「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」などとつぶやきながら、昨日の偏頭痛を引きずりつつ会社に向かった。すると五十メートルほど前方に道路工事らしき人たちが交通整理をおこなっている。ほどなくして道路工事現場と思えるところまでたどり着くと、えらく車で渋滞している。こんな朝早くから工事とはご苦労なことだと思いつつ重い頭を上げてみれば、なんと交差路脇に設置された信号機が、ものの見事になぎ倒され、道路上を塞いでいるではないか。これは重大事だと、交通事故かと見てみれば、大破した車両などどこにも見られず、まさか竜巻かとも疑ったが、それほどの突風が吹いた形跡もない。警察官が手信号で交通整理をおこなってはいるが、次から次へと溢れかえる車に四苦八苦している。信号機を見れば、道路上に標された「止まれ」の白線上に真っ赤な目を見開いて横たわっていた。


先日届いた「日本古書通信」の小出昌洋氏「随讀随記」に、森銑三翁の興味深い思い出が記されていた。


「まだ森先生がお元気なころのことだつた。先生のお宅から驛への道すじに、文字の書かれたのを見て、子供達に文字の上を歩いてもよい、と教えてゐるやうですね、といはれて、文字を避けて歩かれたことを思ひ出す。」


普段の文字を軽んじている己の姿が映し出されるようで、なんだか無性に恥ずかしくなってきた。