サンタ・バーバラの表と裏

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 今日は体調がイマイチだったので、ワイナリーはあきらめた。代わりにサンタ・バーバラ近郊をドライブして、夕食にお寿司を食べた。海沿いの町サンタ・バーバラとそこから内陸に入ったところにあるワイン産地、サンタ・イネス・ヴァリーの間には険しい山が連なっている。写真はその山の上から撮った海側と内陸側の写真。
表S.B.
(表サンタ・バーバラ)
裏S.B.
(裏サンタ・バーバラ)
壁画
(サンタ・バーバラ近郊の洞窟に残るネイティブアメリカン、Chumash族による壁画)
 サンタ・バーバラでは念願の寿司屋に何件か訪れた。一番美味しかったのはAHI SUSHI。割と新しい店らしいんだけど、かなりオーセンティックなところと新鮮な具が魅力。なかでもサンタ・バーバラ産のウニが一番のおすすめ。また食べたい~。

 明日のお昼にはサンタ・バーバラを出発する。寂しいのと不安なのとで、鬱気味。
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アメリカ西海岸の町々

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コロラド
(写真はSan Diego近郊の町CoronadoにあるHotel del Coronadoのロビー)
 明後日には再びヨーロッパに、スロヴェニアの首都リュブリャナに戻る。新年は機上で迎えることになると思う。
 今日イタリア・スロヴェニア国境の町ゴリツィアから、「ゴリツィアは数十年ぶりの大雪だ~」というメールが届いた。「ゴリツィアでこれなら、リュブリャナでは2m位積もってるハズだ」なんて脅かされた。常春のカリフォルニアから20数時間かけてリュブリャナ郊外にあるBrnik空港に到着したら真夜中でしかも大雪だなんて…。なんて素晴らしい1年の幕開け!

 今回の滞在はほんの10日程度だったんだけど、Santa Barbara, San Francisco, Anaheim, San Diego, Coronadoなどを転々として、色んなものを見ることができた。一昨日訪れたSan Diegoは特に気に入った。Santa Barbaraよりは都会で、食事も音楽も洗練されている印象を受けた。その近郊のCoronadoには、アメリカに残る最も古い木造建築の1つである Hotel del Coronadoがある。クリスマス用のイルミネーションが施された外観はイマイチだったんだけど、内装は重厚かつシックで落ち着くことができる。ラウンジではピアノの生演奏も聴ける。大人でもゆっくり落ち着いて滞在を楽しめる町だと思う。
 サンタ・バーバラに戻った今日、風邪気味にもかかわらずゴルフに出かけた。6番アイアンに関しては大分マシになってきたんだけど、また1年間イタリアで練習しなければこの努力も水の泡か。晩はステーキハウスで食事して、その後でスロヴェニアの友人の甥アンジェと姪ティナにお土産を探すため、Bordersの児童文学コーナーをうろうろした。次から次に本を手に取ってみていたら、無性に色んな本を読み返したくなってきた。結局お土産にはTreasure IslandとRed Hair Anneを選んだ。アンジェとティナは家庭でスロヴェニア語を話すほか、学校ではドイツ語とポーランド語以外に「英語」も学んでいると聞いたから、チープなぬいぐるみを贈るよりは、と英語の本を選んだ。喜んでもらえるといいな。ついでに英語も上手になってくれるといいな。

 明日、体調と天候がよければサンタ・イネス・ヴァリーのワイナリーを訪れる予定。
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生まれてはじめて

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 サンタ・バーバラの某スーパーにてレジ会計を自分でやった。スーパーの会員証、商品のバーコードを機械で読み取り、支払い手段を選んで会計終了。簡単だった。スーパーからレジ係が姿を消す日も近いんだろうな。
 風邪は大分マシになり、午後にはようやくゴルフに出かけることができた。昼食にお気に入りの海老タコスを食べ、 Third Rock from the Sunというシチュエーションコメディや、ここサンタ・バーバラが舞台となっている映画Sidewaysをだらだら見てしまった~。そろそろスロヴェニア語の勉強をしないと、年明けの試験で悲惨なことになっちゃう。
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世間はクリスマスだというのに

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 風邪を引いてしまった。昨日サン・フランシスコまで車で出かけて、疲れたのかもしれない。アルプスの麓の国スロヴェニアからパームツリーが立ち並ぶカリフォルニアに来て風邪を引くなんて馬鹿げてる。スロヴェニアでは風邪を引くゆとりもなく、常に緊張を強いられてきたのかな、と思った。
 今日はゴルフや遠出、外食する元気もなく、朝の内少し monarch(マダラ蝶) を見に森へ出かけ、そのまま海の方を散歩した。あとは初めて DVD配送システム を利用し、家で静かにHotel Rwandaを見た。このサービス、私にとってはすごく便利。自分のお気に入り映画リストを作成し、上位から順にどんどんDVDが送られてくる仕組みだ。月10ドル程度で送料は無料だし、返却期限もない。3枚一緒に届いて、見終わったら返す。返したら新しいのが届く、という繰り返し。パソコンで映画をダウンロードするのは重たいし、ヴィデオ屋ではソフト数が限られるから。
 ちなみにHotel Rwandaはイマイチだった。ルワンダ内戦(民族紛争)の悲惨さを一般の人々に知らしめたという功績は評価できるものの、特に最後の10分くらいが酷い。結局「勇敢な」ホテルマンの家族は生き延び、甥とも再会を果たす。死んだと思った白人の友人とも再会し、映画は「一応」ハッピーエンド。商業主義と折り合いつける必要はよくわかるけど、もう少し冷徹なリアリズムを貫ければより力強い作品になったと思う。誰かがアフリカ版シンドラーのリスト、と評していたけど、私も同じことを考えた。シンドラーを見て感動できた人にとってはいい映画なんだろうと思う。 

アメリカにはもううんざり

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 している、と言ったのは在カリフォルニア5年のイタリア人イザベッラ。ようやく博士号取得にこぎ着けた彼女なんだけど、ヴィザの関係で今年のクリスマスはサンタ・バーバラに残留することになった。
 ここには文化がない、歴史がない、これは「都市」じゃない、と言う彼女。アメリカ人、というとなんとなくオープンで直截的な物言いをする印象があったけれど、これも違うという。アメリカはヨーロッパ以上に会話の「タブー」が多く、特に人種と性に関わる問題にはそういう傾向がある、というのだ。人間関係については、誰もが親友のように振る舞う一方で、その関係は表面的になりがちだという。
 この国はなんでもeasyかつ便利で、「一見」選択肢の幅が多く、誰もが好きなことを好きなようにやれる印象があるのだけれど、実はその選択肢の内容が恐ろしくお粗末なことに愕然とする。勿論お金さえ出せばいくらでも高品質なサービスや商品を手に入れることができる。持てる者持たざる者の格差が異常に大きく、相当な教育を受けた人間でさえ高額治療費を恐れてなかなか病院に行けない社会でもある。
 ヴィザの関係であと数年アメリカの大学でポスドクをやらざるを得ない、というイザベッラ。イタリアの大学で就職するのはほとんど不可能だから、ともかくヨーロッパに帰ることを目標に頑張るそうだ。研究上実りが多いというのみならず、彼女が日常生活レベルでも「幸せ」を実感できる場を選ぶことが出来ればいいんだけど。
ぽてぃ
(写真はスロヴェニア土産に持参した、ホテル・スロン(リュブリャナ)の「ポティツァ」という伝統的なケーキ。木の実やポピーの実、ドライ・フルーツなどが練り込まれている。イタリア・スロヴェニア国境地域でよくみられる。)

アメリカ人は…

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 とにかくよく謝るな~と思った。ヒースローからサンタ・バーバラまで、何回謝られたことか。少し体が触れたり、目の前を通り過ぎるだけでも、きちんと配慮を見せる姿に感動してしまった。ヨーロッパ人(特に若い女性)が頑なまでに謝らないのと好対照。飛行機の遅れで疲れた表情をしているのに、職員に調子を聞かれ「すごくいい」と答える人が多かったのも印象的だった。基本的に明るく、気が良いのかな。
 今日22日(木曜日)、久しぶりにサンタ・バーバラ留学中のイタリア人イザベッラと話した。年明けにはようやく博士号が取れる見込みで、年末はイタリアに帰らず誕生日を迎えるらしい。彼女に会うのはおよそ1年ぶりだけど、そんな感じしないな。

24時間の旅 (S. Francisco)

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 リュブリャナのシシュカのアパートで目を覚ましたのは今から丁度24時間前のこと。現在21日午後7時サン・フランシスコ空港。飛行機が遅れているため、およそ3時間後にサンタ・バーバラへ出発だ。長い旅…。移動時間より待ち時間がきつい。時差ぼけ調整のため今回は途中で睡眠を取らなかったから、24時間連続で本読んだり、映画を見ていることになる。
 リュブリャナからロンドン行きのアドリア・エアーは乗客15人弱を乗せて21日午前7時に出発。アルプスの山々を越え、1時間半でガトゥイックに到着。次なるヒースロー=サン・フランシスコ間は11時間。経営難であらゆる経費を削減しているUA。「アルコールは一律5ドル」にちょっとびっくり。食事はわびしく、シートはせまぜま。非常に立派な体格のアメリカ人に囲まれ、窒息しそうだった。
 機内でユアン・マクレガーのIsland、ジョニー・デップの Charlie and the chocolate factory、Wallace and Gromit: the curse of the were-rabbit、を見た。この中では圧倒的にグロミットが印象的だった。3本とも隣のコペンハーゲン留学中だというUC Berkeleyの親切な学生と一緒に見たので、一緒に笑ったり感想を言いあえて面白かった。
 サン・フランシスコは温かく、外は雨が降っていて空港内もじめじめしている。乾燥しきっているリュブリャナやゴリツィアにしばらくいたせいか、とても新鮮に感じる。

今年も終わった!

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 今年のスロヴェニア語講習終了!嬉しい~~~。本当に疲れた。後悔ゼロ。我ながらよく頑張ったと思う。そして明日の早朝Brnik空港からロンドン、サン・フランシスコ経由でサンタ・バーバラへ。今日はアメリカの友のためにお土産を買わなくては。
gubana 
この地域におけるオリーブ栽培およびオリーブ油の使用は1000年頃Rosazzoの修道僧たちによってもたらされたらしい。彼らが地域住民を指導し、森林を伐採し、ブドウやオリーブの栽培が進めていった。油は儀式や薬用に使用され、地域の伝統として根付き、現在も地名などにその面影を見ることができる。しかし寒さが厳しい年の冬にオリーブの木々が全滅し、そこで一旦この伝統は途切れたらしい。この地域の酸味が押さえられたオリーブは近年再評価されるようになり、新たな伝統が息づいている。
 この土地を略奪し、荒廃させたトルコ人達もまた、その足跡を食文化に残している。それは例えば砕けやすいペーストリーや、はちみつやワインの豊かな風味などで、ゴリツィア風グバーナgubana(写真)などに明瞭にあらわれている。グバーナとはスロヴェニア語のgubati (to fold)、guba (fold)から派生した言葉だが、その特徴はむしろトルコなどの菓子にみられるそれなのだそうだ。トルコ絡みのお菓子としては他にウィーン経由で届いたクロワッサンschifel(甘いのと塩味のがある)などが挙げられる。その起源については、トルコがウィーンの町を包囲した際、その脅威を遠ざけるために菓子屋やパン屋が「月形」のクッキーやパンを焼いたところにあるという話もある。
 第2次大戦後にはチェヴァプチチやラスニチ(ケバブ)などセルビアやギリシャでも見られるトルコ料理が食されるようになった。

言葉と力

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 スロヴェニア語を勉強していて何が励みになるって、スロヴェニア人の友達の驚嘆の声!数ヶ月前には「お!スロヴェニア語をしゃべってる!」というレベルでびっくりされたんだけど、今はたまに電話でしゃべったり、会う度に「進歩している!」と大げさな位喜んでくれる。
 スロヴェニアにやってくる前は、イタリア・スロヴェニア国境地域のスロヴェニア人達とはほぼ100%イタリア語で会話するのが当たり前のようになってしまっていた。周知の通りイタリア人の外国語学習能力は悲惨だし、スロヴェニア人には明確な「小国に生きている自覚」があり、外国人には相手の言語で話しかけることを当然のように捉えている。
 ただ国境を挟んだ地域の連続性とか、国境の機能について勉強するためにゴリツィアにやって来た私は「一時的なお客さん」ではない。ドミナントな言語(イタリア語)のみで地域の諸相をみていると、知らず知らずのうちにドミナントな民族(イタリア人)の視点を内面化していくリスクがある。そんなことを強く意識するようになったのはやはりスロヴェニア系マイノリティやフリウーリ系の人々と知り合ってからだと思う。
 ゴリツィアとノヴァ・ゴリツァというmunicipalityレベルでみると、それぞれの相手側言語に対する習得姿勢に著しく非対称的な構図を見ることが出来る。それどころか個人的な友達付き合いの中でも、そういう緊張感に満ちた力関係をしばしば目にする。国境を挟んだ人間関係の難しさを、当事者の一部となりながら日々観察しているんだけど、どちらにもいい顔をするのはちょっとstressante!