2月19日、大好きなおじいちゃんが亡くなりました。
お葬式で沢山泣いたのに、まだ信じきれてないというか、
こんなこと有り得ないけど、
おじいちゃんは死なないと思う。
ってずっと言ってたから、おじいちゃんって死んじゃうんや。って感じ。
だから連絡が来たとき、よく分からなくて
泣きそうになってはこらえ、頭ぐちゃぐちゃにして狭い部屋を行ったり来たり
早く帰んなきゃ。って思って初めて特急に乗って帰ったけど、人の死を目の当たりにする勇気がなくて、少し怖かった。
でもおじいちゃんはすごく穏やかな顔で、なんだかいつも通りに笑ってくれてるような気がしました。
半身不全で入退院を繰り返してたから、おじいちゃんの顔を見たとき、
「悲しい」よりも、「安心」の方が強かった。
だから、笑って見送ってあげようって決めたの。
でもやっぱりお葬式の日は
まだお骨にしないでって思っちゃった。
まなの従兄弟は、10年くらい前に、おじいちゃんが元気に歩いてる姿をおぼえていない、と言いました。
その時はびっくりしたし、この前まで歩いてたのに!って思ったけど、
それから3年くらい経つと、まなも思い出せなくなった。
終わりよければ全て良し。と言いうように
人の記憶は新しいものが最後に残るから
自由に動けなかったり、病気になったり大変な生活をしていたおじいちゃんは
最後に"良い人生だったなぁ"って思えたのだろうか。
まなは幸せな人生の1部になるようなことをしてあげられたのだろうか。
たまに会いに行くと、本当はその日がしんどい日だったかもしれないのに、
いつも笑って「よう来たな」って言ってくれた。
「頑張んなよ」って言ってくれた。
いつもまなの方が元気をもらってた。
何だか恥ずかしくて、周りにおじいちゃんっ子って言われるほど表には出してなかったけど、中学のときとかは内緒で会いに行ったりするぐらい大好きだった。
「もっと」「かった」ことは沢山あるけど
まなの中でいつまでも生きてる。
なんてメルヘンなこと言わないし思わないから、いつかは実感するときが来るんだろう。
元気なおじいちゃんを思い出せなくなったように
忘れたくないことを忘れてしまうこともあるだろうし
12年前の倒れた日のことを今でも思い出せるように
忘れないことはいつまでも忘れない。
だから、今覚えてることは全部大切にしよう。
どんなときも笑ってるイメージで、お医者さんがびっくりするくらい生命力が強くて
本当にかっこいいおじいちゃん。
12年前に、従兄弟をよろしくって言われたこと、今でも忘れてない。
だから、安心してね。
天国では大好きなビールを沢山飲んで
自由に歩いて好きなところに行って
ゆっくりできますように。
ありがとう、長い間頑張ってくれて。
ありがとう、いつも笑ってくれて。
ありがとう、お父さんと妹2人のお父ちゃんでいてくれて。
まなの、みんなのおじいちゃんでいてくれて、
ありがとう。
愛恵