(写真はシェガガ大砂丘からみたオアシス)

 19日(金)大変な3日間の幕開け。朝はゆっくり起きて、オレンジジュースと朝食(朝からタジン!)を用意してもらった。しかしとめどなく迫り来る蠅にはまいるわ。3時頃ジープをチャーターして出発。途中バッタがぶんぶん飛んでる黄緑色のオアシスを通り、シェガガのキャンプに到着。これが信じられないくらいキレイだった。大砂丘とオアシスと点在するキャンプ。こんな所があったなんて。はしゃぎ回っていくつも砂丘を越えたけど、目の前に広がるのは砂漠。ずーっと砂漠が続くのだ。アルジェリアとの国境を越えてもずーっと。大きな砂丘のてっぺんで横になりながら日が沈むのを眺めてた。そろそろご飯の準備ができてるかな?テントに戻ると運転手さんがカバブを用意してくれた。最高においしかった。シャガガではしゃぎ過ぎたせいか、ビールを飲み過ぎたせいか、夜は早々に眠った。

 20日(土)朝食をとって9時には出発し、道中ベルベルのノマドとお茶を飲んだ。ガイドが彼らに頼み、こぶりのマーガレットのような花を入れてくれた。とってもいい香りがして、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなった。生きているバッタがどばーっと入った麻袋からノマドの親子は手で人掴み分を熱湯の中にいれた。ぎょぎょ。それを食べろと言ってるらしいのだ。ガイドも運転手も美味しそうに頬張っている。こんなとき、どうしたら…。食べるしかないですよね。そういえば、ガイド達が一瞬どこかへ歩いて行ったなーと思っていると、手に花束をもって戻ってきた。なんと親切な!仲良くなれば客でも何でも大切にしてくれるのだ。お昼にキャンプに戻り、更にタゴニッツの女性だけの集会に連れて行ってもらった。村の女性達と一緒にお菓子やタジンを食べたけど、もう緊張でのどを通らない。それにしても彼女達、ぶくぶく太っていて、正直醜い。パドヴァでであったパレスチナ人が女はoziose(怠けもん)といっていたのを思い出した。イスラム圏の既婚女性の特徴なんじゃないかな。30分くらいしてガイドが迎えに来てくれてほっとした。4時ころグランタクシーに乗り込み、ザゴラへ出発。ザゴラに着くととたんにヨーロッパ人が沢山みられるようになる。
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スペイン編3

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(写真はメスキータ)
 9日(火)コルドバへ行って来た。朝7時半発のバスに乗って。思った以上にゴミゴミした町だった。観光収入を町並みの補修に当てているようだ。建設業者が潤っている印象だった。メスキータはグロテスクだ。カルロス5世の増改築が決定的にひどい。スペインの凶暴な宗教的熱狂には強い違和感を覚える。ただ道中、車窓から見える風景は感動的だった。コルドバの近くになるとごつごつした所がなく、丘陵地が折り重なり、オリーブと牧草地が広がっていた。曇っていたから突如陽光が差し込み、雲が徐々に向こうの方へと流れて行く。ドラマティックな天候の変化を見ながらエル・グレコの絵を思い出した。明日はついにモロッコ入りだ。無理はしないこと。楽しんで鋭気を養い、イタリア帰国後のコースワークに備えたい。
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スペイン編2

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(写真はアルハンブラ)
 6日(土)7時に北バスターミナルからValenciaやAlicante経由でGranada入りした。途中の景色はブレンナー峠を越えたとき以来の感動だった。険しく切り立つ岩山の麓には一面オレンジ畑が広がり、その先には美しい砂浜。強い日差しに白く浮き立つ町並みに派手さはないが、住みやすそうだ。老人の姿がやたらと目立つ。アメリカ西海岸でもみられそうな景色だ。グラナダに入ったのは9時半頃。あらゆるガイドで紹介されているHostal Veneciaは大人気でCinco Gatosに行った。Vittoriaという老婆のエンターテイナーぶりが微笑ましかった。特筆すべきは町の人々の優しさだ。Barcelonaからのバスで風邪が本格化しグロッキー状態。Vittoriaの差し入れのオレンジとお菓子を有り難く頂いた。
 7日(日)朝ゆっくり10時頃朝市などをのぞきつつHostal Veneciaに移動した。その後すぐにアルハンブラへ~。広大な敷地内に見所が点在していたが、その一つ一つの質の高さに驚嘆した。撮って来た写真をみると何度でも初めて見た時の感動がよみがえる。建築物はイスラームのものが一番「美しい」ような気がする。アルバイシンのレストランでちょっと遅めの昼ご飯。パエリャを頼むと最低2人でなければ、という。一人旅はなにかと不便だ。何事もカップル用にできているから。人間は本当に望んでmonogamyを選択するのだろうか。友達と旅行というのも積極的な選択というより所在なさを相対化するための言い訳にすぎないような気も。閑話休題、結局ガスパチョとミックス・フライを頼んだ。特に美味しくもないのです、ヨーロッパで食べる魚介類のミックスフライって。魚だったらアジアで食べる「生」が一番美味しいとおもう。オスタルへ戻ると全員日本人という部屋に入れられた。大学でちょっとスペイン語を勉強したという女の子2人組と、英語圏への留学後就職した日本企業になじめず貯金で放浪している人だった。裏声で話す可愛い彼女達にあれこれ講釈をたれて虚勢を張りたがる彼。女の子達は「仕事は?」との問いに「普通の会社です」だって。この場合の「普通」って言葉はすごく日本的だな~と思った。彼女達はオスタルのご主人のフラメンコ観光の営業にやすやすOK。もっと安いところはいくらでもあるし、自分たちの頭で考えて足で探さないと面白いことなんてそうそうないと思うんだけど。ともあれモノ分かりがよくてカネばなれがいい日本人観光客はヨーロッパで大人気です。男の子は「僕海外で写真は撮らないんですよ。印象が散漫になるから」だって。ふ~ん。私もむか~しそんなことを考えていた。でも結局時間とともにほとんどの記憶は消えて行っちゃうってことが分かって、写真の有り難さを感じるようになった。ちなみに彼、次の宿泊先の予約が「英語」では取れないからオスタルのご主人にお願いに行ったらしいんだけど、結局通じなかったらしく「ご主人が」私に通訳を頼んで来た。ご主人曰く「誰でも英語が出来るわけじゃないからねえ」とにっこり。
 8日(月)今日はグラナダの日常生活を見てみようと、まずは大型ショッピングセンターへ。バスターミナルを散歩したり、時計の修理とか散髪を済ませて、露店でショッピング。友達とだらりとおしゃべりできる広場も多そうだし、観光客の多さを除けば住みやすいところなんじゃないかな~。
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モロッコ編 イタリアへ帰ろう

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 22日(月)午前1時半。アルヘシラスのホテルで深い眠りに落ち、翌朝10時頃にはセヴィリャ行きのバスに乗った。セヴィリャは賑やかな町。若い学生にあふれている。彼らは一様に自由を謳歌している様子で、ちょっとダサいカリフォルニアという雰囲気。勿論歴史的な文脈を捉えれば、それだけ印象の奥行きが広がるのかもしれないけど、あまり好きにはなれなかった。4時半のバスでFaroへ向かい、8時頃到着した。途中スペインからポルトガルへ入ると、インフラは突然貧しくなる。家もなんとなく貧相で、道行く人々の身成もすこし田舎っぽくなる。ただポルトガルの家々の壁面を飾る可愛らしいタイルがとってもいい感じ。ファロではどうでもいい観光客相手のヴェルサイユとかいうレストランで夕食。肉と揚げバナナとフレンチフライ。タダではない突き出しを出す辺りの商魂も好きにはなれない。まずかった。周りを見渡すと老人の観光客ばかり。仕方ないか。ヨーロッパのリゾートなんだな。
 23日(火)朝ゆっくりして空港へ。旅先のホテルで朝、現地のテレビニュースをききながら、湯船につかりつつ新聞を読むのが私の幸せ。あ~あ極楽。飛行機はファロからロンドンに3時ころ到着した。しっかしイギリスは本当に物価が高い。最近ヨーロッパを旅していてもやたらとイギリス人の若い子のグループを見かける。まああれだけポンドが強ければ、強気で旅にも出られるわ。無駄遣いしないように読書したかったんだけど、持参してきていた最後の一冊「存在の耐えられない軽さ」を読み切って、暇にしていた。そんなとき南フィレンツェ出身でフランスでお菓子作りの修行をしてきたという、とってもハンサムなイタリア人に遭遇。いかにもゲイな彼は私が聞いていたジャズに興味を持ったらしく、あれこれたわいのないおしゃべりをした。お菓子の本もたくさん見せてもらった。どうせ永遠に作ることはないであろうタルト作りのコツを延々と説明された。空港のだるい空気を払拭するいい清涼剤になった。翌朝搭乗する直前にも再会し別れを告げた。私はトレヴィーゾへ。彼はピサへ。
 24日(水)5時起きで6時過ぎの飛行機でトレヴィーゾへむかった。9時過ぎに到着して、即BNLへ。現金を手にして本当にほっとした。いくらかの荷物が残してあるゴリツィアの寮に向かった。イタリアに戻って来て、言葉にならない位の安堵感を味わった。本当にほっとした。落ち着く。寮に荷物をおき、シャワーを浴びた。暖まって、ほくほくしながら自分用のお土産をほどき、部屋は何となく暖かい雰囲気になった。更に落ち着く~。
 ささっと着替えて町に出て、駅の近くのMac屋でパソコンをつなぎ、たまったemailを片付けた。やっとすっきり、さっぱり。帰り道に80セントのジェラートをなめなめイタリア生活の幸せを簡単に実感。(今はなき)Billaで買い物をして帰った。大量に出回るコロンバや、商店街のショーウィンドウを飾る復活祭の可愛らしいお菓子を目にして、今まさに春を迎えようとしているヨーロッパの明るい空気を吸い込んだ。イタリアで復活祭を迎えるのはこれで2回目。毎年のことだけど、やっぱりこの時期ときめきのようなものを感じる。来年の復活祭はどこでどうやって迎えるのかな?

モロッコ編 タンジェの詐欺師

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 21日(日)午前0時休憩所でタジンを食べた。バスに戻ってうとうとしかけたんだけど、アトラス越えの揺れに気分が悪くなり、隣の人のTシャツを借りて吐いてしまった。人のいい青年はいいよいいよ、と言ってくれたけど申し訳なかった。3時頃マラケシュでカサ行きのバスに乗り換えた。朝6時にカサ、お昼にタンジェに到着。でも手違いで荷物をカサで降ろされちゃったため、5時までタンジェで足止めを食うことに。時間つぶしにインターネットカフェを探しているときに、美形のロマンス・グレーな喫茶店の主と知り合う。結構インテリらしく、英語が上手で、次から次に冒険談を披露してくれた。経済や文化にも相当詳しそうだった。タンジェという土地柄旅行者から色んな話を聞けるのかな?と好意的に解釈した。メル友になりたいっていうから、ふ~んと気を許した。
 モロッコのネット環境の悪さは相当ひどくて、たまっていたメールを処理するのに2時間かかった。おじさんは途中で帰ったが、その後例の喫茶店にお礼しようと訪れると飲食代は払ってくれるし、ご主人自ら友達の車でマーケットや近郊の灯台などへ案内してくれた。色々おごってくれる度に睡眠薬をいれられないかとギトーッと睨んでいたんだけど、なんにも悪さをする気配はない。でも!なんか怪しい。
 銀行のキャッシュ・ディスペンサーで預金を下ろすことを勧めたり、暗証番号を執拗に見ようとする。どうやらフェリーに乗り遅れさせて、家に泊めてカードを抜き取る気らしい。当然すぐに車を降りた。それにしても何も起こらなくて本当にラッキーだった。だけどよく考えると、一円も払わずに色々おごってもらった上に、観光までさせてくれたんだから、詐欺をしたのは私の方かも。
 8時のフェリーでアルヘシラスに向かった。到着は12時をすぎていた。飛び込みでホテルを探して、部屋に入ってお風呂の蛇口をどばーっと開けた。お湯につかってたらモロッコで出会った人たちの顔が次々と浮かんできた。昼にフェリー乗り場のカフェでサンドイッチを、詐欺師のカフェでクロワッサンを食べたきりだったからお腹もすいていたけど、すぐ眠りに落ちた。本当に疲れた。
 16日(火)3時起きで4時にホテルを出る。バスに乗って砂漠ツアーに出発だ。3日で合計1050DHも払っている。どんな旅になるんだろうか。ガイド君と二人ぼろぼろの民営バスに乗ってザゴラヘ、大きな荷物(段ボールとか)を抱えた村人たちがどんどん乗車してきて、バスはほどなく満員に。砂漠への基地となるザゴラでグランタクシーに乗り換えてタゴニッツへ。いちいちタバコを吸わずにはいられない彼には辟易した。グランタクシーではフランス語をしゃべるカップルと相乗りになり、不安な気持ちが少しまぎれた。タゴニッツに到着すると歩いてキャンプ場を兼ねる広い農園に連れて行かれた。そこにはツアーを契約したときに来ていたハンサムな人がいた。キャンプでだらりだらりと時間をつぶしているとマラケシュのユースで出会ったNYからとアイルランドからの二人組と遭遇。あまりの偶然にびっくり!きつい日差しの下で一緒にタジンをつついた。彼らもユースのオーストリア人に悩まされたらしい。料理人をしているというNYからの青年が「彼はウェーターだ」と蔑むように言い放ったのがひっかかった。彼はブッシュを嫌い、住みやすい土地を探す旅をしているという。セヴィリャやカサが気に入ったと言っていた。そうやってまだ見ぬ故郷を探す若者って日本にはあんまりいないかもしれない。そういえば彼らは一日250DHづつ払ったと言う。350払った私に「君は特別料金だから他の人と値段の話をしない方がいい」と行ったガイド君への不信が高まる。素直に質問してみると、彼らとはプランが違うらしい。素直に納得。でも150も多く払った挙げ句すぐにはおつりがない、といわれ慌ててジープに乗せられ不信感が再燃した。
 ジープはこぶりながらもさらさらの「砂漠」に到着した。道中ガタガタのとんでもないところを通ってきたんだけど、私たちを乗せてきた日本車は全然こたえてないみたい。そこからすぐラクダに乗せられ二人の付き添いと出発だ。例の美形の方がガイドでもう一方がらくだを引いた。「君はモロッコではファティマ・クスクスだ」なんてベタ冗談にも笑える位すがすがしい気持ちだった。簡単なアラビア語も教えてもらい。2人とすぐに打ち解けた。最初に習ったインシャッラー(神様の御意志次第だよ)っていう言葉がすっかり気に入ってしまった。何にでも明確に意思表示をしなければ行けないヨーロッパとはえらい違いだなあ。らくだ引きが作ってくれた食事をつついて、こぼれ落ちそうな星を見ながら7時には眠りについた。5重の毛布を頭からかぶって。
 17日(水)8時頃ぽんぽん叩かれ目を覚ました。日中は随分暑くなるが、大して歩きもしない内にらくだを休ませるので、まあ我慢できた。ふーふー言いながら砂漠を進み、食事をして、夕方には星の下でくだらないおしゃべりをして、とっとと就寝。別の世界にいたみたい。一時間とぼけ~っとはしていられない私だけど、何故か退屈はしなかった。
 18日(木)朝給水場で体と髪を洗ってすっきりした。ボジューと後ろからフランス人が現れたのにはびっくり。3時頃にはキャンプに戻った。もうらくだは一生分乗ったかも。行きのグランタクシーで出会ったフランス人に再会した。ああ、なんとか生還できた。ちょっと疲れてはいたけど、せっかくハイアトラスを越えて砂漠地方まで来たんだから、と結局ランドローバーでアルジェリア国境近くの大砂漠シェガガに行くことにし、夜は砂漠のキャンプに泊めてもらった。さすがに体を洗いたくなったから、ガイドに頼み込んでタゴニッツのハマムに連れて行ってもらった。夜はキャンプで楽器をいじりながらガイド達と色んな話をした。ビールをじゃんじゃん空けながら。こんなシンプルな人生もあるんだ。
 14日(日)マラケシュ→ワルザザート
お昼に民営バス(国営と違ってぼろぼろ)を使ってワルザザートへやってきた。途中ハイ・アトラスと言われるとんでもない山脈を越えてくるんだけど、このおんぼろバスがよく頑張った!旅では色んな人の親切に助けられる反面、値段交渉は常に戦いだ。本当に疲れる。必要以上に防衛体制に入ってバスの荷物運びには「貧乏人からお金を盗むなんてひどい!」なんて言われる有様。最初に嘘の値段を言ってくるからそういう目に遭うのだ。ワルザザートのバス・ターミナルで声をかけてきた24歳の若者のホテルに最初から決めた。弱腰な感じが気に入ったのかもしれない。英語がまあまあ話せるし、松戸のモロッコ料理店で働いていたらしい。ホテルのぼっちゃんで大学で英語を教えるのが夢だって割に、何の努力もしてない所がお坊ちゃんたる所以かも。彼曰くワルザザートは音がしない街って意味らしい。本当かしら?確かに聞こえてくるのは風の音だけ。民営バスターミナルの周りには荒野がだだっぴろく広がっていた。なんかすごく安らぐー。ハマムでのんびりした。
 15日(月)にわかガイド君とAit Ben Haddouへ行って来た。適当ガイドに150DHは何となく?だけど、ともあれ夢の地に行ってこられた。他の日本人とタクシーをシェアできるといっていたのに、あれは結局嘘だったのね。。。もって来ていた坂本龍一の音楽と景色の融合は感動的で、やっぱり来てよかった。いつになく自分の写真も撮ってもらった。大切な思い出になるような予感がしたから。帰りのタクシーで砂漠ツアーの相談をした。ホテルに帰ってからはやたらと気を遣ってくれたんだけど、しつこく行動を拘束されるようで気分が悪かった。私は自由になりたくて旅に出たんだから。
13日(土)マラケシュへ8h電車
 早朝8時頃メクネシュを出発し3時にマラケシュ到着。疲れた~。電車で千田善の本を丸まる一冊読んだ。結局何でも金か。。。それも軍事力の支えがあっての話だが。ああ、そうですか、という感じの結論自体に新しさはない。人間の現実主義的な適応を著者が「さもしいエゴイズム」、と切り捨てたところですっきりはしない。著者との価値観の相違が浮き彫りになっただけであり、解決にはならない。悪が人間に元々備わった性質だとしたら、それをある程度の範囲で押さえ込めるような制度を整えないといけないですね。今後アメリカのユニラテラリズムの相対化とICCの機能強化に期待大。
 コンパートメントは人が入っては出て行くキャラバン・サライみたい。旅しながら次々と新しい人々と触れ合う過程で自分の属性のようなものを改めて確認できるのかも。退屈しきった若い嫁と仕事を持ち込んだ白っぽいスーツに身を包んだ商人らしき男。2、3時間も狭い空間に同席したんだけど、少ししか話さなかった。彼らの目に一心に本を読む東洋女はどう映ったのか。
 マラケシュは赤茶けた乾いた町。青空にも夕日にも美しく生える。落ち着いた住宅街に位置する宿泊先のユースホステルは閑散としており、広い部屋に一人ぽつんとしていた。早速出掛けたフナ広場ではオレンジジュース2DHやスープ5DH、魚フライ25DHの屋台を堪能し、コブラつかいや民族音楽、舞踊を楽しんだ。すると店のオヤジと客の間で殴り合いの喧嘩がはじまり、オヤジの方は額が割れちゃってた。どわーっと野次馬が集まって、2人を取り押さえると、また見物人はざざーっと周りに散らばって行った。再び広場を散策してから、ホステルに戻ると日本人とオーストリア人のおじさんが待ち構えていた。オーストリア人の方が非常に頭が固くて、とにかく人の話を遮る。経験が彼をそうさせるんだろうけど、「自分、自分、自分」というタイプが当然のことながらヨーロッパには多い。これが我慢ならない。そして今10時半4日分の日記を書き終えた。眠りたい。疲れた。

モロッコ編 フェズへ

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(写真はフェズの染色作業所)
12日(金)フェズへ
 夢見が悪かった。疲れたのかな?ともあれフェズへgo!モロッコの京都、工芸品の都、職人の都、古都フェズ。結論から言うと「すばらしい」の一言。
 9時頃の電車でフェズヘ向かう途中、メクネシュのフランス語リセからフェズへ休暇で戻る4人の学生と同じコンパートメントに。楽しいひとときだった。面白かったのは、現代っ子然とした彼らも、宗教はとても大事だと言っていたこと。そこに金持ち風のビジネスマンが乗り合わせ、あれこれ旅行の相談に乗ってくれた。
 結局フェズではタクシーをおごってくれ、ホテルでガイドの交渉まで買って出てくれた。相場より30%安くまとめて、あたふたとまた仕事へ向かって行った。めずらしく英語を上手に話すおじさんだった。
 ホテルで待っていると、ガイドが到着したという。やってきたガイドは嫁が日本人で孫が二人、という隻眼のおじいさん。黄色いジェラバに身を包み人の良さそうな笑顔をみせた。モロッコ旅行にやってきた日本人女性を追いかけて日本へ単身渡った彼の息子は、現在働きながら大学の工学部で勉強中だという。日本人は家族だ、を連発し家に連れて行ってくれて、お茶を御馳走してくれた。いつものミントティーだった。観光に向かう前に、嫁や孫の写真も見せてくれた。どこまで信用できるかまだ分からないけど、温かくていい人だなと思った。
 その日は金曜日で閉まっている店が多くて残念だったけど、5時間手工芸の粋を堪能した。買うつもりはなかったハイ・アトラスのベルベルの手織り絨毯、銀のポット、革製のクッションでしめて3万円位つかっちゃった。でもまあ長い目でみれば無駄ではないだろう。<実際イタリアに帰って、非常に価値のあるものであることが判明。彼らは嘘をつかなかった。>忌むべきは無駄遣い。面白いのは値切りまくる女性というのはモロッコ人にとって「結婚したい女」なのだそうで、さんざん店の主人に冗談で求婚されました。
 ガイドのおじいさんは帰りのタクシーの交渉までしてくれた。5時間のガイドにも「あなたが払えるだけで良いですよ」とガイド料を提示しなかった彼に私が払ったのは100DH。ちょっとひどかったかな。でもおじさん、見えなくなるまで手を振ってくれた。住所を聞けばよかったのに!さようなら!また会えますように!5時の電車でメクネシュに戻る途中、英語を専攻しているという18歳の可愛らしい大学生と友達になった。外国人と恋に落ちても結婚してくれない、と嘆いていて可愛かった。結婚がとても大切なのは、宗教的な理由が一番と説明してくれた。彼女は結婚しても仕事は続けると言っていた。想像以上にイスラム女性も先進的なのだ。恋人に日本人はどう?と訊ねると、皆グループで来るから。。。だって。納得。名刺を渡した。メールが来たら嬉しい。<実は一年近く経つ今でもメル友です>

モロッコ編 タンジェからメクネシュ

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 11日(木)タンジェ→メクネシュ
朝7時頃タクシーで駅へ。結局9時まで電車はなくぼけ~っと本を読んでいた。メクネシュまでは途中Sidi Cacemで1時間以上待たされたお陰で4、5時間かかった。ホテル・マジェスティックは駅の側で快適そのもの。従業員の対応もよかった。町へ出るとモロッコの若者たちの「こんにちは」攻勢にびっくり。よくぞここまで。まず郵便局で荷物を送るのにえらく時間がかかった。イタリアで慣れている私をもイライラさせる不合理ぶり。メディナまでは遠くて、日差しも強くて、人にはじろじろ見られ、車のクラクションに頭はくらくら。なんとか見るべきところをチェックした頃には日も傾いていた。マーケットをうろついていたら鳥やウサギを捌いていて気分が悪くなった。ふらふらと帰途につくと、カサの医者にフランス語でナンパされた。何でもしてやるから電話くれだって。近くには車が停めてあって、ホテルを執拗に訊かれた。自分に自信のある男の押しの強さには辟易だ。成功体験は人の話を聴く柔軟さを失わせるのかもしれない。