2006-11-17 21:45:20

梅原北明の生まれ年(1)

テーマ:梅原北明

軟派出版で名を馳せた梅原北明の生まれ年は書物によってぶれがある。集約すると大方の書物は、明治三十三年と三十四年説とに大きく分かれているのだ。当初、拠り所としていた出典は、梅原北明の子息、宗教研究家である梅原正紀氏の『えろちか エロス開拓者梅原北明の仕事』(昭48年・三崎書房)、『近代奇人伝』(昭和53年・大陸書房)、発禁本研究の第一人者である城市郎氏の『発禁本』(平成11年・平凡社)等である。『近代奇人伝』では「明治33年末」、特に『発禁本』では「北明(本名・貞康)は明治三十三年十二月、富山市の旧士族の次男坊として生まれた」と明記されていることから、大きな確証としてきた。


そして食い違いの元は、梅原正紀氏の『えろちか エロス開拓者梅原北明の仕事』や『近代奇人伝』で記述している、「ボクは天ちゃんと同じ年だよ」という表現にあると思い込んでいた。『近代奇人伝』よりその箇所を以下に抜粋する。


「ボクは天ちゃんと同じ年だよ」とは、生前に北明が年齢を聞かれたさいによく答えていた言葉だった。ところが、これまで梅原北明について書かれた文章はそのほとんどが、一八九八年生まれとなっている。無姓ヒロヒトと同じ年齢なのだから、実際は、千九00年生まれである。なぜこのような誤差が生じたのだろうか。北明が敗戦の翌年に死んでから、数年後、北明を紹介した文章が『あまとりあ』誌に載った。書き手は北明の友人であり、先輩でもある少雨荘こと斎藤昌三だった。斎藤はその時、「梅原北明」は明治三十一年(一八九八)、富山市の士族の子として生まれる」と書いたが、そのため、それから以降、北明について書かれた文章は、一八九八年生まれとして扱うようになったものと思われる。


*上記文章では、明治三十一年は誤りで、三十三年に生まれたと記している。年は異なるが、すでに生まれ年に誤差が出ていたことがわかる。


「昭和天皇と同じ年(齢)」なのか、「同じ年に生まれた」のか、この解釈の違いで明治33年もしくは明治34年と、ぶれが生じたのではないかと思っていたのだ。昭和天皇は昭和34年4月29日の誕生であるから、「同じ年」の受け取り方次第で誤差がでると勝手に考えていたわけだ。ところがだ、気になって調べていくうちに、しだいに否定的な材料も出始めたのである。


つづく


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