安曇野暮らし 16年春から夏 | 学びをつくる会世話人リレーブログ

安曇野暮らし 16年春から夏


 異常気象の春の日
 久しぶりに晴れた、という天気になったので1年半ぶりにスキーに行った。たぶん氷の斜面は緩んでいるだろう。出るときから冬としてはかなりの薄着だったが、小1時間経ってスキー場に着いたときはもう暑すぎて、春というより夏の格好に着替えてしまった。ラジオで5月の気温だと言っている。朝昼食兼ねて菓子パン2個食って、2時間滑ってへとへとになって、車に下りて1時間休んで、もう1個のパンを食う気が出ないままもう1時間半滑ったら、雪が固まり始めてエッジを取られても疲れた足が立て直してくれなくなって、つまらないところで転んでしまう。さっさと諦めて車に乗ったらちょうど3時。今夜は何をつくるか考えながらスーパーに寄って安いものを買って帰る。風呂に寄ることを忘れて帰ったので、久しぶりに家の風呂を沸かすことになってしまう。なかなかいい日だったのではないかと、風呂から上がって、1杯飲みながら飯を作って、目刺と肉入り野菜炒めと豆腐になめこの味噌汁とを食って、7時半に寝る。人生に意味づけして生きていたころからすれば、堕落も甚だしいのかな。
 明けるとどんより曇っていつ降ってもおかしくない。山は雪だろうから、滑りには行かない。植え付ける葱とジャガがあって畝も立ててあるのだが、始めたら直ぐ降り出してではいやだね。今日は何もしないと決める。7時の朝のコーヒーから3時間、じっとしていて、諦めた。何もしないでいるのもかなりつらいものさ。こんなときこそ家の中のごたごたを片付ければいいのだ、と思いはしたが脱ぎ捨てて山になっているのを何とかする気にはどうもなれない。
 ひょいと本棚に目が行って、押し込んではみ出しているダンボールが見えた。あれは確か、何かの書類を見直して捨てるように持って来てあるやつだ。引っ張り出してみると、新聞の切抜きだ。種類や年月のでたらめな名の袋に入っている。ほとんどが2000年前後のものだ。我ながらいい加減さにいやになるが、この際無視して、全て捨てる。といっても、やっぱり惜し気があって、手書きのプリントなどが混じっていないかざっと確かめる。
 おとといの順と言われた懐かしい先輩の几帳面なガリ版レポートがあった。教科書裁判杉本判決についての支部教研夏合宿用だ。こういうものをすてられるわけがない。ほかにもいくつか捨てられないものを拾い出して、結局、ばらしただけ嵩の増えたダンボール1箱捨てられることになった。(16.3.18.記)

 大型連休
 渋滞だったら所沢で降りるつもりがやはり正解だった。所沢ですいすい行くのに任せて通り過ぎたのが甘かった。やっぱり連休だ。すぐ詰まってしまって、いらいらしながら川越まで我慢して、下に降りてからやっといつもの調子になった。R254川越街道に入ったり出たりしながら、抜け道と半々で行く。
 板橋の家から安曇野の小屋までに、通る道によって違うが、農産物直売所が大小15余りある。新鮮で安い。長野は野菜類は総じて高いから、うちの畑で取れそうなものを考えながら、買い込んで行くことにしている。何が旬か、繁盛の具合はどうか、休憩を兼ねて、なかなか楽しい。同じ野菜の品種にもかなり流行があることを知ったりする。新種の流行を作っているのは生産者つまり農家だと、改めて感じることが多い。消費地で知るのは売られ出してからだから。
 個人店と農協店といっぱいある中で、めぼしいのは7つだ。埼玉の北で2つ、群馬の南と西、長野に入ってR403の峠の前後で茸目当ての3箇所。他もたまに寄ってみたりするが、見過ごしていくところのほうがずっと多い。今回は、7か所寄って行くことにする。日数に余裕はあるし、どうせ遅くなりついで、急がなくても畑は待っている。28日が区教委の傍聴と東京民研の運営委員会で、最も混む初日の出発になった。前後含めて2週ほど安曇野に逃げ込むことが、この時期の通例になって何年も経つ。
 朝、コーヒー飲んで畑に出ると、びっくり。菜の花が咲いているのは、それはそうだが、全部が花になってしまっている。一茎の頭頂一輪が半分開いたころまでは食べられるが、3つ4つも咲いてしまっては、茎はもちろん葉ももすでに固いのだ。半分ぐらいは花菜で食べられる状態でいてくれるはずだったのに、だから葉っぱ物は買ってこなかったのに、と恨めしい。蕨が何本も葉っぱになっているし、独活まで顔を出している。大量に採れるだろうが処理をどうするかと期待と心配をしていたコゴミ(クサソテツ)は、みんな葉が広がってしまっている。どうやら2週か3週早く季節が進んでしまっているようだ。月初めにいた三陸で、桜が咲いているのにタラの芽が出ていて、こっちはこうなのかと思っていたのだが。悲しかったのは、片栗の花が萎れ、もう葉ばかりが大きく広がっていることだった。どれだけ増えたか毎年楽しみにここに来るのに。ジャガがきれいにそろって葉を広げ、葱がこれもそろって伸びているのはうれしいが、蒔いた菜っ葉類はさっぱり芽を出していない。乾燥が続いたのだろうか。仕方がないと、周りを見回して、青菜は三つ葉を採ることにする。
 現職時代には、こんな大型なんて無かった。332で間の2回1日ずつサボれば10連休。どんな口実をこしらえて、どこへすっ飛んでいったろうなどと、これは老いの繰言と言われる類だろう。
 畑仕事の合間に聞いているラジオで、山の事故を言っている。あの山で落ちるというとどこだろうなどと思い出してみる。雪はあったのかなかったのか、雪の状態はどうだったか、アイゼンを着けていたのか、それによって原因が変わる条件を何一つ伝えない。
 帰る前の日になって、筍が頭を出した。通路にしている隣地との境で、小石を踏んだかなという感触があった。筍の先端の緑のひらひらが枯葉の間にちらっと見える。もっと堅くない、掘りやすいところに出ればいいのに。明日の朝堀ることにする。(16.5.12.記)

 さるはさる
 連休後10日経って筍と独活を目当てに、4日間の暇を見つけて行った。かなり繁ってきたじゃが薯の畝が何か変だ。近寄ると、端から6・7本抜き捨てられている。端からでほかは変わりがない。狸や猪のやるように掘り返したのではなく、ただ抜いた跡だ。猿か? いや、こんなにきれいに抜き上げるのは、人間の仕業に違いない。いったい誰が?
 この時期、この辺りで、じゃが薯が実っていることはありえない。多くは植え付けたばかりだ。ここは3月に植え付けたのだった。いつもよりひと月も早く、初めてやってみた。異常気象に合わせたつもりだった。だが芽が出たのは、かなり遅く4月の半ばになってからだった。それでも、いつもよりはずっと早く、霜も降りず今はもう元気に繁ってきている。窒素分が多すぎるのか、背が高くなり過ぎているようでもある。それで薯が獲れると思ったやつがいたのか?
 1本抜けばわかるはずなのに、こんなに抜くとはずいぶん阿呆なやつ。およそ農事に疎い奴だ。するとこの辺りの人間ではない。この辺の人ならおよそのことは知ってるはずだ。だいたい畑荒らしを近所でやるはずはない。塩の道を歩く人が最近増えたが、そういう人は脇目も降らずに歩いていて、もっと道草食えばいいのにと思って眺めているほどだ。周りにはじゃがの畑はいくらもある。ここは林に囲まれて人目につかないからか。畑があるとは見えないここに入り込む? 旅の途中でじゃが抜いてどうする。すると町に新しく入った人が散歩がてらにか? 山菜採りなら、すぐそばに独活もあれば蕨もあるし三つ葉も一面に繁っている。それらに手を付けた形跡はない。
 さんざん考えて、次の日に改めて犯行跡?をしげしげ観察した。どうも不思議なことに、足跡がない。じゃがに手をかけて力を入れるには、どうしたって畝に近寄るはずなのだが。隣の畝の葱の1本が引き千切られている。さらにその横は隣地の林との境で、昨日見つけた獣道(けものみち)だ。邪魔してやれと木の枝を数本土に刺して立てておいたら、すぐ近くに新しい道ができていたのを今朝見つけた。かすかだがわかる道が1晩でつくには、夜中にいったいどれだけのものが歩いているのだろうと思っていた。これで、答えになったと思った。やはり猿だ。道をふさがれた仕返しか? いや抜いたのはもっと前だ。この時期、山にも餌は豊富にあるはずだから姿を見せないのだと思っていた。答えにはしたものの、さてこれからどうなるのだろう。荒らされた後でしか気づくことはない。猿は去るのだ。(16.5.23記)

 よく働いた。ほめていいことだ。
 榎の枝15cm径6m長を落とした。梯子の最上段4m高でだから、気分は楽だ。ただ、梯子を立てる位置が限られるから、右腕で幹を抱き込んで左手だけで伐ることになった。休み休み半分以上まで切ると裂け目が入って傾いで、枝先が地上についた。榎は柔らかい木だ。枝元の重さが斜めに支えられているうちに、畑に届いてしまった枝先を落とす。分岐した枝を塩梅しながら切り詰めて、うまく落ちて寝てくれるように傾きを修正していく。枝の整理は右手で鋸を使うから、左手は疲れ安めになる。右手も疲れると、細かく切った葉先を畝間に運んで雑草防ぎに敷き込む。最後に枝元を切り離すと、方向はうまくいったが、斜めにたわんでいた分と支えていた枝の跳ね返りで、枝元が藪の中に突っ込んでしまった。計算違いをぼやきながら引き出そうとしても、重すぎてだめだ。力が出ない。仕方なく寝てしまったのをまた2つに切って、やっと引きずり出せた。家の横まで運ぶのは、しばらく水気が抜けるのを待つしかない。4時間の作業だった。
 去年、屋根に葉が当たるのを気にして北側の枝を落とした欅の、今度は南側に張り出した枝が気になりだした。南側の植え込みに陽が当たらなくなっているし、さらに南の隣の植え込みに影響しだすと悪い。3本、枝元の高さは目測で5・7・8m。まず様子を探りに幹の二股まで梯子で行ってみる。二股の下までしか届かない4m弱の梯子でも上半部は枝に顔を抑えられるオーバーハング状態だから、手の支えがほしい。が、一抱えを超す幹以外に何もない。そろりそろり、膝が段につかえる。バランス、柔軟性、去年よりまたまた落ちている。二股に顔が出てやっと抱え込める枝に手を回せて一安心。さて次の二股の段に足が上がるか。真ん中で邪魔している径10㎝超の枝をつかんで足を上げてみても力が入らない。支えの足が前過ぎて体が反っているだけで、もう片方をさらに上にという体勢がとれない。太い幹を抱えて逆回りに上がるもう一つの手があるのだが、たぶん45度以上も体を反らして回ることになる。抱えるだけの幹を頼りに回れるか。行ったとして、下り気味に戻れるか。反らした体で降ろした足が下の段を探り当てられるか。抱え込んだ俺の腕が俺の体を支えていてくれるか。やめたやめた。
 もう一つ、西北の境のサワグルミ、何年か前に息子と2人がかりで大枝を伐った後、ものすごい勢いで伸び出した下枝が8mばかりも畑に張り出して邪魔だ。2本伐れば相当明るくなる。4mばかりに延ばせる高枝切というおもちゃっぽいのを持ち出して、三角に折った梯子の脚立に乗ってみたが届かない。やわらかい地面に立てた脚立の上で長いものを動かすのは不安定極まりない。
 息子に都合を聞いたら、明後日なら暇だという。それなら明日、梯子で手の届く欅の一番下の細いのだけは伐っておこう。
 やはり梯子の最上部で力を入れるのは無理だった。細いといっても径10cmはある。長い重いほうの梯子を運び出してみる。持ち上げるのにも息がきれるが、なんとか立てられた。伸長式で倍に伸ばせるのだが、到底そんなことは望まない。立てられないし、登れない。半分でも、下の枝の段までは届いたから、仕事にはなる。大きい梯子はさすがにしっかりして安定感があるから、ロープも着けずに鋸を使う。上の枝とこすれてよじれている枝だったので、もう少しというところまで切っていくと切断面がわずかにだが嫌な向きにずれて鋸が動かなくなってしまい、切り直す羽目になった。2回目を半ば以上切ったときに、いきなりバンと枝元が跳ね上がって、腕をしたたかに打たれ、鋸を飛ばされた。幸い指も腕も動く、血も出ていない。1回目の切り口で離れていた。欅は堅いからしなることも裂けることもなく、予測がつかなくて怖い。細いからと楽観していたが、落ちないようにきちんと枝にロープをかけておけば、逆に跳ねてももっと違っていただろうと、油断を反省した。あの打撃を顔に受けていたらと思う。
 一休みして気分を入れ直して、枝先を切り詰め、分岐した2本の枝で人の字型に立てかけた格好にしておく。上の枝を落とす時の滑り台になるように。二股の片方から出ているちょっと細い枝も、やや長めに残す。滑りが悪い時にゆする梃に使えるだろう。今回の枝は、屋根に落ちるのではなく植え込みにかぶっているから、下の梅や萩のダメージを少しでも和らげたい。
 明日の足場を整えるためにも、葉先から小枝をしっかり整理する。枝下ろしは枝そのものもだが、葉などの始末が手間がかかって厄介だ。時間も食う。中腰での作業が続くからすぐ腰の痛みが来る。腰伸ばしの体操を兼ねて、こまめに葉先を畑の畝間に運ぶ。この枝伐りも4時間ちょっとの仕事だった。
 翌日、中段の枝から始めた。上のを落として下の枝で受けさせるのがいいのだが、枝の揺れでどう跳ねるか、予想ができない。むしろ見えるている方が何とかできる。体の安全確保のロープと、枝を落とさないためのロープをしっかりかけさせる。枝のロープは下にひいて、下で操作できるように仮止めしておく。態勢にも切る空間にも余裕があるので大きい鋸を使えるし、あっさりと切れた。次の枝を切り始める間に、梅や萩にかかった葉先を整理して切る。太い部分だけの裸にしたところで、上の作業を止めて仮止めをほどいて、滑り台の木を使って、下まで徐々に滑り落とす。計算通りにうまく通路に寝てくれた。もう一本の上の枝は太いし長いし態勢がやや不安定になったが、ほぼ同じ塩梅に切り落とせた。2人でやるとなんと楽なことか。去年と同じ木だし、ほぼ同じ作業でもある。周りがずいぶん明るくなった。梯子やロープなどを次へ運んで用意する間に、こっちのほうを歩ける程度に始末する。ちゃんとやるのは明日以降だ。
 次は難しい。何度も苦労しているクルミの木だ。厄介な点はいくつもある。
 2抱え近い主幹から出て40度ぐらいで斜上する1抱えほどの枝の上に立つことができれば、そして3m進めれば簡単なのだが、支えが全く得られない。このクルミは畑の面から60度ほどの傾斜で落ちる斜面に立っているから、枝から転落すれば谷へ40mばかり落ちることになるのだ。太枝の股の上に出て様子を見させるが、手のつけようはやはりない。また高枝切りを持ち出して来ると、手前の枝には十分届く、角度もまあいいという。横からの自己確保ロープで命の安全はいいが、寝そべって抱き着く姿勢でしか仕事ができない。それでも、垂れてくるだろう場所を整理しているうちに、軟らかいクルミはめきめき音をさせて垂れ始める。葉先を引いて誘導しながら力も入れて引いてみるが、落ちるところまではいかない。次の枝に取り掛からせて、垂れた枝先を伐って始末していると、いきなり枝元から落ちて来て、危うく谷へ引き落とされかけた。太い枝元を燃料に確保したいが、引き上げられる重さではない。諦めて枝先を離すと、枝と下の木とがぶつかり合って跳ね返って一回転しながら40m下にもぐってしまった。上の枝は、半分ほどしか切れないというが、細かい裂け目が入り始めたようだともいう。雪が載れば裂けて落ちるだろうと、放置することで諦める。(この枝はしばらく後に、雨で垂れ落ちたと知らせてきた。)
 4本の枝で、7時間を超えた仕事だった。この日はあれこれ10時間近く働いて、すっかりくたびれた。次の日は落とした枝の整理で6時間ばかりかかって、また10時間労働になった。結局、この9日間は、7日間をフルに働いて、合計60時間ほどになったようだ。日が長いのは助かるが、働き過ぎにもなる。(16.6.7.記)

 さるはくる
 6月末、5日間だけの暇で、雨が何とかなってくれることを願って、草の始末に行った。
 1日、今にも降りそうな中で大忙し。草との戦い、11時間頑張って、暗くなるのと降り始めるのが同時。
 2日、雨で明けて、午前中に止みそうで、教材分析の原稿に手を入れていると、何かの気配を感じた。庭先の畑との境の紫式部の葉先が不自然に揺れていた。何か?と見て、目が合った。この野郎、あっ、あっちにも、ぞろぞろ! 花火をセットして、そっとガラス戸を開けて、少し動きかけた背中めがけて。湿気てるのかしょぼしょぼ導火線が燃えて、ヒューっと、のそのそ逃げていく奴と逃げずにこっちを見てる奴と、ぽん。もう一つ、今度は湿気ていないように。シューっ、パン。一斉に飛んでく。いつもの群れか、15頭は越しているようだ。もう一つ。これもシューっパン。縁まで出て、遠くに向けて、ダメ押しに、シューっ、パーン。
 雨は上がったようだ。どれだけやられたか見に行くか。着替えなきゃ。さて、となった時、向うを素早く駆ける奴がいる。見張りが引き上げるのだ。
 長靴を履いて出て、ジャガの畝へ近づく。ずいぶん引っこ抜きやがった。なんせ多勢だもんな。遠いほうの畝にも行ってみる。チビがいたようだった方だ。似たような被害だ。まだ畝のところへは踏み込めない。止んだばかりだ。だが、やはり、どう見ても掘ってはいない。奴らはどうも掘ることはしないようだ。手を汚したくないのだろうか。ということは、被害はまず無しか。引っこ抜いたとき茎にくっついて行くのは、豆粒ほどの球だけだ。サツマイモと違って、ジャガの繋がりの茎は弱い。だが、目が合った時、口を動かしていたようだったが。
 被害がなさそうなので、すっかり気が明るくなった。そうしてみると、なんか奴らも哀れだな。いやいや、畑に出てはいけないと、しっかり教えておかなければ。
 おかげで、来月に予定していた芋ほりを、やらなければならなくなった。土の水気がいくらか抜けたら。やることが多過ぎる。(16.6.28.記)