスロヴェニア系レストランで野菜スープとお肉、温かいブラックベリー・ソースがかかったジェラートを食べた。ここは結構美味しいし値段も安いのでオススメかも。ゴリツィアは15~20euroの田舎風レストランが充実している。ちなみに隣に座ったのも女性の1人客だった。ゴリツィアでは初めての経験で、なぜか嬉しかった。
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イタリアへ帰る

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 もう旅もお終い。ノヴァーラへ帰った。再びChamberyでTGVに乗り換えて、イタリアに入ったとたんに電車が故障して30分の遅れがでた。人々は文句を言い出し、車内は一気に騒々しくなった。Torino経由で南部の実家に帰る女の子は携帯で母親に不安を口にし、ボーイフレンドに相談し、この世の終わりだといわんばかりに嘆いていた。そんなときにx-fileのおどろおどろしいテーマ曲が聞こえてきて、車内は一瞬静まりかえった。一番うるさかったイタリア人の中年男性が「ああ、かみさんからだ」と周囲の人に言ってから携帯に出た。思わず吹き出してしまった。この人は車内の全員に聞こえる大声で、隣と向かいに座った若い移民労働者にエネルギッシュな「イタリア語」で話しかけ、自己紹介からイタリアの就職事情まで1人でしゃべりまくっていた。イタリアではこういう人に時々遭遇する。
 ノヴァーラ駅には40分遅れて到着。友達に迎えに来てもらい、例のホテルに1泊した。食欲はなかったけど友達が外食したいというので、ちょっとした食堂に行った。月曜日多くの店は休みだから、店内は客で溢れ返り、すごく騒々しかった。その中にアラブ系に見えなくもないすごく濃い顔立ちの大家族がいた。多分イタリア南部出身だと思うけど、フランスやイタリア北東部では見ない感じ。戦後、TorinoやMilano、Novaraなどイタリア北西部の工業都市には南部からの移民労働者が大量に流れ込んできた。現在ではその家族らもすっかり地域に根をはって生活しているようだ。
 ところでこの店、月曜日はピザしかできないそうで、私はルッコラ、彼はPuglieseという玉葱がのったピザを注文した。一切れもらったPuglieseは甘くて結構美味しかった。また近いうちに食べたい。ピエモンテのワインを1本空けて、1時頃ホテルに到着。もう本当に疲れた。限界。
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リヨンの日曜日~午後~

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 食後は町の北、ローヌとソーヌの中州にあたる、第1区のLa Croix-Rousseへ散歩に連れて行ってもらった。坂が多く、庶民的で落書きなんかも沢山ある地区で、移民の姿が目に付いた。モロッコ人が多そう。小さなローマ劇場Amphitheatre des trois Gaulesもあって、なかなか面白い。観光客らしき人にはほとんど会わなかったけど、丘の上だけあってとても爽快な気分を味わえるしオススメ。
 特に長い階段Montee de la grand cote を登り切った所にある広場Jardin de la grande coteはすごく気持ちがよかった。町を一望できる広場の見晴台では若い子達が本を読んだり、友達とおしゃべりに興じていた。この辺りの地区も近年地価が随分高騰したらしい。ヨーロッパのどこへ行ってもこんな話ばっかりだな。

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 夕食にいい時間になったので、丘を降りてPaul Bocuseのブラッスリー、「北」という店に行った。リヨン郊外にある3つ星レストランBocuseはワインまで入れれば200euroじゃきかない店だけど、町の東西南北にあるブラッスリーはもっとカジュアルで値段設定も低め。スポーティな格好でも問題なく入れるし、落ち着きとか格より利便性を求める観光客にはいいかもしれない。この夜は前日のCrozes-Hermitage同様、Valle’e du Rho’ne北部地区のAOC、St. Josephを選んだ。こちらは黒ぶどうのSyrah(Se’rine)が90%に白ぶどうMarsanneとRousanneだそうだ。ともあれ柔らかくてジューシーな鴨肉にぴったり合ってまたまた至福の時間を過ごせた。「絹織物職人の脳みそLa cervelle de canut」と命名された、にんにくやハーブが混ざったチーズも気に入った。レシピが手に入ったらイタリアでも作ってみたいなあ。9時頃から夜中までゆっくり食事をして、店を出た。ああ、楽しかった…。
 ここからまたぶらぶらLe cercle Villemanzyの辺りを散歩した。ホテルの庭から夜景を見られると思ったらたまたま閉まっていた。ここからソーヌを渡って、ホテルに戻った。
 ここで友達に別れを告げた。この週末リヨンの町中を歩き回って、知らないものを見聞きできてすごく刺激的で楽しかった。本当にお世話になりました。

 ちなみにこれは、フランスで目にする「壁売ります」という広告。不動産の床と壁が別々に売りに出されているらしい。商業用だそうです。日本でも秋葉原ではショーウィンドーのみ貸す店が増えているとニュースで見ました。イタリアではローマで見られるそうですが、詳細は知りません。

め

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リヨンの日曜日

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 翌朝、ホテルの部屋からの景色が思いの外素晴らしいことに気付き、思わず記念撮影。

hotel/st.jean

 10時にSt.Jean大司教教会前で待ち合わせをしていたので、その近所をぶらぶら散歩した。St.Jeanはこんな感じ。

ほ

 さらに「イタリア風」(?)建築。オレンジ・赤・茶色の壁がなかなか絵になる。土産物屋の絵葉書でよく見かけた構図。

italia

 この日も前日同様教会や絶景ポイントを中心に回った。ただ午前中はどうしても行きたかった装飾博物館と絹織物博物館へ連れて行ってもらった。この友達は博物館の見方が似ているようだったので、なんのストレスもなく楽しむことができた。ちなみにここはリヨンに行くなら絶対に行った方がいいと思う。町の発展の原動力となったテキスタイル産業の歴史がよく分かるし、見終わった後でそれが現在の町のあり方(建築、文化、風俗)にどれだけ影響を与えているかを想像するのも愉しい。収蔵品も予想以上に充実していて、リヨンと同じく絹織物で発展したイタリアのComoコモで感じた以上の興奮を味わえた。写真は18世紀中頃のジャカード織機の模型。

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 Buchonの1つで遅めのお昼をゆっくり食べた後は、リヨン独特のTrabouleという建物の内部を通る抜け道を見て回った。絹製品を雨に濡らさないための工夫らしく、現在もきちんと手入れされ、観光資源として活用されている様子だった。Trabouleでは全く日本人観光客に会わなかったので、あまり知られていないのかもしれないと思った。informationには英語版Trabouleガイドがあるので興味があったら是非どうぞ。そういえばTrabouleを探しながら、間違えて一般のアパートに侵入してしまうこともあるみたい。Lyonならではのハプニングですね。写真はTraboule色々。

み

ふ

リヨンLyon

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 Part-Dieu駅に日本人の友達が迎えに来てくれた。数学の研究をしているにしては随分日に焼けているなあ~と不思議に思っていたら、大分町歩きをしていると聞いて納得。あちこちの絶景ポイントをきっちりと押さえていて、効率的に絵葉書のように素晴らしい景色を眺めることができた。教会や歴史地区の建築様式、リヨン大の人々や一般市民の行動様式、西北部イタリアとの違いなどについて楽しく話せた。
 まずはホテルに荷物をおいて、そこから近いローマ劇場へ向かった。ここからもなかなかステキな景色を眺めることができる。

は

 ここからFourvie’reの丘に歩いていった。ここには白くて贅沢なデコレーションケーキのようなBasilique Notredam de Fourvie’reがあって、とにかくよく目立つ。ただ残念なことにイマイチ品がない。住民の評判も芳しくないらしく、“コム・アメリカ(アメリカみたいに過剰)”と言う人もいるそうだ。ただしこの広場からはステキな景色を眺めることができることが知れ渡っているので、観光客が沢山いた。写真中央にはBellecour広場が見える。

four/bellecour

 丘から降りながら友達にフランスでの仕事の話などを聞いて、心底羨ましくなってしまった。結局立派な業績があるからこそ、いい思いが出来るのだとは思う。働く町次第で人生大きく変わるな~と思いつつ通った細い坂道からの景色がまた美しかった。

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 夜はレストラン街のBuchon(庶民的なビストロ)でゆっくり食事をした。Lyonの南に広がるValle’e du Rho’neの北部地区で評判がよいAOC、黒ぶどうのSyrah(Se’rine)85%に白ぶどうMarsanneとRousanneを混ぜたCrozes-Hermitageを試した。お魚料理と一緒にゆっくり美味しく味わって、すっごく幸せだった。さすがはフランス。
 夜半過ぎに店を出て、賑やかな町をぶらぶらした。赤くライト・アップされたオペラ座の前には数学者が設計したという派手な市庁舎がある。

へ

 この裏手に広がるのがTerreaux広場で、ここにはド派手な噴水がある。この先、ローヌ川沿いをゆっくり歩いて、綺麗にライトアップされた橋を渡り、St.Jean大司教教会などを眺めながらホテルに戻った。ワインのせいもあるかもしれないけれど、「夜の町」に酔ったのはローマ以来かもしれない。たとえ数ヶ月であってもリヨンでしっかりした仕事を持って暮らすことができるというのは、とても贅沢なことだと思った。
 6月11日(土曜日)8時に起きて、9時頃友達にホテルまで迎えに来てもらった。昨日の夕食のせいでまだ胃がもたれていたので、朝食はカップチーノで済ませた。ホテルの前のオープンカフェには緑色の「蚊」が沢山いた。大きくて太った蚊が観葉植物の周りを元気に飛び回っている姿にノスタルジーを感じてしまった。さすがはノヴァーラ。この町にいるとあんまり日本を離れている気がしないのは、「米と蚊」のせいかも。
 友達に駅まで送ってもらい9:44Novara発のParis行きTGVに乗った。この人には翌週月曜日にも再びお世話になった。観光、食事、ホテルの送り迎え、と本当に何から何まで。しかもホテルのオーナーが友達の親の会社の顧客だとかで、宿泊料をタダにしてくれた。人がやってくれて嬉しかったことは、なるべく自分も、と思うけれどなかなか難しい。人に恩返しをするためには、早く定住生活に入った方がいいのかもしれないな~なんて考えしまう。
 さてNovaraからTGVは一路、伊・仏国境の駅Chamberyに向かった。というのもTorino-Lyon直行便が存在しないから、Chamberyでフランスのregionaleに乗り換える必要があるのだ。ちなみにNovaraからChamberyまではアルプスを越えて行くし、比較的小さな駅にも停まるため3時間強かかる。
 電車の中で友達から「ゴリツィアは雨だよ」というメッセージが届いて、ちょっとゴリツィアが恋しくなってしまった。私がいてもいなくても、そこでは日常生活が続いている。どの国のどういうコミュニティの中で生きていくのか、選ぶのは自分自身なんだなあ、なんて考えていたらTorinoに着いた。ここ(una citta’ industriale)には何があっても住みたくない。
 Torinoを発ってしばらくすると、ごつごつしたアルプスの山肌が見えてくる。徐々に切り立った岩肌が目立つようになり、山頂には雲がかかってくる。こうなるとすぐに頂上付近に雪が残るアルプスの山々が見え始め、長いトンネルに突入する。TGVは一路フランスへと進んでいった。Chamberyで2時間も電車を待って、そこからLyonのPart-Dieu駅までさらに2時間かかった。ただこの区間は沢山の山や湖、川のそばを通り抜けるので、なかなか爽快でリラックスできる。とはいえNovaraからおよそ7時間の旅。かなり疲れた。
 8時半ころ友達にホテルまで迎えに来てもらい、Trecateという鉄道駅前にあるCaffe' Groppiに行った。ここは創作料理のレストランで、完全予約制らしい。呼び鈴を鳴らして店に入れてもらうので、友人宅を訪問するような雰囲気があり、1日に迎え入れられる客数は限られている。ここの30代のシェフFabio Barbagliniはヨーロッパで最も評価の高い若手料理人の1人だそうで、自分の店をもつのも時間の問題だと聞いた。
 すごく独創的な魚介類のコースにドルチェが4皿付いてきた。繊細なクッキーが10種類くらい乗ったお皿以外に、プレ・デセール、デセール、プレ・カフェだって。ほとんど残してしまった。周りのイタリア人を見たらみんなきちんと食べていた。値段はワイン込みで1人100位見ておけば大丈夫だと思う。質を考えれば、フランスやスイスの同レベルの店に比べてかなり安いと言われているらしい。
 食事をしながら昨日から今朝にかけて行ったところ、やったことを友達に話したら、それは「やり過ぎ!」と言われた。ゴリツィアにいるとあまりに外的な刺激や動きがないから、町の外に出るとついついあれもこれもと欲張ってしまうのかもしれない。TrecateからNovaraに帰る道はでこぼこで、車に酔ってしまった。でも車窓から見える大きな三日月とエッフェル塔のようにライト・アップされたAntonelliのクーポラを見ていたら、ちょっと楽しい気分になった。
 この日の夜、Novaraの旧市街地では数年前に始まったという音楽祭があって、私が滞在したホテルにもmusicita’(音楽家)と書かれた札を首から下げた外国人を沢山見かけた。私たちも食事の後で別の友達も誘って町に行こうって話していたんだけど、食べ終わったのは零時過ぎだし、私は食べ過ぎで苦しいし、眠さと疲れで倒れそうだったので、そのままホテルに直行した。なかなかイタリア人のヴァイタリティには合わせられなくて、申し訳ないと思うことが多い。

Novaraノヴァーラ

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 昼過ぎにMilano中央駅からTorino行きに乗って30分、Novaraに近づくと段々水田が見え始める。とうもろこし畑と水田が続くのどかな風景を見ていると、ブドウ畑がやたらと目立つFriuli-Venezia Giulia州やVeneto州の特殊性を感じた。ちなみにVenetoのワイン州別生産量はイタリア第2位。ノヴァーラの水稲(日本米と他種の掛け合わせ)はアルプスに発するポー川支流の豊富な水に育まれる。
 友達に駅まで迎えに来てもらい、近くのレストランでパイ生地にアンチョビとジャガイモが入った前菜と地元の白ワインを頼んだ。ゴリツィアにはちょっとなさそうな軽くて薄味の繊細な感じの料理だった。その後で、旧市街を中心に各種見所に連れて行ってもらった。なんといってもNovara近郊の町Ghemme出身の建築家Alessandro Antonelliによる19世紀のcupolaクーポラが印象的。121mあり、15世紀のBasilica di San Gaudenzioの上に作られたものだ。
Cupola di Antonelli

な

と

派手なDuomoからはNovaraの比較的新しい時代における経済力を感じることができるかもしれない。

novara.duomo

 戦後は農業経済の成長に支えられた食品産業以外にも、印刷業、機械工業などが発展した。現在は中国経済の躍進の影で他のヨーロッパの工業都市同様苦境に立たされているも、人口は200.000を超え、地図製作のDe Agostiniデ・アゴスティーニの本社があったり、郊外に小さな油田があることでも知られている。
 友達に「君の気に入るかどうか分からない」とか「ノヴァーラは米と蚊の町」と散々聞かされていたので全然期待をしていなかったけど、想像以上に観光スポットの多い町だった。ミラーノの通勤圏であるため、最近地価が相当上昇したらしい。何をしているのか分からないけど、日本人留学生も見かけるようになったと言っていた。多分Conservatorio di Musicaで音楽をやっているんじゃないかと思う。

都会の喧噪を忘れることが出来るChiostro della Canonica

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Castello Sforzesco

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Pinacoteca di Breraブレラ絵画館

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 6月10日(金曜日)は6時半に起きて、朝一番にBrera絵画館を訪れた。8時半に開館するので11時半まで3時間ほど、ゆっくりとフレスコやテンペラ画を中心に見て回った。Bill EvansのExplorationを聴きながら。Carpaccioによって色彩豊かに描き出されたヴェネツィアの風俗を楽しみ、RaffaelloやPiero della Francescaらウルビーノ派の緻密な遠近画法に感心しつつ、Brera mai vista(見たことないブレラ)という特別展に進んだ。年代が前後した作品が並んでいたので少し頭が混乱した。
 今回思いがけず気に入ったのは近代絵画の特別展でみかけたFilippo De Pisis (Filippo Tibertelli)のNatura morta con gli scampi。実はこの美術館にはデ・キリコ、ブラック、ピカソなど、近代絵画も少しだけあるのです。

Serra PereのAnnunciazione(14世紀)

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とRaffaelloのSpozalizio, 1504

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移民労働者のバス

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 ここからLombardia第2の町、Bresciaへ抜けるのに、想像以上に時間がかかって疲れてしまった。前日は一睡もしていなかったし、強い日差しのせいでバスの中は温かく、思わず爆睡。ふと気が付くとバスは既にBresciaの町中に入っていた。面白いことに、これは移民労働者の通勤路線だったようで、終点のBrescia駅近くになるとバスの中はほとんど全員移民労働者になっていた。黒人、中国人、ルーマニア人らが仕事やアパートの情報を交換し合っていた。Bresciaの駅周辺には、服装などの様子からかなりヨーロッパ社会に同化した若い黒人男性を沢山見かけた。ゴリツィアでは黒人の姿を目にすることはほとんどないから、なんとなく新鮮に映る。でも北イタリアでこれはむしろゴリツィアの方が特殊なのかも。
 ここBresciaからMilanoへ電車で移動した。そういえばMilano郊外のホテルの近くで露出狂の人を見かけた。イタリアで痴漢被害にあったことはないけど、こういうのは何回か見た。明日はNovaraに移動して、友達に町を案内してもらう。ピエモンテはフランスに近いせいもあって、美味しく食事ができるのが嬉しい。Novaraの近郊に、とてもステキなレストランがあるそうだ。