雨が降っていた朝、サン・フロリアーノにあるパラスコスのカンティーナへ向かった。薬学を学びにトリエステに来たギリシア人留学生だったご主人がゴリツィアでホテルを営む家の娘だったスロヴェニア人マイノリティの奥さんと知り合い、この地に残ることを決めたらしい。ちなみに奥さんはマイノリティ学校の前校長で、そこに勤める友達のこともよく知っているようだった。彼らの息子はトリエステ大学経済学部を出たばかり。ギリシャ語、スロヴェニア語、イタリア語、英語、(ドイツ語)を操れるというサン・フロリアーノではちょっと珍しい青年だった。
 99年からここで生産を始めたというかなり新しいカンティーナだけれど、二酸化硫黄を洗浄以外では一切使わないとか、色んなこだわりを持っているらしい。イタリアの近隣地域よりは海外市場に向かうオスラヴィアの生産者とは違い、この地に強い根を張っている奥さんの実家ナヌットゥ家の支えもあってか、生産量の半分くらいはゴリツィア周辺でさばけるのだそうだ。サン・フロリアーノやスロヴェニア側のコッリオ(ブルダ)に畑を買い急速に生産量や生産種を増やしているときき、カンティーナの案内や試飲の後に畑の案内をしてもらうことにした。おじさんがアグリ・ツーリズモをやるつもりで買ったという小さな家の側にある新しい畑に着く頃には、雨が上がり、ゴリツィアの景色がキレイに見えた。
  この後オスラヴィアの麓にあるダリオ・プリンチッチさんのカンティーナを昼食ついでに訪問。彼はオスミツァみたいな雰囲気の飲み屋を11時から1時と、夜も数時間だけやっていて、電話で食事の予約もできる。私たちが着いたときにはF.V.G.州の地元紙ピッコロのグルメ記事ライター2人が来ていたお陰で、予約なしで昼食を一緒に取ることが出来た。4、5種類の瓶詰めワインを試飲し、プリンチッチさんが作ったという揚げウサギや のヒレ肉のステーキなどを食べながら、〔ここには書けないけど〕色んな話を聞くことが出来た。オスラヴィアの生産者の近況とか人間関係、過去の話がやっぱり一番面白い。
 プリンチッチさんのところで別の生産者カステッラーダ(ベンサ)の息子ステファノにたまたま会って、急遽そっちにも向かうことになった。これがすごかった。前に会ったときにも本当に話好きな親子(とうか父)なんだなあ、と思ったけど、今回3時半に着いてそのまま5時半くらいまで「庭で」世間話になってしまった。それもワインとは全然関係ないことばかり…。5時半にはグラウナーの愛弟子ダミアンのカンティーナを訪問する約束をしていたのに、この時間になってベンサのところの試飲が始まるという有様。終わったのは7時半で、結局ダミアンは別の機会に、ということになった。
 私は体力的にしんどくなってここで失礼したけど、ソムリエ氏はさらにサン・ダニエレに近い小さな村落Melsのリストランテまで出かけて行った。「いつもは仕事で忙しいし、日本に帰ったらこうやってイタリアまでレストラン巡りに来る機会はなかなかないから」とは言うものの、これは体力勝負以外の何物でもない。先の見えない不安を抱えながら自分に投資をし続けて勉強を続ける辺り、研究の世界と似ているようにも思えた。
 それにしてもサン・フロリアーノやオスラヴィアの生産者はみんな本当に親切だった。ただそれもこれも彼ら深い友情を築くことに成功したインポーターさん達の影響力のお陰。みんな若くて個人で頑張っている人達なのに、地元の生産者の信頼を得て、競争的な日本のワイン市場で勝ち残っている。本当にいい仕事をしているんだなあ、とつくづく感心した。
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カルソのオスミツァにて

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 メデアッツァでは年間を通して農家がオスミツァを順番に開業するから、いつ行ってもOKなのだということに今更気がついた。
 金曜日はスロヴェニアはノヴァ・ゴリツァのバールで友達と一杯飲んで、土曜は別の人とメデアッツァのオスミツァへ行ってきた。どちらもスロヴェニア人の店なんだけど、国境を越える大きく変わることが1つある。〔たとえスロヴェニア系の集落であっても〕イタリア側では厳格に禁煙が守られているのだ。
 今ゴリツィアで問題になっているのは赤信号の罰金制度。町中の信号という信号にカメラが設置され、厳格に罰金が取り立てられるに至り「黄色は突っ込め」という町の人の認識に変化の兆しが出てきたようだ。禁煙、赤信号、シートベルト、とある種の問題〔多くは罰金が科せられる場合〕には非常にきっちりと取り組むゴリツィアーニを見ていると、非効率な公共機関の運営も彼らの意識次第でいつかなんとかなるんじゃないか、なんて淡い希望をもってしまいそうになる。
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1月もオスミツァはやっていた

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 例のオスミツァガイドは予想以上に使える。地元民以外にとって場所が分かりにくいオスミツァの住所をきっちり書いてある時点でかなりありがたいのだ。それにオスミツァは春から秋にかけてやっているところが多く、この本なしで1,2月もやっているところを見付けるのは難しかったと思う。
 今回行ってきたのはMedeazzaメデアッツァというシスティアーナやドゥイーノの北、大きな製紙工場が煙を上げているS.Giovanni al Timavoサン・ジョヴァンニ・アル・ティマーヴォからカルソの丘に入っていったところにある村。ここには8件くらいオスミツァがあって、3件はPernarcic家のもの。私が行ったのはこの3件のうちの1件だった。テランを頼んだら、彼らの畑のあたりはテランの名称を使用できる地域から若干外れているとかで、レフォシュコになると言われた。ブドウの品種は同じ。レフォシュコはテランより若干酸味が落ちると思っていたけど、ここのはテランと同じだった。一緒に頼んだカルソの生ハムはとっても脂がのっていて、ワインにちょうど合っていた。
 店はまさに「農家の倉庫を改装した」という雰囲気で、オシャレ度ゼロ。客の8割はスロヴェニア系で、残りはモンファルコーネとか周辺の町からのイタリア人だった。こういう店にアジア系が来ることは少ないせいかかなり直接的な視線を感じたけど、基本的には温かく迎えられた。アグリツーリズモじゃなく、純粋なオスミツァに行きたい、という人にはお勧めしたい。

osmiza certificati
(店の壁にかかっているオスミツァの許可書)
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『オスミツァの道』

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 先日ようやくトリエステ県のオスミツァ・ガイドAntoni, M e Terzoli, G, La strada delle “Osmize”, Rovigo, 2006を入手したので、ちょっと紹介しておく。これはイタリア・スロヴェニア国境地域に広がるカルソ地方の「オスミツァ文化」をイタリア側のみ、それもトリエステ県だけに絞って紹介している。オスミツァについては以前にもil vinoのカテゴリーで書いているはずなので興味があったらどうぞ。
 オスミツァというのは基本的には気まぐれな季節営業の飲み屋だから、フラスカ〔月桂樹の枝〕が出ていたらひょいっと立ち寄るような地元民御用達の店なのだ。 営業日がはっきりしない上、場所も非常に入り組んだ分かりにくいところにある場合が多く、本来旅行者が計画を立てて訪れるような店ではなかった。それがここ10年くらいの間に観光業の促進に伴い、多くのオスミツァが改装を施しサービスをある程度洗練させ、〔特に若年層の〕新規顧客を獲得するに至ったらしい。
 本の内容はカルソの歴史、その植生や文化についての簡単な記述の後、オスミツァの歴史や性格についての一般的な情報。さらにオスミツァが比較的多いカルソの集落の歴史や見所、個々のオスミツァが写真付で紹介されている。各オスミツァについては素っ気ない情報しかなく、これを見たからって行きたい店が選べるという訳ではないけど、住所と大雑把な営業日は分かる。結局正確な営業日、時間は電話で確認し、辿り着くためには詳しい地図を前もって準備するしかないんだけど、地元民が愛して止まないまさに「国境を越える」オスミツァ文化を試してみたいという人は一冊どうぞ。

Sgonicoズゴニコのエノテカ

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 なかなか絵になる鐘楼が印象的なスロヴェニア系の集落Sgonicoは中世にはアクイレア大司教管区に属しその起源は13世紀くらいまで遡れるらしい。ここにあるエノテカはConsorzio組合とは関係のないプライヴェートな店だけど、若いご主人ミーティアMitjaは「カルソで唯一のエノテカ」として、ワインや加工肉、オリーブオイル、蜂蜜など、トリエステ県のカルソ地方物産の紹介を積極的に企画したり、スロヴェニア側のカルソのワイン生産者達と協力したり、創造的かつ野心的に頑張っている企業家だった。特にワインに関してカルソ中の生産者に精通していて、ヴィトウスカ、マルヴァジア、テラーノなど地ワインの無料試飲会をよくやっているらしい。ちなみに2007年1月6日はテラーノ。スロヴェニアらしい声楽のコンサート付きだそうだ。アグリツーリズモもやっていて、宿泊も出来る。レストランのウリは各種魚料理。生の魚介類も食べられるらしい。きっちり一通り食べると40euroくらいかかるけど、おつまみとちょっと一杯程度なら15くらい。

Sgonico/Zgonik, 15
Tel. 040_2296623

復活(ブルダのヴェンデンミア)

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 退院後も家でじっと大人しくしていたお陰か、もうかなり体調が戻ってきた。23日(土)「今日こそ思い切って外に出よう」と決めたところで、友達からツーリングの誘いがあったので一緒に出かけることにした。今回は長いことベッドの上で過ごしていた私のために、近場の美しい自然を見せようとしてくれたらしい。
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(モスト・ナ・ソーチ〔「ソチャ川に架かる橋」という意味〕の喫茶店)
 午後1時頃いつものエメラルド・トレイル(イゾンツォ川沿い)を北上し、1時間くらいかけてモスト・ナ・ソーチまで行き、美しい川を見ながらお茶を飲んだ。その後チェントロのレストランで時間をかけながら肉の盛り合わせを食べつつ、今回の入院について詳細を報告した。食後、コバリド(カポレット)に向かって北上。のんびりした農村を幾つも通り(写真)、大量に実をつけて重そうにしなるリンゴの木を沢山見かけた。マタユール山の近くでイタリア側に越境。チヴィダーレを通り、ヴェンコで再度スロヴェニア入りした。ここでドーブロヴォのワイン協同組合に寄り道することになった。
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この辺りももうヴェンデンミア(ブドウの収穫)を迎え、昼も夜も協同組合前には長い長いトラクターの列が出来ている。
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除梗機に近づくと、ブドウの品種毎に列が分かれている。Rebula(イタリアで言うリボッラ・ジャッラ)が一番多いみたい。
rebula
brda.cantina.socia
赤はやっぱりMerlot。このカンティーナはドーブロヴォの城の麓にあって、カンティーナと城の間には葡萄畑とサクランボウ畑が広がっている。
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(ブドウの絞りかすをもらっているトラクター。これでグラッパを作る。)
 ドーブロヴォからノヴァ・ゴリツァに近づくと、ちょうど日が沈みそうだったので、標高600mくらいの山にある聖地スヴェタ・ゴーラ(モンテ・サント)に寄り道することにした。あと10分早かったらキレイな日没が見られたんだけど、もう暗過ぎて景色はイマイチだった。
monte santo
from.monte.santo
 最後にカザ・ロッサ国境でみんながワインを飲んでいるときも私はカップチーノを頼んだ。別に酒が病気の原因だったわけじゃないけど、しばらく肝臓に気を遣いながら生活しようと思う。今日は久し振りに外に出て、楽しかったけどすごく疲れた。

Edi Keberエディ・ケベル(47歳)

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のカンティーナに行ってきた。評判のトカイ・フリウラーノのためというより、イタリア・スロヴェニア国境に面している立地のためにず~っと行きたかったカンティーナだ。なんとなくご主人が気むずかしそうでこれまで入れずじまいだった(写真)。
edi.keber
少し前に頂いたGradisciuttoのカンティーナ(コッリオのジャスバーナ)や、評判のトラットリア数軒など、コッリオ(イタリア側)の地理をもう少しきっちり頭に入れたくてワインロードをふらふらしていたら、偶然ケベルを見つけたのだ。
 エディさんは突然の訪問にもきちんと対応してくれた。300年続いているというカンティーナを回りながら、家族やカンティーナの歴史を説明してもらった。味が無機質になるから、と彼らもINOXの使用は3年前に完全に止めて、今は木とセメントのみを使っている。写真はセメントのカラフルな樽(made in Brescia)。
cemento.botti
 印象的だったのは彼らのトカイ・フリウラーノへの思い入れ。90年代後半にピノ・グリージョの生産を止めた時にはアメリカ市場の抵抗にも会って大変だったらしい。それでも土地のワインにこだわりたい、と彼はコッリオのmarne泥灰土(“地中海”の土だと彼は言った)とarenarie砂岩からなる始新世中期の地層(この地方でPonkaと呼ばれる)を意図的にむき出しにさせた壁を見せながら語った。地域の歴史や文化を葬り去るようなやり方には断固反対だというのだ。それもそのはず彼はヨシュコ・グラウネルの信奉者で、ヨシュコさんこそがこの世の白ワイン生産者の最高峰であると信じているらしい。ただヨシュコさんの手法を真似するつもりはないそうで、ひたすら自分の経験や勘を信じて勉強を続ける毎日だと言った。自分はワインのことは何も分かってないよ、とも。
 さて、見学途中に息子が毒蛇?を見つけたとかで、大騒ぎになった。18歳だという息子はピアスをしていて一見現代っ子風だけれど、暑い夏も毎日父親を手伝っているらしい。スロヴェニア語、フリウーリ語、イタリア語、英語を解し、8月にはチヴィダーレの農業学校の課題でもある「スタージュ」を2週間ほどシチリアのカンティーナで行うと言っていた。
hebi
(毒蛇?) 
hebi.hito
(「蛇が出た!」と集まってきた人々。エディさんは色んなポーズをとってサービスして下さいました。)
 ケベルのカンティーナの庭から見えるコッリオ(というよりスロヴェニアだからブルダ)の景色はとても美しい。実は正面の葡萄畑の先にはMOVIAやマリャン・シムチッチのカンティーナがあって、MOVIAのアレシュはエディさんと同じ町Zegla/Ceglo、同じ番地17(MOVIAは18のような気も…。まいいか。)に住んでいるのだと教えてくれた。勿論国Italia/Sloveniaは違うわけだけど。
edi.keber.cantina
 彼はスロヴェニアの生産者と協力し合うことに非常に積極的だった。イタリア側コッリオにもこういう考え方の生産者がいるというのはとても心強い。常に国際マーケットを見てコッリオ(ブルダ)全体の将来を考えていればこそ、だろう。ちなみにここコッリオ(ブルダ)では、例えイタリア側であっても、公用語はスロヴェニア語だ。コッリオ(ブルダ)をまわるにあたり、挨拶程度でもスロヴェニア語がしゃべれれば、相手に与える印象は断然いいはずだ。特に地域の歴史や文化を重んじる有能なワイン生産者達を相手にするなら尚更。
 日本にもここのワインは入っているはず。ウヴァッジョのCollio Biancoよりはトカイが断然オススメ。滑らかで草花の香りがして丸くてドライで、と色々書いても、どれもケベルというよりトカイ・フリウラーノの特徴。値段(10euroくらい)の割には美味しいと思った。
edi.keber.cantina2
(家。カンティーナと地下で繋がっている。)
edi.keber.cantina3
(試飲室。カンティーナから続いている。)
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(試飲室の内部。典型的なスロヴェニアの農家風。)

桃とトカイと

テーマ:
6月も残り5日。さくらんぼうの季節もそろそろお終い。時間が経つのは早いなあ。「そろそろ桃の季節だね」とゴリツィアーノの友達に言ったら、桃入りワインの話になった。今はCastelladaカステッラーダというブランド名の方が通りのいいOslaviaオスラヴィアのワイン生産者Bensaベンサさん一家は、一昔前までゴリツィアでもちょっと名の通った食堂をオスラヴィアのカンティーナの近くでやっていた。彼の妹と高校のクラスメートだったという友人もかつて両親と通ったらしい。そんな彼が桃の季節を迎える頃、必ず思い出すのが「桃入り白ワイン」。その名の通りのシンプルな一品だけれど、ゴリツィア中の人々の愛されていたらしい。砂糖の量はお好みで…。

土と生きるスロヴェニア人

テーマ:
 今回日本のワイン関係者御一行と回った数々の「自然なワイン作りにこだわる新進気鋭のカンティーナ」は、イタリアにありながら100%スロヴェニア系だったのが印象的だ。フリウーリ=ヴェネツィア・ジューリア州には当然フリウーリ系の農民も沢山住んでいるけれど、少なくとも南部国境沿いのCollioやColli Orienaliと呼ばれる地域に関しては、よいカンティーナの多くがスロヴェニア系と考えても間違えなさそうだ。実際ゴリツィアでも「畑と掃除はスロヴェニア人、老人の世話はクロアチア人、工場はモロッコ人、それを忌避するイタリア人は無職のまんまだ」という笑えない話しを聞いたことがある。勿論これは単純に過ぎるんだけど、スラヴ系が土に根ざした生活文化を維持しているのは去年や今年のリュブリャナ滞在時にも実感した。こういう農村文化が素晴らしい飲食店の経営を支えていると考えれば、この地域の評判のトラットリアやリストランテの多くがスロヴェニア系だということにも合点がいくはずだ。

Zidarich

テーマ:
 15日(土)の次なる目的地はDuinoの集落Prepotto。しっとりとした緑のコッリオから打ってかわって今度は海岸沿いの石灰岩が切り立つカルソへ。アドリア海の見晴らしが素晴らしいカルソ台地の上に位置するZidarichさんのカンティーナは改装の真っ最中だった。カンティーナは岩盤をくり抜いて、地下2階分掘り進められ、家や試飲室などの地上部分は地下から掘った石を職人が砂でつないで建てたという凝り方。自然のものを全て利用し、何も無駄にしないというワイン作りの哲学を反映させたとまだまだ若いZidarichさんは語っていた。内部は重力システムを利用する作りで、地下のカンティーナでは掘削された岩盤がむき出しになっていた。カルソの地層の様子がよく分かるでしょう、と奥さんが案内してくださった。
carso
 VitovskaやMalvasiaなど地ワインの他、Sauvignonをメインにしたウヴァッジョや、赤の地ワインTeranを試飲した。ここもRadikonとかTerpinと同じように有機的な栽培や、開放樽のmacerazioneなどを実践しているらしい。有機は「哲学」だから、これを若い人に分かってもらうのは難しいと言っていた。安く簡単にできて見栄えのいいものに飛びつくのはイタリアや日本に限った話しではないのだ。「仕事の95%は畑で、後は自然に任せ出来る限り手を加えない」という考え方もやはりこれまで訪問した多くの生産者と共通。ここでも自家製サラミやチーズと一緒にワインで歓待していただき、世間話に花が咲いた。ZidarichさんもやはりTerpinさんたちと一緒に日本に行った仲間で、日本にによい印象をもったとか。Vitovska2003のお土産まで頂いて帰途についた。
zidarich
 1日通訳し終えて家に帰ってきたら、脳の普段使っていない部分に心地よい疲労感を覚えた。通訳を仕事にするには、まず日本語を「崩さない」(語順や敬語など)必要があるということが分かった。これは実地でトレーニングを積むしかないのかもしれない。そういえば家の前で出かけようとしているヴァレに会った。キャンピング・カーで遊びに来ているという彼女の家族の所に連れて行ってもらってご挨拶した。明日はもうパスクワ〔復活祭〕。