さよならパーティー

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 話が前後するけど、先週金曜日の夜、リュブリャナで一番大きなティヴォリ公園のお城でスロヴェニア語講習のさよならパーティーが行われた。テレビカメラなんかも来ていて、なかなか賑やかな式典だった。私たちのクラスは最低レベルだったため、証明書授与式では一番始めに舞台に上がり、スロヴェニアのフォークソングを歌って自己紹介をした。担任のマリャーナにコース終了の証明書をもらって、後はひたすら他クラスの寸劇とかを見ていた。
 授与式の後は野外で立食パーティがあり、色んな人と話をした。スイスからのクラスメートとはワインの話で盛り上がり、彼女に頼んで念願のスイスワインを試すことにした。そういえば彼女はドイツ語圏の出身なのだが、ドイツとの国境から遠くないフランスのアルプスが見える場所に住んでいるのだそうだ。そこは友達が仕事のアプライを出したドイツ語とフランス語両方が必須だという大学からほど近いことも分かった。ああ、そういう土地ではこういう人が育つんだな~と妙に納得。
 イゾラからの3人は、イタリア系マイノリティの人たちで、なんとトリエステ大博士課程の私の同級生サンドロと知り合いだそうだ。近いうちに遊びにおいで、と誘ってもらったので、Katjaを訪ねついでにイゾラにも寄ってみたい。
 マリャーナはちょっと酔っぱらっていて、ご機嫌だった。彼女はベルギーの大学院に進学する前は、スロヴェニアのテレビ局で働いていたという。ニュース番組のアナウンサーをやった後、ドキュメンタリー制作なども手がけていたようだ。そうこうする内に(スロヴェニア独立)戦争が始まり、どういうわけか仕事を辞めたようだ。スロヴェニア人ジャーナリストとしてユーゴ紛争を見てきた彼女と話をすることを心から楽しみにしている。残念ながら私はすぐに帰らなければいけなくて、それ以上話す時間がなかった。8月にリュブリャナで会いましょう!と約束したので、そのときにおいしいワインでも飲みながらゆっくり話を聞くことにしたい。
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最悪だったヴァカンス

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 ヴァカンス途中でゴリツィアに戻った。
 7月、リュブリャナの学校で、ヨーロッパF国での語学留学のあとC国で数年ガイドをやっていたという30代後半の日本人女性と知り合った。これまで男性関係で散々大変な目に遭ってきたとかで、リュブリャナへ移住を考えていると、会って間もない頃に聞いた。彼女の話を聞いたり、情報を提供したり、友達を紹介したり、パーティに呼んだり、彼女の人生や恋愛観をjudgeすることなく、「友達」としてきちんと対応してきたつもりだった。
 スロヴェニア語講習が終わり、ヴァカンスにも一緒に出かけたところ、初日の夜に私の友達(イタリアのスロヴェニア系マイノリティ)の友達(スロヴェニア人)に「私の目の前で」迫り、押し倒し、始まってしまった。。。結局私が部屋を移って、ネズミの出る台所のベンチで一晩。。。人生最悪の夜。翌朝海辺で頭を冷やして家に戻ったところ笑顔で「お帰り~!」と元気な様子。「酔っぱらってたの~ごめんね~」だって。勿論、荷物をまとめて出て行き、翌朝のリイェカ行きフェリーに乗って、ゴリツィアへ戻った。
 「人のことなどお構いなしで、欲望のまま」っていうやり方は彼女の人生を如実に物語っている。日本でも元彼ほとんど全員彼女持ちで、前の彼(C国人貧乏学生)も「押し倒して」結果的に彼女から寝取ったそうだ。彼氏に捨てられる度に、住所を移してきたという逃亡人生。「好き」だと思い何かを始めても長続きしない、とも言っていた。スロヴェニア語を習って何するの?と聞いたら、「旅行会社を作る」という。会社を作る難しさを住民から聞いたら「資本も根性ないから無理だわ」だって。そうかと思えば、「フランスの大学に入って物理を勉強する」とか、「日本で掃除婦をする」とか、考えてみれば支離滅裂なことを言っていた。世の中、理性的で安全な人ばかりではないし、よく相手を見て、人付き合いをするべきだなと実感した。
 その後、ゴリツィアに帰って別の友達から面白い話を耳にした。実はヴァカンスに出かける前にも、彼に対して彼女の方から強いアプローチがあったらしい。彼女は意図的にか、部分的にしか(「彼に誘われた」云々…)私に話さなかったのでそんなことには全く気が付かずに一緒に出かけてしまった。かつて私に対してしたように、知り合ったばかりの彼にも早速男性関係の悩み相談を持ちかけ、必死のアピールをしていたのだ。例のスロヴェニア人の友達周辺でも既にこの日本人女性の存在は知れ渡っていた。バカなのは私だけかも。
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