昔話④

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前の記事を書いて読み直してみると時系列的におかしいと気づいた。

関西に本店を置く都市銀行(仮に四葉銀行とでもしておこうか。)は解禁日後の10月3日の段階でまだつながっていたのでOB訪問したのは8月中旬のことだったと思う。



自分の頭の整理のため、ここで事柄を時系列で書き出してみよう。



6月 築地の造船会社に行き、銀行受験をすすめられる。

関東の地方都市に本店を置く都市銀行 会社訪問

   何の準備もしていなかったため銀行業の知識ゼロで赤恥をかく。 



7月 公務員試験(国家上級・東京都庁・国税専門官)受験


8月 咳止め飴工場(プラント輸出会社)会社訪問


   四葉銀行OB訪問



9月 都庁乙種(学校事務)・国税専門官1次試験合格

   四葉銀行のリクルーター(違う人)と数回会う。


   解禁日の数日前に八九三火災が私たちの大学から採用したいと情報を得る。 (学生課)









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昔話③

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同じ頃、ゼミの担当教官の大学の同級生が都市銀行(注)の人事担当ということで、銀行業の何もわからないまま、東京に隣接した地方都市にあるその銀行の本店を訪ねた。



銀行に入って何をやりたいかという質問に、何の回答も用意していなかった私は不動産投資と答えて、銀行が直接投資を禁じられているのも知らないで面接に来たのかと鼻白まれた。当然、その銀行からまた会いたいという話はなかった。



担当教官に会社訪問を報告すると、叱責されると思ったら意外にあっさりした反応だった。


サッカー部(体育会。私は同好会。)の前の年のキャプテンが関西に本店を置く非財閥系の銀行に入社しており、同じ学部だったことからOB訪問をすることにした。



じっくりと考えを聞いてくれるという感じで、年も近いということもあって、就職に直接関係ない、人生観、社会観なども話した。



「君のことを上司に話したら興味を持っている。ついては上司が会って話をしたいと言っている。」という電話がその日の夜、来た。初めて就活すごろくの駒が進んだという感じだった。


疲れたので、この続きはまた明日。



(注)この当時、都市銀行は13行あった。現在は3つの金融グループである。倒産で職を失った友人、合併で地方銀行に転籍になった後輩など、この30年間の紆余曲折を思う時、言葉を失ってしまう。








昔話②

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私の通っていた大学は学生数が少ない大学だったので、同好会といっても学部単位でなく、先輩には理系の人も大勢いた。むしろ、理系のほうが多いくらいだった。


2年先輩で工学部の人がプラント輸出の会社に就職し、私たちは聞きなれない、その会社を咳止め飴の工場かと思っていたが、結構大きな会社でアラビアの国の石油施設の建築を受注したと新聞記事に載ったりした。


先輩はその会社のサッカー部にすぐさま入部したが、練習試合の相手をみつけるのは新入部員の役目らしく、よくその会社の練習相手に呼び出された。


最寄りの駅から、グランドまで車で送り迎えしてもらったが、30歳前だろう、その会社の人が運転する車は屋根にサーフボードを乗せたVWゴルフだった。今は、もっと高級車があることを知っているが、当時はめちゃめちゃ格好いいなぁと思い、その人の生活に憧れた。先輩はいい会社に入ったなぁと羨ましかった。


さて、前置きが長くなったが4年生になり就職先を真面目に考えなくてはいけなくなった私は、語学がまったくダメという現実を忘れ、プラント輸出の業界に就職すべく就職活動をスタートさせた。


もちろん、第一希望は先輩の勤める咳止め飴工場のような名を持つ会社である。


その他、造船会社がプラント輸出をしていたので、築地のほうに本社のある会社を訪問すると、半袖のワイシャツにノーネクタイの40絡みの課長職の人が応対してくれた。いろいろ、やりとりをした後、造船業界の業績が厳しいこと、私の印象として銀行のほうが向いている気がするという話をいただいた。何も好き好んで不景気な業界に入らんで、俺なら銀行でも受けるのに、と聞こえた。


銀行など考えたこともなかったが迷いが生じた・・・


疲れたので、この続きはまた明日。

昔話ー就職活動の頃①ー

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息子は大学の3年生。就職活動の解禁日も近く、親としては気が気でない毎日である。

どんな職種を希望しているのか。直接、息子に聞けばいいのだが、本人も悩んでいるだろうことを思うとなかなか話題を切り出すこともままならずにいる。

自分の就職活動の頃を思い出し、書くことで息子への応援歌としたい。

私が就職活動したのは昭和57年。当時は就職活動の解禁日が4年の秋、101日だったが有名無実で、4年の春からOB訪問を口実にした就職活動が始まり、早い学生は夏休みまでに内定を取り付けていた。

私は経済学部で会計学のゼミに所属していた。またサッカー同好会の下手なベンチ要員だった。

父は職人(大工)だったので、勤め人の生活を間近に見たことこもなく、漠然と安定した公務員かサラリーマンがいいと思っていた。

まず、公務員は試験があるので、国家公務員上級職、東京都庁、国税専門官に受験願書をだした。今は公務員受験の予備校があるが、当時は数的処理の問題集を自分で解くくらいが私たちレベルの対策だった。国家上級なんていうのは東大生がほとんど合格する手も足も出ない試験であり、都庁の上級職に受かれば儲けものという感じだった。国税専門官を受験したのは、ゼミが会計学だったことと将来、税理士になってもいいなぁという漠然とした希望があったため。

ここまで書いてきて疲れたので、民間企業への就職活動はまた明日。