Italian Sud Est(2003年、Fluid Video Crew)

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italian sud est
 イタリアの鉄道に愛着を感じている人、あるいは一般に鉄道の旅が好きな人ならきっと楽しめる1本。というのもこの作品はイタリア南東端サレント地方の8路線、計473km、66駅で働く鉄道員や乗客、沿線で繰り広げられる人間模様を軸にしているから。フィクションとドキュメンタリーの中間をふらふらする不思議な映画で、ヴェネツィア映画祭のNuovi Territori新領域賞を獲得したというのも納得。低予算でこだわりの小作品を多々生み出してきたFluid Video Crewの手による最初の長編映画だ。
 態度の大きな押しつけローカル・ガイド、逮捕歴のあるヌーディスト、駅舎の住み込み鉄道員母子、沿線で恋に落ちたという濃いカップル、常時躁状態のアーティスト、トリーノの工場に出稼ぎに行って政治活動中に逮捕され、故郷の刑務所に移ってからは電車で職場(障害者施設)に通っていう受刑者、イタリアに来て15年というレバノン難民などなど、片田舎の鉄道と関わりながら、普通の人がそれぞれの歴史を背負って生きているという当たり前の事実に感動する。
 超低予算で作りながら、出演者の1人1人、1つ1つのエピソードに対する製作者の思い入れが感じられる。映画製作を学んでいる素人が作ったような練り切れていない中途半端なプロットや台本も好意的に解釈したくなるのは、この素朴さや温かさ故かもしれない。
 それにしてもイタリアもプーリアまで南下するとアルバニアまで100kmもない。ギリシャだって200km弱。ここにもまた厳しい国境の現実があるのだろう。実際このDVDに一緒に収められている短篇映画はGallipoliに到着したトルコからの不法入国者や、それを見守るプーリアの人々の表情を捉えた作品で、ボルツァーノの「国境映画祭2003」で受賞している。
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 先週末ゴリツィアではフォークロア祭りをやっていた。近所の友達に教えてもらい、一緒に祭りの最後を飾るパレードを見に行ってきた。開始直前の4時前にざざーっと通り雨が降ったので、30分くらい遅れてパレードは開始した。
まずは整然とした「オーストリア」グループから。
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この緊張感のない顔は…。勿論「イタリア」グループです。
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またもや整然とした一群が。今度は「スロヴェニア」の女の子達。
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陽気なメキシコ人達。プロです。プロ。
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ブルキナ・ファソのパフォーマー達は沿道の子供達を怖がらせていました。ちなみにブルキナ・ファソとは「清廉潔白な人々の国」という意味で、アフリカ西部、ガーナ北方の共和国だそうです。旧フランス植民地で1960年に独立。84年に国名をオート・ヴォルタから現国名に変更。
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ゴリツィアの近所Lucinicoルチニコからも参加。1枚のスカーフの端と端をカップルのそれぞれが持ち、女性がくるくる回る。
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元気なキューバ人。誰1人として動くのを止めない!
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クロアチアの民族衣装をまとった若者達。みんな可愛かった。
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この整然とした一群は…。最後も「オーストリア」でした。
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そしてこの車。フォークロア・パレードなのに、何故か財務境警備隊のアルファ・ロメオまで参加。警察とかカラビニエリはなんとなく分かるけど、救急車まで…。
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 なかなか大きなお祭りのようで、毎年ゴリツィアの外から訪れる人もいるようだ。想像以上に多くの国からの参加があり、中には西パプアなんていうのも。なんでもニューギニア島の西半分、インドネシア領イリアン・ジャヤのことらしい。〔東半分はイギリス連邦に属すパプア・ニューギニア島〕。
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カルソとイストゥリア

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 先週木曜日はカルソートリエステ、土曜日はイストゥリアのUmagoウマーゴまでツーリングに行った。バイク好きの友人達はまだ夏休み中なので、暇があるとバイクに乗り、平日なら2時間くらい、休日は半日くらいのツーリングにひょいと出かける。
 オレンジに色づいたカルソではもう秋の空気を感じた。ブドウの房も大分大きくなってきてはいるものの、糖度はまだまだ。Nova Goricaノヴァ・ゴリツァ – Mirenミレン – Opatje Seloオパティエ・セロ – Kostanjevica na Krasuコスタニェヴィツァ・ナ・クラス – Ivanji Gradイヴァニ・グラッド – Komenコメン – Tomajトマイ – Križクリジュ – Sežanaセジャーナ – Fernettiフェルネッティ – Proseccoプロセッコ – Rupinルピン – S.Croceサンタ・クローチェ – Aurisinaアウリジーナ、とここからいつもの道を通ってゴリツィアに帰った。
 自家製だというテランを一杯やったTomajのアグリツーリズモの庭先には、収穫したカボチャが積まれていた。カルソの農家は狭い土地で集約的な農業をやっているのが特徴なんだけど、ここも豚、牛、ウサギ、畑、ワイン、蜂蜜、土日のアグリツーリズモなど、少しずつなんでもやっているのが面白い。
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 一方のイストゥリアでは7月に比べると日差しが大分柔らかく感じられたものの、まだまだ海水浴客で賑わっていた。Portorožポルトロージュでジェラート休憩を入れ、Sečovljeセチョウリェの塩田や飛行場を片目に2つ目の国境を越えた。クロアチアに入り赤い土のオリーブ畑が目立つようになるとすぐウマーゴだ。センターから離れた静かな海岸で2,3時間、泳いだり昼寝をしてゆっくり過ごした。暖かい間にポーラやイストゥリアの内奥部、ノヴィ・グラッドの寿司屋なんかにも行けるといいな。
 イストゥリアの町々を通り過ぎながら、庭で豚の丸焼きをする店が多いことに初めて気付いた。スロヴェニアでは見たことがなかったんだけど、クロアチアの伝統なのだろうか。ウマーゴの近くで昼食に海の幸スパゲッティを頼んだらぶよぶよなのが出てきてがっくりした。
 行きも帰りも検問所の辺りには1、2kmくらいの渋滞が出来ていた。やはりイタリアとドイツナンバーが目立つ。13週間も夏休みをとれるドイツ人は9月に入ってもイタリアやイストゥリアへ海水浴にやって来るそうだ。この日の夜のニュースではイタリアから出る旅行者よりイタリアに入ってくる旅行者の方が多い、と言っていた。
 帰り道、トリエステの手前でテンペスタにあってしまった。バイクに乗るときは常に気が抜けない。
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グラードって…

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 昨日特に用もないのにグラードへ行ってきた。夕方になってからブルダに写真を撮りに行ってたまたま会った友達が、これからグラードに用事があって行くというので、ついでに連れて行ってもらったのだ。
 1時間海を見ながら読書、1時間夕食をとりながら読書、1時間夜の町を散歩したんだけど、やっぱりグラードを好きにはなれなかった。とはいえゴリツィアの人にとってグラードは未だに特別な町。ゴリツィアに限らず、スロヴェニアやドイツ、オーストリアからの海水浴客も今年は随分増えたらしい。たしかに[安くはない]食事は美味しいし、独特の文化や歴史がある町だけど、海は汚いし、夜遊びのクオリティにはかなり寂しいものがある。グラードに別荘を!とあくせくするゴリツィアの人の感覚を私は理解できない。
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(グラードの日没。数時間後には日本でもその姿を現したはず。)

嵐の中、ゴリツィアに帰る

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 コルティーナ・ダンペッツォは実はもうヴェネト州なのだ。地図を見るとここからゴリツィアまで実は200kmほどしかないことが分かる。サッパダ方面に向かいながらしばらく続く谷カドーレといえば、眼鏡製造やここからドイツに移住した人々が始めたジェラートの美味しさで知られている。ヴェネツィア派のティツィアーノもこの地方出身なのだそうだ。カドーレの谷を抜ける辺りにあるPieve di Cadoreにある古くて味わいのあるオシャレなエノテカに入った。ここでカベルネとサンドイッチを頼み、みんなで旅行を振り返った。
 バイクの趣味と性格の相関関係に興味があるという人がいたので、「そんなに複雑な問題じゃないと思う」と言った。そこにちょうど若いバイカー達が入って来て、「じゃあ彼らはどんなバイクに乗ってると思う?」と聞かれたので、「日本製かドゥカーティ」と答えた。経済的な制約のある人(若い人)はまず日本製。五月蠅いエンジン音が好きでスポーティな人ならドゥカーティ、という印象を受けたから。実際両方とも正解だった。BMWは品の良さそうなおじさん。ハーレイはおじさんというより髭を生やし、全身黒でキメたおじいさん世代に愛好者が多い印象を受けた。
 この後雲行きが怪しくなり、カドーレを出る辺りで降りは本格的になった。雨の降る山道、手で自分の体重を支えているという危険な状況だったにもかかわらず、前夜の寝不足とワインのせいで恐ろしい眠気に襲われた。実際うとうとして「はっ」と気付くことが何度かあった。バイクに乗る前はよく眠り、ワインはせいぜい1杯までに抑えようと心に誓った。ジェモーナの辺りで唐突に交通渋滞があり、がらがらの反対車線を前に進んでいくと風で倒された木を除去する消防局員達の姿があった。彼らが木を移動させ、数メートルほどの隙間ができるとバイカー達は即座にそこへ突入していった。
 高速に乗りウーディネ方向に向かうと雨はさらに激しくなった。しかもフェラゴスタの休暇から町に戻る車が渋滞を作っていて、追い越しをかけ続けた。この雨の中、時速140kmというのはかなり怖い。さすがに眠気はどこかに行ってしまった。ウーディネに着く頃には雨が止んだので雨合羽を脱ぎ、時速160km出していつもの道を通ってゴリツィアに帰り着いた。9時前にベッドにばったり倒れ込んで深い眠りに落ちた。
 翌朝9時には「家のアイロンが壊れたから貸したアイロンを1週間くらい返してくれる?」という大家さんの電話で起こされた。私がフェラゴストから帰ってくるのを待っていたらしい。オーストリア旅行の話を少ししたら、「帝国下の生活は豊かだったんだから!」とここでもオーストリア時代を懐かしむ話を聞かされた。ナポリの人々はブルボン時代を懐かしむというけれど、彼らのほとんどはオーストリア時代を知らないはずだ。それでも「昔はよかった」と結論しようとする人々にその内根拠を問いただしてみよう。

コルティーナ・ダンペッツォ

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この後再びコルヴァーナに戻り、今度はコルティーナ・ダンペッツォへ向かった。
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(町の遠景)
町中を歩くと、所謂セレブ御用達の高級リゾートであることが実感できる。町中の高級商店のショーウィンドーにはあまり惹かれなかったけど、近隣の山々、特にクリスタッロ山のスキー場にはゴリツィアの友人の話を聞いて以来、何となく憧れている。そうでなくともイタリア・スロヴェニア・オーストリア国境地域に住んでいるとスキー場の話を聞くことが多い。彼らの生活に根付いた文化なのだと思う。今年は無理としても、いつか上手になったらみんなと一緒にクリスタッロへ行ってみたい。
ドロミティの凄さは例えプロの写真を見てもよくは分からないと思う。写真に収まった山塊は美しいけれど小さ過ぎて全く迫力が伝わってこないから。実際には周囲360°を凄まじいパノラマに囲まれる。光りの加減で常にその姿を変える巨大な山塊や谷間を背景に、苦しそうに山岳道路を上っていく自転車やバイクの様子を見るのも楽しい。足下には可愛らしい高山植物、空には真っ青な空と真っ白な雲。牧草地では牛が放牧され、昼寝やピクニックをする家族連れや若いカップルの姿もみられる。
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途中で休憩を入れた茶屋の前で、65年のMoto Morini製のCorsarino(48cc)とかいうバイクに乗る集団と言葉を交わした。日本のカブに似ていて、なんともsimpatico。こんな小さなバイクで若者がひょいとドロミティに遊びに来られるというのはヨーロッパならではの贅沢だなあ、と思った。
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イタリア側ドロミティへ

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 ここからドロミティの内奥に入って行き、私のドロミティ・イタリアーネに対する印象は全く違うものになった。S.Lorenzo – Piccolino – Pedraces – La Villaと南下し、様相が大きく変わるのはCorvaraコルヴァーナ。つまりGruppo di Sellaがその雄大な姿を現す辺りだ。
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 ここからPasso di Campolongoを通ってArabbaへ。
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Arabba自体はなんということのないアルプスの谷間の町なのだけど、この先がすごい。苦しそうに山を登るチクリスタ達を追い越しながら眼下に広がってくるパノラマは感動もので、Passo Pordoi(2239m)に至っては思わず笑ってしまうほど。
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 この上り坂で友達に預かってポケットに入れておいたガイドブックを気付かないうちに落としたらしく、気付いて拾ってくれた後続のバイカーに峠で「はい」と手渡された。ここで同行者の1人に「なんでもなくすな~。おっちょこちょいだね。」とからかわれたのに対して、疲れのせいか「なんで“なんでも”なの?」本気で怒ってしまった。みんなを茶屋に残して1人で散歩して、茶屋に帰ってから素直に謝り、ついでにこれまでの様々な失敗を披露した。そしたら友達の1人が、軍事教練で落下傘兵になったときそれまで親に頼り切って忘れ物だらけだったのが全く別の人間に生まれ変わった、という話をしてくれた。別の人は君が彼の歳になるころには完璧になってるよ、と言った。留学生活にも慣れて緊張感に欠けるようになって来ているのかな、と反省した次第。
 茶屋で人が注文したクヌーデルを一欠片もらって、甘くした熱いレモンティーを飲み、再びバイクは先に進んでいった。この先すぐ待ちかまえているのがドロミティ東部で一番美しいと言う人もいうPasso di Sella。このパノラマを見て感激は絶頂に達する(かもしれない)。

「イタリアは騒々しい」

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 8月21日(日)、朝9時頃リエンツに近い宿を出発してイタリアとの国境を越え、イタリア人スキー客でにぎわうS.Candidoサン・カンディド、Dobbiacoドッビアコを通ってBrunicoブルニコへ。ここでお茶のみ休憩を入れて経路を確認。ここまで来る間に「イタリアはなんて騒々しいんだ。トランクイリタとかオルディネというものはイタリアには存在しないのだろうか。チロル風の家も粗製濫造されているし…。確かに山の規模や形はイタリア側に軍配が上がるけど。」などと考えていた私。カプチーノを飲みながら、みんなが同じことを考えていたことが分かって笑った。ホモジェニックでのんびりしたオーストリアの田舎からイタリアの町に入ると、その緊張感にどっと疲れてしまうのは私に限ったことではなさそう。
 この辺りで友達の1人に「バイクに乗るとき、もう少し重心を後ろにするように」とアドヴァイスされ、他のモトチクリスタを観察するようになった。確かに慣れていそうな人は運転者と距離を保っている。椅子の後ろの支えを掴み、足に力を入れて自分の体重を支えている様子だ。恐る恐る挑戦してみたところ、これがいい全身運動で、山道ではより楽しく、景色に変化がないときには退屈しのぎにもなることが分かった。この“ヌオヴァ・テクニカ”は運転手にもことごとく好評。ただし長時間やってると腰にくるのと、高速ではあまりにも恐ろしくて無理。
 ところで今回はささっと通り過ぎてしまったけど、S.CandidoやDobbiacoを起点にしたle Dolomiti di Sestoと言われる辺りもバイカーに非常に愛されている。S.Candido (1174) – Sesto – S.Giuseppe/Moos – Passo M. Croce di Comelico (1636) – Padola – S.Anna – Passo del Zovo (1489) – S.Caterina – Auronzo di Cadore – Valle di Ansiei – bivio Dogana Vecchia – Col Sant’Angelo (1757) – Carbonin – Dobbiaco Nuovo – S.Candidoという89kmほどのコースだ。3000mくらいあるTre Cimeの近くやMisurinaなどの美しい湖を幾つも通るそうで、いつか是非行ってみたい。
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(Gruppo di Sellaに向かいながら1枚)

ドロミティに向かって南下

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 ハルシュタットでまったりと1日過ごした後、午後4時過ぎにはドロミティに向かって南下することにした。HallstattからBad Ausseeを通ってザルツブルク行きの国道に乗り、Radstadtの手前でVillach方面に向かう道に入った。小さな町をどんどん通り過ぎ7時前にはGmündという、ポルシェの最初の工場(というよりガレージに近い)がある町を通った。見学は生憎18時まで!!
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 この先道路はVillachとLienz方向に分かれ、私たちは後者に向かった。Lienzから15kmくらいのところでトラック祭りをやっていて、牧草地の辺り一面にずらりと派手なトラックが並んでいた。
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農作業用の小屋を利用して造った田舎風のバーやディスコにはトラック運転手やその関係者が集いご機嫌な様子。
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どうやらオーディエンスが投票して賞を決めるらしく、運転手は自慢のトラックの電飾を光らせさかんにアピールしていた。トラックはオーストリアの他イタリアなどからも参加していて、十字架をフロントにつけているものが目立っていた。カメラを構えると一斉にクラクションを鳴らされてびっくり。
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 リエンツからドッビアコ方面に向かって一番最初の集落で1泊することを決め、すぐに宿は見付かった。宿の1階にはドロミティ行きのバイカーか近所の人が客のほとんどを占めるカジュアルなレストランがあったのだが、夜9時にキッチンを閉めたと聞いてがっくり。私たちは加工肉を適当に盛ってもらい、ビールと一緒に食べた。ともあれイタリアはもう目の前。こんな小さな店にもイタリア語を解する若い店員がいた。旅の疲れがあった上、インターネットの天気予報は「ドロミティの降水確率、明日、午前50%、午後70%」。夕食は重い雰囲気になった。更にホテルは改装中で共用シャワーには鍵もかからなかった。外はいつまでも騒々しいし、気分も晴れないままなかなか眠ることができず、超睡眠不足のまま朝を迎えた。