の共通点にたまたま最近気がついた。実は2人ともアドリア海沿岸地域の出身である上、1921年生まれなのだ。ヴァッリが今年4月22日ローマで息を引き取ったというニュースで彼女の生年を見て、ずっと引っかかっていたんだけどやっと思い出せた。ゴリツィアのPalazzo Attemsで長らくやっていたミッソーニ展で彼の生年月日を見たんだと思う。
 オッターヴィオ・ミッソーニについてはゴリツィアに住む友達から「知り合いの同級生だった」という話を大分前に聞いていた。彼は第1次大戦後オーストリア帝国からイタリア王国に編入されたダルマチアのラグーザ生まれで、トリエステやミラーノで学び、トリエステでニット製品の店を始めたらしい。大変なスポーツ好きで、ニットといっても運動着を専門に取り扱っていたようだ。ちなみに彼の母親の名はTeresa de Vidovich Contessa di Capocesto Ragosniza。イストゥリアの貴族だ。父親は海軍大佐で、オーストリア時代にダルマチアに移住したフリウーリ人官僚の息子らしい。
 The Third ManやSenso(夏の嵐)で有名なアリダ・ヴァッリの本名はAlida Maria Laura Altenburger baronessa von Marckenstein und Frauenberg。ジャーナリストで大学教授だった父親はオーストリア貴族の子孫だったらしい。彼女がトリエステと特に縁があるとは聞いていないけれど、イタリア時代のポーラで生まれ育ったなら頻繁にトリエステに足を運んだはずだ。ミッソーニとヴァッリの間に親交があったとしてもまったく不思議ではない。ファシスト・イタリアを嫌ってアメリカに亡命したヴァッリだけれど、彼女の母親は1945年、反ファシスト(パルチザン?)に撃ち殺されたらしい。
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(Sensoの映画ポスター)
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ソチャに沿ってコバリドへ

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 先週土曜日の朝、プランツォ(昼食)前のミニ・ツーリングに連れて行ってもらった。この日も朝から快晴で、9時にはもう不快な暑さを感じるほどだった。それなのにSMSで指定されたのは、丈夫な靴、風よけジャケット、ジーパン…。ふらふらしながら待ち合わせ場所のカザ・ロッサ国境にたどり着いた。
 一同は朝10時にゴリツィアを出発した。周囲の緑に沈んだエメラルドグリーンのソチャ川がきらきらと輝くのを横目に、どんどん北上していった。視線を上げると「雪を被っていない」これまた緑のユリアン・アルプスの山々が見える。電車では見えたり見えなかったりするこの美しい自然を、身近に感じられるのがEmerald Trailのウリで、多くのバイク愛好家が世界中からやってくる。彼らの多くはソチャ川を北上してBovecを通り、オーストリアまで行くらしい。
 バイクに乗ってすぐに分かったのは、真夏でもジャケットは必須だと言うこと。数十分スピードをだしたバイクに乗っていると、寒くなってくる。とはいえ信号で止まったりすると途端に恐ろしい暑さを感じるのが辛いところ。私たちは次から次にカーブを曲がり、どんどん自動車を追い越しながら進んでいった。
 大きなセメント工場があるAnhovoを越えると絵になる小さな町Kanal(Santa Lucia)はすぐだ。Anhovo以北は目に見えて水質が改善するし、川の水深も浅くのるので、水浴びを楽しむ人の姿が時折見られる。「晴れていれば」イタリア・スロヴェニア国境地域で一番美しいと思われるトルミンもここからすぐだ。結局ゴリツィアから1時間弱でKobaridに到着した。
 イタリア人にとってのみならずKobarid(Caporetto)はどうしても大戦の暗いイメージが付きまとう。しかし実際には清潔で明るく花が咲き乱れ、カヤックをはじめとする多くのウォーター・スポーツ、スキー、トレッキング、パラグライダーなどの拠点となる町でもある。
ここまで来るとオーストリア人が非常に多く見られる。バールで喉を潤しながら、重装備で生真面目な彼らをからかう友人達のイタリア節が炸裂した。「あいつらって本当に…」とこの数100年間お互いを笑い合ってきたのだろう。
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(写真は町のチェントロと評判の魚料理レストラン)
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日曜朝の買い物

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 最近朝っぱらからスロヴェニアまでサイクリングに出かけることが多い。9時を過ぎる頃には暑くて外に出るのが億劫になるので、早朝か夕方以降に行動することが多くなった。音楽を聴きながらスロヴェニアの自転車専用道をとばすのは非常に気分がいい。ついでに日曜日でも開いているヴルトイバやクロンベルクにあるパン屋、ブルマットで飲むヨーグルトとパン、シュトゥルーデルなどを購入すれば、おいしい朝食にもなる。
 帰りにカザ・ロッサ国境のイタリア側にあるInsという小さな店に寄ることがある。ここは毎日8時半から夜8時頃まで、日曜も午前中は営業している。それもそのはず経営者はスロヴェニア人で店員もみなスロヴェニア人。必然取り扱う製品もスロヴェニア色がかなり強い。イタリア・ブランドの製品もチェントロのスーパーに比べると安いので、欲しいものがあればお買い得かも。
 今日はパン各種、さくらんぼうのシュトゥルーデル、パイナップル入り飲むヨーグルト、フラクタルのジュース、ラシュコのビール、蚊取りマット、野菜、果物などを購入。朝早く起きたついでに、昨夜もらったひじきで「ひじきご飯」を作って冷やして昼と夜に食べた。
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トランス・アルピーナ100周年

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(100年前の衣装で、観光客の記念写真におさまるボランティアの人々)

 15日の午後、トランス・アルピーナ100周年のセレモニーがトランス・アルピーナ広場で執り行われた。実際の記念日は19日なんだけど、より人が集まる土曜日に繰り上げられたようだ。ちなみに今日14日から19日まで広場では各種イヴェントが催される。幾つかの〔常設〕写真展の他、15日の夕方17時頃からオーストリアやスロヴェニアを通って到着する歴史的蒸気機関車の歓迎式典、コーラス、16日にはノヴァ・ゴリツァからブレッド湖まで蒸気機関車でむかうツアーが、さらに16,17日の夜9時半からはKinoateljeによるかなり濃い内容の映画上映会、19日夜9時にはクラッシック・コンサート、30日にまたブレッド行きのツアーが組まれるらしい。
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 まず記念スタンプが押され記念切手が貼られた絵葉書を購入。ついでに同じテント内のアンティークの絵葉書展を見た。これを企画したのはチェントロ・ヴァルッシといって、トリエステの高名な地理学者ジョルジョ・ヴァルッシに学んだ教え子達による「国境を越えた」パースペクティブをもって地域の観光促進に取り組む組織。今の会長も前の会長も友達で、この日も忙しく動き回っている彼らと話してきた。絵葉書には一枚一枚に詳細な歴史的・技術的説明が加えられ、ぐるっと一周するとシェザーナ〔スロヴェニア〕ートリエステーゴリツィアーイェセニツェ〔スロヴェニア〕と旅した気分になれる。この辺でよく見られるゴリツィアが「オーストリアのニース」と呼ばれていた時代のものからノヴァ・ゴリツァの60年代の観光客用絵葉書、とレアなものまで沢山展示されていた。
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(絵葉書展、ミニ郵便局、書籍販売コーナー)
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(ノヴァ・ゴリツァの60年代の絵葉書)
 この日のためにわざわざスロヴェニア大統領がスピーチに訪れた。内容は、この鉄道の歴史的な意味合いや将来の地域の観光産業の育成に果たす役割について等々。イタリア語の通訳がなかったことが翌日の地方紙で早速問題として取り上げられていた(笑)。そういえばトランス・アルピーナ鉄道自体ウィーンで計画された「オーストリア帝国」の遺産だというのに、オーストリアからは上層レベルの参加がなかったのが印象的だった。オーストリア人にとってのトランス・アルピーナはイタリアにとってのカポレット(コバリド)に近いんじゃないか、といった友達のことを思い出した。
 暗くなるにつれ、セレモニーはスロヴェニアの典型的なお祭りに変貌していった。スロヴェニア領の方でアコーディオンが入ったスロヴェニアっぽいバンドが「牛の音楽」の演奏を始め、中高年スロヴェニア人〔推定〕が踊り出した。気がつけば周りに残っていたのはほとんどスロヴェニア人ぽい人ばかり。
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 Tokioという立ち食いスタンドでチェヴァプチチとビールを買おうと思っていたら、妙に英語が堪能なおじいさんと知り合った。なんでもノヴァ・ゴリツァで生まれ育つも、リュブリャナでエンジニアを学び、その後すぐスウェーデンの企業で働くようになったらしい。会社も家もスウェーデンにあるが仕事で世界中を旅するそうで台北や神戸にも滞在したことがあると言った。休みには南米を旅することが多く、2ヶ月くらい有給がたまると親が残した家があるノヴァ・ゴリツァに滞在して、親類一同に会うようにしているのだそうだ。スロヴェニア人やノヴァ・ゴリツァの町について少し話をしながら、私のゴリツィア滞在の目的や研究内容を説明したらとても興味をもってくれたので、ノヴァ・ゴリツァでまた近いうちに会うことにした。ちなみにこの人もスロ・スウェ・英・西・伊、と5カ国語が堪能な典型的なスロヴェニア人だった。
 それにしてもこの日は国境を自由に行き来しても一切お咎めがなかった。こんな風に恣意的に特定の国境を1週間もオープンすることができるんだったら、普段の物々しい警備は一体なんなの?と白けてしまう。
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(イタリアとスロヴェニア国境に跨って一枚)
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(ソルカン橋とトランス・アルピーナを走る歴史的蒸気機関車)

自由を満喫

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ルームメートなしの生活が始まった!図らずしてダイニング・キッチンに、寝室、リヴィング2部屋を占領できることになってしまった。大家さんは2月から6ヶ月だけ住みたいという女の子3人を受け入れる約束をしてしまったから、その前に入居して出て行ってくれる人をやっきになって探している。イタリアの学生は9月から1年契約するのが普通だから、ちょっと難しいと思う。ヴァレ達が乗ったキャンピング・カーを見送りながら一抹の寂しさを感じたものの、久し振りに満喫する自由の味は格別。

全身黒革で出勤

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 していたのよ~、とチェロのマエストラ、ナスターシャは彼女の父親について語った。というのもちょっと前に目抜き通りで彼を見た、という話をしたから。さらに、長髪の手入れに失敗した時には左右の髪をバリカンで刈り込みモヒカン・スタイルにして出勤したこともあったらしい。ちなみに彼が勤務していたのはイタリア銀行(イタリアの中央銀行)だ。支店長には睨まれ、町の人にも好奇の目で見られていたらしいが、本人は何処吹く風。「彼はいっつも反抗的だったの」と明るく言ったナスターシャは見た目は柔和なブロンド美人だけれど、芯は相当強そうなお母さんだ。スロヴェニア系である彼女のお父さんがイタリア銀行で働くようになった経緯はよく分からないけれど、そんな彼が体制に抗う姿勢を貫き通し、そういう父親を温かい目でみることのできる娘が育ったというのは面白いなあと思った。
 それにしてもゴリツィアは狭い。多くの人が知り合いの知り合いかその知り合い。それもそのはず、人口は4万弱。みんなどこかで繋がっているのだ。

La comunidad

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 La comunidad(2000)とLa pasion turca(1994)というゴヤ賞を受賞した2本を先月連続してテレビで見た。後者はスペインの中途半端に金持ちな奥様がトルコ旅行で危険なトルコ男に引っかかり愛に溺れて破滅するというありがちな1本。特にひねりもなく際立った美意識も感じられず全然面白くなかったんだけどゴヤ賞を2部門受賞したらしい 。一方のAlex de la Iglesia監督のLa comunidadはかなり楽しめた。
 粗筋はこんな感じ。とある高級アパートで大金持ちが誰にも知られぬまま息を引き取り、不動産販売員のフリアがたまたまその遺体と隠し財産を見付ける。ところがアパートの住民はみなその隠し財産の存在を知っており、分配計画を立て、長年金持ちが逃げださぬように見張りながら、その死を待ちわびていたのだ。隠し財産をめぐって、フリアと住民の間で文字通りの「死闘」が繰り広げられる。
 基本的にはスレアーレでグロテスクなスリラーなんだけど、そこかしこに笑い誘う細かい仕掛けが施されている。デリカテッセンとか初期のアルモドヴァルを好きな人なら気に入るんじゃないかと思う。この作品にとてつもないパワーを与えているのは、 緩んだ肉体も欲も暴力も惜しげもなく披露する中年不動産販売員フリア役のCarmen Mauraの体当たり演技だ。彼女の脇を支えるのは共同住宅の強欲で邪な住民を演じる個性派俳優達。

Brumatでパンを買う

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(写真はさくらんぼうのシュトゥルーデル)
 しつこいようだけど、イタリアのパンは相対的にまずいと思う。フランスに一歩入ればもちもちパリパリのパンが、ドイツに行けば色んな穀物や木の実、ゴマなどが入ったしっとり黒パンが食べられるというのに。アルプスを越えるとここまで変わるか?という最たるものがパンの質だ。
 ところが、ゴリツィアに住むようになってから、アルプスを越えるまでもなく、非常に「浸透性」の高いイタリア・スロヴェニア国境を越えるだけでパンの質が大きく変わることが分かった。初めてゴリツィアから国境を越えてスロヴェニアのノヴァ・ゴリツァに行ったとき、感動したのはパンとヨーグルトの美味しさだった。
 イタリアのパンのまずさについてピエモンテのレストランで修行中の人と話したときに、イタリア人は「パンはこういうものだ」と思っているのではないかと言われた。確かに南部イタリアの小麦の質は古代から定評があるし、美味しいモノを作ろうと思ったら作れないはずはない。現に美味しい「自家製」パンを作る人は多いし。閑話休題。
 とにかくゴリツィアで美味しいパンを食べたくなったら、ノヴァ・ゴリツァのBrumatブルマットという店をオススメする。スーパーのメルカートルなどと比べても種類は決して多くないけれど、味は断然上。サクランボウのシュトゥルーデルなど、季節を反映したお菓子もとっても美味しい~。スロヴェニアだけあって(笑)朝7時から夜7時まで休みなし。但し日曜日は昼12時まで。
 ちなみに以前Vrtojbaで殻付き茹で卵入りパンを買ったと書いたんだけど、あの店もBrumatの支店だということが今日サイクリング中に分かった。コバリドとかスロヴェニア側のイタリア・スロヴェニア国境地域に支店が結構あるみたい。

Vodovodna pot 13, Kromberk, Nova Gorica
Tel.05_3330260

30%OFFの真実

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 先日近所の本屋がセールをやっていることを少し書いたんだけど、事情が分かった。既婚の愛人との情事中に本屋のご主人が突然死したのが直接の原因だったらしい。この人は元々ゴリツィアで家族経営の大きなトラック輸送会社をやっていたんだけど、イタリア・スロヴェニア国境障壁が徐々に下げられるとともに商売が立ち行かなくなったそうだ。その後チェントロの本屋を買い娘達をそこで働かせるも、売り上げは上手く伸びなかった。そこに来て一家の主柱の突然死。家族は全ての商売をたたみ、動産、不動産を売り払う決意を固めたらしい。80年代、デタントの進行に伴い不況に拍車がかかったゴリツィアでどれだけこうやって町を後にした家族がいたのかな、と思わず考えさせられた。
 それにしてもこんな話が私の耳にまで届くとは。「田舎町の噂話」の恐ろしさを実感する。「ゴリツィアで朝何かしたら、その日の昼食時には幾つかの家庭で話題に上る。それも陰湿で嫉妬に満ちた話題としてね。」というゴリツィアーノである友達の言葉をまたしても思い出した。

就職は「ヨーロッパ」で

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 12日水曜日、ついにヴァレンティーナがゴリツィアを出て行った。キャンピング・カーで迎えに来た両親と、ヴェローナでボランティア・ワークの面接があるというジュリも一緒に。ヴァレはまだ就職先が確定していないとかで、少し重たい旅立ちになってしまったのが残念だ。それにしても出発間際になって彼女がLangerの共生モデルで卒論を書いたということが知ったのが悔やまれる。ま、その内トレントかアイルランドかどこかで再会する機会もあるだろう。土曜日にはヴェローナから帰って来るジューリアも最終的な引っ越しをする。2人とも当面ヨーロッパで就職先を探しつつ、ひょっとしたら大学に戻って勉強を続けるかもしれない、という心許ない状況。
 現在ヨーロッパ内では学生が自由に移動しながら卒業単位を稼ぐ姿がごく当たり前のようにみられる。専門的な知識の習得を目的とするのではなく、ほとんどはエラスムスを利用したお気楽短期(1年か半年)留学なのだが、卒業後の進路選択にもヨーロッパ・サイズの視野をもつ学生が確実に増えている。ゴリツィアで知り合った多くの学生も、就職を考えるときミラーノでもローマでもなく、まず「ヨーロッパ内で」と考えているようだった。ちなみに彼らの多くは就業機会を最大化しようと、英語習得を兼ねたイギリスでのスタージュを希望している。
 こうやって3、4カ国語を易々と習得しながら専門知識を深めるヨーロッパの学生をみていると、ガラにもなく日本のことが心配になる。「日本語をきっちり習得して自分を確立すれば、外国語習得に躍起になる必要なんてない。外国語の早期教育なんて不要だ。」という考え方が相変わらず根強いせいか、海外で出会う日本人(自分を含めた特に若い世代)の言語能力の低さ、ナイーブさ、内向性、コミュニケーション能力の低さがどうしても目についてしまう。