昨日の午後、私が住むアパートから見渡せる家の庭に白い椅子が30個くらいセットされていた。何が始まるのかと思ったら、そこの家族、親類一同が集まった様子で、カトリックの家庭宗教行事らしきものが始まった。しばらくすると賛美歌が聞こえてきたので、テラスに出て格安で入手した99年のBarbaresco Riservaを楽しみながらしばらく眺めていた。これぞまさしく伝統的カトリック家族の強固な絆という感じで、イタリア映画、L’Albero degli ZoccoliとかLa famigliaを思い出した。10年前だったらこういう風景をみて「ああいいな~」と単純に感動できたかもしれない。でもああいう家族はメトロポリスに住む現代人が厭う大きな犠牲を誰かが払うことによって支えられているし、外から見えるほど安定した幸福に満ちあふれているわけでは必ずしもない。こういう光景をみるのは、なんだかとても遠い世界に来たように感じる一瞬だ。それでも知っている曲が聞こえてきたりすると一緒に鼻歌を歌ったりしていた。1時間くらいで式は終わり、彼らは椅子を片づけて木陰でバーベキューを始めた。子供達や大きな犬が周りを楽しそうに走り回っていた。
 グラスを手に部屋に戻ってから、アメリカで見つけたSix Degrees of Separation(私に近い6人の他人)の中古DVDを鑑賞した。この作品は元はブロードウェイ・ミュージカルで1993年にWill Smith、Stockard Channing、Donald Sutherlandで映画化された。その中にSmith演じる自称Sidney Poitierの息子、Paulが「ライ麦…」を書いたSalingerの意図を解釈するシーンがある。「ライ麦…」は中学のときに読んだけど全く好きになれなかった。Paulの解釈が小説とどう結びつくのか、初めてこの映画を見たときには全く理解できなかった。些細なことだけどずっと胸につっかえていたから、今回のイタリアへの帰り道、成田エクスプレスの中からずっと「ライ麦…」を読んできた。
 Paul曰く、Salingerがこの本で警告するのは人類最大の悲劇、「創造力の枯渇」だ。今やSF映画やテレビ番組で我々の創造力がどんどん外部から補われるようになっている。赤いハンティング帽をかぶって脳内で人をshootするHolden少年はphonyでself-involvedな人間を徹底的に攻撃する。彼はSalingerの危機感を象徴しているというのだ。
 このシーンに限らず、2つの映画と小説は同じ臭いがする。どちらもニューヨークのセントラルパーク近辺に住む上流階級の人間の話だという表面的なことではなくて、作り手の誠意というか危機意識が重なってみえる。大分映画の方が一般受けするようにマイルドな表現を使っているけど、通底するものは「ライ麦…」と変わらない印象を受けた。
 私は今も昔も、未成熟で自意識過剰で独善的な少年がひたすら毒を吐き続ける「ライ麦…」を到底「好き」にはなれないけど、同じサリンジャーの作品Franny and Zoey(フラニーとゾーイ)はとても気に入っている。高校のときに古本屋で100円と引き替えに手に入れ何の期待もなく読み始めたらすぐに引き込まれて、最後は感涙。20歳になるかならないかという頃に何回読んだか分からない、まさに心の一冊だ。フラニーの感じ方に100%共感して、ゾーイの兄弟愛に救われるような思いがした。この本の後でグラース一家ものはみな読んだけど、やはり「フラニー…」が一番好き。とはいえ今読んで同じような感動があるかは分からない。多分あの時期に必要な一冊だったのかな。ちなみにこの本も「ライ麦…」同様self-involvedな東海岸名門校のお坊ちゃん達のイヤらしさを見事に描き出している。エスカルゴを食べに行って、くだらない自慢話を続けるボーイフレンドを前に、フラニーは思わず「おえっ」と吐き気を覚え、気を失いそうになる。私はこのシーンが大好き。興味があったらどうぞ。
 フラニーにせよ、「存在の…」のサビナにせよ、「ラマン」のデュラスにせよ、私が引きつけられるヒロイン達にはある種の共通点があるような気がする。
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スロヴェニア語

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 どうも体調が優れない。ず~っと心臓がどきどきして、息苦しい状態で疲れる。どんなことがあっても食欲だけは衰えない私なのに、これもイマイチ。ゴリツィアでは日中の気温が35℃を超える真夏のような暑さが続いており、体調を崩す人が続出。土曜日に医者から「まずは気持ちを楽にしろ」と言われたものの、そんなのコントロールできるわけない。朝型が効率的なのは分かっているけど、涼しい時間に仕事しようと思うとどうしても夜型になってしまう。唯一の心の救いは結構高い保険に入っておいたこと。いつでも病院に行けると思うと少し気が楽。
 そういえば今日、数日前に申し込んだスロヴェニア語夏期講習の返事が返ってきた。リュブリャナ大学にお金を800euroくらい支払ったら、後は部屋探し。たった1ヶ月のコースだから、集中して頑張れるかな。実は大学の日本語講座の助手の方に連絡を取って、タンデムの募集もかけてみました。記憶力が下降の一途を辿る今、果たしてどれだけ効果が出るのか?語学力上の効果もそうだけど、より直接的にスロヴェニア人気質に触れられることに興味津々。ときどきノヴァ・ゴリツァに行っても、みんなイタリア語で話してくれるから、それに甘えてしまってよくない。
 イタリア銀行の支店長をやっている知り合いも数ヶ月真面目に州の講習会に通ってスロヴェニア語を勉強し、時々会うとスロヴェニア語で挨拶してくるようになった。この人はヴェネトの人なんだけど、去年からゴリツィア支店長におさまり、スロヴェニア系銀行を訪れる機会が増えたらしい。そこで対応にあたる人々はスロヴェニア人とはいえイタリアで業務をしている以上、流ちょうなイタリア語を操る。それでも裏で職員同士がスロヴェニア語でコンタクトを取るため、ごまかし等を見破れないことを恐れたらしい。これは決して根拠のない話ではなくて、数年前にトリエステのスロヴェニア系銀行でスキャンダルが発覚し多分未だに裁判中だと思う。
 よくゴリツィアのイタリア人学生に「なんでスロヴェニア語なんて勉強するの?」と聞かれる。この台詞には「語学学習なんて英語くらいでいいじゃん。余力があったらドイツ語、フランス語でもやれば」、という含みがある。実は私も1年くらい前まで、そんなにインテンシヴなスロヴェニア語学習の必要性を感じていなかった。でもスロヴェニア語で書かれた興味深い史料が見つかるにしたがって、やっぱりある地域を理解しようと思ったら、その住民の使用言語を学ぶ以外に方法はないと確信した。英語とインターネットでなんでも出来るわけではないのだ。
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日曜日の午後

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 それにしても昨日は偉い目に遭いました。医者は心臓に不安があるなら朝型にした方がリラックスできていい、とアドヴァイスされたので昨晩は帰宅後とっとと就寝しました。
 昨日からゴリツィアは真夏のような暑さ!昨日はなんと35℃を軽々超えていたらしく、町ゆく人はみな真夏の装いです。だからというわけでもないんだろうけど、今日トリエステからゴリツィア近郊に遊びにやってきたお友達に会いました。フリウーリ=ヴェネツィア・ジューリア州全域でワインツーリズムの催しLungo le Strade del Vinoが行われ、彼らもColli Orientaliという素晴らしいワイン産地で試飲してきたそうです。
 トリエステにはSISAという理論物理の研究所があり、彼らもここの関係者です。日本からの研究者(主にポスドク)は6,7人くらいいるようですね。トリエステ大学の学生にとってSISAの関係者というのは不思議な存在みたい。何十年も昔に学生だった人たちも、「あそこの人たちは変わっていたな~」といいます。この研究所に限らず、多くの理系研究所は国際色が豊かだし、能力の優劣が研究成果からvisibleなせいか、それ以外の部分で差別化を図ろうという意志をあまり感じません。文系の研究室なんかに比べると、大分カジュアル、フランク、リベラル、プラクティカルな空気を感じます。
 すごい暑さだった上に、半日ドライブしてきたお疲れ気味のお友達とバールでジェラートを食べて、クロンベルグのお城に徒歩でご案内しました。よくしゃべるイタリア人を連れて行ったので、余計に疲れさせてしまったかもしれない。ともあれまた近いうちにご一緒できるのを楽しみにしています。
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救急車で病院へ

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 ここにだけはかかりたくないな、と思っていたゴリツィアの市民病院についに運ばれてしまいました。しかも救急車で!
 昨日の昨日の午前5時頃、胸が苦しくなって、そのまま寝付けませんでした。午後になってルームメイトに医者を頼んだところ、往診で済むかと思いきやその医者が救急車を呼んでしまったのです。4人くらいの救急隊員を乗せた救急車はサイレンを鳴らして到着し、私を椅子に乗っけてマンションの3階から降ろしてくれました。近所の手前恥ずかしいけど、胸は苦しいし心臓がどきどきしていたので、助かればなんでもいいやと思ってそのまま病院に連れていってもらいました。
 市民病院は以前数ヶ月滞在していた女子学生寮の裏、スロヴェニアとの国境からすぐのところにあります。数年前に東京でやっていた「日本におけるイタリア年」の企画でこの病院から日本にやって来た産婦人科医がいたことを今でも覚えています。病院に着いたら全てが迅速に進み、心臓の専門医の問診を受けるところまで完璧でした。イタリアだけあって、医者や看護婦さんのおしゃべりが多いな~と思いましたが…。「ここで何やってるの?」なんていう個人的な質問もされました。その後廊下に放り出されて30分。誰も来ません。結局関係ない看護婦さんが「私の仕事じゃないのよね~」なんていいながら1階まで運んでくれました。そこからが凄い。夜の10時前から翌日の1時まで3時間、一言も説明を受けることなく、廊下で問診票を待たされました。その間、医者達は喧嘩を始めたり、テレビの音がきこえてきたりして、彼らが何をしているのか分からないけど、ちっとも廊下の患者は減らない。
 ようやく問診票を手に入れ、病院玄関の方に出ていくと、友達が2人で待っていてくれました。以前ゴリツィアの人間関係について書いたときに、「若い学生」とはあんまり合わないって書いたけど、彼らはその「若い学生」達です。例のリュブリャナ・ナンパ・グループの内の2人です。車で迎えに来てくれたと聞いて、本当に感動しました。3時間も待っていてくれたなんて。医者から医者に回されて、ぼ~っと順番を待っているときも2人でイタリアのコミチ(お笑い芸人)を真似て、笑わせてくれたりして、なんか本当に感激しました。
 そうそう結局病院には全くお金を払わないで済んじゃいました。待ち時間のことを除けば、素晴らしいシステムかも。でもこんなんで大丈夫なのかイタリアは?と心配になってしまった。ちなみに病院についてすぐに刺さされた針を抜き忘れていたのに車に乗ってから気がついて、慌てて病院に帰りました。適当だな~。
 金曜の今日、友達とコーヒーを飲んでおしゃべりして、午後8時頃買い物を終えて帰宅した。その後急遽サン・ミケレというスロヴェニア系の集落サヴォーニャSavogna d’Isonzo(スロヴェニア語でSovodnje「水に近い」)の南西に位置する標高300m位の山に行くことになった。
 サン・ミケレまでの道のりでアナグマを2匹見かけた。この辺りはまだまだ沢山の野生動物が生息しているらしい。途中の道路標識はちょっと混乱気味だけど、まあ迷うほどのことはないだろう。頂上には第一次大戦のモニュメントや大砲があり、そこから見渡せる幾つかの山の方向が標されていた。
 サン・ミケレからゴリツィアの西にひらけた平野を一望することができる。遙か西方には椅子を作る中小企業が集積するManzano、その東やや手前にはコルモーンスCormons、正面にモッサMossa、東方にゴリツィアGorizia、その向こうにはイタリアの三色旗が輝くモンテ・サントが見える。昼間に行けば正面奥にCollio(Brda)の丘が見えただろう。ちなみにサン・ミケレの南側にはカルソ台地が海岸沿いまで続いている。
 そこには私の研究対象の全てが眼下に広がり、何かを語りかけているような気がした。空には無数の星が輝き、周りからは動物の鳴き声が聞こえてきた。今晩はゴリツィアに来て以来一番ステキな場所に来たような気がする。ワインもおいしい料理もなかったけど、静かに深く感動してしまった。一生忘れないと思う。

存在の耐えられない軽さ

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(写真はイゾンツォ川)
 ヨーロッパの照明は一般的に弱いので、夜遅くまで勉強していると目がしばしばしてきます。先日どうにも耐えられなくなって、新しい電気スタンドを買いました。すごく強力なのを。さらに部屋の照明をちょっと強くして、やっと「夜も快適に勉強できる部屋」になりました。そしたら遅くまで目が冴えちゃって、ついつい夜更かしして本を読むようになってしまいました。この場合の「本」というのは研究書に非ず。大体小説です。
 小説を読むという行為は、映画を見たり音楽を聴くのとは全然違う意味があることを実感します。一々立ち止まって考えることが許されない日常生活の中で募り募った感情を表現するための言葉を与えられるような感じ。感情を表現する言葉を与えられると、自分の中に閉じこめられた思いが一気に外部と接点をもつことになります。映画や音楽はむしろ募った感情を増幅するような気がする。例えばMilan Kunderaも、音楽は陶酔の意味で理解されるディオニュソスの美に最も近い、と書いています。その高まりから解放してくれるのが小説を読むという行為。そのせいか読書の後にはすっきりすることが多いし、精神的にスタックしているときに小説に手が伸びるような気がします。
 何週間か前に日本で見た映画「ラマン」のなかでJane Marchかぶっていた帽子に触発されてか、無性に読み返したくなった本がありました。ブルノ(チェコ)出身のフランス在住作家Milan KunderaのL’insoutenable l?g?ret? de l’?tre(存在の耐えられない軽さ)です。この本に出てくる2人のヒロインの内の1人サビナが、やっぱり帽子をかぶっているのです。ただし彼女がかぶるのはより攻撃的な黒の山高帽。筆者によるとこの帽子は「彼女の女性としての尊厳への暴力を意味する」らしいのです。
 この本は男性が書いているとは思えないくらい、2人の対照的な女の人生と内面を、「重さ」と「軽さ」というキー概念を巧みに援用して、軽快に描き出しています。随分前から持っていた本ですが、20代後半から突然気になって何度か読み返しました。
 この本の中で、「重さ」の最たるもの「永劫回帰」の対照として捉えられるものが人生です。Einmal ist keinmal.人生は無のためのスケッチ。リハーサルのない本番。しかし背負う重荷が重ければ重いほど、人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実みを帯びてくる。それに反して重荷が全く欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、知面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同時に無意味になる。
 そこで私たちはどちらを選ぶべきか?重さか、あるいは、軽さか?
 私が大好きなサビナは、「軽さ」の象徴です。「未知へ進む」という「裏切り」の連鎖反応を繰り返し、プラハからジュネーブ、パリ、ニューヨーク、カリフォルニア、西へ西へと「裏切り」の道は続きます。その先にあるのは、ただ「存在の耐えられない軽さ」であり、彼女はそれを受け入れている。重さの印の下に死んだ彼女を取り巻く人々を尻目に、軽さの印の下で死ぬことを選びます。
 Kunderaはこの本の中で沢山の女(男)を追いかける人間を、「叙情的」か「叙事的」に分類しました。前者は理想追求型で、「繰り返し裏切られる」、というロマンティックな言い訳が可能です。後者は1人1人の差異に夢中になり、全てが興味の対象となる「救いようのない」女(男)好きであり、その行為は詩的記憶とは完全に切り離されているそうです。ちなみにKundera曰く愛というのは詩的記憶に自分の最初の言葉を書き込むこと(メタファー)から始まります。つまり「叙情的」な人間にとって「性」と「愛」は分かちがたく結びつき、「叙事的」な人間はそれを区別するということです。ちなみに後者にとって愛の試金石になるのは「一緒に眠りたいかどうか」、だそうです。

木曜日の午後

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 夕方には買い物のついでに、町で一番大きいバール、モロッコで白ワインを楽しんでいたら、憔悴した様子の友達がやってきた。情報科学の後進国イタリアでも、最近積極的に職業人の啓蒙に取り組もうと法務省主導で各種講習会が催されているという。今日の講習会は公認会計士のためのもので、彼も否応なしに参加させられたらしい。
 この講習会に全然付いていけなかった友人は、イタリアの大学はもっとpratico(practical)にならないと、と文句を言い始めた。実はこれ、イタリアの大学(インターナショナル学科や大学院大学は除く)で学ぶ外国人学生のほとんどが口にする台詞だ。この友達はイタリア人だけど、気質的にオーストリアっぽい。例えばゴリツィアで政治学を修めた新卒者が世に出ても、実社会で全く使い物にならない、というが彼の意見だ。30まで親元でだらだら勉強していたようなのは総合的な判断力がないからな~、と耳の痛い台詞が…。大学は市場が求める人材をもっと作り出せ、という意見にはある程度賛成するけど、全ての大学人が市場原理に従うようになってはまずいだろう、とも思う。私自身は、経済学部からリベラル・アーツ系に移って、また経済学研究科に戻った経緯から、実用性を追求する世界と、それに抗う世界のちょうど狭間にいる。どっちの言い分を聞いても「確かにね~」と頷いてしまうのだ。
 家に帰ったのは夜の9時頃だったけど、外はまだ明るくジョギングしている人もいた。この辺はちょっと郊外に出れば、山道、急カーブに事欠かないから、この季節、サイクリングやツーリングをやっている人の姿も結構見かける。私も先日、オーストリアまでの日帰りツーリングに誘われた。気候もいいし、気分転換にお供させてもらってもいいかな。

小さな町の人付き合い

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(写真は町のドュオーモ。クエストューラのすぐそばにあります。)
 ここゴリツィアはジュリアン・アルプスの南麓に位置し、イゾンツォやヴィパッコ川の分水嶺にもなっている盆地です。アドリア海にもそう遠くはなく、落ち着きと潤いのある美しい土地です。最近日が延びて9時頃まで明るくなりました。緑萌ゆる木々に囲まれ、爽快で澄んだ空気に包まれた町には春先からオープンカフェの数が増えます。コーヒーを片手にゆっくり本でも読みたいところですが、これはちょっとキツい。コーヒーといえばエスプレッソだし、お茶を飲む習慣もあんまりないせいか、イタリアのバールで勉強や読書する人はみかけませんね~。大体イタリア人は声が大きくてうるさいから。
 日が延びると確実に外にいる時間が延びます。だからといって何か特別なことをするわけでもないのですが。イタリアの学生は一般に非常に質素な生活をしているので、外に出かけるのも「友達と会う」のが目的で、「おいしいものを飲み食いする」人は多くないようです。大体週末に実家に帰れば、マンマが手料理で歓待してくれるわけで、敢えて大学町でグルメを追求しようという気にはならないのかも。そういうわけで美味しい店、評判の店を学生に聞くと、安くてヴォリュームがあるレストランの名前が返ってくることが多いです。そうじゃなきゃ、卒業パーティーで使うような「べた」な店か。
 「外に出て友達と会う」背後に潜む目的はほぼ例外なく「異性」です。確かに初めて親元を離れた20そこそこの学生が考えることなんて、どこの国でも同じなのかもしれないけど、恋愛のためにたばこ臭くてうるさい狭い店やその周辺で立ち飲みするなんて、ちょっと厳しすぎる。もうこんなルーチン見るのも食傷気味です。卒業ぎりぎりの25,6歳のグループとはたまに飲みますけど、ほとんど自分の「子供」を見るような気持ちになります。多分日本の大学院の後輩なんかに比べても、だいぶ精神年齢が低いんじゃないかな。よく言えば純粋培養な感じ。大学のだるい授業、ディスコ、飲み屋、友達、恋愛、マンマ、以上みたいな。就職もコネ頼みの人が殆どで、自ら人生を切り開こう!という気概みたいなものは見られないですね。
 じゃあちょっと年齢層を上げて友達づきあいをしようか、となると相手は学生ではなくなります。ゴリツィアに根ざした一群になるわけです。私はこっちの人たちとの方が大分落ち着いて付き合えますね。土着のゴリツィアーニと付き合いながら強く感じるのは、ヨーロッパ社会の身分制の堅さです。ゴリツィアの人口は4万人程度ですが、その小さな社会にもきっちりとした棲み分けがあることに気づきました。つまり夕食に招き合うような関係はこの棲み分けを超えては築かれないということなのです。私は彼らからみれば分類不能な珍奇な「日本の女の子」ですから、こういう階級の壁をするするすり抜けながら社交をすることになります。というか、意識的にそうしています。そこで面白かったのは、それぞれの階級に固有な文化の多様性です。例えばスポーツ、音楽、文学、政治信条、といった話題の中から垣間見える違いから、そもそも身につけるもの、なじみの店といった物理的な違いまで。そしてそれぞれの階級での付き合いの中で、他の階級との関わりについてあまり口に出さない方がいい、ということを実感しました。仲間意識に水を差してはいけない、という感じでしょうか。
 我が家は両親が東京、神奈川出身で、私は所謂「村社会」的慣習に疎く、否定的な印象をもっていました。しかしまとまった情報を仕入れる上で、こういう狭いコミュニティにどっぷり浸かるのがいかに合理的であるか、しみじみ感じる今日この頃です。社会そのものを研究対象にしたときに、その対象とある程度の距離は常にとっておく必要を感じます。しかし仲間と見なされなければ偽善を取り払った本音に接することはできない。感情と理性のバランスをとった全方位的人付き合い、なんてことを考えていると、やっぱりそこで暮らす一住民のあり方として「無理」があるのを感じます。

L'amant(ラマン)

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 もう15年くらい前の映画でしょうか。フランスの作家Marguerite Durasの自伝小説を映画化した作品です。高校生くらいの頃からフレンチ・コロニアルな雰囲気が好きだった私は、環境映画みたいに流しっぱなしにして数え切れないくらい見た映画です。自分にとってほとんど「環境映画」だったこの作品のことを書こうと思ったのは、たまたま最近見たときに以前とはちょっと違う印象を受けたからです。実はかなり感動して、思わず涙が溢れました。
 この頃のJane Marchは出っ歯ながらも確かにロリータっぽい魅力があって、謎めいた美少女路線の代表格でした。ところがこの手の早熟娘のご多分に漏れず、色褪せるのも早かった。なぜか分からないけど、知り合いでも高校時代から不倫していたような手合いに限って、大学に進学すると「フッツーの地味な人」になったから面白い。閑話休題。
 フランス統治下のインドシナはヤンゴンの華僑の金持ち放蕩息子(中野翠が若松親方みたい(笑)と評したTony Leung Kar-Fai)はパリでの留学を終え、同じ華僑の名家の娘との結婚を控えていました。運転手付きの高級外車に乗った彼はメコン川を渡る船の上で、目を引く少女に遭遇します。スパンコールを縫いつけた安っぽくて傷んだ黒のハイヒールに男性用の帽子、麻袋を腰で縛ったような胸回りの開いた白のワンピース姿に身を包んだお下げ髪のフランス娘。ミス・マッチの極み、です。全てが「違和感」を感じさせます。ところがこれが植民地の混沌と相まってなんとも魅力的に迫ってくるのです。この運命の邂逅シーンがこの映画の全てといってもいいかもしれません。この後、早熟でインテリな少女は未知なるものへの好奇心からかあっさりと彼の「愛人」となります。
 年齢差、人種差、階級差という何重もの障害を乗り越え、時には軽蔑し合い憎み合いながらも惹かれ合った若い愛人たちなのですが、激しく沸き上がり突き上げてくるような情熱、本能に身を投じることを許さない「制度」という足枷に苦しめられるわけです。この辺は悲恋ものの王道です。家族が貧困に苦しんでいる少女に「最初からお金のために近づいた」と何度も言わせて、彼女への思いを断ち切ろうとする男。彼は別れに絶望し、辛さを和らげるため阿片に頼ります。最後のランデヴーにも結局男は現れませんでした。しかし少女を乗せた船が出航してすぐに、港の建物の陰に隠れるように停められた高級外車が彼女の目に飛び込んできました。「悲しいことに慣れすぎて泣けないわ」、なんて思っていた彼女です。それでも風のない夜のインド洋上でショパンの夜想曲を耳にした少女の胸にこみ上げて来たのは男への愛でした。
 数十年後のパリで電話越しに永遠の愛を告げられる老いた少女(Duras)のシルエットに、涙が止まりませんでした。「永遠に」記憶の中に生き続けるような激しい恋の話です。
(写真は今朝、散歩がてら撮影したエメラルドに輝くイゾンツォ川)
 ゴリツィアでは20日から3日間、ゴリツィア歴史祭りLa Storia in Testa a Goriziaが開かれています。町の中心部にある公園に会場を2つ設置し、1時間ごとにスピーカーとテーマを変え、主に学者やジャーナリストがゴリツィア地方の歴史について講演をしています。ローカル・ラジオによると、ゴリツィアで初めての試みなんだそうです。同時に何件かの本屋が屋台を出して、郷土史関係の本を主題別に並べていました。当然一番多いのは「第一次大戦もの」!!!です。私にとってはなんとも嬉しい企画です。ビッグバンドのコンサートがあったり、知り合いが第一バイオリンを務めるオーケストラの演奏会があったり、文化を愛する向きにはなかなか楽しいお祭りなのです。
 ゴリツィアは人口に対する本屋の数がイタリアで一番多い町だそうです。日頃から市民の文化や歴史に対する熱意を感じ入ることが頻繁にあります。余所者にはなかなか近寄ろうとしない、ちょっと閉じた感じのゴリツィアーニですが、おらが村の歴史や文化には興味津々なんですね。彼らは新しいものに対し、遠くから善し悪しを判断するのに時間をかけすぎる、というのがゴリツィアっ子の友人の弁。「よし、近づいてみよう、と思ったときにはもうチャンスを逃しているんだ」そうです。納得~。