ヴェネツィアにて2

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以下はヴェネツィアのS.Polo地区で撮った写真。最近はこういう所を回る方が落ち着くようになったかな。
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ヴェネツィアにて

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 週末5時半起床でヴェネツィアに行った。オーストリアからやって来た6時台のENに乗ったら、車両は「ご機嫌」なドイツ語話者だらけだった。ドイツやオーストリアで見る彼らはイタリア人に比べるとriservatiな印象を受けるけれど、イタリアにヴァカンスにやって来ると彼らは豹変する。
 カーニヴァル・シーズンだし、とてつもない人混みを覚悟していたら朝9時頃のヴェネツィアS.L.駅は閑散としていた。サン・ポーロ地区をぶらついてアッカデミアの図録を買った後、先輩とサン・ポーロ地区のトラットリアで待ち合わせ、ゆっくりトカイワインと魚を堪能。
 多分先輩とは同時期に帰国することになりそうなんだけど、彼女が既に帰国モードに切り替わっているのを見て、焦りを感じた。私はまだそこまでの覚悟ができていない。ともあれ久々に日本語でおしゃべりできて楽しかった。
  夕方になるとヴェネツィアは寒く、「イタリアは暖かいはず」と薄着をしてきた先輩は大分辛そうだった。ニュルンベルクから夜行バスでやって来て夜行バスで帰っていく彼女のエネルギーに脱帽。
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 今日は朝から忙しかった。昨晩は女子フィギュア荒川の感動的なパフォーマンスに満足して心安らかに眠りにつき、起床してすぐ大学、その後歯医者に向かい歯肉の様子をチェックしてもらった。状況は大分改善したから、1週間後には手術できると言われた。これまでレントゲン写真を撮ったり診察してもらったのに、一銭も払っていない。ただ手術を決めたら2万円くらいかかると言われた。
 歯医者の後、ゴリツィアのアウディトリウムでやっていたコッリオのエノガストロノミー(ワイン&グルメ観光)促進に関する学会に行った。学会の後Pinot Grigioの試飲があるから、とコオルディナトーレのクラウディオに招待してもらったんだけど、学会自体が意外と面白かった。
 ミュンヘンのインポーターやヴェネトの輸出業者ら曰く、この地域に住んでいる人でなければFriuli-IsonzoもFriuli-GraveもFriuli-AquileiaもClollio GorizianoもCollio Orientali del Friuliも大差ないというのだ。例えばローマのエノテカでは「フリウーリのワイン」を飲みたいという要望が普通らしい。ところがこの地域のワインはあまりに多様性に富んでいてCollectiveなマーケティングがままらない状況らしい。向上心に富むカンティーナがそれぞれ独自に質の向上、値段の上昇に邁進するのが現状なのだ。ともかくCollioというよりはFriuliブランドの確立と付加価値の創造、プラス値段の抑制が早急に求められている。
 アジア(この場合ほとんど日本)からの需要はRibolla Giallaに偏っているという報告もあったんだけど、私は「フリウーリといえば」みたいなマニュアル主義の弊害だと思う。まあ本当にRibolla Giallaが好きで好きでたまらない人もいるのかもしれないけど。
 試飲は言うまでもなく、おつまみもプロシュットのみならず、リゾットや各種チーズ、オムレツ、果物など、とても充実していた。今回試飲したPinot GrigioはRussiz, Pighin, Marco Felluga, Castello di Spessaなどで、Pighinのが一番気に入った。飲み食いしている間にウーディネ大の農学の先生なんかと知り合えて、この地域のエノロギ(エノロジスト)養成の問題などについて話を聞くことができた。ちなみにこの人とは共通の知り合いが2,3人いることが分かった。なんて小さなコミュニティ…。
 クラウディオには明日Rosazzoでまた学会があるから、と招待してもらったんだけど、私はヴェネツィアに行く。ニュルンベルクから久しぶりに日本の大学院の先輩がやって来るのだ。楽しみ~。
 この後さらにウーディネから戻る友達と約束があって、酔っぱらったま旧交を温める予定。1日家でゆっくり研究するというのが理想なんだけど、なかなか。
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 昨日は知り合いのエノロジストClaudio Fabbroクラウディオ・ファッブロのIl vigneto friuli dall’arrivo dei romani alla “partenza” del Tocai『フリウーリの葡萄畑:ローマ人の到来からトカイの「出発」まで』のプレゼンテーション兼フリウーリ・ワインのdegustazione(試飲)があると聞き、友達と一緒にCormònsのコムーネまで行ってきた。
 この地域にはDucato dei vini friulani(フリウーリ・ワイン公国)というワイン生産者あるいはワイン好きのクラブがある。クラウディオはそこのDuca公爵に「君はフリウーリ・ワインの本を書くだろう」と言われて(笑)執筆したという『フリウーリにおける葡萄栽培』[1972年、ボローニャ大農学部卒業論文、後にViti e vini del Friuli, ed. Ducato Vini friulani, Gorizia, 1977として出版。]を嚆矢として現在まで30年以上、Consorzi DOC COLLIO e ISONZOとも深く関わりながらこの分野をリードしてきた。 F.V.G.で1番のワイン・エキスパートと言われている彼には、去年アッカデミア・イタリアーナのゴリツィア地区代表をしている友達に紹介してもらったものの、私の生活が少しばたばたしていたためこれまでゆっくりお会いする時間がなかった。ともあれ、彼の書庫の利用を許してもらったので、今後色々お世話になると思う。
 ちなみにこの日の主役はやはり「トカイ」だった。ハンガリーとの名称使用権をめぐる裁判が一段落し、今年からフリウーリ地方で「トカイ」を名乗ることは出来なくなった。トカイ・フリウラーノがこの地域原産であるかどうかについては諸説ありducatoは少し分が悪いのが現状だけれど、彼らは依然として臨戦態勢を崩さない。フリウーリ語で熱弁をふるうDucaに思わず圧倒された。
 

ゴリツィアの歯医者

 今朝用事があったので仕方なくトリエステに向かったのだけれど、道中歩いていても電車に乗っても歯茎の痛みは強くなる一方だった。たまたま電話をくれた友達に歯医者のことを聞いたら、いい先生に予約を入れておくと言ってくれた。
ゴリツィアに戻ってから予約時間までの4時間、痛みのあまり何も食べられないし、本にも集中できなかった。結局待ちきれなくなって予約より30分早く到着したら、広い待合室からすぐ診療室に通された。先生は友達から大体の症状を電話で聞いていたらしく、話は早かった。機械類はすべてアメリカ製で、部屋は広くこざっぱりしていた。
 最初に視診して、次に椅子に座ったままレントゲン写真を撮った。冗談を言って患者リラックスさせ、状況をきちんと説明してくれるよい先生だった。今回はペニシリンを服用して週末くらいまで様子を見て、腫れが引いたら歯茎を切開しようと提案された。ちなみに「歯科」の専門用語はほとんど英語と似ていて一安心。
 帰りに薬局でペニシリンを購入し、ようやく光が見えたような気分になったけど、虫歯じゃないから徐々に痛みが引くのを待たなければならないのかと思うと…。

フリウリ・アグリツーリズム

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 親知らず[イタリア語でdente del giudizioというらしい。giudizioはこの場合「判断力」くらいの意味。この歯が生える頃には判断力があるだろう、ってことらしい。]が痛い。日本の歯医者に「 歯が歯肉から完全には出ていないから要手術」と言われていた歯というか歯肉がついに痛み出してしまった。顔が1週間腫れる手術を「イタリアで」受けることになるのかと思うと憂鬱。
 週末は椅子の生産で有名なManzanoマンザーノで小さな可愛いエノテカを見付けたという友達に誘われて出かけた。コッリオの有名なワイン生産者達のカンティーナやSpessaスペッサ城(ここにもカンティーナがある)、彫刻家と結婚してデザイナーをやっているという友達の妹の家などを回り、 CormònsコルモーンスのQuarin山に上った後、1860年にワインの生産を始めたというGiassicoジャッシコのRizリズ家のアグリ・ツーリズモに辿り着いた。
 店の中にはオーストリア時代の絵が所狭しと飾られ、ご主人自ら祖先と第1次大戦の関わりについて話してくださった。フリウーリ系の友人曰く、典型的なフリウーリ・ファミリーだそうだ。
 オーストリア風の店の雰囲気に触発されたのか、友達は「自分にとってオーストリアを象徴する存在」だったという、お父さんの話を始めた。家庭においても会社においてもpadroneであったというお父さんは、悪ふざけが過ぎた子供の頬に指を2本当てて静かに諫めたそうだ。親子の間に親密な関係はなかったものの、お父さんは常に尊敬と畏敬の対象だったらしい。一方の母親に対してはいつも人に寄りかかって生きている、と批判的だ。
 イタリアと言えばmammismoばかりが誇張されるのが常だけれど、根強いpatriarcatoはイタリアのもう1つの顔。双方が矛盾することなく、むしろ補強しあいながら併存しているのを最近強く感じるようになった。
閑話休題。ここではCabernetとサラミ、Asiagoのチーズを使った熱々のFriccoフリッコ[ 平べったい丸形の揚げチーズのことで、ジャガイモと混ざっていることがある。 典型的なフリウーリ料理。]を頼み、会計は2人で8ユーロ。商売っ気がないなあ。そういえば結局マンザーノに行かなかったな…。

Azienda Agricola RIZ Alessandro
Giassico 18, 34071_Cormòns (Go)
Tel. & Fax +39_0481_61362
www.casariz.com
アグリツーリズムなので金土日のみの営業

嬉しくも悲しい

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 昨日の晩Erasmusを終えてドイツに帰るフィオナが雨の中をわざわざ挨拶に来てくれた。私とジュリと3人、緑茶だけで4,5時間話した。フィオナはジュリの元彼ハヴィと住んでいたから彼女とは大分前に知り合ったものの、ハヴィ抜きはこれが初めてだったらしい。
 3人で孤独とか内面的な問題について、素直に話しあうことが出来た。ジュリもフィオナも「Come stai? - Bene. Grazie.」的人間関係を築くことができない真っ直ぐで不器用なタイプ。当然周囲と衝突しやすいし、感情の起伏も激しい。若くてエネルギーがあって、色んな不満や孤独を抱えながら真剣に人生の目標を探す彼女たちに強いシンパシーをおぼえた。自分が22、23の時何を考え、どういう困難を抱えていたかを思い出すと、何とか力になってあげたいと考えてしまう。
 帰り際「私は友達になった人と1回しか会わないで終わったことがない。すぐにまた会おうね。」とフィオナは言った。明日はゴミの日だと言ったら、雨の中家の生ゴミを持って行ってくれた(泣)。明日の午後にはケルン行きの飛行機に乗るというのに。
 今朝ハヴィとカフェ・ヴィットリアで待ち合わせ、キノアテリェにゴリツィアのドキュメンタリーを見に行った。私は何度も見た上にVHSも持っているこのドキュメンタリー作品のDVD化のことを聞くついでにハヴィについて行くことにした。ウーディネ大の施設を使えたので、イタリア語が完全ではない彼に説明しながらドキュメンタリーを見た。カフェでカプチーノをすすりつつ、昨日の顛末について聞いてみたら、なんとあのまま別れちゃったんだそうだ。喜びよりは苦しみの方が大きいから、だって。
 彼はゴリツィアでエラスムスをする7人程度の外国人の1人。「国境の町」に興味をそそられてやって来た彼らだけれど、田舎の閉鎖的なコミュニティーの壁はこの町に留まることのない客(学生達)にとって厚く高い。「この町は人の精気を吸い取るんだよ!ゴリツィアに到着したとき僕はもっとエネルギーに満ちあふれていたんだから。」と力説するハヴィを見て苦笑した。外国人どころか、外から来たイタリア人学生も同じこと言う。「若い学生の精気を吸い取る町ゴリツィア」!
 私はハヴィ達とは大分違うゴリツィア観をもっている。彼もゴリツィアとノヴァ・ゴリツァの人々を比較するドキュメンタリーを作成しながら、何かポジティブな感情をもってスペインに帰国できればいいなあと思う。

ゴリツィアのヴァレンタイン・デー

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 来月半ばに日本から研究者が5、6人ゴリツィアに来ることになり、スロヴェニア人の友達にブルダ訪問のアレンジを頼んだ。この友達から最近やたらと打ち合わせの電話が来るなあと思っていたら、来月半ばを今月半ば、つまり今日と勘違いしていたということが昨日(14日)発覚した。おかしかったのは、彼が頼んだ市役所の職員は私のメールをきちんと読み、日付を正確に理解していたってこと。彼1人でアワアワしていたのかと思うと、笑える。
 昨日の午後久しぶりに会った友達と海の方までドライヴすることになり、ゴリツィアから20km、お城のあるドゥイーノまで行った。ここには数件小ぎれいなレストランがあって、アドリア海に日が沈むのを眺めながら飲んだり食べたりできるのが売り。透き通った海はとても静かで、ムール貝を取る漁船のエンジン音くらいしか聞こえなかった。ちなみにここからトリエステ方向に少し行くと「リルケの小道」という、システィアーナを見下ろしながら散歩できる公園がある。私はトリエステそのものよりこのドゥイーノやシスティアーナの方がおしゃれで、落ち着いていて、食べ物も美味しいから好き。
 CollioのChardonnayに少し酔って帰宅したら、ジューリアのスペイン人の彼氏でMurcia出身のハヴィが来ていた。この人は陽気で人懐こくて決して誰も嫌いにはなれないタイプなんだけど、ちょっと子供っぽくてデリカシーに欠けるのが問題。ウーディネ大ゴリツィア校で(specializzazione)でエラスムスをやっていて、ゴリツィアのドキュメンタリーを作りたいというから、色々相談に乗ってあげた。
 私は鳥のリゾット、ジューリアはウイキョウ・クスクスを用意した。食事しながらハヴィと映画の話をしていたら、いつのまにかジューリアが部屋に行ってしまった。しばらくしてキッチンに戻った彼女はスペイン語でハヴィに文句を言い出した。どうやら「彼女を」訪問して「食事まで作ってもらった」上に、「他の女(私)とばかり」いつまでも話しているなんて信じられない!ということらしい。
 彼らの喧嘩が一段落するまで、私は近くのオフィスにまだいるというsmsをくれた友達のところに避難することにした。1時間後に戻ったら、ジューリアの笑顔が見られてほっとした。「さっきはごめんね~。いつも喧嘩ばっかりなの。」だって。翌朝ハヴィとキノアテリャに行ったけど、これでまたジューリアの怒りが再燃しないか心配。イタリア人は男も女も「焼き餅焼き」が多くて面倒なことが結構ある。
 日曜日は遅く起き、イゾンツォ公園まで散歩に行ったりして1日ゆっくりできた。昼は私がプロシュット・クルードとタマネギ、モッツァレッラと黒オリーブをトマトソースで和えたパスタを作り、夜はジューリアがブロッコリ・ソースのクスクスを用意した。
 夕食時にはウーディネ大の映画科で働くアントンが、肉団子と肉桂風味のお饅頭を手土産に遊びに来た。彼はノヴァ・ゴリツァに住む正真正銘のスロヴェニア人でワイン好き。先日ノヴァ・ゴリツァで入手したVina KoperのRumeni Muškatを飲みながら、オスミッツァ[この地域、但しスロヴェニア側の季節営業の飲み屋]やゴスティルナ情報を交換した。
 Rumeni Muškat はスロヴェニア独特の辛口suho[甘口もある]ワインで、さわやかな飲み口が特徴。私はVina Koperの(辛い方)が味の割に安くて気に入っている。MalvazijaもPrimorska地方の爽やか白ワインで、どちらも魚介類に合うと言われている。
 彼が「火曜日にリスボンに行く」と言うや否やジューリアの様子に異変が。リスボンで10ヶ月エラスムスをした彼女は、未だにリスボンの話になるとかの町を思い上の空になる。私が持っていたガイドを食い入るように読み始め、アントンが帰った後もうっとりした顔で頁を繰っていた。翌日試験があるのに…。
 アントンはこの辺のいいオスミッツァとザグレブにワインを飲みに連れて行く、と約束して帰って行った。頬を紅潮させながらDolenjska地方のルビー色の軽いワインCvičekの味を人生の喜びに例えて語るのを見て、彼がワインを心底愛しているのがよく分かった。
 外向的なルームメートのお陰で色んな知り合いが出来るのはいいことだと思う。若年層、政治思想的に左、あるいはアート系に偏りがちだけれど、家の外では年配かつ右寄りの職業人と知り合うことが多いので、丁度バランスがとれていいのかも。この狭いゴリツィアにも色んな人がいるのだ。