第18回カボチャ祭り

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(KabochaとかTetsukabutoなんていうのもありました。綴りの間違えを指摘したら、ある作り手は「俺たちも名前なんて知らないんだよ」と言っていました。)

 に行ってきた。場所はGemonaジェモーナのすぐ北、Fella川左岸の町Venzoneヴェンゾーネ。ジェモーナは以前も書いた塩の道の重要な中継点だったから、当時激烈に貧しかったヴェンゾーネの人々は運ばれる香辛料をくすねたり、落ちたものを拾ったりして、独特の食文化を発展させてきたらしい。タルヴィージオやオーストリアへ行くとき、決まってこの辺で雨が降る。山がちな地形で、ぐぐっと気温が下がり、自然と「これからユリアン・アルプスに入っていくぞ」という気持ちになる。
 さて今回の祭りは18回目を迎えたばかりの比較的新しい試みだ。76年の大地震から10年ほど経ち、町の再建も一息ついたところで、町の経済再建の一環として始められたことは想像に難くない。「大きな声では言えないけど」と言いつつ、「フリウーリは地震のお陰で豊かになったんだ」と話してくれるフリウラーニが意外と多い。被災からの復興援助のお陰で13世紀の市壁も再建され、フリウーリ地方で最も中世の趣を残していると言われる美しい小さな町ヴェンゾーネが蘇った。カボチャ祭りはこのヴェンゾーネで1年で一番重要なイベントなのだ。
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(市壁)
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(市庁舎)
 祭りの主役はなんと言ってもカボチャを使った食べ物や飲み物。グラッパ、チャルソンス〔フリウーリ版ラヴィオリ〕、フリコ〔つぶしたジャガイモにチーズなどを入れて焼いたもの〕、パン、クッキー、クラプフェン〔ドーナツ〕と何にでもカボチャが入っている。今回はプリーモに、カボチャスープと薫製リコッタがかかったカボチャニョッキ。カボチャ入りパンも一緒に出てきた。セコンドにはカボチャの花がソースと和えられた牛肉、つぶしたカボチャとジャガイモが混ざったものと一緒に盛られたコテキーノ〔フリウーリのすごく脂っこいソーセージ〕、最後にお菓子の盛り合わせを食べた。安くはなかったけどカボチャ大好きな私は満足。カベルネも結構美味しかった。それにしてもフリウーリ地方の薫製リコッタは本当に美味しいと思う。オススメ。
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(カボチャづくしのプリーモ)
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(カボチャ彫刻。食用ではありません。リニャーノの料理学校の生徒達でした。)
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(町中カボチャ一色。窓の装飾もキレイでした。)
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料理

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 する機会が増えた。といってもルームメートとか、歳の近い友達に1、2皿作る程度だけど。これまで知り合ったイタリア人女子学生には何故か料理好き、とか料理が上手な人が1人もいなかった。みんなマンマに存分に食べさせてもらっているから、自ら台所に立つ必要がないのだ。私が日常的に作るのは材料の入手が楽なイタリア料理ばかり。みんな「なんで日本人のxx(私)が!」と笑いながら、喜んで食べてくれる。ちゃんと皿洗いとか気を遣ってくれるので、後を気にせず楽しくやっている。
 今期2度目のチェロのレッスンはモッサの生徒宅というか彼らの薬局(!)で。薬や化粧品に囲まれながら1時間強みっちりしごかれた。今回はintonazioneが悪くなかったとかで、スイスイ前に進めて一安心。それにしてもアントニオの熱心さに改めて感動した。
 まず7時半頃音楽学校でアントニオと待ち合わせ、彼の車でモッサへ。9時過ぎまで1時間強のレッスンの後家まで送ってもらい、彼は再度モッサへ薬剤師の生徒のレッスンに戻った。ゴリツィア-モッサは車で15分くらいとはいえ、結構な手間だ。生徒達みんなに慕われているのも納得。そういえば、あちこち移動している間にアントニオがかなりの日本通で、来年も既に2回分のコンサートの契約があることが分かった。6月の東京公演には私も行けるかもしれない。
 家に帰ったら今年初めての授業で疲れ切ったというキアーラがだらだら料理を作り始めていた。昼の残りが色々あったので、温めて彼女の分も用意したらとても喜んでくれた。
 彼女はウーディネ出身。初めて一人暮らしを始めたものの、ゴリツィアはやっぱりつまらないらしい。アメリカなどを旅行して「イタリアは見た目重視の度が過ぎている」と思うようになったけど、人間が情熱的なのは気に入っているらしい。スペインはイタリア以上に熱いから、と来年からサラマンカ大でエラスムス。Carrozzeria(車のボディー専門の修理工場)の一人娘もそろそろ家から離れて自分の道を歩き出そうとしている。
 ともあれ、こうやって研究の合間に色んな人と会ったり、話したりできる日常というのはとても疲れるけど、刺激的だ。大学時代に知り合った留学生達が「留学中は毎日すごく刺激的だけど、帰国すると途端に生活がルーチン化する」と言っていたのを思い出した。そりゃそうだろうな。
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新しいルームメート

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 10月16日、新しいルームメート、キアーラが今日から私たちの家に一緒に住み始めることになった。ウーディネ出身だという彼女はウーディネ大の専門課程でヨーロッパの言語を幾つか勉強中。修了後は語学教師になりたいらしい。ジュリアの専攻と近いので、今日は大学のシステムなどについてあれこれ先輩の彼女に質問していた。
 そういえば今朝、イタリアの博士課程に進みたくて語学を学びながらイタリアの某大学で研究生をやっているという女の子から電話があった。身に覚えのある不満や問題を抱えていた彼女と色々話しながら、「ああ、自分の留学は終わりつつあるんだな。」という実感が沸いてきた。これからも若い人がどんどんイタリアの大学院で学ぶようになるんだろう。直接知り合うことはないであろう彼らのためにも、イタリアの学制とか細かい手続きについてもう少し詳しく書いておこうかなという気がしてきた。地域差が大きいこの国では、気休めになる程度の情報くらいしか提供できないけど。
 週末をムッジャで過ごしたジュリはフェデリーコに不満をぶちまけてゴリツィアに戻ってきた。イタリア人の女の子達の恋愛相談を受けていると「イタリアの男は抜本的な変化を嫌う」ような気がする。不満を溜め込んだ女の子側が別れる覚悟を決めて話し合いに望んでも「Ci pensiamo. Ne parleremo.(これから一緒に考えよう。これから話しあっていこう。)といなされ、解決を先延ばしにされて、結局以前と何にも変わってないのよね~」という話を何度聞かされたことか。
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キジを解体する?

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 狩りのシーズンも深まり、知り合いのゴリツィアーニから今年も収穫自慢のsmsが届くようになった。先日友達とたまたまキジを数羽目にして、思わず「あ~おいしそう」と口にしたら、「野生のキジ食べたいの?料理できるの?興味があるなら今度持ってくるよ。」と友人。彼の狩猟グループには、獲物を解体して保存、料理を楽しむよりスポーツとして参加する人が多いらしく、せっかくの獲物も貰い手が見付からないこともあるのだそうだ。家のオーブンはキジとかウサギのサイズなら余裕なので、是非是非、とお願いしておいた。
 以来鳥の解体、調理について調べてみたのだが、思ったより多様な方法があり、何が正しいのか分からなくなってきた。調理前の保存期間にしても諸説あるし、羽をむしる前に湯につけるか否かもはっきりしない、等々細かいところがよく分からない。人によって言うことが違うのだ。まあ今回は地元の猟師の意見を参考にすることにした。
 ということで日曜日は早朝からうきうきキジの到来を楽しみにしていたのだが、何でも許可証のことで行き違いがあったとかで、この人がそもそも狩りに参加できなかったらしい。こっちは準備万全やる気満々だったのに…。

カルソの名物飲み屋

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 アドリア海に面したドゥイーノの城を見下ろす小さな村落Prepottoプレポット(トリエステに近いドゥイーノ・アウリシーナ市)の名物飲み屋、Škerkシュケルクに行ってきた。カルソの石を使った立派な門構えだけど、中の雰囲気は極めてカジュアルな常時オープンのアグリツーリズムだ。トリエステやカルソの人達の間でとても評判がいい。週末の夕方5時半頃着いたら店は庭も内部も人で一杯。みんなワインを飲みながらコールド・ミートを食べていた。客は近所の人(スロヴェニア系)が多い様子。ほとんど怒鳴り合いのような調子で議論を続けるおじいさん達、家の居間にでもいるかのようにリラックスしきった家族…などなど。
 プロシュット・クルード(生ハム)やプロシュット・アッロスト(ロースト・ハム)、チーズ、オリーブやぺぺロンチーノの漬け物にテランやメルローのウヴァッジョ(1/2リットル)で14euro。フリウーリ=ヴェネツィア・ジューリア州に住んでいるからには日常的に飲み食いしているものばかりだけれど、今回は久し振りに「あ!おいし~」と思わず口にしてしまった。特に生姜が乗ったプロシュット・アッロストは味わい深くて本当にオススメ。場所は少々不便なんだけど、とにかくプレポットまで辿り着けば、大丈夫。みんなが知っている店だから。
 ちなみにすぐ近所の23番地には美味しいVitovskaを生産するZidarichの立派なカンティーナがある。しっかしカルソでもコッリオでも、この辺のワイン生産者はどこも景気がよさそう。そんなに儲かるものなの?

Prepotto 20, 34011_Duino Aurisina (Ts)
Tel. 39_040_200156
Fax 39_040_2025098
Email: info@skerk.com
http://www.skerk.com

バルコラーナの後で

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barcolana
 月曜日、再度病院へ検査に行ってきた。すっごい夜型になっていたので、朝8時に血を抜かれて1日ふらふら。これで「完治」と言われれば、一連の騒動に終止符が打てる。そろそろ外で体を動かした方がいいかも。
 前日(10月の第2日曜日)トリエステでは恒例のヨットレースBarcolanaバルコラーナが開催された。翌日、月曜日のゴリツィアでは病院でも、スーパーマーケットでも、家(同居人)でも、みんなこの話をしていた。ヨットレースと聞くと、なんとなく疎遠な感じがするんだけど、イタリア北東部に限らず、オーストリアやスロヴェニアなど近隣諸国からも多くの人を集める一大イベントだ。同居人によれば、競技そのものを見るというよりは、集まってくる人や出店などを楽しみにしている人も結構多いらしい。
 毎年この時期になると、ゴリツィアも朝と夜かなり冷えるようになっている。病院に自転車で向かいながら、風の冷たさに驚いた。帰宅して早々に買い物を済ませ、チェロを弾いてから研究。その間、ジュリは仕事にでかけ、彼氏のフェデリーコは隣の部屋で眠り続けていた。
 夕方になってからトリエステ近くの海岸沿いを歩く、という友達について行った。帰宅後、今期最初のチェロのレッスンに出かけた。私がマエストロ、アントニオに教えてもらったのは6月だけで、7、8、9月は彼の弟子ナスターシャにお世話になった。ナスターシャは家に来てくれるし、レッスン費用も若干安いので、このまま彼女にお願いしてしまおうかと思ったけど、近所で優秀なコンチェルティスタに楽器を1から習えるチャンスなんてこの先まずないだろうと考え直した。
 初レッスンは1時間以上続いた。彼はこちらの限界まで負荷をかけるけど絶対に恥はかかせず、最後は進歩を評価する。生徒を気にかけている、という姿勢の見せ方も絶妙。全てを自然に上手にできるこの人の情熱とか経験に感心させられた。来週はオーケストラの仕事だとかで、他の生徒の自宅でレッスンを受ける。
 音楽学校に入るや否やルームメートのジュリに会った。小さな町、ゴリツィア…。「さっき日本人親子が来たけど、絶対あなたの友達だと思った」と言われた。ビンゴ。家に帰り、夕食を食べながら3時間、ジュリからフェデリーコの話を聞いた。
 彼はmuggesanoムッジェザーノ(ムッジャの人)でスーパーのハム売り場のリーダー。高校を出て以来勤続10年のベテランらしい。夢はムッジャに家を買うこと、となんともdown to earthな男なのだ。ジュリがウィーンで留学していた時に知り合ったそうで、当時は「世界中どこにでも君に会いにいく」って言ってたのに、彼女がポルデノーネに戻ったら「せめてイタリア北東部に住んでくれ」と言われ、その内「フリウーリ=ヴェネツィア・ジューリア州」、さらには「トリエステで仕事みつけてくれない?」と変わって行ったらしい。よくある話。「家」だ「家族」だ「仕事」だ、と言うフェデリーコの攻勢にジュリも正直「助けて~」という気分だったみたい。彼女は何より楽しめる仕事に就きたいし、旅行もしたい。色んなことをまだまだ試してみたいのだ。地元密着型の彼と好奇心の強い高学歴な彼女。すれ違いは続き、ついにはフェデから別れを切り出した。5ヶ月のシングル期間を経て、再び彼から連絡があったそうだ。その間ジュリはポルデノーネやモンファルコーネで新しい出会いもあった。彼女が「ムッジャにもモンファルコーネにも住みたくない。どっちとも化学反応(ときめき)がないのよね~。」と言ったちょうどその時フェデリーコから電話があって。「ムッジャの悪口をxx(私)と話してた」って白状していた。ちなみに明日はモンファルコーネの彼が来るらしい。
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(ヴィットリア広場から見える城)
 ポルデノネーゼのジュリアにゴリツィアの印象を聞いたら、一言”E’ morta.(死んでる)”と言われた。前のルームメートでトレンティーナのヴァレも「町って言うか村paeseじゃない?」と言っていた。都会(ゴリツィアに住んでいるとポルデノーネやトレント程度でも「都会」に思えてくる…)の若者の冷たい発言に、心が傷つくようになってしまった私はゴリツィア在住3年目。「たとえ田舎で退屈でも、いい仕事があったらゴリツィアに住む?」と聞くと「ここで仕事を見付けようとは思わないから、住むこともない。」ときっぱり。ここにある大学を卒業し、今だって週の大半はゴリツィアにいるのに…。さらにはゴリツィアもトリエステも「まさに”辺境”でしょ。その点ポルデノーネはウーディネやトレヴィーゾにも近いし。」だって。
 ジュリ曰く「チェントロって言っても、コルソ(大通り)だけでしょ?バールは沢山あるけどさ…。」。「どれもこれも一緒だよね」と私が後を続けた。私もゴリツィアに住み始めた当初、夜や休日が辛かった。町中では銀行、バール、小さい本屋、化粧品屋、眼鏡屋ばかりが目立っていた。
 ゴリツィアが都市か村か、それは周辺の農村地帯をまわれば容易に納得できる問題だと思う。周辺部の農民は、コンパクトながら完全な都市機能をもつゴリツィアに依存している。典型的なニュータウンで大型ショッピング・センターを持つノヴァ・ゴリツァ(スロヴェニア)の人々ですら質や専門性を求める向きは未だにゴリツィアにやって来る。ゴリツィアは工業都市モンファルコーネや海のリゾート、グラードを含むゴリツィア県の県都だし、豊富な文化遺産やそれに伴う多くのイヴェントも開催されている。特にクラッシック音楽のコンクールは毎年日本を始め、世界中の多くの国からの参加者を集める。
 緑が豊かで、大きな公園が幾つもあり、2つの川に挟まれ、スキーが出来る山々に囲まれ、海まで30分。行政的にはスラヴ世界(スロヴェニア)と「隣接」しているだけだが、国境の町の例に漏れず、実際には多くのスラヴ人、スラヴ文化を内包するゴリツィアは、第1次大戦までの500年間ハプスブルク帝国の一部をなしていた。ファシズム期には苛烈なイタリア化が進められるも、「イタリア」の枠に収まらない過去や現実を抹消することはできなかった。しかし2度の大戦で城を含め多くの文化遺産が灰燼に帰し、建築物から見る町の面白みは大分削がれてしまったに違いない。
 従ってゴリツィアの面白さは多民族、多文化の歴史や度重なる戦乱や国境線移動に翻弄された住民独特のものの見方、現在の国境線で分断することのできない都市・農村関係の残存、など容易には目に見えないところにあるのかもしれない。あとは勿論、周辺部農村(コッリオ)の白ワインと中欧料理の数々…(涎)。ゴリツィアが「辺境」だと言うポルデノーネ出身のジュリアには、国境の向こうにも豊かな文化をもつ別の世界が広がっている、という認識があまりないようだ。

眠い

テーマ:
先週末、再度病院へ。退院後の検査のため。先生と最近の具合について話をした。週明けにまたキチンとした血液検査をするから、と言われて帰ってきた。意外と後を引くので面倒。結果が完全に出ないと、お礼行脚も終わらない~。
 退院後の経過について先生に質問され「慢性的に疲れているんです。すっきりしなくて…、外出も億劫。」と言うと、「そうだと思いますよ。数ヶ月この倦怠感が続くかもしれない。」と言われ、がっくりきた。「眠ろうと思えば1日でも眠れちゃうんですけど…。」と言うと「眠ってください。眠ってください。」だって。
 びしっと気持ちが引き締まらないというのは恐ろしいことだと実感した。帰国前のこの時期、1日1日をフルに活用しなければいけないはずなのに、イマイチ攻めの姿勢になれない。更年期障害とか鬱病の人達の文章を読みながら、その辛さを想像してみたりする今日のこのごろ。

ルームメート

テーマ:
 ジューリアと最近よく話すようになった。私が趣味で通っている音楽学校で働き始めた彼女と共通の知り合いが何人かできたのがきっかけ。もう1人の若いルームメート、キアーラは2週間くらい先にならないとやってこないらしい。
 ポルデノネージは閉じた感じのフリウラーニとは一線を画し、ヴェネティ(ヴェネトの人達)に近いと言われている。つまりよりpracticalでopenということ。ジューリアも高校時代には、毎週末電車で1時間かけてヴェネツィアに友達と遊びに行っていたそうだ。
さっぱりした性格の彼女はすぐに例の彼氏との微妙な関係について話し始めたり、車を出すから一緒にブルダ(コッリオ)やセレニッシマ(グラディスカにある州のエノテカ)に行こうと誘ってくれた。
 仕事の愚痴や学校の内実などを聞いていると、イタリアの社会問題の一端に触れたような気になる。そもそも彼女の仕事はEUの構造基金からの補助金で州が作り出した若者向けのスタージュで、契約期間6ヶ月、月収650euro(10万円くらい)。国立の音楽学校なのに、電話(!)、インターネット、プリンターが使えないという悲惨な状況らしい。今期からの月謝upも納得。
 そもそも4ヶ月しか一緒にはいない、ということで気楽な部分もある。帰国前のストレスフルな時期に愚痴を言い合ったり、外出する相手が出来てちょうどよかった。

イタリアの母

テーマ:
 30代を目前にしたルームメートとこの地域〔イタリア北東部の都市部〕で「仕事をしながら母親になる」ことの大変さについて話す機会があった。ちなみに友達の子供が通うゴリツィアの小学校ではほとんど全児童のお母さんが仕事を持っているそうだ。少なくともイタリア北東部に関しては日本の首都圏と比較しても、女性の社会進出が際立っている印象を受ける。必要に迫られて、というのが実情みたいだけど…。
 彼女たちは8時に子供を学校に送り、出勤。昼には食材の「質」に気を遣いながら買い物をして、子供を迎えに行き〔イタリアの学校は昼まで〕、食事の準備〔ゴリツィアでは夫が家で昼食を取るのが普通〕、後片付けをし、所用を済ませ、再度出勤。仕事の後、買い物、食事の準備、片付け…。つまり普通に仕事をしながら、1日「2回」、手抜きのない食事〔出来合いの総菜は高いし不味い。インスタント食品は気色が悪いと言って毛嫌いする向きが多い。〕の準備をし、しかも学校への「お迎え」までこなし、家を日本では考えられないくらいぴっかぴかに磨き上げる上、老人や病人の世話までしているかもしれない。
 キレイな格好をして大通りを闊歩する金銭的なゆとりのあるマンマは、伝統的に子育ても家事もアウトソーシングし、良心に後ろ暗いところもなさそう。浮いた時間でキャリアや趣味を追求したり、旦那の浮気を心配して美容に金と時間を注ぎ込んだりしている。気の毒なのはお金がなくても「完璧なマンマ」というmito神話に縛られ、本人にもどうにもできなくなってしまっている人達だ。こういうのはbella figura〔格好良さ〕をびっくりするほど重要視する〔特に田舎ほど〕イタリア人ならではだと思う。これまで知り合ったゴリツィアの中高年男性の中には「女が子供の世話と家事をするのは当たり前」という考え方をする人が多い。言い尽くされていることだとは思うけど、こういうanacronisticoなマスキリズモもこの閉塞感の一因なのだろう。
 こんなのを見ていると結婚に二の足を踏む若者が多いのも納得。いうまでもなくイタリアにおける初年給の低さ〔独・英・仏の約半分〕、シングル率、少子化、高齢化はヨーロッパ随一。30代の男女は構造的な金欠に悩み、不安定でアンハッピー、という記述をエスプレッソか何かで何度か目にした。「イタリアの完璧なマンマ神話」も崩壊寸前?