ソルカンSolkan(Salcano)

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 ミレンからノヴァ・ゴリツァへ戻り、まだ余力があったのでソルカンまで足をのばすことにした。ここはオーストリアからイゾンツォ(ソチャ)川を越えて南部鉄道を通すために建設された美しい橋があることで有名。現在の橋は1916年にオーストリア軍によって破壊され、その約10年後ムッソリーニによって再建されたもので、石造の橋としてはヨーロッパ最大らしい。年に数回この橋の上を蒸気機関車が走る姿はマニア垂涎の的で、今年7月の南部鉄道100周年祭には世界中からファンが訪れるようだ。
solkanへ
(ソルカン橋はソチャ(イゾンツォ)の谷にある)
solkan橋
 橋の近くでサイクリング中の友達と待ち合わせ、ソチャ川でカヌーを楽しむ子供達の姿などを眺めつつおしゃべりして、「トランス・アルピーナ広場の国境」を越えてゴリツィアに帰った。つまり違法越境したわけ。警察がいれば罰金を科せられるというのに…。
 友達と別れ、ゴリツィアサン・ロッコ地区のリンゴ屋(ワイン、リンゴ、リンゴジュースのみの販売所)でリンゴを5kg買って家に帰った。めちゃくちゃ愛嬌のあるおばさんが今日は民族衣装に身を包んで忙しそうにしていたのでどうしたのかと思ったら、今晩城のイベントで出張販売することになったらしい。
 家に帰ってから早速Šempeterで買った「茹で卵入りパン」を食べてみた。茹で卵をパン生地でねじって焼いたもので、柔らかいパン生地は日本の学校給食のパンのようにほのかに甘かった。卵は結局パンから取り出し殻をとって塩を振りかけてから食べることになるので、なんでわざわざパンの中にねじ込んで一緒に焼くのかよく分からない。大体甘いパンと塩をかけた茹で卵ってイマイチ相性がよくない。
brdaはこっち
(ソルカンまで来ればワイン生産地Goriška Brdaゴリシュカ・ブルダはもうすぐ)
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ミレンMiren(Mirna)

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 最近ずっといい天気が続いていて、外に出ないのは勿体ないような気分になる。というわけで今日はずっと自転車で行ってみたかったスロヴェニアのMirenミレンへ。まず例の国境サイクリングロードの南側の終点である病院まで行き、そこからŠempeter, Vrtojbaへと南下する。今まで気付かなかったんだけど、ちょうどVrtojbaを出る辺りで景色が一変するのが面白い(写真)。ここでノヴァ・ゴリツァから細々と続いてきた集落が突如として姿を消し、ブドウ畑や花卉栽培のビニールハウスが続くのだ。東西に別れる道を西へ入ればMirenに到着。ちなみに東へ行くとワイン生産者MlečnikさんのカンティーナがあるBukovicaやDornberk、Branikなど、Vipava地方のワインロードに入っていく。これはこれで魅力的なので後日遊びに行ってみよう。
Miren
 ミレンにずっと来たかったのは、国境で分断された墓地があるから。墓地は国境地域の住民のみ通行可能な検問所に隣接していて、一見なんと言うことのない平和な佇まいだ。ところが47年の国境線移動で内部が有刺鉄線で分断され、75年10月のオジモ条約で墓地全体がユーゴスラヴィア側に帰属することになったという痛々しい歴史をもつ。現在のように国境がオープンではなかった時期でも、墓地内でのみ11月1日の死者の日に国境を越えることが許されたため、ここで国境によって引き離された家族や親類が再会し、ものを交換する光景が見られたらしい。
miren,border
miren.cemetary2
miren.cemetary3
(左端の芝の部分はイタリア)
 ちなみに墓場の裏側(イタリア)には空港や、Rupa(Rupa)、Peci(Peč)、Savogna(Sovodnje)などスロヴェニア系の村がある。スロヴェニア側には緩やかなカルソの山並みが続いていて、その向こうにはMonfalcone、Duino、Sistiana、Triesteなどイタリアの町やアドリア海が広がっている。カルソの山並みの手前の丘にみえる白い建物はMirenski grad(ミレンの「城」)とよばれるミレンの教会で、現在も20名ほどの修道女が生活しているそうだ。ユーゴスラヴィア時代に新しい修道女の受け入れを止めたため高齢化の問題を抱えているのだと、墓参りに来ていた人が教えてくれた。
mirenskigrad
 ゴリツィア周辺は大概どこも見たことがあるのだけど、いつも車で素通りしてしまうのがイヤだった。その点自転車なら自分の好きなときに好きなだけゆっくりできるし、地元の人の話もたっぷり聞くことができて楽しい。こんなことならもっと早く買ってでも手に入れるべきだったかな。
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Doppio sguardo2つのまなざし

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 サイクリングをだらだらしていたら時間がなくなり、再度友人との約束を反故にしてしまった。急いでゴリツィアに戻ったのは「Doppio sguardo sulla grande guerra / Dvojni pogled na prvo svetovno vojno大戦への2つのまなざし」と題された、ウーディネ大現代史の先生による解説付きの映写会があったから。初めにフランス語と英語で制作された東部戦線様子を記録したプロパガンダ映画を10本くらいみて、そのあとKubrickのPaths of Glory(1957, USA)をみた。
 プロパガンダ映画を見ていたら珍しく気持ち悪くなってしまった。ヨーロッパの報道は試写や負傷者の映像を比較的ダイレクトに視聴者に見せるから、そういうものには慣れているんだけど、やはりあれだけの被害を出した大戦の生々しい映像の迫力に気圧された感じ。前線からは若干離れた兵士達の様子や、当時アメリカと大差なかったという軍事技術の粋である最新式の大砲が次々に映し出された。舞台はPiave, Koper, Salonico, Trento, Trieste, Polaなどなど。当然捕虜や死体の映像のほとんどはドイツ兵だった。
 個人的にはイストゥリアの戦争記録映画が面白かった。この辺りではTrentoなどと比べても終戦時の盛り上がりに大分欠けていた。これは愛国教育を受けた中流以上の階層が極端に限られていたからだという説明があった。
 Path of …,は今からおよそ50年前の作品。20年後に製作されたApicalypse Now(79)や30年後のFull Metal Jacket(87)と考え合わせると、戦争を人間の内面の問題として一貫して追求した28年生まれのキューブリックの指向性のようなものを感じることができるのかもしれない。この映画を見にゴリツィアの若い学生達が結構集まってきたのもなんだか嬉しい。まあ車のない学生にとっては他に娯楽のない町だから。
ところで、今回の映写会もやっぱりKinoateljeが主催していたんだけど、彼らの発想とか潜在力、あるいは彼らと志を共にする州内の映画批評家や歴史家の協力体制には毎度感心させられる。彼らの組織はフラットで代表や監督も友好的でざっくばらん。映写会は全て無料だ。
 ちなみに来週4月27日(木曜日)は「Hollywood sul Tagliamento / Hollywood na Tilmentuタリアメント川に架かったハリウッド」と題された映写会がある。初めにRitorno al Tagliamentoタリアメントへの帰還というドキュメンタリーをみる。この作品はHemingwayのA Farewell to Arms / Addio alle armi / Zbogom orožje武器よさらばの舞台となったイタリア・スロヴェニア国境地域を訪れるドキュメンタリーで、次に見るA Farewell to Armsの布石になる仕組みだ。ゴリツィア出身でない学生達にとっても、この地域の歴史を知るよいきっかけになると思う。
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国境サイクリング 2

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 前日に引き続き、4月20日も夕方になってから国境のサイクリングロードを走ってきた。実は前日スロヴェニア人の友達と待ち合わせしてたのをど忘れして、埋め合わせにスロヴェニアの彼らの家まで遊びに行くことにしたのだ。
城ゴリツィア
写真はカザ・ロッサ国境からカスタニェヴィツァ方向へ向かい、サイクリングロードに入ってすぐ。奥に見える建物は元Ex-seminario、現トリエステ大学ゴリツィア校。スロヴェニア側は兼業農家の小さな畑が多い。
城ゴリ
続いてゴリツィアの城が見えてくる。イタリア側からの景色に比べると大分すっきり。
線路
スロヴェニア国旗がたなびくseconda categoria(EU市民のみ通行可能)のスロヴェニア・イタリア国境。線路を挟んで両側に検問がある。
列車
北からやって来た貨物列車。
kastanjevica
小さな国境のスロヴェニア側にはすぐカスタニェヴィツァの僧院が見える。この僧院にはブルボン家のお墓や歴史的価値のある文書館があることで有名。
italia城
一方のイタリア側には城が見える。
線路
さらにサイクリングロードを進むとカスタニェヴィツァの丘とそのトンネルに突き当たる。
pozor
この辺りでサイクリングロードはイタリア側の民家と接していて、「国境注意!」という看板まで。「注意!」と言われても、「うっかり」国境沿いの民家に侵入する人なんてまずいないと思われる。ちなみに民家の塀には触ると感電しそうな(?)線とかセンサーのようなものが張り巡らされていた。これらの装置の具体的な機能について説明した方が違法越境の予防効果があるのでは?
kastanjevica,tunnel
カスタニェヴィツァのトンネルを越えた。
transalpina,sabotin
トンネルと越えるとそこにはトランス・アルピーナ駅とサボティン山(左)、聖地Sveta gora / Monte santo(右)が見えてくる。サボティン山のNaš Tito(我らのチトー)石文字も健在。
 ここからノヴァ・ゴリツァのセンターはすぐ。この日はカジノ・ペルラのカフェでケーキと紅茶を頼んだ。ここは鉄製の急須でお茶をサーヴしてくれるのが嬉しい。
 ところでこのサイクリングロードはゴリツィアのイタリア人の間でも非常に人気がある。イタリア側がなかなか自転車専用路を(というより道路一般を)整備しないのに対し、スポーツ好きがやたらと多いスロヴェニアでは早くからあちこちで安全にサイクリングやローラーブレードを楽しめるようになっていた。ノヴァ・ゴリツァの町中では、小学校の先生に引率されヘルメットを付けた小さな子供達が交通ルールを学びながらサイクリングする姿がよく見られるけど、こんなのイタリア側では見たこともない。

国境サイクリング

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 よく晴れた昨日の午後、国境に沿ってサイクリングをした。ノヴァ・ゴリツァ(スロヴェニア)のゴリツィア(イタリア)との国境沿いのサイクリングロードを走ってきたので、正確にはスロヴェニアでサイクリングしたことになる。ただ首を左右に動かす度にスロヴェニア、イタリア、と2カ国の風景がかわるがわる楽しめるのは国境ならでは。「これこそ国境を挟む体験だよ!絶対行くべきだ。」と友達がすすめてくれた理由が分かった。
 EU市民以外がゴリツィアからノヴァ・ゴリツァへ入るとき、大体カザ・ロッサ国境を越える。サイクリングロードはイタリアとスロヴェニアの検問の間を横断する線路に平行して走っているため、両国の国境検問を見ることもできるわけだ。入り口が国境沿いに幾つかあるのも便利だし、この道を通ればカザ・ロッサからノヴァ・ゴリツァのセンターへ行くのに、丘を越えたり、自動車道を通ることなく辿り着けるのも嬉しい。

土と生きるスロヴェニア人

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 今回日本のワイン関係者御一行と回った数々の「自然なワイン作りにこだわる新進気鋭のカンティーナ」は、イタリアにありながら100%スロヴェニア系だったのが印象的だ。フリウーリ=ヴェネツィア・ジューリア州には当然フリウーリ系の農民も沢山住んでいるけれど、少なくとも南部国境沿いのCollioやColli Orienaliと呼ばれる地域に関しては、よいカンティーナの多くがスロヴェニア系と考えても間違えなさそうだ。実際ゴリツィアでも「畑と掃除はスロヴェニア人、老人の世話はクロアチア人、工場はモロッコ人、それを忌避するイタリア人は無職のまんまだ」という笑えない話しを聞いたことがある。勿論これは単純に過ぎるんだけど、スラヴ系が土に根ざした生活文化を維持しているのは去年や今年のリュブリャナ滞在時にも実感した。こういう農村文化が素晴らしい飲食店の経営を支えていると考えれば、この地域の評判のトラットリアやリストランテの多くがスロヴェニア系だということにも合点がいくはずだ。

Zidarich

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 15日(土)の次なる目的地はDuinoの集落Prepotto。しっとりとした緑のコッリオから打ってかわって今度は海岸沿いの石灰岩が切り立つカルソへ。アドリア海の見晴らしが素晴らしいカルソ台地の上に位置するZidarichさんのカンティーナは改装の真っ最中だった。カンティーナは岩盤をくり抜いて、地下2階分掘り進められ、家や試飲室などの地上部分は地下から掘った石を職人が砂でつないで建てたという凝り方。自然のものを全て利用し、何も無駄にしないというワイン作りの哲学を反映させたとまだまだ若いZidarichさんは語っていた。内部は重力システムを利用する作りで、地下のカンティーナでは掘削された岩盤がむき出しになっていた。カルソの地層の様子がよく分かるでしょう、と奥さんが案内してくださった。
carso
 VitovskaやMalvasiaなど地ワインの他、Sauvignonをメインにしたウヴァッジョや、赤の地ワインTeranを試飲した。ここもRadikonとかTerpinと同じように有機的な栽培や、開放樽のmacerazioneなどを実践しているらしい。有機は「哲学」だから、これを若い人に分かってもらうのは難しいと言っていた。安く簡単にできて見栄えのいいものに飛びつくのはイタリアや日本に限った話しではないのだ。「仕事の95%は畑で、後は自然に任せ出来る限り手を加えない」という考え方もやはりこれまで訪問した多くの生産者と共通。ここでも自家製サラミやチーズと一緒にワインで歓待していただき、世間話に花が咲いた。ZidarichさんもやはりTerpinさんたちと一緒に日本に行った仲間で、日本にによい印象をもったとか。Vitovska2003のお土産まで頂いて帰途についた。
zidarich
 1日通訳し終えて家に帰ってきたら、脳の普段使っていない部分に心地よい疲労感を覚えた。通訳を仕事にするには、まず日本語を「崩さない」(語順や敬語など)必要があるということが分かった。これは実地でトレーニングを積むしかないのかもしれない。そういえば家の前で出かけようとしているヴァレに会った。キャンピング・カーで遊びに来ているという彼女の家族の所に連れて行ってもらってご挨拶した。明日はもうパスクワ〔復活祭〕。
 テルピンさんのカンティーナはガレージを使った小さなもので、ここで醸造も瓶詰め箱詰め作業もしていると聞いて驚いてしまった。面白かったのは自分の独自性を語りながら、そのガレージ・カンティーナの起源が「フラスカ(!)」にあると語ってくれたこと。このガレージをフラスカとして利用しながら、徐々にワインの生産量を増やしていったらしい。2002年から生産を始めたというGravnerのようにして長時間macerazioneをして作ったPinot Grigio、Sialisシアリスのエチケットの絵にもなったコマドリ(pettirosso胸の赤い鳥)が沢山入ってきたというDolegnaのカンティーナもテルピンさんは所有しているんだけど、場所が離れすぎているためにそんなに利用はしていないそうだ。来年新しい近代的なカンティーナを家から500mくらいのところに建設する予定で、アグリツーリズモも始めるらしい。子供達が大きくなったときのために、と彼は語っていた。Sialisの他にもRebulaやTokaiなどを自家製の茹でプロシュットにホースラディッシュ(klen)をかけたものと一緒に頂いた。ちなみにこのプロシュットの茹で汁はドライフルーツを使ったパスクワのお菓子作りにも利用されるのだそうだ。そういえばこの日の翌日はパスクワ。午後から家族で準備に取りかかると話していた。
 この後、EU市民以外は本来通行不可能な国境を越え、スロヴェニアのツェグロへ抜けた。そこからシュマルトノやドブロヴォ、メダーナなど、お馴染みのブルダを回った。ただ今回が前回までと違うのは、ブルダに本格的な春が訪れていたこと。桜やアプリコット、桃の花が咲き、ワイン畑にはタンポポの花が一面に広がっていた。コッリオ(ブルダ)の美しさは葡萄畑のみならず、あちこちに果樹や林のなどの「遊び」があるところだと思う。特にスロヴェニア側はより野性味があって規模も大きく壮観だ。小さなバールでテルピンさんにコーヒーをご馳走になって、サン・フロリアーノのカンティーナへ戻った。(写真はスロヴェニアのブルダ)
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 お家ではフリウーリ系でスロヴェニア語を解さない奥さんがカルボナーラを用意してくださり、あれこれ歓談して気持ちよくお別れした。本当に温かく持てなしていただいた。
 肝心の畑は小さいけれどよく日の当たるコッリオの中でも比較的標高の高い傾斜地にあった。葡萄の木は低く切り揃えられ、有機的に丁寧に扱われている様子はなんとなく分かった。最初に訪れた狭隘な谷間にはテルピンさんら「6人」の生産者の畑がパッチワーク(あるいは寄せ木細工)のように所狭しとはめ込まれていて、それぞれが違う方法で葡萄栽培に取り組んでいる様子が土の色ではっきり分かった。例えば化学薬品をつかっている畑とそうでない畑を比べると土の乾き方とか草の生え方が全く違う。いい畑の葡萄はイノシシや鹿、ウサギに果実を食べられやすいのみならず、木もダメにされやすいらしい。実際畑にはイノシシが通って土が崩れた跡が時々見られ、葡萄の芽が出る季節には電線を畑に張り巡らすのだと教えてくれた。カルソのVodopivec氏ら自然なワイン作りを実践する生産者は同じような問題を抱えているらしい。
 ちなみにテルピンさんはコッリオの小土地所有を、東の方からヴィパヴァを通ってヴェネトに抜ける歴史的な通商路の真ん中に位置するところから説明してくれた。ロンゴバルド人からトルコ人まで、東からの人の流れがもたらした戦いや蹂躙の歴史はコッリオに残る史跡からも確認することが出来る。住民はオーストリア、ヴェネツィアといった大国同士の戦いに翻弄されながら、その日暮らしを避けられないような状態だったらしい。90年代に入って徐々にプライヴェートなカンティーナが力を付けて海外からの観光客を引き付けるようになるまで、この辺りではさくらんぼうを初めとする果樹栽培や家畜の飼育がもっとさかんに行われていたとテルピンさんは語った。
 今日はイタリア北東部フリウーリ=ヴェネツィア・ジューリア特別州のスロヴェニアとの国境に位置するコムーネ、San FlorianoのTerpinさんとアドリア海沿いの重要な観光拠点Duinoに近い村落PrepottoのZidarichさんのカンティーナへ行ってきた。2人とも自然なワイン作りにこだわる若い生産者で、Radikonらオスラヴィアの生産者達とも友達らしい。
 朝訪れたTerpinさんは、冬に東京・大阪であったというワインフェアにフリウーリ地方代表として訪れたことがあるらしい。前に書いたことのあるゴリツィアの人気トラットリアDa Gianniのおじさんも同じ頃日本に行っていたんだけど、どうやら彼らに便乗してついて行ったらしい。ワイン生産者達と行動を共にした5日間はホテルオークラに寝泊まりして、食事に関してもすばらしい接待を受けて楽しんだけど、1人で東京に残ったら物価が高過ぎて帰りの 便が成田を発つまで貧乏滞在を強いられたらしい。閑話休題。
 テルピンさんは私たちと可愛く賢い愛犬を連れてSan Florianoなどに点在する彼の畑を車で回り、状況を説明しながらゴリツィアのカルヴァリオ(ゴルゴダ)山にある第1次大戦のモニュメントまで見せてくれた。ここでは毎年イタリアの勝利を記念する式典が行われる。私も大分前に愛国的なイタリア人に連れて来てもらったことがあるのだけれど、スロヴェニア人はこういうイタリア人を苦々しい目で見ているらしい。カポレットで大敗を喫した後もイタリア軍にはこれという勝利の跡がなく、イギリスやフランスに助けられ棚ぼた式に「戦勝国」になったに過ぎない、というのが大方のスロヴェニア人の見解なのだ。