その1の続き・・・

その2の続き・・・

その3の続き・・・

 

【𧭤】バク bó (『広韻』蒲角切) 謈𧬉
中古音:並母江摂覚韻二等開口入声(王力/bɔk/, 李榮/bɔk/, 鄭張尚芳/bɣʌk/, 潘悟雲/bɯɔk/, Pulleyblank /baɨwŋk/, Karlgren /bʱɔk/)
上古音:並母薬部入声(鄭張尚芳/*broːwɢ/)

後漢 前漢中期 -
100年 前157-前87 『伝抄古文字編』
『説文』 北大漢簡『蒼頡篇、〼〼章』 『集篆古文韻海』
三上 第21号簡6 5・8

形声。意符は言、声符は暴。初形は『説文』三上に見える謈(バク)で意符は言、声符は暴の省文か、或いは暴の初文(バク)。は「日に晒す」意味の曝(バク)の原字だが、「表面」の意の表(ヒョウ(ヘウ))と同根で、原義は「露わにする」。『説文』三上に「自ら冤(エン)を大嘑(タイコ)するなり」とあり、「大声で自身の無実の罪を訴える」意。「露わにする」の原義から、「冤罪である事を開示する・表に表明する」と特殊化した意味専用に新造された字と考えられる。恐らく、「告白、科白」の"白"も同じ語であろう。出土資料では北大漢簡『蒼頡篇、〼〼章』第21号簡に5文字目に掲出されている"冤"に続いて挙げられており、『説文』の訓と同じ意味での採録と考えられる。

 

又、『漢書、東方朔(トウボウサク)伝』に見える「謈(バク)と呼(さけ)ぶ」とあるのは、痛みに耐えかねて叫ぶ声で擬声語。『集韻』に「痛み甚だしきを阿謈(アバク)と稱す」とある。又、𧭤の字形専用でホウ(ハウ)(『広韻』北教切)の音も有り、『集韻』に𧭤譟(ケンソウ(ケンサウ))という畳韻の語を挙げ「憎む」意とする。これは擬態語である。

 

【𧲐】バク (『集韻』弼角切)
形声。意符は豕(ブタ)、声符は暴。『玉篇』に「子豕(こぶた)なり」とある。『集韻、覚韻』に『説文』九下に「仔豚」の意とする豰(バク)の或体とする。豰の上古音は並母屋部入声(鄭張尚芳/*pɢroːɡ/)と再建されているが、そもそも殻(カク)諧声は軟口蓋破裂音~軟口蓋摩擦音が声母である。この字だけこの音が有る理由は不明。ただ暁母(無声軟口蓋摩擦音[x])と明母(両唇鼻音「m」)に両立する諧声系が有り、例えば毎(明母)⇔海(暁母)、微(明母)⇔徽(暁母)、無(明母)⇔鄦(暁母)、勿(明母)⇔忽(暁母)などの例が有り、これと関係が有るかも知れない。豰には『爾雅』が「白狐の子」とする別義が有り(というか別語だろう)、その時は『広韻』に「呼木切」とある暁母屋部、日本語漢音で言えば「コク」の音である。本来は両唇鼻音を語頭に持つ字でその音変化の過程上で混同が生じたのかも知れないが、良く解らない。待考。

 

【𨇅】ボウ(バウ) bào (『集韻』薄報切)
形声。意符は足、声符は暴。声符の暴は、ここでは𣉱(ボウ(バウ))の仮借で「速い」の意味を表している。『集韻、号韻』に「行く皃(かたち)なり」、また『改併四声篇海、足部』に『玉篇』を引用して「急に行くなり」とあり(今本『玉篇』にはこの字は見えないらしい)、𣉱の派生義・派生字。唐の文学者皇甫湜(コウホテイ:777~835)の『韓文公墓誌銘』(韓文公は中唐の有名な詩人韓愈(カンユ:768~824)のこと)に用例が有る。
"及冠,恣爲書以傳聖人之道。人始未信。既發不掩,聲震業光,眾方驚𨇅,而萃排之"
「冠に及び、恣(ほしいまま)に書を爲し以て聖人の道を傳(つた)ふ。人、始め未だ信ぜず。既に發し掩(かく)さず、聲震(ふる)へ業(わざ)光(て)る。眾方驚き𨇅(バウ)し、而(しかう)して萃(あつま)り之を排す」
(韓愈は元服すると意のままに書物を物とし、聖人の道を伝道するようになった。最初人々はそれを信じなかったが、韓愈は既に才能をいかんなく発揮し隠さなかったので、名声も轟き行いも輝かんばかりに知れ渡った。皆はビックリして駆け出し、集まってその誤った評価を捨て去った)
【引用中の「書」は『書経』のことかもしれない。"驚𨇅,而萃"は韓愈の所に駆け寄って集まったという事だろうか?】

 

【䤖】ボウ(バウ) bào (『集韻』薄報切)
形声。意符は酉、声符は暴。『玉篇、酉部』に「酒の名なり」とある。北宋の医学者朱肱(シュコウ:1050~1125)の『北山酒経、上』に用例が有るが、そこでは「再醸仕込みをした酒の一種」を意味している。『玉篇』のいう酒と同じものかは不明。

 

●『北山酒経、上』:
"《說文》:“投者,再釀也”。張華有九醖酒。《齊民要術》桑落酒有六七投者。酒以投多爲善,要在麴力相及。䤖酒所以有韻者,亦以其再投故也"
「『説文』に「投(トウ)は、再釀するなり」と。張華(チヤウクワ)に九醖酒(キウウンシユ)有り。『齊民要術(セイミンエウジユツ)』の桑落酒に六七投者有り。酒は多く投(トウ)ずるを以て善と爲す。要(かなめ)は麴力(キクリヨク)に在り相及ぶ。䤖酒(バウシユ)の以て韻を有する所は、亦(また)以て其の再投する故なり」
(『説文』に「投は再釀する意である」とある。張華(チョウカ:西晋の文学者、政治家)に九醖酒(キュウウンシュ)が有る。『斉民要術(セイミンヨウジュツ)』の桑落酒(酒の名)に6~7回再醸したものがある。酒は何度も再醸することで良いものが出来る。重要なのは麴の持つ力で、その質により再醸の効果も左右される。䤖酒(ボウシュ)という再醸酒でも味がまろやかなものは、再醸を繰り返しているからである)*1

醖(ウン)は『説文』十四下に「釀(かも)すなり」とあり、九醖酒とは九度再釀した酒のこと。『斉民要術』は北魏の賈思勰の著による農書。因みに、『説文』三下の"投"字条には「擿(なげう)つなり」とあるのみで、『北山酒経』が引用する訓は無い。"投"の派生字である"酘(トウ)"は『集韻』に"酘, 酒再釀"とあり、又4世紀前半の『抱朴子(ホウボクシ)』にもその意味で用例が存在するが、『北山酒経』に何故この様な記述が紛れ込んでいるのか興味深いところである。想像すれば、『説文』の"投"字条に「再釀」の訓もかつて有った、『説文』にかつて「再釀」と訓する"酘"という字が収録されていた、字と掲載されている字書を朱肱が取り違えた(うろ覚えで書いたか、間違って覚えていた?)、など様々な可能性が考えられる。又、『集韻、号韻』に䤖に「一宿酒なり」とあって、「一夜酒(ひとよざけ)、一夜の間に醸造した酒」の意味が有るが、これは上記の「再醸仕込みをした酒」からの派生義と考えられる。

*1:草根賀『《北山酒経》注訳』(転載)(2017.1.18閲覧)
 

【𢑾】バク

䂍の譌形。意符の"矛"が崩れて"彔"に転じたもの。『正字通、彐部』にその旨指摘が有り、古い文献では䂍が使われているが、今は𢑾という改新形が用いられているとある。当時、この譌形が通行していたようだ。

 

【鑤】ボウ(バウ) bào
形声。意符は金、声符は暴。章炳麟(ショウヘイリン)の『新方言、釈言』に、今の人は鉄器を使って木を削ることを「暴(ボウ)」と言い、またその道具を「暴子」と言い、或いは俗に「鑤」に作るとある。又、「鉋くず」をも鑤といい、鑤花という語もその意味。同音・近似音の刨(ホウ(ハウ):「削る」意)と鉋(ホウ(ハウ):「かんな」の意)と同じ語で、字体が異なるだけである。『紅楼夢』第41回に"你把纔下來的茄子,把皮鑤了"(あなた、たった今収穫した茄子の皮を剥いて下さいませんか?)の用例有り。

 

【𩁠】ボク
形声。意符は隹、声符は暴。『集韻』に𪇰の異体とする。𪇰参照。

 

【𩙕】bão
形声。意符は風、声符は暴。ベトナムbão「嵐」の音写字で、ベトナムの国字(字喃)。この語はモン=クメール祖語*bj(əw)h「嵐(storm)」の後裔で、中国語の暴風の"暴"の借用ではない*1。ベトナムのPOPアーティストNhật Tình Anhの2014年のアルバム『Tình Anh Vẫn Như Thế 』に収録されている『Vầng Trăng Khóc』という曲中に、"𠁀𩘪𩙕𡗉𧃵𨐮(Đời giông bão nhiều đắng cay)"(人生は嵐の様に辛苦に溢れている)の用例が有る*2。異体に𣋰。意符の"凡"は風(声符が凡の形声字)の略。
*1『Wiktionary英語版』bão項(2017.1.16閲覧)
*2:『秦羌網-sinogermania-』収載『暈𣎞哭』項(2017.1.16閲覧)
 

【𩯱】ホク pú
形声。意符は髟(髪)、声符は暴。『集韻、屋韻』に㲫(ホク)の或体とし、「㲢㲫(ヘンホク),毛の理ならざるなり」とあって、㲢𩯱(ヘンホク)は「毛が乱れる」意の双声の語。擬態語起源。

 

【𪇰】ボク bǔ (『広韻』薄報切) 鸔𪈫𪈚𩁠

後漢 -
100年 『伝抄古文字編』
『説文』 『集篆古文韻海』
四上 5・5
形声。意符は鳥、声符は暴。『説文』四上に「烏鸔(ウホク)なり」とある。換声旁異体字に鵅(ハク)があり、『爾雅、釈鳥』に「鵅、烏鸔なり」とある。その『郭璞注』によると、鶂(ゲキ;=鷁(ゲキ))という水鳥に似ていて首が短く、腹部の毛は紫白で背中の毛は緑色、江東では「烏鸔」と呼ぶとある。『本草綱目、禽部、鸕鶿(ロジ)』にも同じ容姿で伝え、青鶂(セイゲキ)の別名も挙げる。1960年、中国の言語学者李榮(リエイ:1920~2002)の著作で河北省昌黎県の方言を扱った『昌黎方言志』の『分類詞表』に「𪇰、水鳥なり。雁に似て大なり」とあって、大型の雁のような鳥だとする。古い語が方言に残っていた訳だが、どの種に同定されているか資料が無く不明。尚、『広韻』には上掲以外にも3種類も反切を挙げているが、方言を反映したものかもしれない。

 

【虣】ボウ(バウ) bào (『広韻』薄報切) 𧇑𧇭𧇒𧸾 
中古音:並母效摂豪韻一等開口去声(王力/bɑuᴴ/, 李榮/bɑuᴴ/, 鄭張尚芳/bɑuᴴ/, 潘悟雲/bɑuᴴ/, Pulleyblank /bawᴴ/, Karlgren /bʱɑuᴴ/)ᴴˣ
上古音:並母貌部去声(Baxter-Sagart /*[b]ˤawk-s/, 鄭張尚芳/*boːwɢs/)

『説文新附』五上-虣
𠂤賓間 典賓A 賓組 賓出組
合集11450 合集3332 合集697正 合集5516.1 合集5516.2 合集10206
続存上743 乙24645 乙2269 乙6696+乙7000 契643
何組 無名組 子組
合集30998 合集27887 花東
京人1845 甲914 14.5 14.6 113.20 363.2
西周早 西周晩 戦国、秦 戦国
- 集成4469 前312 -
『虣父癸爵』 盨』 『詛楚文』 『古璽彙編』486 『古璽彙編』487
第1字 第58字 『亞駝』 『秋淵』 王虣
-
『伝抄古文字編』
『古文四声韻』4・30 『集篆古文韻海』
『義雲章』 4・36
会意。初文は虎と戈(カ)に従うで、虎を戈という武器で撃ち殺そうとする様を表し、本来は「動物を武器を使って狩る」意味の字である。字は、甲骨文に初出で原義での用法が見え、隻や獸など、狩猟用語の字と共起する事が多い。花東363.2のように、虎ではなく豕(ぶた、いのしし)に従う字形も有り、狩猟対象によって書き分けられていたようだ。又、甲骨文に虎と攴に従う字形が見え、西周早期の金文『𧇭父癸爵(ボウホキシャク)』にも同形が現れており、又、虎と戒に従う字形も甲骨文に見え、後の戦国中期秦の『詛楚文』にも継承されている。

 

●合集11450(𠂤賓間):"王㞷虎、允亡巛"
「王、㞷(ゆ)きて虎を(う)つ。允(まこと)に巛(サイ)亡(な)きか?」
(商王が虎を討ちに行く。本当に災厄は起きないだろうか?)
●合集5516.1&5516.2(賓組)(乙6696+乙7000):"其,隻"、"其,弗其隻"
「其れ(う)つ、隻(と)るか?」「其れ(う)つ、其れ隻(と)らざるか?」
(虎を討つ、虎を獲る事が出来るだろうか?)(虎を討つ、虎を獲る事が出来ないだろうか?)
●合集10206(賓出組)(契643):"虎"「虎を(う)つ」
●花東14.5(子組):"乙酉卜、既㞷、冓豕"
「乙酉、卜(ボク)す:既に㞷(ゆ)きて(う)つ。豕(ゐ)に冓(あ)ふか?」
(乙酉の日に占う:既に虎を討ちに行ったが、猪に遭うであろうか?)
●花東363.2(子組):"獸隻"((う)ち獸(か)る、隻(と)るか?)

 

甲骨文における隻(獲)・獸(狩)・敢などの「狩猟する」意の同意語との違いは、隻(獲)が「獲物を獲得する」意の一般的な語、獸(狩)が「狩る」意の一般的な語、敢が「捕獲する」の意、(虣)が「武器を使って狩る」意という違いかもしれない。「血気にはやって無謀な事をすること」を意味する四字熟語「暴虎馮河(ボウコヒョウガ)」の原義は「虎を素手で殴り、黄河を徒歩で渡る」意、その「暴虎」の"暴"の字に相当する。「暴虎」の語は上掲の通り"虎"の形で甲骨文に既に見え、極めて古い成立を持つ語である。『詩経、鄭風、大叔于田』にも"襢裼暴虎、獻于公所"「襢裼(タンセキ)し虎を暴(う)ち、公所に獻ぜん」(片肌脱いで虎を打ちのめし、倒した虎を領主様に献じよう)の例が見える。

 

又、地名、氏族、族長の名として現れる。
●合集697正(賓組)(乙2269)、合集3332(典賓A)(乙24645):"侯"
●合集27887(無名組)(甲914):"小臣𧇑"

 

『説文新附』五上に𧇭を正字として掲出し、「虐ぐるなり、急(すみ)やかなり」と訓ずる。これらの意味が「武器を使って狩りをする」意味からの引伸かどうかは分からないが、仮借と見なす説も有る(李学勤主編『字源』p.438(該当記事は金国泰の執筆))。残念ながら西周~戦国期の本字の使用は極めて限定的で、意味の推移を追うには圧倒的に資料が不足している。仮借説が採られるのも無理からぬこと、或いは無難な処置だと思う。


又、西周以降の出土史料に「暴虐」の語が見られる。
●『盨(ショウシュ)』(西周晩期:集成4469):"勿事虐從獄"
虐從獄(バウギヤクシヨウゴク)せしむること勿(な)かれ」
(人々に残虐行為を働いたり、濫りに獄に入れるような事をしてはならない)
●『詛楚文、亞駝』(秦、戦国中期(前312年)):"𧇑虐不姑"
「姑(つみ)あらざるを𧇑虐(バウギヤク)す」(無辜の民を虐げる)

 

『書経、泰誓』に「敢へて暴虐を行ふ」、『左伝、宣、三』に「商紂暴虐」とあるように、伝世文献では専ら「暴虐」と綴られる。

 

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【𣀛】ハク
形声。意符は、声符は暴。『集韻、覚韻』に「擊(う)つなり」、『正字通、攴部』に㩧(ハク)の或体とする。㩧参照。

 

【𣀠】ハク
㩧(ハク)の或体𣀛(ハク)の異体。

 

【曝】𣌈𣌑𣋏
①ボク(慣用音:バク) pù (『広韻』蒲木切)
中古音:並母通摂屋韻一等開口入声(王力/buk/, 李榮/buk/, 鄭張尚芳/buk/, 潘悟雲/buk/, Pulleyblank /bəwk/, Karlgren /bʱuk/)
上古音:並母屋部入声(Baxter-Sagart /*[b]ˤawk/, 鄭張尚芳/*boːɡ/)
②ボウ(バウ) bào (『広韻』薄報切)
中古音:並母效摂豪韻一等開口去声(王力/bɑu/, 李榮/bɑu/, 鄭張尚芳/bɑu/, 潘悟雲/bɑu/, Pulleyblank /baw/, Karlgren /bʱɑu/)
上古音:並母貌部去声(鄭張尚芳/*boːwɢs/)

『伝抄古文字編』(『集篆古文韻海』5・24)-曝

形声。意符は火、声符は暴。『玉篇、日部』に㬥(バク)を正字とし「曬(さら)すなり、晞(かわ)くなり」と訓じ、暴を同字、曝を俗字とする。『広韻、屋韻』も暴を「乾く」意とし、曝を俗字として掲出する。「日に曝す」が原義の㬥・暴が、別語源の「暴虐」「速い」の意味でも通仮され多義化した為、原義での専用字として意符の"日"を加えて派生した字。㬥・暴の繁文。先秦伝世文献に用例有り。

 

●『列子、楊朱(ヨウシュ)』:
"宋國有田夫,常衣縕黂,僅以過冬。暨春東作,自曝於日,不知天下之有廣廈隩室,緜纊狐狢。顧謂其妻曰:‘負日之暄,人莫知者,以獻吾君,將有重賞。’"
「宋國に田夫有り、常に縕黂(ウンビ)を衣(ころも)し、僅(わず)かに冬を過ごす。春に暨(およ)び東作(トウサク)し、天下の廣廈隩室(クワウカイクシツ)・緜纊狐狢(メンクワウコカク)有らんことを知らず、自ら日に曝す。顧みて其の妻に謂ひて曰く、"日を負ふ、之暄(あたた)かし。人、知る者莫(な)し。以て吾(わ)が君に獻(ケン)じ、將(まさ)に重き賞有らんとす"」
(春秋時代の宋の国にある年老いた農夫がいた。農夫はいつも縕黂(ウンビ)という粗悪な麻製の服を着ており、それでなんとか冬を過ごしていた。春になって田畑を耕す作業が始まると、彼は世の中に大型の家や暖かい部屋、綿の綿入れやキツネ・ムジナの毛皮が有ることを知らなかったので、自分の体を日光に曝し暖を取った。そこで振り返って自分の妻にこう言った。「太陽を背負うってのは暖けぇもんだなあ。こいつを知っている奴は他にはいねぇ。ご領主様にこれを御伝授すれば、きっと褒美が沢山あるに違いねぇ」)

 

この逸話は献曝(ケンバク)という故事成語の典拠である。「わずかの気持ちを捧げる、わずかばかりの忠義を尽くす」意味で使われたが、後に相手に何かを贈る時に「つまらないものですが」という日本語の表現と似て、謙譲の謙辞として用いられた。また、この話自体は助長(ジョチョウ)・守株(シュシュ)等と並んで宋人(そうひと)を馬鹿にしているものだが、戦国期成立の古典文献には「宋人」の失敗談・馬鹿話がしばしば見られる。宋人と来たら馬鹿との連想は当時の中華全域の共通認識だったのだろう。私の想像になるが、、失敗談・馬鹿話のシナリオが先に作られ、その主人公を宋人に仮託することで、注意喚起の寓話としての機能をより果たしていたのではないかと思う。本人に直接非を指摘するより、より下等に設定された誰かの失敗例を話す事で、暗に非をほのめかす方法は今でも良く使う手段だと思う。要するに、宋人はクッションの役割を果たしていたのではないだろうか。結局殆ど全てが作り話で実際起きた事件ではないのだろう。

 

●『戦国策、燕策二、趙且伐燕』:"蚌方出曝,而鷸啄其肉,蚌合而拑其喙"
「蚌(バウ)方(まさ)に出でて曝す。而(しかう)して鷸(しぎ)其の肉を啄(つい)ばむ。蚌合して其の喙(くちばし)を拑(はさ)む」
(ドブ貝が水から出てちょうど日向ぼっこをしていたところ、シギが現れその肉をついばんだ。ドブ貝は(喰われまいとして)貝殻を閉じてシギの嘴を挟んだ)

【有名な漁夫の利の典拠となった寓話。蚌を「ハマグリ」とする解釈が流布するが、上記引用の直前に舞台が易水(エキスイ)という河川である事が明示されている。淡水の川にハマグリがいる筈が無く、ドブ貝の誤り】

 

尚、現代中国語普通話では拼音のbàoでは「露出する、露光する」の意に、pùは文語で「日に当てる、曝す」の意に用いる。

 

【𣞺】ハク
形声。本来は㩧(ハク)の譌形。『酉陽雑俎(ユウヨウザッソ)、諾臯記上』に"僧沐浴設壇、急印契、縛𣞺考其魅凡三夕"の用例有り。

 

【爆】 𤋪𤒁𤒺𤓊𤑥
①ハク(慣用音:バク) bào (『広韻』北角切)
中古音:幫母江摂覚韻二等開口入声(王力/pɔk/, 李榮/pɔk/, 鄭張尚芳/pɣʌk/, 潘悟雲/pɯɔk/, Pulleyblank /paɨwŋk/, Karlgren /pɔk/)
上古音:幫母薬部入声(鄭張尚芳/*poːwɢ/)
②ホウ(ハウ) bó (『広韻』北教切)
中古音:幫母效摂肴韻二等開口去声(王力/pau/, 李榮/pau/, 鄭張尚芳/pɣau/, 潘悟雲/pɯau/, Pulleyblank /paɨw/, Karlgren /pau/)
上古音:幫母薬部入声(鄭張尚芳/*proːwɢs/)

後漢 -  
100年 『伝抄古文字編』
『説文』 『集篆古文韻海』
十上 5・24 5・7

形声。意符は火、声符は暴。『説文』十上に「灼(や)くなり」、『広雅、釈詁』に「爇(や)くなり」とある。①と②の音が有るが、同じ意味。火によって物が焼ける音に由来する語・字で擬音語起源。古い用例が無く、西晋以降見える。

 

●『抱朴子(ホウボクシ)、内篇、金丹』:

"若取九轉之丹,内神鼎中,夏至之後,爆之鼎熱,内朱兒一斤於蓋下"
「若(も)し九轉の丹を取らば、神鼎中に内(い)り、夏至の後、之を鼎熱に爆(や)き、朱兒(シユジ)一斤を蓋下に内(い)る」

((服用すれば三日で仙人に成れるという)「九度焼いて錬成した練り薬」を手にれたら、これを鼎の中に入れ、夏至の後鼎に火を掛け熱して焼き、丹砂を一斤鼎の中に加え入れる)
 

「爆竹」の語は『神異経』(前漢武帝の臣東方朔(トウボウサク)の撰とされるが、実際は西晋以降の佚名著者による作)に初出。
●『神異経』:"西方深山中有山臊,長尺餘,犯人則病,畏爆竹聲"
「西方の深き山に山臊(サンサウ)有り。長さ尺餘、犯せば人則(すなは)ち病む。爆竹の聲を畏(おそ)る」
(西方の深い山に山臊(サンソウ)という妖怪がいる。背丈は一尺余り、これに危害を加えた人は病気になる。山臊は爆竹の音を恐れる)


上記引用は『中國哲學書電子化計劃』から引いたが、誤って"畏爆竹聲"を"長爆竹聲"に作る。恐らくスキャン時のソフトの釈字ミスと思われる。『神異経』は本や引用によって異文が有る。『大漢和辞典、巻六』p.554の『神異経』からの引用では、"西方深山中有人焉,身長尺餘,袒身捕蝦蟹,【中略】名曰山臊, 其音自叫, 人嘗以竹著火中, 爆烞而山臊皆驚憚"に作り、山臊(サンソウ:やまわろ)がエビやカニを焼いて食べるという記述が見え、又、昔の人は竹に火を付けてその破裂する音で山臊をびっくりさせて寄せ付けなかったとある。爆竹の起源が垣間見れる。

 

【犦】
ハク bó (『広韻』蒲角切) 𤜈𤜌
中古音:並母江摂覚韻二等開口入声(王力/bɔk/, 李榮/bɔk/, 鄭張尚芳/bɣʌk/, 潘悟雲/bɯɔk/, Pulleyblank /baɨwŋk/, Karlgren /bʱɔk/)
上古音:並母薬部入声(鄭張尚芳/*broːwɢ/)

『伝抄古文字編』(『集篆古文韻海』5・8)-犦

形声。意符は牛、声符は暴。先秦字だが、『説文』未収。『爾雅、釈畜』に「犦牛」とあるのみで解説が無い。これに対して『郭璞注』に詳細な説明が有り、それによれば別名を犎牛(ホウギュウ(ホウギウ))といい、項(うなじ)の上に肉の隆起が有り、姿はラクダに似て体高は二尺ほど、丈夫なものは一日300里あまりを行き、両広・安南地方に産出するという。又、出土史料の『穆天子伝、二』に見える牥牛(ホウギュウ(ハウギウ))と同一視する説も有る。

 

【𦢊】バク (『広韻』蒲角切) 𦣃
形声。意符は肉、声符は暴。先秦字だが『説文』未収。『玉篇、肉部』に「肉起くるなり」、『広韻、覚韻』に「肉、胅(は)れ起くるなり」とあり、「肉が腫れる、腫れ上がる」意。「露わにする、表出する」を原義とする暴の派生字か。『山海経、西山経』に「䳋渠(トウキヨ)」という鳥の名が見え、「其の狀、山雞(サンケイ)の如し、黑身赤足、以て𦢊(は)れを已(いや)すべし」(その姿はキジの様で黒い体に赤い脚をもつ。腫れを治癒する効果が有る)とある。又、「皮が破れる」の意。㿺参照。

 


左偏を田、右旁を暴に作る。『グリフウィキ』に収載し、典拠を『国際符号化文字集合検討文字リスト』extf-04773とする。音義不詳。待考。[田暴]

 

ボウ(バウ)

戦国、楚
前316 前335-278頃 前308頃
包山『疋獄』 包山『貸金』 清華『尹至』 上博『容成氏』
第102号簡 第102号簡背 第109号簡 第2号簡 第37号簡
形声。意符は疒(病気)、声符は暴。恐らく暴虐の「暴」の繁文。先秦字だが『説文』未収。戦国時代の楚で用いられた字で、今の所5例用例が知られている。以下、全て掲載する。包山楚簡『疋獄』第102号簡正面に人名「(サイバウ)」(姓氏のは後の蔡(サイ)に相当)が見え、同簡背面に同一人物が「」として見える。又、同『貸金』第109号簡に人名「宋(ソウバウ)」が見え、いずれも諱として用いられている。上記3例の人名用例以外の2例では「暴虐」の意味の暴(ボウ(バウ))の異体として用いられている。


●上博楚簡『容成氏』第37~38号簡:
"泗尹既已受命,乃執兵欽,羕𠭁於民、述迷而不量亓力之不足、帀"
「泗尹(イイン)、既已(すで)に命を受くれば、乃(すなは)ち兵を執(と)り(バウ)を欽(キン)じ、羕(いつは)りて民を𠭁(え)、述(つひ)に迷はせて亓(そ)の力の足らざるを量らず、帀(シ)を(お)こす」
(伊尹(イイン:殷の初代王湯(トウ)を補佐した名臣)は湯の命を受けると、武器を手にとって残虐行為をせぬよう禁止し、徴兵したように見せかけ、遂に桀(ケツ:夏王朝最後の王)を唆(そそのか)して兵力不足である事を気づかれぬ様にし、挙兵させた)
【羕(ヨウ(ヤウ))は近似音の佯(ヨウ(ヤウ):「いつわる」の意)の仮借とする原簡整理者の案に従う】


引用部分のうち"執兵欽"は竹簡表面の繊維が部分的に剥離しており、第37号簡中最も判読困難な箇所で、特に""は最初何の字であるか解らず、原簡整理者の李零は仮に""と釈していた(下部構成要素が不明瞭な為、〼とし判断を保留していた)。この""を""に初めて比定したのは陳剣で、更に直前の"欽"が"禁(キン)"の仮借とみなす董珊(トウサン)の見解を踏襲し「禁暴」(暴虐行為を禁止する)と釈した。蘇建洲がこれを支持、更に張通海が伝世文献上に見える「禁暴」の語例を挙げこれを指示した。今、上記の様に釈読する事でほぼ決着が付いているようだが、今一問題部分が物語の流れにしっくりこない印象を与えており、今後も検討の余地が有ると私は考える。

 

●清華楚簡『尹至』第2号簡:"隹胾:悳、憧、亡𥮏"
「隹(これ)胾(わざわひ)なり:悳(トク)を(しひた)ぐ、憧を(バウ)す、𥮏(テン)を亡(うしな)ふ」
(徳に対してむごい仕打ちをする事、憧【意味不明】に暴虐を働く事、法令制度を失う事は災厄に他ならない)
引用中の「憧」は原簡整理者の李学勤(精華大学教授、古文字学の権威の一人)はに隷定、同じ童諧声字の『説文』七下の「脚気」を意味するとする"𤺄(ショウ)"の仮借、或いは異体字と見なして釈読している。即ち「脚気患者を虐げる」意味となるが、他の二つの災厄に比べスケールが数段落ちる感は否めない。同列に扱うのは不自然な為、やはり別字・別語だろう。これに対し『簡帛論壇』で明珍という人が清華簡『芮良夫毖』第12号簡にも殆ど同構の字が有ることを指摘、意符は"千(身)"ではなく"心"であるとし「憧」に隷定する翻案を提出している。字形を見る限り、明珍の案が私も正しいと思う。但し、憧は仮借と考えられるので、このままでは意味が通らない。本字がいずれであるかは明珍も言及していない。今後の発見・研究が
待たれる。詳しくは『簡帛論壇』の『《清華壹·尹至》釋字一則』スレッドを参照。[典拠:『上博楚簡文字聲系1-8冊』p.976,『包山楚墓文字全編』p.328, 『楚簡帛通假彙釋』p.139][疒暴]

 

【㿺】ハク báo (『玉篇』步角切、『広韻』北角切)
形声。意符は皮、声符は暴。暴の初形は、「露わになる、表に出る」が原義。『玉篇』に「肉、膭起(クワイキ)するなり」、『集韻』に「墳起(フンキ)するなり」とあって、「肉が腫れる、腫れ上がる」意。「表出する」の意からの派生義に対する新造字だろう。『集韻』に別義として「皮が破れる」意とするのも("皮破也")、その更なる転義。㿺𤿈(ハクハク)は『玉篇』に「皮起きるなり」とあって「皮が腫れる」意で、同源、加重音形であろう。殆ど用例が無い字だが、明中期の文人沈周(シンシュウ:1427~1509)の詩に「正に一明鏡の如く、銅を㿺蝕(ハクシヨク)し鏽(さび)起く」(まさに曇りの無い澄み切った鏡のように、銅が錆蝕まれ表面は錆で隆起・剥離する)とある。

 

【䂍】バク bó (『集韻』弼角切) 𢑾
形声。意符は矛、声符は暴。『集韻、覚韻』に「䂍槊(バクサク)、唐の衞仗(ヱイヂヤウ)の名なり」とあって、儀仗に用いる矛の一種の名。䂍矟、犦矟、犦槊とも綴る畳韻の語。犦の字が用いられるのは、矛→牛の訛変だろう。唐代の文献に使用例が有る。

 

【𥗋】ボウ(バウ) bào
形声。意符は石、声符は暴。物が地面に落下し炸裂する音を表す字で、爆(バク)と関係が有ろう。『漢語大字典』に『圓悟仏果禅師語録、巻六』の"棒打石人頭、𥗋𥗋論實事"の用例を引き、他に"嚗嚗論實事"、"爆爆論實事"の用例を指摘する。

 

ほか
国字。大原望『和製漢字の辞典』1621収載。古文書4書を引いて「ホカ」とあるとする。他(ほか)と同じ語かは不明。詳細はリンク参照。[禾暴]
 


左偏を示、右旁を暴に作る。『缺字系統』収載、出典不明。音義不詳。待考。[示暴]
 

【襮】ハク bó (『広韻』博沃切) 𧟊𦃙𦆿
中古音:幫母幫摂沃韻一等開口入声(王力/puok/, 李榮/pok/, 鄭張尚芳/puok/, 潘悟雲/puok/, Pulleyblank /pawk/, Karlgren /puok/)
上古音:幫母薬部入声(鄭張尚芳/*poːwɢ/)

西周中期 -
集成2789 『伝抄古文字編』
方鼎』 『集篆古文韻海』
第24字 5・5
形声。意符は衣、声符は暴。『説文』八上に「黼領(ホレイ)なり」とあり、黼(ホ)は「縫いとり」、領は「襟」の意で、「(衣服の)縫いとりされた襟」の意。『爾雅、釈器』にも「黼領なり」とある。『詩経、唐風、揚之水』に「素衣朱襮(ソイシユハク)」(朱色の襟をもつ白絹の衣)の語が見える。これに対応する語句が西周金文に見える。


●『方鼎(シュウホウテイ)』(西周中期:集成2789):
"王姜事内史友員易玄衣朱"
「王姜(ワウシヨキヤウ)、内史(ダイシ)友員(イウイン)をして(シユウ)に玄衣朱䘳(シユハクキン)を易(たまは)らしむ」
(王俎姜(オウショキョウ)が内史(文官の役職名)友員(ユウイン:人名)に命じて(人名)に朱色の縫いとり襟の黒色の衣を下賜させた)
【䘳は襟(キン)の或体で、先進出土史料ではよく用いられている。王俎姜(オウショキョウ)は西周第5代王穆王の妃と考えられている*1】

 

衣本体の色が異なるだけで殆ど同文である。従って、襮は声符を(ボウ(バウ))とするの字がより古いもので有った事が解る。但し、用例はこれ1例のみ。最初期の戦国楚簡では左偏を巾に作る。参照。又、「さらす」意味の暴(バク)の名詞形で「おもて」を意味する表(ヒョウ(ヘウ))・𦆿(ハク)の或体としての用義が有り、『広雅、釈詁四』に「襮は表なり」と訓ずる。伝世文献では『漢書、敘伝上』に"單治裏而外凋兮,張修襮而内逼"「單(ゼン)は裏を治むれども外凋(ガイテウ)し、張(チヤウ)は襮(おもて)を修むれども内逼(ナイヒヨク)す」(単豹(ゼンヒョウ:魯の隠者の姓名)は人の内面を重視して生きたが外部の要因によって身を滅ぼし、張毅(チョウキ:魯の人)は
人の外面を重視して生きたが内部の要因によって身を滅ぼした)の用例が有る。これは『荘子、外篇、達生』に、単豹が世俗を絶って精神面の境地を求めて山籠り生活をしていた所虎に食い殺され、張毅は貴人の邸宅を前に敬意を示す行動を取るなど外面の境地を目指したがストレスが元で病死したという説話に基づいている。戦国楚簡では裏・𦆿で「うら」と「おもて」の対応を示す用例が有る。𦆿参照。

*1:『分子人类学论坛 Forum of Molecular Anthropology』の『西周诸王后妃』スレッド参照(2017.1.23参照)
 


竹と暴に作る。『グリフウィキ』に収載し、典拠を『国際符号化文字集合検討文字リスト』extf-05578とする。音義不詳。待考。[竹暴]
 

【𦆿】 㬧𦃙
①ボク bó (『広韻』蒲木切)
中古音:並母通摂屋韻一等開口入声(王力/buk/, 李榮/buk/, 鄭張尚芳/buk/, 潘悟雲/buk/, Pulleyblank /bəwk/, Karlgren /bʱuk/)
上古音:並母屋部入声(Baxter-Sagart /*[b]ˤawk/, 鄭張尚芳/*boːɡ/)
②ボウ(バウ) bào (『広韻』薄報切)
中古音:並母效摂豪韻一等開口去声(王力/bɑu/, 李榮/bɑu/, 鄭張尚芳/bɑu/, 潘悟雲/bɑu/, Pulleyblank /baw/, Karlgren /bʱɑu/)
上古音:並母貌部去声(鄭張尚芳/*boːwɢs/)

後漢 戦国、楚 -
100年 前308頃 『伝抄古文字編』
『説文』 上博『彭祖』 『集篆古文韻海』
十三上 第2号簡 5・24
形声。意符は糸、声符は暴。『説文』十三上に㬧を正字とし、「頸連(ケイレン)なり」といい、暴の省声とし、『玉篇』(唐写本)に「領連(レイレン)なり」とあり、「首まわりの襟」の意。但し、その意味での用例が無い。𦆿の字形で「表面」を意味する例が楚簡に見える。


●上博楚簡『彭祖(ホウソ)』第2号簡:"天地與人,若經與緯,若𦆿與裏"
「天地と人は經(たていと)と緯(よこいと)の若(ごと)し、𦆿(おもて)と裏の若し」

この場合はホウ(ハウ)、ヒョウ(ヘウ)の字音で、表(ヒョウ(ヘウ))と同語にして自体が異なるのみ。語源的には「表に出す、表わす、さらす」意味の動詞の・暴と名詞の𦆿・襮・表でペアになっている。

 

【𧔙】bậu
形声。意符は虫、声符は暴。ベトナム語で女性から男性に対して話すときの文語的二人称代名詞bậuに用いるベトナムの国字(字喃)。妻が夫を親しみをこめて呼ぶときにも使う。一般的には"倍"の字を用いるようだ。何故虫偏かは不明。虫に関する別語の仮借かも知れない。
https://vi.wiktionary.org/wiki/b%E1%BA%ADu#Ti.E1.BA.BFng_Vi.E1.BB.87t
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%8D%97%E8%AF%AD%E4%BB%A3%E8%AF%8D

 

 

 

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その1の続き

 

【その1】未掲載の"暴"出土資料

戦国? 漢代
- -
『古陶字彙』 『古文四声韻』 『漢印文字徴』
281頁 64頁 暴守 暴通 暴博私印 暴不害印 暴詡私印
後漢
164年 171年 177年 181年 185年 不明
『秦漢魏晋篆隷字形表』
『孔宙碑陰』 『西狹頌』 『尹宙碑』 『校官碑』 『曹全碑』

『袁博残碑』

 

 

【𣉱】 
①ボウ(バウ) bào  (『広韻』薄報切)
中古音:並母效摂豪韻一等開口去声(王力/bɑuᴴ/, 李榮/bɑuᴴ/, 鄭張尚芳/bɑuᴴ/, 潘悟雲/bɑuᴴ/, Pulleyblank /bawᴴ/, Karlgren /bʱɑuᴴ/)ᴴˣ
上古音:並母貌部去声(Baxter-Sagart /*[b]ˤawk-s/, 鄭張尚芳/*boːwɢs/)
①バク pù (『玉篇』歩卜切、『広韻』蒲木切)
中古音:並母通摂屋韻一等開口入声(王力/buk/, 李榮/buk/, 鄭張尚芳/buk/, 潘悟雲/buk/, Pulleyblank /bəwk/, Karlgren /bʱuk/)
上古音:並母屋部入声(Baxter-Sagart /*m-pˤawk/, 鄭張尚芳/*boːɡ/)

『説文』十下-𣉱

形声。意符は夲(トウ(タウ):「早く進む」意)、声符は(バク)、或いは暴(バク)の省声。『説文』十下に「疾(すみ)やかにして趣(おもむ)く所あるなり」とあって、「(どこかに向かって)速く走る」意。全く用例が無い字だが、一部の暴諧声字の古体に、声符を𣉱に作る例がしばしば見られ、古くは普通に用いられていた字だったと思う(秦系文字の史料の少なさから確認出来ないが)。又、語源的に関係が有ると見られる「にわか雨」を意味する瀑(バク)の語・字が有り、また暴(バク)を仮借してその意に用いる例が有る(瀑参照)。恐らく、「暴虐」の意の暴(ボウ(バウ))と同根で、「荒々しい」の原義から「速い」の意に転じたものだろう。白川静はこの字を暴と本来は同字で、野晒しの獣屍の象形とし、「暴は日照りにさらされているものであるから、暴疾の意となる」と説明するが(『字統』p.801)、無理が有る。日本語に置き換えてみれば、「野晒し;日に晒す」という語が「速い;速く走る」意味に転じる筈が無い事ぐらい容易に判る。飛躍しすぎである。『顔氏家訓、書證』に「字書を案ずるに、古は㬥曬の字と𣉱疾の字と相似たり。ただ下少しく異なり。後人専ら輒(すなは)ち傍日を加へたるのみ」とあるのが、事実であろう。

 

【儤】ホウ(ハウ)、ヒョウ(ヘウ) bào
形声。意符は人、声符は暴。もと𢖔の譌形。『正字通、人部』に「官吏、連直するなり」とあって、「官吏が連日宿直すること、とのい」を言う。『唐志』に「新(あら)たに官府に至り、上直を倂(ヘイ)ず、之を儤(ヘウ)と謂(い)ふ。儤直(ヘウチヨク)、一に豹直(ヘウチヨク)に作る。亦、伏豹(フクヘウ)と曰ふ。出でずの義を取るなり」とあり、要するに「官吏になって初めて宿直すること」を儤(ヒョウ)・儤直(ヒョウチョク)と言い、また後者を豹直とも綴り、別に伏豹とも言うというのである。豹直の語は『封氏見聞記、豹直』に語源説が見え、「豹直する者、衆官皆出で、己(おのれ)獨(ひとり)留まるを言ふ。藏伏(サウフク)の豹、伺候(シコウ)し搏(ハク)するを待つが如し。故に、伏豹と云(い)ふ」とあって、初めて宿直する官吏が他の官吏が皆退出し帰宅していくのを自分一人だけ留まって見送る様子が、伏し隠れる豹が獲物を捕らえるのを伺っている様に見えるからとする。但し、これは恐らく俗説の類でその本字は𢖔(ヒョウ)、豹に作るのは仮借による表記と考えられる。この豹直の表記から動物の豹に関係付けて語源が再解釈されたのだろう。新米の宿直官吏が同僚たちが帰宅するのを豹が虎視眈々と獲物を狙う様に見送るというのは、普通に考えれば有り得難い情景である(𢖔を参照)。

 

【𣋰】bão
形声。ベトナムの字喃の𩙕の或体。

 

【嚗】ハク bó (『広韻』北角切) 𡄗𧬉
中古音:幫母江摂覚韻二等開口入声(王力/pɔk/, 李榮/pɔk/, 鄭張尚芳/pɣʌk/, 潘悟雲/pɯɔk/, Pulleyblank /paɨwŋk/, Karlgren /pɔk/)
上古音:幫母薬部入声(鄭張尚芳/*proːwɢ/)
形声。意符は口、声符は暴。擬態語起源。先秦字だが『説文』未収。『集韻』に「聲(こゑ)なり」とあるが用例は無い。『荘子、知北游(チホクユウ)、八』に"神農隱几擁杖而起,嚗然放杖而笑"「神農、几(キ)に隱(よ)り杖を擁(いだ)きて起ち、嚗然(ハクゼン)として杖を放ちて笑ふ」(神農は脇息(おしまづき)にもたれながら杖を抱きかかえて起ち上がったが、ぽうんと杖を投げ出して笑った)*1とあり、杖を投げ出す様子を表す擬態語とされている(李頤(リイ)『釈文』)。一方、「嚗然」は「笑」にかかっているとする説も有り、この場合は笑い声を表す擬声語となる(王敔(オウギョ)説)。『増韻』に嚗の訓を「笑ふ聲なり」とあるのもこの解釈と関係付けられよう。又、「嚗」を「暴」に作る引用も有り(馬叙倫)、「𡄗」に作る引用も有る(王叔岷)。馬叙倫は「𧬉」の仮借字とする*1。他にも『集韻』に「薄報切」の反切と嚗噪(ホウソウ(ハウサウ))という畳韻の語を挙げ、「多くの聲なり」というが用例は無い。
*1:池田知久『荘子下、全訳注』p.301-304

 


左偏を土、右旁を暴に作る。『缺字系統』収載、出典不明。音義不詳。待考。[土暴]
 

ヒョウ(ヘウ)

戦国早期、曾
前433-400頃
曾侯乙墓竹簡『遣策』
第4号簡 第8号簡 第45号簡 第53号簡 第55号簡 第58号簡

 

形声。意符は巾(正確には「膝掛け」を意味する巿(フツ))、声符は暴(正確には"暴"の初文の)。字音(漢音)は"表"と同じヒョウ(ヘウ)*1。暴・は「日に曝す」意の字で、原義は「表に出す」。その名詞形が表(ヒョウ(ヘウ))である。戦国時代最初期の楚系文字で書かれている曾侯乙(ソウコウイツ)墓出土竹簡に6例見え、全て"裏"と対になる"表"の意味で用いられている。つまり、表の異体字。


●第4号簡、第7~8号簡、第45号簡:"紡,紫裏"(紡ぎ糸の表側に紫の裏側)
●第53号簡:"紫"「紫(紫色の錦(にしき)で紡いだ表側)【第54号簡、及び第55号簡にこれと対となる"紫之裏"の語句が見える】
●第55号簡:"紫之"(紫色の表側)
●第58号簡:"紫"(紫色の覆いの表側)の字は何琳儀『戰國古文字典』p.695では"讀㡆"とあって、『説文』七下の㡆(コウ(クワウ)),ボウ(バウ))の「隔つなり」、『段注』に隔の意味は上から覆う意とする字に比定する。然し、「紫色の覆いの表側」では意味が取りにくく不自然に感じられる】

*1:何琳儀『戰國古文字典』p.327

 

【𢖔】ホウ(ハウ)、ヒョウ(ヘウ) bào 忁𢖚儤
形声。意符は彳、声符は暴。『広韻、效韻』に「𢖔直吏官なり」とあって、「当直の官吏、とのい」をいい、上掲の儤と同じ語である。一方、『類篇、彳部』に「越ゆるなり。唐制:新(あら)たに官府に至り上に倂(ヘイ)ずる者、之を𢖔(ヘウ)と謂(い)ふ。今、俗に程外に課作する者を𢖔工(ヘウコウ)と爲す」とあって、「越える」意味が有る事が指摘されている。その後に唐の制度とする引用が有るが、儤(ヒョウ)字の説解と微妙に文に異同が有り、「倂上」や「程外課作」といった意味がよく解らない語句が並ぶ。又、『集韻』は忁を正字として掲出し、「越ゆるなり。漢制:新たに官府に至り上に倂(ヘイ)ずる者、之を忁(ヘウ)と謂(い)ふ」とあり、唐ではなく漢の制度とする。又、『康熙字典、十五』に古い文献では"𢖔"は見つかるが、"儤"は存在が確認出来ないと指摘している。

 

これらのデータを考慮すると、意符の彳や『類篇』『集韻』の挙げる訓が示すとおり「越える」意が本義だろう。又、忁・𢖚といった古風な構形の異体の存在から『集韻』が指摘するように漢代の成立に遡る字である可能性が高いと思う。「𢖔直」は「(日を)越えて宿直する」の意、「𢖔工」は「(規定された割り振りを)越えて何かをする」意が原義と考えられる。儤は『康煕字典』が指摘する通り、後代に生じた𢖔の訛体と見なされる。

 

【懪】バク bó (『広韻』蒲角切) 𢥑𢥟
中古音:並母江摂覚韻二等開口入声(王力/bɔk/, 李榮/bɔk/, 鄭張尚芳/bɣʌk/, 潘悟雲/bɯɔk/, Pulleyblank /baɨwŋk/, Karlgren /bʱɔk/)
上古音:並母薬部入声(鄭張尚芳/*broːwɢ/)

『伝抄古文字編』(『集篆古文韻海』5・8)

形声。意符は心、声符は暴。先秦字だが『説文』未収。『爾雅、釈訓』に「懪懪(バクバク)、悶(もだ)ゆるなり」、『玉篇、心部』に「懪、煩悶(ハンモン)するなり」とあって、「悶える」意。心臓がバクバクいってそうな字である。元より擬音語である。又、『玉篇、心部』に「悖(もと)る」なりという。然し、いずれも用例が無い。字書以外の古い文献では『太平御覧、健』に"世祖募求勇敢之士,惟東應選,遂懪殺胡,勇聞殊俗"「世祖、勇敢の士を募り求め、惟(ただ)東(トウ:人名)
のみ應じ選ぶ。遂に胡を懪殺(ハクサツ)す。勇、殊に俗に聞こゆ」(司馬炎(西晋初代皇帝)は無敵を誇るある西域の胡人に対し、これに勝てる勇猛の志士を募った。これに応じたのは庾東(ユトウ)だけで彼が選ばれ、遂にその胡人を殴り殺した。彼の武勇は世俗に大いに木霊した)とあるのが殆ど唯一である。


所が典拠元の今本『晋書、庾闡(ユセン)伝』にあたると、"遂撲殺胡,之名震殊俗"とあり「撲殺(ハクサツ)」(現代日本語のボクサツの読みは呉音起源)に作る。恐らく、この用例中の「懪」は、撲(ハク)の換声旁異体字㩧(ハク)の手偏が崩れた譌形であろう。他にも「暴殺」に作る引用も有るようだが、これは仮借表記である。

 

【㩧】ハク bó (『広韻』蒲角切) 𢹯𣞺𣀛𣀠
中古音:滂母江摂覚韻二等開口入声(王力/pʰɔk/, 李榮/pʰɔk/, 鄭張尚芳/pʰɣʌk/, 潘悟雲/pʰɯɔk/, Pulleyblank /pʰaɨwŋk/, Karlgren /pʰɔk/)
上古音:滂母屋部入声(鄭張尚芳/*pʰoːɡ/)

-
『伝抄古文字編』
『集篆古文韻海』
4・35 5・8
形声。意符は手、声符は暴。擬音語起源。『広雅、釈詁三』に「擊(う)つなり」、『広韻』に「擊つ聲なり」とあり、「打つ、殴る;打ち叩く音」の意。同音の撲(ハク)の換声旁異体字。古くは"暴"の字を仮借して代用しており、先秦伝世文献にその用例が見える。

 

●『詩経、小雅、小旻(ショウビン)』:"不敢暴虎、不敢馮河"
「敢へて虎を暴(う)たず、敢へて河(カ)を馮(かちわた)らたず」
(すすんで虎に素手で殴りかかろうとしたり、黄河を徒歩で渡ろうとしたりしない)
●『論語、述而』:"暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也"
「虎を暴(う)ち河(カ)を馮(かちわた)りて死して悔い無き者は、吾(われ)與(とも)にせざるなり」
(素手で虎を殴り殺そうとしたり、黄河を徒歩で渡ろうとしてもヤバいなと思わん様な奴とは一緒に何かをしたいとは思わんな)

 

この文は「血気にはやって無謀な事をすること」を意味する四字熟語暴虎馮河(ボウコヒョウガ)*1の語源となった。従って、本来はハクコヒョウガと読むのが正しいが、今慣用読みとなる。『論語』の引用は孔子の言葉。門下の子路は武勇に優れていた為師から褒められようとして、「一国の大軍を率いるなら誰と共に仕事をしたいですか?」と質問したのに対する(孔子曰く「子路、お前だよ」という言葉が欲しかった訳だ)。逆に詩に造詣が深かった孔子が『詩経』を引用してウィットを利かせて返答をしたのである。「暴虎」の語は『詩経、鄭風、大叔于田』にも見え、

更に古くは甲骨文に「虎を(う)つ」(合集11450(𠂤賓間))の形で用例が有る。『晋書、石勒載記下』に見える「㩧殺(ハクサツ)」は現代日本語の撲殺(ボクサツ)と同語。手偏が崩れて"懪"に作る例が有る。cf.懪

 

*1:『大漢和辞典、巻五』p.929はバウコヒヨウカの読み。

 

【瀑】 𤄗𤃵
①ボウ(バウ) bào (『広韻』薄報切)
中古音:並母效摂豪韻一等開口去声(王力/bɑu/, 李榮/bɑu/, 鄭張尚芳/bɑu/, 潘悟雲/bɑu/, Pulleyblank /baw/, Karlgren /bʱɑu/)
上古音:並母貌部去声(鄭張尚芳/*boːwɢs/)
②ボク pù (『広韻』蒲木切)
中古音:並母通摂屋韻一等開口入声(王力/buk/, 李榮/buk/, 鄭張尚芳/buk/, 潘悟雲/buk/, Pulleyblank /bəwk/, Karlgren /bʱuk/)
上古音:並母屋部入声(Baxter-Sagart /*[b]ˤawk/, 鄭張尚芳/*boːɡ/)

後漢 戦晩、秦 -
- 前256-217頃 『伝抄古文字編』
『説文』 睡虎地『為吏之道』 『集篆古文韵海』 『古文四聲韻、籀韻』
十一上 第5号簡参 5・1 4・30

形声。意符は水、声符は暴。『説文』十一上に「疾雨(シツウ)なり」とあって「にわか雨」の意。又、「一に曰く、沫なり。一に曰く、瀑(たき)霣(お)つるなり」とあって、「水しぶき、飛沫」「滝、瀑布」の意を挙げ、『詩経、邶風、終風』の"終風且瀑"「終(つひ)に風(フウ)し且つ瀑(バウ)す」(強い風が吹きにわか雨が降る)*1を引用する。今本は"終風且暴"に作る。声符の暴は、ここでは𣉱(ボウ(バウ))の仮借で「速い」の意味を表している。従って、瀑は急激に降り出して急に止む雨の事で「にわか雨」の意で、「はやさめ(暴雨, 速雨)」が語源。𣉱の引伸義の専用字として生みだされた。『古文四声韻』収録の古文が𣉱に従うが、これが語源的に正しい字体である。我が国の古語でもにわか雨の事を「はやさめ」といい、『詩経』から取材して「暴雨」の漢字表記を当てている。ほぼ同じ意味の漢語驟雨(シュウウ(シウウ))も似たニュアンスを持つ造語で、驟は『説文』十上に「馬疾(はや)く歩(ホ)するなり」とあり、やはり「はやさめ」が原義である。「水しぶき」の意は「にわか雨」からの転義であろう。「にわか雨、水しぶき」は①の音で読む。

 

「滝」の意味は②のボク(バクは慣用音)の音で読み、①とは語源が異なるようだ。声符の暴は『漢字字源』p.277に「露わになる、晒す」意の暴・曝を表しているとし、川の上流の山の斜面が露出して滝となる事から「瀑」というとするが、どうもこじつけ臭い解釈で殆ど言葉遊びの様に見える。「滝」の意の「瀑布」は、東晋の文学者孫綽(ソンシャク:314~371)の詩『天台山(テンダイサン)に遊ぶの賦』に「瀑布、飛流して以て道を界(へだ)つ」と有るのが文献上の初出。天台山には大きな滝が4ヵ所あるようだ。布の字が用いられるのは、白く長く伸びる滝を布に例えたものとされる。

 

*1:第一字目の「終」はどんな意味で用いられているのか良く解っていない。「終日」の意だとも、「既に」の意だとも言われている。多くはこの字を無視して詩意を解釈している。『中文百科在線』の『詩經·國風·邶風·終風』項参照。
 

むじな
国字。大原望『和製漢字の辞典』1326にこの字を収録し、古文書を引いて「ムジナ」とする。大原望は凶暴な獣の意で作った国字ではないかと推測する(リンク参照)。異体字として右上の"日"が"田"に変じた字形も見え、『戸籍統一文字』233230でこのは田に従うが採用されている。𪻌[犭暴]

 

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【暴】㫧𣊴曓㬥𣋳𣋴𣊻
①ボウ(バウ) bào(『広韻』薄報切)
中古音:並母效摂豪韻一等開口去声(王力/bɑuᴴ/, 李榮/bɑuᴴ/, 鄭張尚芳/bɑuᴴ/, 潘悟雲/bɑuᴴ/, Pulleyblank /bawᴴ/, Karlgren /bʱɑuᴴ/)
上古音:並母貌部去声(Baxter-Sagart /*[b]ˤawk-s/, 鄭張尚芳/*boːwɢs/)
①バク pù(『玉篇』歩卜切、『広韻』蒲木切)
中古音:並母通摂屋韻一等開口入声(王力/buk/, 李榮/buk/, 鄭張尚芳/buk/, 潘悟雲/buk/, Pulleyblank /bəwk/, Karlgren /bʱuk/)
上古音:並母屋部入声(Baxter-Sagart /*m-pˤawk/, 鄭張尚芳/*boːɡ/)

『説文』七上-暴『説文』七上-暴(古文)

戦国、楚
前390頃 前308頃 年代未確認
郭店『性自命出』 郭店『唐虞之道』 上博『鬼神之明』 上博『従政甲』 上博『容成氏』 浙江大『左伝』
第64号簡 第12号簡 第1号簡 第3号簡 第15号簡2 第15号簡18 第18号簡 第37号簡

第48号簡

 
戦国秦~統一秦
前256-217頃 前222-前207頃 前219 前212
睡虎地『秦律十八種』 睡虎地『為吏之道』 里耶第8層 『嶧山刻石』 岳麓『為吏治官及黔首』
第2号簡 第8号簡壱 第149号簡 第876号簡 第1221号簡 第1243号簡 第3行 第50号簡弐
 
前漢、早期
前206-前195頃
馬王堆『五十二病方』 馬王堆『養生方』 馬王堆『十問』 馬王堆『春秋事語』
第29行 第164行 第458行 第90行 第214行 第214行 第62行 第68行
前漢、早期 漢代
前206-前195頃 -
馬王堆『天下至道談』 馬王堆『老子乙』 馬王堆『老子乙巻前古佚書』 馬王堆『老子甲』 馬王堆『老子甲巻後古佚書』 博羅松治漢牘
第13行 第238行 第36行 第128行 第138行 B第426行 第451行 395・010

形声。意符は日、声符は𠬻(ホウ:=奉)。原字は*で、原義は「表に出す、露わにする、日に晒す」と考えられる。現行字"暴"の下部構成要素の"氺"は後に加えられたもの。私、マルピコスが独自に考案した字源説。奉の中古音は並母通摂鍾韻三等開口上声(王力/bĭwoŋ/, 李榮/bioŋ/, 鄭張尚芳/bɨoŋ/, 潘悟雲/bioŋ/, Pulleyblank /buawŋ/, Karlgren /bʱi̯woŋ/)、上古音は並母東部上声(Baxter-Sagart /*m-pʰ(r)oŋʔ/, 鄭張尚芳/*boŋʔ/)に再建されている。先秦上古音では奉・暴ともに声母は有声両唇破裂音[b]の並母、韻は"暴"の本音バクが屋部(-ɔk)、奉が東部(-ɔŋ)で、いわゆる陽入対転(ヨウニュウタイテン)という通韻の関係にある組み合わせであり、例えば寺(ジ)諧声系で特(トク:職部(-ək))と等(トウ:蒸部(-əŋ))の音の字が、広(コウ(クワウ):陽部(-aŋ))諧声系に拡(カク(クワク):鐸部(-ak))の音の字が存在するのと同じである。

 

原義は「露わにする、表に出す」と考えられ、例えば「大声で自身の無実の罪を訴える」を意味する謈(バク)や「表面」を意味する襮(ハク)は語源的に関係が有ると考えられる。同じく、「おもて」の意味の表(ヒョウ(ヘウ))とも同根と考えられ、特に襮は古い用法では表の異体字として用いられている。表の中古音は幫母效摂宵韻三等開口上声(王力/pĭɛuˣ/, 李榮/pjɛuˣ/, 鄭張尚芳/pɣiᴇuˣ/, 潘悟雲/pɯiɛuˣ/, Pulleyblank /piawˣ/, Karlgren /pi̯ɛuˣ/)、上古音は幫母宵部上声(Baxter-Sagart /*p(r)awʔ/, 鄭張尚芳/*prawʔ/)と再建される。襮の中古音は沃韻とされるので、表とは陰入対転の関係にあり通仮可能な範囲の音の近さである。


『説文』七上に「晞(かわ)くなり。日に從(したが)ひ、出に從ひ、𠬞(キヨウ)に從ひ、米に從ふ」とし、その『段注』に「日出でて、手を竦(あ)げて米を舉(あ)げ、之を曬(さら)す」とする。つまり、手に米を取り、太陽に向かって手を掲げて米を日光にさらすことだとする。又、『説文』は暴の
古文として𣋴(=𣋳)を挙げる。又、表・襮の異体として上博楚簡『柬大王泊旱』に𧞯の字の用例が四見し、𧞯は麃(ヒョウ(ヘウ))声の字である事から、暴と表が音韻的に近い事がこの点からも立証できる。暴・奉の語頭子音b-と表の語頭子音p-では有声・無声の違いが有るが、同じ現象はやはり同根、或いは同語源の関係にある次の様なペアにも見られる:現=見、学=教、墨=黒、截=切。何故この様な事が起きるのかは未調査。

 

暴は「晒す」という特殊な意味のためか出土史料には殆ど姿が見えず、特に金文での出現はゼロである。定式的な文の多い金文には確かに使われなさそうな字である。白川静が『字統』に"暴"の金文の摸本を一例挙げているが(下掲写真)、これは戦国晩期の金文『中山王サク鼎』に使用されている"早(ソウ(サウ)"の異体字で、意符の日の下に声符の棗(ソウ(サウ))を配した形声字である。銘文には"昔者先考成王,棄羣臣"「昔、(わ)が先考の成王は(はや)くに羣臣(グンシン)を棄(す)つ」(昔、私の父王の成王は(若くして亡くなり)、早くに家臣たちを棄てる事になった)とあって、中山国第5代君主(サク:在位、前327~前313)の父王成公(セイコウ:在位、前340頃~前328頃)の早逝による国の危機を記すもので、"暴"とは関係が無い。白川は暴と𣉱を同一字源と見なし、いずれも日に曝された獣屍の象形とするが、『中山王サク鼎』の字形を一助とするのは誤りであった。は曾侯乙墓竹簡や郭店楚簡など楚文字にも見られ、秦系文字の"早"は元々その略形か譌形から生じたものと考えられる*1。

『字統』収載の金文「暴」とされる字の摸本 『中山王鼎』銘文部分(拓本)

 

先秦出土史料では秦楚以外の他の国では使用例が発見されていない。楚文字での"暴"字の初出は、戦国時代最初期の曾侯乙墓竹簡『遣策』に「表面」の意味で用いられているという字の声符部分としてである。の声符部分は正確には日と𠬻に従うに作り、かつて*の字が存在していた事の傍証となっている。楚文字でも時代が下るとは字形が変形し、上から順に天(大)・日・臼・𠬞より構成されるに従う字形となった。自体構成要素のうち真中にあった丰(ホウ)が臼に置換してしまったのである。この過渡期にあるのが戦国時代中期前段の郭店楚簡である。その『性自命出』第64号簡に見える字は、丰(ホウ)とも臼ともどちらとも言い難い中間的な形に作る。恐らく𠬞と丰の字画共有から字源が不明となり、更に上部の"日"の最終画との字画共有が発生、ここから異分析により𠬞と臼による字形と再解釈され
後代の上博楚簡『鬼神之明融師有成氏』に見えるような、もはや何が何だかよく解らない字体と化していったのだろう。また、郭店楚簡『唐虞之道』に見える字体も、下部要素が"本"の様な形になっているが、これも𠬞と丰の字画共有から生じた異体と考えられる。

 

上部の"天"に当たる部分は識者によって見解が異なる。『性自命出』第64号簡の「暴」の字形から、"天"の部分を周鳳五(博士、国立台湾大学中国文学系)は"虎"の可能性を示唆、季旭昇(キキュウショウ:博士、中国文学大学中国文学系)は"爻(コウ(カウ))"と釈し、"暴"と"爻"の音の近似による声符の追加と見なす*1。朱曉雪(シュギョウセツ:博士、華僑大学)はこの最上部要素を「大」と見なす*2。私自身の考えでは、天に作るのが祖形で、「日にさらす」意味を明示する為に加えられた意符ではないかと思う。秦の自体には無い新要素である。以下に字画共有(戦国文字の専家、何琳儀が指摘する概念)によって生じたと考えられる暴の辿った字体演変の過程を図式化したものを掲出する(あくまで、私が想定した仮説である)。

 

𠬻(ホウ:=奉)を声符とする楚文字は他にも5文あるが、そのうち私が原字体を確認した4例はいずれも祖形である𠬻を正確に留めている。なぜ、ただ一人"暴"のみ字形変化が生じたのだろうか。これは字音が影響しているかもしれない。先述の通り「晒す」意の暴の本来の字音は、"奉"とは対転の関係にある「バク」である。他の奉声字とは違い字音が少しく異なるため、字が一旦崩れ出すと語源・字源的な連想から解放され、修復・修正する機会を失うことになる。このため、字体の崩壊・異体字の乱立へと邁進していったのだろう。

 

以下、戦国楚簡での使用例を挙げる。まず原義の「表面に出す」意味の用法だが、一例しか知られていない。
●郭店楚簡『性自命出』第64号簡:"𢝊谷僉而毋惛、谷浧而毋暴"
「𢝊(うれ)ひ僉(をさ)めんと谷(ほつ)して惛(コン)すること毋(な)し、(ド)浧(み)たさんと谷(ほつ)して暴(あらは)すこと毋(な)し」
(憂いを収束させようとして混乱すること無く、生気を満たそうとして顕示する事も無い)

 

仮借義の「暴虐」の意味の用法。
●郭店楚簡『唐虞之道』第12号簡:"咎繇内用五型、出弋兵革、辠涇暴"
「咎繇(カウヤウ)、五型(ゴケイ)を用(もつ)て内(をさ)め、兵革を弋(もつ)て出だし、涇暴(インバウ)を辠(ザイ)す」
(皋陶(コウヨウ:堯・舜に仕えた名裁判官)は五刑をもって内政に努め、兵器・兵力をもって対外政策を行い、淫乱・暴虐行為を罰した)
【弋は式に為読され、助詞の"以"と同じ用法。"内"と"出"の動詞で対句となっている。但し、"内"と"出"が具体的にどんな行動を表しているかは良く解らない。仮に上の様に訳した】
●上博楚簡『鬼神之明』第1号簡:
"今夫神又所明又所不明,則㠯亓賞善罰也"
「今夫(そ)れ神(キシン)明なる所又(あ)り、明ならざる所又(あ)り。則ち亓(そ)の賞善罰(シヤウゼンバツバウ)を㠯(もつ)てなり」
(鬼神には明知であるところと明知でないところがある。何故ならその(鬼神が)善を賞したり暴を罰したりするからである)
●上博楚簡『鬼神之明』第3号簡:
"女㠯此詰之,則善者或不賞,而【或不罰】"※【】内は断簡による缺字だが文脈から補った字。
「女(も)し此(こ)れを㠯(もつ)て之を詰(キツ)せば、則ち善なる者賞あらざること或(あ)り,(バウ)なる【者罰あらざること或(あ)るなり】」
(もし先述の事例をもって鬼神の明知を問うのであれば、善人が鬼神に賞されない場合が有り、暴人が鬼神に罰せられない場合が有る(のも確かな事である))

 

●上博楚簡『従政甲』第15号簡:
"毋、毋、毋惻、毋㤷。不攸不武,胃之必城,則。不而殺,則。命亡𠱾,事必又,則惻。【以下略】"
(バウ)毋(な)かれ、(ギヤク)毋かれ、惻(ゾク)毋かれ、㤷(ドン)毋かれ。攸(をさ)めず武(いまし)めず、之必ず城(な)せと胃(い)ふ、則ち(バウ)なり。(をし)へすじて殺す、則ち(ギヤク)なり。𠱾(とき)亡(な)くして命じ、事必ず(キ)を又(イウ)す、則ち惻(ゾク)なり【以下略】」
(横暴をしてはならない、残虐をしてはならない、賊害をしてはならない、吝嗇をしてはならない。民を正しい方向へ導かず戒める事もせず、ただ「必ず完了せよ」とだけ言う、これを横暴という。民を教化せず非が有れば殺す、これを残虐という。時限を設けずに命令しておきながら、実際には期日が設定されている、これを賊害と言う)

 

この文は『論語』に言及されている四悪(シアク)に対応する。
●『論語、堯曰(ギョウエツ)』:"不教而殺、謂之虐。不戒視成、謂之暴。慢令致期、謂之賊。【以下略】"
「教へずして殺す、之を虐と謂ふ。戒めずして成るを視る。之を暴と謂ふ。令を慢(マン)にして期を致す、之を賊と謂ふ。【以下略】」
(民を教化せず非が有れば殺す、これを残虐という。民を戒めないで成果だけしか見ない、これを横暴という。法令はいい加減なのに実行期限は厳しい、これを賊害という)


その他の経典にも見える。
●『韓詩外伝、巻三』:"托法而治謂之暴,不戒致期謂之虐,不教而誅謂之賊【以下略】"
「法に托(たの)みて治むる、之を暴と謂ひ、戒めず期を致す、之を虐と謂ひ、教へずして誅する、之を賊と謂ふ【以下略】」
(法令にのみ頼って(余裕のない厳しい)政治を行うのを横暴と言い、民を戒めないのに実行期日は厳しい事を残虐と言い、民を強化しないで非が有れば殺すのを賊害と言う)
●『荀子、宥坐』:"嫚令謹誅,賊也;今生也有時,歛也无時,暴也;不教而責成功,虐也"
令を嫚(マン)にして誅を謹(いそ)しむは、賊なり。今生ずるや時有るに歛(をさ)むるや時無きは、暴なり。教へずして成功を責むるは、虐なり」
(法令は杜撰なのに罰則に勤(いそ)しむのは賊害である。物事には時期というものが有るのに、それを無視して治めようとするのは、横暴である。民を教化せずに成果のみ求めて責め立てるのは残虐である)
【謹を「慎む」と読む釈読も有るが意味が若干通りにくい(意味はなんとなく解るが)。同諧声の勤の通仮として読むのが良いだろう】


四悪のうち、虐・暴・賊は各資料で必ず言及が有るが(四番目の悪は資料ごとにかなり異同が有る)、その内容は交互に影響し合い、入れ変わっていたりしており、テキストがどのように伝承されてきたかのか想像されて面白い。尚、『荀子、宥坐』は四悪でなくて三悪しか挙げていない。

 

一方の秦文字を見てみよう。既出の様に、秦の"暴"字の状況は戦国最末期以降しか分からない。ただ祖形の日と𠬻(ホウ:=奉)を良く留めていて解りやすいが、下部に"米"が加えられた字形をしている。現用字体の"氺"に当たる部分である。これが何を意味しているのかは解らない。秦は𠬻に更に意符として"手"を下部に加えて奉という改新形を用いだし、現用字体はその後裔である。秦の"暴"はその𠬻→奉の改新に呼応する形で、下部に"手"を加えたもので、この"手"が後に"米"転訛した可能性が有る。或いは、"暴"字そのものは「にわか雨」の意の"瀑"の初文で、その下部構成要素の"米"は"水(氺)"の訛変の可能性が有る。ただ、これらを支持するデータは今の所何一つ見付かっていない。先述の通り、秦の"暴"字は戦晩~統一秦のたかだか数十年の間の用例だけである。しかも字体は一律に㬥に作りブレも一切無い。これは字形の主要な変化が一通り完了し、完全に落ち着いてしまっている事を物語っている。秦文字は今私たちが用いている漢字の直接の先祖だが、楚文字に比べて出土史料の幅が乏しく解らない事が多い。

 

以下に出土秦簡の用例を見る。睡虎地秦簡『田律』第2号簡に、現代でも用いられている「暴風雨」の語が見える。又、睡虎地秦簡『日書、甲』第37号簡背面参列、第42号簡背面貳列に「暴鬼(バウキ)」という鬼の名称が見える。これは『太平広記、巻358、斉推女』にも見える語で、凶暴な鬼を意味している。
●岳麓秦簡『為吏治官及黔首』第50号簡弐:"𠪚(嚴)剛毋暴"
「𠪚(つつし)んで剛(ガウ)し暴(バウ)毋(な)からん」
(謹んでくじけず横暴の無きよう努めよ)

 

出土史料と同様、伝世文献でも本義の「表面に出す、晒す」の意での用法は非常に少ないが見られる。まず、先に原義の「表面に出す、露わにする、表わす」意味での用法を挙げる。
●『孟子、萬章上』:"昔者堯薦舜於天而天受之、暴之於民而民受之"
「昔、堯は舜を天に薦めて天は之を受け、之を民に暴(あらは)して民は之を受く」
(昔、堯は舜を天子にする為に天に推薦したところ天はこれを受け入れた。そこで舜を人民の前に出したところ人民はこれを受け入れたのだ)
●『史記、淮陰侯列伝』:"暴其所長於燕,燕必不敢不聽從"
「其の長ずる所を燕に暴(あらは)せば、燕は必ず敢へて從ふことを聽かざることあらざらん」
(自軍の長所を燕(国名)に示しせば、燕は必ずすすんで従う事を聞き入れない事はないでしょう)

 

引伸義「太陽のもとに露わにする」、つまり「晒す」意の用例。・曝の字の本義。
●『孟子、滕文公上』:"江漢以濯之, 秋陽以暴之"
「江漢以て之を濯(あら)ひ、秋陽以て之を暴(さら)す」
(長江と漢水で洗濯し、秋の日差しに晒す)

 

その引伸義「乾く」意の用例。
●『荀子、勤学』:"木直中繩、輮以爲輪、其曲中規、雖有槁暴、不復挺者、輮使之然也"
「木の直なること繩(ジヨウ)に中(あた)るも、輮(たわ)めて以て輪と爲(な)せば、其の曲なること規に中(あた)り、槁暴(カウバク)有りと雖も、複(ふたた)び挺(テイ)せざるは、輮(ジウ)之をして然(しか)らしむるなり」
(墨縄で引いた直線の様に真っ直ぐな木でも、力を加えて輪状に加工すれば、まるでコンパスの円に重なる様な弧となる。たとえその木が乾ききってしまったとしても、再び真っ直ぐに戻る事が無いのは、力を加えたという行為が木をその様にさせてしまったからだ)

 

同じく「晒す」意から別に生じた派生義「暖める」意の例。
●『孟子、告子上』:"一日暴之、十日寒之"
「一日之を暴(あたた)め、十日之を寒(ひや)す」

「暴露」の語はこの系統に属し、似た意味の「露わにする」を原義とする"露"を重ねて作られた語である。『左伝』に初出。
●『左伝、襄、三十一』:"其暴露之、則恐燥濕之不時、而朽蠹以重敝邑之罪"
「其れ之を暴露せんとすれば、則ち恐れらくは燥濕の時ならずして、朽蠹(キウト)して以て敝邑の罪を重ねんことを」

 

*1:『敔簋(ゴキ)』(西周晩期:集成4323)銘後半に、現在の"早"の形と完全に一体する字が見えるが、地名で本義不詳。確実な「早い」意味の"早"の出土史料上の用例が現れる迄にかなりのブランクが有り、しかも字形も異なる。早諧声系を詳しく調べないと何とも言えないので、『敔簋』の例との関係は保留とする。

*2:朱曉雪『包山楚簡綜述』pp.139f.

 

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【𣫏】音未詳

■■■■■■■■■■金文■■■■■■■■■■

『師𣫏簋』(西周晩期:集成4311)17 『師𣫏簋』(西周晩期:集成4311)83『師𣫏簋』(西周晩期:集成4311)92

 

形声?。『師簋』(西周晩期:集成4311)*1の作器者名の師字で、現時点ではこの人名以外では使用例を見ない。人名の為、音義未詳。上掲写真の通り、実際の字体は右旁を犬に作り、殳(シュ)ではない。従って、𣫏に隷定するのは原出典に忠実ではない。『中華字海』と『漢語大字典』によると、この𣫏に作る隷定は郭沫若が自著『両周金文辞大系図録、師𣫏𣪘考釈』(私自身は未見)で発表したもので、毀の異体としている。結果的に言えば毀字との同定から、説明不能の原字の右旁の"犬"を辻褄合わせに"殳"に入れ替えたものだろう。𣫏がCJK統合拡張Bに採用され、パソコンでも使えるようになっているのは、大元を辿ればこの郭沫若の『両周金文辞大系図録』が原出典なのだった。則ち、まだ仮説の域を出ていない字釈をパソコンに実装してしまったのである。金文でしか使用例が見られない古字がCJK統合拡張に採用されてPCでも打てるようになった字としては、他にも𤇾(エイ)・㝨(エン)・𥃝(ショウ)・𪔉(セイ)・𦉜(タン)・㝬(ホ)等が有るが、𣫏を採用するには時期尚早であった。

 

白川静も郭沫若の隷定を基本的に踏襲しているが、『字統』では𣫏(キ)に、『金文通釈、両周青銅器銘釈文』では(キ)に作り、実際の字体に忠実に沿うよう配慮が見られる。毀との同定は、の人名以外での用例が現れない限り保留するべきだろう。

 

*1:かつては器名を『毀敦(キタイ)』、或いは『伯龢父敦(ハクワホタイ)』とも呼んでいた様だ。前者はを毀に同定する点で、後者は伯龢父が作器者ではない点から宜しくないが、作器者の名に未詳字が含まれている為、仕方なく今でも『伯龢父敦』の名前が用いられているケースが有る。又、器も銘文中に「・・・の䵼𣪘(シヤウキ)を乍(つく)る」とあるので、簋とするべき。恐らく銘文末尾を「子子孫孫、永く亯を寶用せよ」と読み、亯を敦の初文𦎧(タイ)の略形と見なして敦(タイ)と解釈し、器を敦としたものではないかと想像する。本器の出土時期などは調べた限りでは判らなかったが、拓本ではなく手描きの銘文の模写しか出回っていない事を考慮すると、現物は失われているのかもしれない。この為、器形を確かめられず、簋か敦かでもめているんじゃないかと素人ながらに邪推。

 

【𡒂】
形声。意符は土、声符は毀。『字彙補、土部』に毀の異体とする。

 

【𡢕】キ huǐ

『説文』十二下

 

形声。意符は女、声符は毀。毀は「毀損する、損なう」意味。『説文』十二下に「惡なり」とある。"悪"に「謗る」意味が有るので、一般的にはその意味で解釈されている。又、「一に曰く、人の皃(かたち)なり」とあって、「人のさま」を意味するが、いずれの意味も用例が全く無い。一説に、「人の皃なり」とあるのは、校訂者によって『説文』の説解「惡なり」を補足説明したもので、これが本文として誤って紛れ込んでしまったと見なす。従って、本来の『説文』の訓は「女性の容姿が悪い」意味なのではないかと見る(馬叙倫の説)。経典に全く用例が無い字の為、『説文』の淡白な解説では正確な本義を摑む事は困難である。『集韻、紙韻』には、女の字(あざな)と説明するが、これも用例が無い。異体に𡢶、𡢝がある。

 

【㩓】キ huǐ

『説文』十二上

 

形声。意符は手、声符は毀。毀は「毀損する、損なう」意味。『説文』十二上に「傷擊するなり」とあって、「打撃して傷付ける、打ち傷める」意で、亦声とするが用例無し。異体に𢶙。

 

【檓】キ huǐ
中古音:暁母止摂支韻三等合口上声(王力/xǐwe/, 李榮/xjue/, 鄭張尚芳/hɣiuᴇ/)
上古音:暁母歌部(鄭張尚芳/*hmralʔ/)
形声。意符は木、声符は毀。前漢以前に見える字だが何故か『説文』に未載。『爾雅、釈木』に「大椒(ダイセウ)なり」とあり、その郭璞注に「今、椒樹の叢生し大いなる者を檓と名ず」とあるように、山椒の中でも大型のものを指す。清末の学者郝懿行(カクイコウ)の注によると、元々秦の地が原産で、それ故に秦椒とも呼ばれ、今の名は花椒というとしている。花椒は和名:カホクザンショウ、学名:Zanthoxylum bungeanum、中国原産のミカン科サンショウ属の落葉低木。『爾雅』を始め辞書・字書類にしか用例が見られない字。

 

【燬】キ huǐ
中古音:暁母止摂支韻三等合口上声(王力/xǐwe/, 李榮/xjue/, 鄭張尚芳/hɣiuᴇ/, Pulleyblank /hjwiə̆/, Karlgren /xwie̯/)
上古音:暁母歌部(鄭張尚芳/*hmralʔ/)

 

『説文』十上

 

■■■■■■■■■■簡帛■■■■■■■■■■

長沙子弾庫楚帛書『十二月神図』十月第1行


形声。意符は火、声符は毀。『説文』十上に「火なり」とし、「春秋傳に曰く、衞侯燬」と『春秋左氏伝』僖(キ)二十五年に見える人名を引く。衛侯燬は西周~戦国期に現在の河南省の一部を領有した侯国衛の第21代君主文公の諱(?~前635年;在位:前659年~前635年)。狄に衛国が一旦滅ぼされ(前660年)、曹(現在の河南省滑県)に遷都し復活した以降の第2代君主。人名であり、しかも字が伝わっていないので本義を確かめられず、『説文』が「火」の意として引用するのは不適切と言える。『爾雅、釈言』にも「燬、火なり」、『玉篇』にも「𤈦(キ)、烈火なり。燬、𤈦に同じ」とする。「火」の意である。異体字に㷐・𤐘。

 

伝世文献では『詩経、周南、汝墳』に「魴魚赬尾、王室、燬(や)くが如し」(魴魚(魚の名)の尾は赤く、まるで王宮が炎上するが如くである)とあり、「焼く」意で用いられている。この『詩経』の文は『説文』十上の𤈦字条にも引用されており、そこでは「詩に曰く、王室、𤈦(や)くが如し」に作る。即ち、燬と𤈦は同語異体字の関係にある。この𤈦の声符の尾から、毀・燬の字の上古音の語頭子音を*hm-複声母に再建されている(Baxter-Sagart、鄭張尚芳)(ママ)。

※訂正:*hmは同じ表記でもBaxter-Sagartは無声両唇鼻音/m̥/(ミャンマー語やマスコギー語にも見られる鼻子音)を、鄭張尚芳は複声母/hm/を意図したもので、別物でありました。この無声両唇鼻音が中古音の暁母に、(有声)両唇鼻音/m/がそのまま明母に発達したと見る説が有力となっているのです。猶、Pullyblankや鄭張尚芳が用いる表記*mhも無声両唇鼻音/m̥/を表したものです。訂正してお詫びいたします。(2016/11/8追記、詳細は野原将揮先生の論文『「好」の字音と単語家族』p.13-14を参照)

 

他の早い例では、後漢末の蔡邕(サイヨウ)の『釈誨(シャクカイ)』に「燬熸(キセン)」(焼け残り、消し炭)の語が見え、又『晋書、温嶠(オンキョウ)伝』に「其の下に怪物多く、嶠、遂に犀角を燬(や)きて之を照らす」(牛渚磯(地名)の水面下に多くの怪物が潜み、温嶠はその様子を見る為に犀の角を焼いて水中を照らした)がある。

 

出土史料では戦国時代中期~晩期の長沙子弾庫楚帛書『十二月神図』(1942年、湖南省長沙市子弾庫楚墓出土、盗掘品)の十月を意味する"昜(ヨウ)"(『爾雅』は"陽"に作る)の辺文に
「曰く、昜、燬事(キジ)せず」(十月は建物の解体・移転をしてはならない)とある用例が見える。この燬の用法は毀の仮借。饒宗頤(ジョウソウイ)と劉信芳が睡虎池秦簡『日書、毀棄』甲111~113正壱に「八月、九月、十月、南方を毀棄す。・・・九月、十月、爨(サン)月、北方を作事す」(八月、九月、十月は南方で建物の取り壊しを行い、・・・九月、十月、夏暦八月は北方で土木建築を行う)の「毀棄」(取り壊し・解体)・「作事」(建設)の対を指摘する。同じく睡虎池秦簡『日書、作事』に「作事:二月、西方を興土するは利す」(建設:二月は西方を興土(意味未調査)するのは利が有る)とあり、作事は建設、建築、土木作業の意。燬事(毀事)はこれの反意語と考えられる(池澤優(東京大学大学院人文社会系研究科宗教学))。他にも、「災いを祓う儀礼」の意とす説(饒宗頤)、「犠牲を解体する作業」の意とする説(何琳儀)もある*1。

 

*1:池澤優『子弾庫楚帛書辺文訳註』p.20

 

【𦽐】キ huǐ
形声。意符は艸(草)、声符は毀。『玉篇、艸部』に「𦽐草なり」、『集韻』に「艸名なり」とあるが、どんな植物か解説が無い。用例も無く、正体不明。

 

【𤻏】hủi
形声。意符は疒(病気)、声符は毀。ベトナムhủi「ハンセン氏病の(leprous)」という形容詞の為に作られたベトナムの国字(字喃)。ベトナムbệnh hủi「ハンセン氏病」(ベトナムbệnh「病気」は中国語の"病"の借用)の様に用いられる。又、「無視する(to neglect)」という意味も有るが、別語源同音のこの語を「ハンセン氏病の」を意味する"𤻏"で借用したものだろう。つまり、ベトナム語版の仮借と考えられる。他に𤹾・癐の異体が有るが、後者は「疲弊する」の意で中国でも用いれれている字で、偶然字形が同じとなったものだろう。

 

【𧝷】キ kuì
形声。意符は衣、声符は毀。『廣韻、未韻』に「ひも」の意味の䙡(キ)を正字とし、俗に𧝷に作るとする。用例無し。


【䥣】サク
「のみ;穿つ」意味の鑿(サク)の譌形。『正字通』に䥣の俗字と言う。用例無し。

 

【𨷕】イ(ヰ)
形声。意符は門、声符は毀。唐の玄応の『一切経音義』巻七に引用する『古今字詁』に䦱(イ(旧仮名:ヰ))の異体とする。䦱は『説文』十二上に「門を闢(ひら)くなり」とする字。用例無し。

 

・・・その1に戻る

【毀】キ huǐ
中古音:暁母止摂支韻三等合口上声(王力/xǐwe/, 李榮/xjue/, 鄭張尚芳/hɣiuᴇ/, Pulleyblank /hjwiə̆/, Karlgren /xwie̯/)
上古音:暁母歌部(鄭張尚芳/*hmralʔ/, Baxter-Sagart /*[m̥](r)ajʔ/)

『説文』十三下『説文』十三下-毀古文

 

■■■■■■■■■■金文■■■■■■■■■■

『鄂君啟車節』(戦国中期:集成12110)97『鄂君啟車節』(戦国中期:集成12111)97『鄂君啟車節』(戦国中期:集成12112)97

 

■■■■■■■■■■簡帛■■■■■■■■■■

九店楚簡第56号墓第37号簡郭店楚簡『窮達以時』第14号簡同『語叢一』第108号簡上博楚簡『平王問鄭壽』第2号簡 同『天子建州甲』第12号簡 同『天子建州乙』第11号簡 同『曹沫之陳』第10号簡同『成王既邦』第13号簡 同『昭王毀室』第5号簡同『従政甲』第18号簡 同『鬼神之明 融師有成氏』第6号簡 同『季庚子問於孔子』第22号簡 同『王居』第3号簡 睡虎池秦簡『秦律十八種』第106号簡 同『日書乙種』第196号簡弐 同『日書甲種』第138号簡背面 銀雀山漢簡『孫臏兵法』第220号簡 同『孫臏兵法』第220号簡 馬王堆漢帛『老子乙本前』第114行 同『養生方』第35行 同『戦国縦横家書』第172行 同『十六経』第114行 同『雑療法』第43行 同『五十二病方』第117行 同『経法』第44行 同『経徳乙』第39行 同『陰陽五行甲』第142行同『陰陽五行乙』第48行

 

■■■■■■■■■■その他■■■■■■■■■■

『汗簡』第42頁 『古文四声韻、王庶子碑』 『古文四声韻、汗簡』 『古文四声韻、汗簡』 『古文四声韻、義雲章』 『古文四声韻、古孝経』 『古文四声韻、崔希裕纂古』 『孔羨碑』(三国魏黃初元年(220年)建立)


会意。戦国中期に初出の字で、古形は『説文』古文に見える𣪷(キ)の形。𣪷は金文・楚簡・秦簡に至るまで使用されている。『説文』十三下に「缺(か)くなり」とあって、「毀損」の意。字源に関しては毇(キ)の省声とするが逆で、毇が毀の省声から形成された。字は「子供」を表す兒(児)(ジ)と殴打系武器を手に持つ形の殳(シュ)と土を組合わせたもので、子供を武器で殴る意匠で「毀損する、壊す」を表した。土は意符とみられるが、本来兒と殳の二要素で構成されていたものが、兒の下部が変形して意符化し"土"になってしまった可能性も考えられる(但し、これを裏付ける字体は発見されていないので、単なる私の憶測)。『汗簡』や『王庶子碑』に見える"X"字形の四端に○が付いた字形の由来は不明。"癸(キ)"の借用とも思ったが、癸は中古音:見母止摂脂韻三等合口上声(王力/kwi/, 李榮/kui/, 鄭張尚芳/kiuɪ/)、上古音:見母脂部(鄭張尚芳/*kʷilʔ/)で音も遠いと言わざるを得ない。無関係と見られる。

 

字は戦国中期の楚文化圏での用例が初出。
●『鄂君啟車節』(戦国中期:集成12110, 12111, 12112):「女(も)し檐徒(タント)なれば、廿檐(ニジフタン)を屯(あつ)め、台(もつ)て一車に堂(あ)て、台て五十乘の中に毀(あらた)めよ」(もし荷担ぎ人夫であった場合は、(彼等が運んで来た)20荷を集めて1台の車に積載せよ。これら(荷馬・荷牛・荷担ぎ人夫)の比率に基づいて車両50台の中で積載を振り分けよ)

上記の毀を「改変、変更」の意味で読むのは、安徽大学文学院の蔣偉男の説による
(蔣偉男『簡牘“毀”字補說』)。郭沫若はここでの毀を「軽減する、減少させる」の意で解釈し、荷馬・荷牛・荷担ぎ人夫が持ち寄った荷物の数によって、使用する貨物運搬用車両を50台以内に抑えるべく、50台から減らせと読んでいるようだ。これと似た用法では『礼記、雑記』「廟門に至り、牆(かき)を毀(の)けらざる」(先祖を祀ってある廟の門に行って、その垣根を撤去してはならない)が有り、「撤去する、取り去る」の意。「破壊する」→「減らす、減少させる」→「変更する」という意味変化のようだ。かなり、特殊な用例。白川静は、毀を車両が破損・故障する意味で読み、その場合は50台の車の中で運送するようにとするが、この解釈はマイナー。

 

他の出土資料では原義の「破壊する、壊す、割る」の意で用いられている。
●九店楚簡『日書、五子、五卯和五亥日禁忌』第37号簡下:「城(な)さざれば、必ず毀ち、亓(そ)の身に大咎(ダイキウ)又(あ)らん」(もしこの事を守らなければ必ずや破滅し、その身に大いなる災いが訪れるであろう)
●上博楚簡『天子建州』乙本第11号簡、甲本第11~12号簡:「城を臨みて毀(こぼ)つと言はず、邦を觀て喪ふと言はず」
●上博楚簡『昭王毀室』第5号簡:「因りて至俑をして室を毀せしむ」(そして至俑(人名?官職名?)に命じて宮室を取り壊させた)【至俑の語釈について論争が有るが、ここでは本題ではない為、最も簡単な人名、又は官職名と見なす整理者の陳佩芬の説で通した】
●上博楚簡『平王問鄭壽』第2~3号簡:「新都栽陵・臨昜を毀(こぼ)て」(新都の栽陵(地名)・臨陽(地名)を取り壊しなさい)
●上博楚簡『曹沫之陳』第10号簡:「乃(すなは)ち鐘型を毀つを命じて邦政を聖(き)く」((荘公は曹沫の諫言を聞き入れると、)鐘の鋳型を破壊するよう命じ、国政を執り行った)
●上博楚簡『季康子問於孔子』第22号簡:「邦、相懷毀(クワイキ)す」(国同士で相破壊し合う)
●上博楚簡『成王既邦』第13号簡:「之を毀つ、可ならず」
●睡虎池秦簡『秦律十八種、工律』第106~107号簡:「公器及び□を毀傷する者は、賞せしむ」(官有の器物・□を破損した者は弁償すること)
●睡虎池秦簡『秦律十八種、司空』第148号簡:「瓦器、鐵器、木器を毀折す」
●馬王堆漢帛『養生方』第35行:「雞卵(ケイラン)を毀(こぼ)ち、酒中に入る」(鶏卵を割って酒の中に入れる)

 

先秦伝世文献にも以下の用例が有る。
●『春秋左氏伝、昭、九年』:「冠を裂き、冕(ベン)を毀つ」
●『孟子、離婁下、三十二』:「人、我が室に寓(やど)り、其の薪木を毀傷すること無かれ」(私の部屋に何人たりとも入ってはならん。(庭の)草木も傷つけてはならん)
●『管子、八観』:「宮牆(キユウシヤウ)毀壞(キクワイ)し、門戸閉まらず」

 

又、引伸して「謗る、中傷する」意味に用いる。この意味では後に䛼(キ)・譭(キ)の字が派生した。
●郭店楚簡『窮達以時』第14号簡:「(ヨキ)、仿(かたはら)に才(あ)り。之を聖(き)けば弋(うたが)ひ、之を母(な)ければ白し」(毀誉褒貶の言葉はそこらじゅうに存在する。これに耳を傾けてしまうと疑念が生じ、それが無ければ心は平静・清純でいられる)【日本語訳は顔世鉉(台湾中央研究院)の論文『郭店竹書《窮達以時》釋讀兩則』を参考にした】

●上博楚簡『従政甲』第17~18号簡:「少人、人に先んずれば、則ち之を敔(??)し、【人に後んじれば】則ち之を毀(カンキ:=陥毀)す」(小人物は人よりも能力が有ると驕り高ぶって尊大となり、人よりも劣ると他者を謗って貶める)【『従政甲』第17~18号簡は『論語、子路第十三』に対応しているとみるのが有力で(周鳳五(国立台湾大学中国文学系、文学博士)の説)、又、部分的には『荀子、不苟』第三章との関連も指摘されている(楊澤生(中山大学中文系)の説)*1。今訳出した箇所は後者の「小人能則倨傲僻違以驕溢人,不能則妒嫉怨誹以傾覆人」に関連していると見られ、毀と誹が対応していると考えられる*2】
●上博楚簡『王居』第3号簡:「之を毀亞(キヲ)し、是の言既に衆已に䎽(き)こゆ」(これを悪しざまに誹謗中傷し、その言葉は既に民衆の聞くところとなってしまった)

 

この楚簡に見える「毀亞」という語は、後「毀惡(キヲ)」に作る。伝世史料に次のように有る。
●司馬遷『史記、李斯列伝』:「大臣、入朝し事を奏して之を毀惡せんことを恐る」(趙高は、大臣の李斯が朝廷に参じて趙高の悪行を二世皇帝に上奏して讒言するのではないかと恐れた)
●司馬遷『史記、衡山王賜伝』:「數(しばしば)太子を王に毀惡す」

 

「謗る」意味はかなり古くに成立していたようで、伝世文献では以下の用例有り。
●『論語、衛霊公第十五』:「誰(たれ)をか毀(そし)り誰をか譽(ほ)めん」(私は誰かを中傷したり、誰かを誉めたりすることは無い)
●『論語、子張第十九』:「叔孫武叔(シュクソンブシュク)、仲尼を毀る。子貢曰く、「以て爲す無きなり。仲尼は毀るべからざるなり」」(叔孫武叔が孔子を中傷した。これに対して子貢は「そんな事はなさらないで下さい。孔子先生は誹謗しようとも傷つける事が出来ないお方です」と言った)

 

更に「謗る」意味から「批判する、反対意見を述べる」意味が生じている。
●精華楚簡『鄭武夫人規孺子』第2号簡:「既に(ト)を得、乃(すなは)ち之を爲す。を毀(そし)り、臤(ケン)たる所の者、焉(すなは)ち之れ龜筮(キゼイ)を以て(の)ぶ」(既に君主と臣下の間で意見の一致をみたので実行に移されたが、これに反対意見が出た。そこでこの決議を良しとする者が亀筮(亀占い)を行ってその是非を検証した)【正確に訳せられているか全く自信が無い。取り敢えず、「一度決定した決議に反論が出た為、亀占いを行いその吉凶を判断した」というのが概意*3】

 

*1:陳劍『上海博物館藏戰國楚竹書《從政》篇研究(三題)』
*2:郭永秉(復旦大学出土文献古文字研究センター)『續説戰國文字的「夌」和从「夌」之字』p.92-93
*3:訳出に以下のネット公開論文・意見を参考にした:王寧『清華簡六《鄭武夫人規孺子》寬式文本校讀』『清華六《鄭武夫人規孺子》札記一則』のハンドルネーム:楚竹客の
コメント。

 

【䛼】キ huǐ
形声。意符は言、声符は毀の省。毀は「毀損する、損なう」意味。『集韻、紙韻』に「謗るなり」とある。言葉でもって毀損する意味で、その意味での専用字として毀から派生した。異体字に譭(キ)が有る。

 

【𪑺】
形声。意符は黒、声符は毀の省。この字は『康煕字典』以前の字書に収録されていない。『管子、侈靡(シビ)』に「喪を長くし以て其の時を𪑺(か)き、送葬(ソウサウ)を重くし以て其の財を起(お)こす」(喪に服す期間を長くすると金持ちの時間は消費され、葬式を重厚にすると資産家の財産は浪費される)とあって、毀の異体字と考えられる。何如璋の注によれば、毀の誤字ではないかとするが、先秦の未統一字体が偶然残存した可能性も有りえるのではないか。

 

【毇】キ huǐ
中古音:暁母止摂支韻三等合口上声(王力/xǐwe/, 李榮/xjue/, 鄭張尚芳/hɣiuᴇ/, Pulleyblank /hjwiə̆/, Karlgren /xwie̯/)
上古音:暁母歌部(鄭張尚芳/*hmralʔ/)

『説文』七上

 

■■■■■■■■■■簡帛■■■■■■■■■■

上博楚簡『容成氏』第21号簡

 

■■■■■■■■■■その他■■■■■■■■■■

『汗簡』 『汗簡』 『古文四声韻』 『古文四声韻』

 

形声。意符は米、声符は毀の省。毀は「破壊する、壊す」意味。『説文』七上に「䊪米(ライベイ)一斛(イッコク)、舂(つ)きて九斗と爲すなり」とあって、「一石の玄米を搗きしらげて九斗にする」意とし、字形については䊆(キュウ(旧仮名:キウ))と殳(シュ:棒で叩く)の会意とする。䊆は文献に用例が無い字だが、『説文』七上に「舂きた糗(いりごめ)なり」とあって、「米を焼いて擂り潰して作った粉」の意。䊆がその様な特殊な意味なのに、更に殳を加えて「一石の玄米を搗きしらげて(精米して)九斗にする」意味に転じるのは、米に関する専門用語の転義としては無理が有る様に思う。やはり、単純に「破壊する」意の毀から「玄米を搗いて白くする、精米する」の意に特殊化したと見るのが無難だろう。音も䊆(中古音:群母流摂尤韻三等開口上声、王力/ɡĭəu/, 李榮/ɡiu/, 鄭張尚芳/ɡɨu/)のそれより毀に近く、どう見ても䊆殳の会意ではなく、米を意符とする毀の省声字である。

 

睡虎池秦簡『倉律』第41号簡にも「糲米(ライベイ)一石(イッコク)を鑿米(サクベイ)九斗と爲し,九【斗】を毀米(キベイ)八斗と爲す」とあり、毇を毀に作っている。鑿米は糳米(サクベイ)の仮借。糳(サク)も『説文』七上に見え、「糲米一斛、舂きて八斗と爲すなり」とあって、やはり玄米一石から得られる精米の量を言う字である。面白い事に、睡虎池秦簡の実例と『説文』の解説とでは出来あがった精米量の表記が入れ替わっている。実はこの誤まった入れ替えは段玉裁が補強してしまった部分が有る。『説文』毇字条の『段注』に「九斗、各本に八斗に譌(あやま)る。糳下の八斗、各本に九斗に譌る。今、皆正す」とあって、睡虎池秦簡の記述と同じ説明が書かれた『説文』の写本も伝わっていた事がわかる。段玉裁が何を根拠にこの誤解の方を正しいと判断したか理由は不明だが、兎も角も彼は過ちを犯した。『説文』も最初は睡虎池秦簡と同じ説解であったと考えられる。『集韻』には毇の字音として、"キ"以外にも"サク"(即各切)、"ソク"(租毒切)をも挙げる。これは糳(サク)の誤入と考えられるので、『集韻』が編纂された宋代にはこの量法は失われ、毇と糳の混同が発生していたのだろう。この為、『説文』の写本にも毇・糳の説解を互易するものが生じてしまったものと考えられる。

 

この誤解は伝世文献の数少ない用例が原因となっている可能性も高い。『淮南子、主術訓』に「粢食(シシ)、毇(しら)げず」(祭祀用に神に供える黍(きび)のご飯は精米しない)の文が有るが、『春秋左氏伝、桓王、二年』にも「粢食、糳(しら)げず」の文が見え、後者の『釈文』には「字林に毇に作る」と注している。先秦では「精米する」という意味では毇と糳が通用しており、八斗精米を毇、九斗精米を糳とする区別は、秦代の度量衡の整備に伴う意味の特殊化・定式化によるものとも考えられる。

 

字は戦国時代に既に見え、上博楚簡『容成氏』第21号簡の古代の帝王禹の質素な品行を描いた部分に、「朝(テウ)は車で逆(むか)へず、穜(タウ)は米を(しら)げず」(禹は朝廷への来賓を出迎える際には車を使わず、ご飯は精米せず玄米のまま食べた)とあって、字をに作るが原義で用いられている。又、睡虎池秦簡『倉律』第43号簡には「十斗の粲(しらげよね)、米六斗大半斗に毀(しら)ぐ」(十斗の白米を更に六と三分の二斗に精米する)、「稟(リン)の毀粺(キハイ)なる者、以て十斗を石と爲す」(受領した精米は十斗を一石とする)【粺も「玄米を精米した白米」の意】の用例が有り、毀で仮借する。尚、『広雅、釈器』と『集韻、紙韻』に「饘(かゆ)なり」とし、「お粥」の意とするが用例は全く無い。異体字が多く、𥶵・𥸃・𥸋・𥼹・𥽂・𥵓等の形が有る。

 

・・・その2に続く

・・・その1の続き

【𡀠】
音不明だが、恐らく形成。声符は備だろう。強調詞、疑問をほのめかす不変化詞らしいが、出典不明。ベトナムの字喃かも知れないが、未確認。

 

音未詳

形声?。手偏に旁は備。音義未確認。フォント無し。待考。出典

【憊】ハイ  上古音:並母(?)代部(李栄*、Baxter *、鄭張尚芳*brɯːɡs)

『説文』十下
意符は心、声符は備。『説文』十下に𢞎(ハイ)を正字とし、或体(ワクタイ)に𤸶(ハイ)を挙げ、「𢢞(ゲキ)なり」とし、𢢞条では「𢞎(ハイ)なり」とあり、互訓。「疲れる、疲労する」の意。『荘子、山木』に「何ぞ先生の憊(つか)れたるや」、『易経、既済』に「三年にして之に克(か)ち、憊(つか)るるなり」(異民族の制圧に3年を費やし、(国力は)疲弊した)、『韓非子、六反』に「苦憊(クハイ)の爲の故に、痤(ザ:腫れもの)を彈じ、藥を飲まざれば、則ち身は活きず、病は已(や)まず」(苦痛だからと言って、腫物を石針治療で取り除いたり薬を飲まなければ、その身は助からず、病も治る事は無い)等、多くの先秦の用例が有る。同じ並母に属す同義語の疲(ヒ)と同根と見られる。

 

【㷶】フク
意符は火、声符は備。『方言』巻七に「火乾するなり」とあって、「穀物を火で乾かす」意。関西、隴、冀(キ)で用いられる方言。

 

ハイ

■■■■■■■■■■簡白■■■■■■■■■■

包山楚簡『卜筮簡』第219号簡
意符は玉、声符は備。字書に未載。戦国時代の用字で、「備える」意からの転義「玉を帯びる」意の専用字として備から派生した。戦国中期~晩期の九店楚簡第24号簡下に「玉」の語が見え、今日の「佩玉(ハイギョク:飾り玉)」と同語。又、包山楚簡『卜筮簡(ボクゼイカン)』第219号簡に「繃(ハウハイ)」の語が見え、「包帯を巻く」意らしい。異体字に王と𤰈に作るの字形も戦国簡での用例が有るらしい。

 

【𠻋】bựa
意符は口、声符は𤰈。ベトナムの国字(字喃)。ベトナム語のbựa「歯垢」を表す*1。
*1:http://zh-tw.tfode.com/b%E1%BB%B1a

 

音未詳

■■■■■■■■■■甲骨文■■■■■■■■■■

合集8935正

恐らく形声の字で、意符は山、声符は𤰈。第一期甲文に「に取るか?」(合集8935正)の文に見え、地名に用いる。殷の西に存した*1。『説文』以下字書に未載。
*1:http://thuir.thu.edu.tw/bitstream/310901/9191/1/%E7%94%B2%E9%AA%A8%E6%96%87%E8%A9%9E%E7%B5%84%E7%A0%94%E7%A9%B6.PDF

 

【㣁】
意符は弓、声符は𤰈。𤰈は備える意。『集韻』に「筋を以て弓を帖(た)らすなり」とあって、「強靭な紐を弓に付けて垂らす」意味と思われる。又、『類篇』に「絲(いと)を以て弓を飾るなり」とあって、「生糸で弓を飾る」意。字書に見えるのみで、文献上の用例が無い。飾りを備え付ける意味で、備の派生義から作られた専用字。

 


意符は水、声符は𤰈。字書に見えない字。戦国時代の上博楚簡『季庚子問於孔子』(季庚子、孔子に問ふ)第4号簡に、管仲が君子の特徴を説明した箇所に見え、「言を(そな)へ多難なり」(言葉を詳細にして多難である)*1とあって、備の仮借用法。本義不明。
*1:http://www.bsm.org.cn/show_article.php?id=1977


【𤖐】ハイ
意符は爿(寝台)、声符は𤰈。『集韻』に敗(ハイ)の古字とし、「敗れる」意とする。爿は疒(ダク)に含まれる寝台・ベッドの形で、敗残した重傷者が床に伏して療養するイメージを映したものかもしれない。用例無し。

 

【㸢】
意符は弓、声符は𤰈。『玉篇』『広韻』に「牑模(ヘンボ)なり」とあって、寝台や床、窓などの骨組として備え付ける横木・梁の類を言う。用例無し。恐らく、備える意の𤰈・備と語源上関係が有ると思う。

 

【犕】フク、ビ 上古音:並母(?)代部(李栄*、Baxter *、鄭張尚芳*brɯɡs)

『説文』二上
意符は牛、声符は𤰈。『説文』二上に「易に曰く、牛を犕(フク)し乘馬す」と『易経』の文句を引用して解説する。今の『易経、繋辞下』には「牛を服(フク)し乘馬す」に作り、「(車輛を引かせるなどして)牛馬を使役する」意。恐らく服従の服(フク)からの転義の専用字として派生した字で、服の声義を受ける。殆ど用例の無い字だが、『後漢書、皇甫嵩(コウホスウ)伝』に董卓が皇甫嵩を屈服させようとして言った言葉「義真(皇甫嵩の字)、未だ犕(フク)せざるか?」(義真よ、君はまだ服従しないのか?)として用例が有るが、その李賢(654~684:唐の皇族)の注に「犕、即ち古の服字なり。今、河朔の人、猶此れを言ふ有り」とあって、服従の服字の古形で、河朔(カサク:現在の河北省を中心とする一帯で、山西省・山東省の一部も含む)では今もこの用法が残っていると記す。対応するエピソードは『三国志、董卓伝』に裴松之が引用する『山陽公載記』にも見え、そこでは「義真、未だ服せざるか?」に作る。注釈通り服の仮借である事がわかる。又、同じく裴注の引用する『漢紀』には「義真、未だ怖(おそ)れざるか?」(義眞よ、恐れいったか?)となっている。これは音が近い事による誤伝ではないかと思う。この『後漢書』の
表記に影響されて、貴州人民出版社の現代中国語訳『後漢書全譯』では「まだ君は馬に乗っていないのか?(你沒有騎馬嗎?)」と訳されているが、ある三国志を扱った中国語サイトで、こんな訳は可笑しいだろ!と突っ込まれている*1。又、『左伝』僖公二十四年に見える「王、伯をして服せしむ」を、『史記、鄭世家』では「周の襄王、伯をして犕(フク)せしむ」に作り、『後漢書』と同じ仮借用例が見える。

 

又、『玉篇』には字を「服すなり。鞍を以て馬を裝(よそほ)ふなり」と語義を記す。前者は「心服する」意、つまり服の仮借義、後者は「鞍を馬に装着する」意で、この後者の意味は「備える」意の備(ビ)から生じたものと考えられるので、両者はそれぞれ別語源だろう。又、『広韻』に「牛、齒具(そな)はるなり」と「牛に歯が生える」意。この意味も装備の備からの引伸義かもしれない。又、『玉篇』に「牛の八歲なり」とあって、「八歳の牛」の意。『本草綱目』獣部・牛では「六歳牛」とする。いずれにしても、経籍の服従の意味以外の語義は、実際の用例が確認出来ない。

*1:https://www.ylib.com/sango/soton/soton060817.asp

 

【𣖾】
意符は木、声符は𤰈。『玉篇』に木名とし、蜀に産し8月中に塩の様な形状の甘酸っぱい穂をつけ、食べられるという。『山海経、中山経』にも橐山(タクサン)という山でこの木が多く見られると記しており、その郭璞注に酢の羹(あつもの)にして食されるとする。今のウルシ科ウルシ属の落葉喬木の一種のことらしい*1。花は小さく白っぽい黄色。根や皮、葉、花は薬用となり、葉は虫の寄生により嚢状虫嬰(五倍子)が生じ、これも薬に用いられる。
*1:https://www.moedict.tw/%F0%A3%96%BE

 

【𤸶】ハイ
意符は疒、声符は𤰈。『玉篇』に「極なり。疲勞なり」とあって、憊の異体字。又、『広韻』では「ふいご」の意とするが、韛(ハイ:ふいご)の仮借。用例無し。

 

【糒】  上古音:並母(?)代部(李栄*、Baxter *、鄭張尚芳*brɯɡs)

『説文』七上

■■■■■■■■■■簡白■■■■■■■■■■

居延漢簡033.026 居延漢簡112.022 居延漢簡142.002 居延簡甲499 居延簡 居延出土封検匣181.008 一号墓竹簡117 長沙西漢墓木封泥匣
意符は米、声符は𤰈。𤰈は備える、備蓄するの意。『説文』七上に「乾飯なり」とあり、貯蔵用に乾燥させた米、「ほしいい」をいう。「備える」意の備の派生義。『史記、李将軍列伝』第四十九に「大將軍長史をして糒醪を持ちて廣に遺り、因つて廣・食其が道を失ひし狀を問はしむ」(大将軍衛青は長史に命じて、乾飯と濁酒を持って李広に贈り物をし、その時に李広と趙食其が道に迷って(到着が遅れた)状況を問わせた)の用例有り。居延漢簡にも多数用例が見える:『合33.26』「君山糒五斗」、『合112.22 』「其二百卅五石米糒」、『合142.2』「補糒中□粟二□石」などなど。先秦の使用例は伝世文献も含めて確認されていない。恐らくこの携帯食が前漢初期に開発されたか、全国的に普及したものなのではないかと思う。漢代に領土が北西に突出した西涼の様な不毛の地でも食べ物に困らないよう、辺境警備隊の為に必要に迫られ開発されたんでないかと妄想する。他にも、𥺢𥼉𥼓𩜗𩝳𪌾𪍞等の異体字が有る。

 

■■■■■■■■■■簡白■■■■■■■■■■

包山楚簡『卜筮簡』第231号簡 包山楚簡『貸金』第115号簡

意符は糸、声符は𤰈。字書に見えない字。戦国時代中期~晚期の包山楚簡『貸金』第115号簡に「命尹子士、大帀子」(令尹(レイイン)子士、大師子(シハイ))と人名に用いる例が有り(令尹と大師は官職名、子士と子は字)、又同『卜筮簡(ボクゼイカン)』第231号簡に「南方に取(ハイジ=佩珥)と冠𦄂(クワンタイ)を䢜(おく)る」(南方を司る神に耳飾り玉と冠と帯を捧げる)*1とあり、佩(ハイ)の用法が見える。望山楚簡1.28にも「玉(ハイギヨク)一環を䢜(おく)る」の句が見える。は「備える」が原義の𤰈を声符とし、その転義「帯びる、身に付ける」意の専用字として派生した。佩も同じ動詞を表しており、こちらは人と巾を意符とし、凡(ハン)を声符とする形声字。
*1:『新出簡帛與禮制研究』p.40の脚注44

 

 

音未詳

形声?。走遶に旁は𤰈。音義未確認。フォント無し。待考。出典

音未詳

形声?。金偏に旁は𤰈。音義未確認。フォント無し。待考。出典

 

 

【鞴】ヒ、フク、ハイ
上古音:並母(?)代部(李栄*、Baxter *、鄭張尚芳*brɯɡs)
上古音:並母魚部(李栄*bək、Baxter *bɨk、鄭張尚芳*、再建者不明*baːɡs)
上古音:並母職部(李栄*bək、Baxter *bɨk、鄭張尚芳*bɯg)

『説文』十三上

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天星観楚簡『遣策』
意符は革、声符は𤰈。𤰈は備える、装備するの意。『説文』十三上絥(フク)字条に、絥の或体(ワクタイ)としてこの字を挙げる。絥は「車体前部にある横木(軾(しきみ))を覆う飾り」を意味し、「備える」を意味する𤰈・備からの転義から生まれた字だろう。又、「牛馬に車を装着する」意。フクの音では、『広雅、釈器』に「鞴靫(フクサ)は矢の藏(いれもの)なり」、『古今韻会挙要』が引く『埤蒼(ヒソウ)』に「鞴靫、箭(や)を盛る室なり」とあって、「えびら」の意。𤰈の原義を伝える語義・用法で、意味が判別しやすいように意符として革を加えた。又、ハイの音で『龍龕手鑑』に「火を吹く具なり」とあって、「ふいご」の意。『太平御覧、拒守上』十に『北史、周書』を引いて「塹外に柴を積み火を貯(たくは)へ、敵人の地道内に伏せる者有らば、便(すなは)ち柴に火を下し、
皮鞴(ヒハイ)を以て之を吹く」(塹壕の外に柴を積みあげ、火を用意して、地道内に隠れている敵が有れば、すぐに柴に火を付け、ふいごで吹いた)*1とあり、その意味での用法が有るが、現行『周書』テキストでは韛に作る。出土史料では既に戦国時代に用例が見え、天星観楚簡『遣策』に「えびら」の意味で使用されている例が二見する*2。

*1:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11106901611
*2:http://www.bsm.org.cn/show_article.php?id=1882

 

【韛】ハイ  上古音:並母(?)代部(李栄*、Baxter *、鄭張尚芳*brɯːɡs)
意符は韋(皮革)、声符は𤰈。『説文』に見えず、『玉篇』韋部に「韋橐(ヰタク)なり。以て火をして熾(さかん)にせしめんと吹くべし」とあって、「ふいご」を言う。『史記、張耳伝』に「趙王、朝夕袒(タン)して韛蔽(ハイヘイ)し、自ら食を上(のぼ)せ、禮甚だ卑し」(趙王張敖は朝と夕方、袒(左の肩の衣をぬぐ礼式)して膝掛けをかけ、自分から食事を食器に盛り、礼は非常にへりくだった)と有るのは、韠(ヒツ:ひざかけ)の仮借のようだ。又、『太平御覧、虹霓』に『春秋潛潭巴』を引いて「虹、五梢韛至りて、宮殿に照れば、兵革の事有らん」(虹の五色に分かれた光線(?)が宮殿を照らすと、戦争が起きるだろう)という文が見えるが、梢韛の意味が今一良く解らない。恐らく、虹のそれぞれの色が分かれて生じた光線一本一本の事を指していると思う。明らかに「ふいご」を意味する用法ではないけれど、「ふいご」からの転義として「噴出」の意が有り、これによるものかもしれない。又、フクの音で「えびら」の意の用法が有り、それは𤰈(えびら)の繁文。

音未詳

形声?。馬偏に旁は𤰈。音義未確認。フォント無し。待考。出典

【𤰈】フク  上古音:並母職部(李栄*bək、Baxter *bɨk、鄭張尚芳*bɯg)

『説文』三下

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一期後上28.3 一期戩44.13 合集268正合集2561A2 合集2561A 合集2561 合集3755 前5.10.1(甲) 前5.10.1 続2.18.1鐵2.4(甲)

■■■■■■■■■■金文■■■■■■■■■■

𤰈參父乙盉(商代晩期:集成9370)1 𤰈鼎(商代晩期:集成1215)1 𤰈盤(商代晚期:集成10012)1 𤰇冊戉父辛卣(商代晚期:集成5169)1 戉𤰈父癸甗(商代晩期:集成846)2 戉𤰈父乙尊(商代晚期:集成6386)1 隹父己尊(西周早期:集成5901) 啟卣(西周早期:集成5410) 𤰈亞作父癸角(商代晚期:集成9102)羖簋蓋(西周中期:集成4243)番生簋蓋(西周晩期:集成4326) 毛公鼎(西周晩期:集成2841)

■■■■■■■■■■簡白■■■■■■■■■■

曾侯乙墓簡第37号簡郭店楚簡『尊徳義』第27号簡同『語叢三』第39号簡
象形。『説文』三下に「具(そな)ふるなり」とある。羅振玉(1915)以来、矢を収納した箙(えびら)を象った字であるという意見で一致(孫詒譲、王襄、王国維、李孝定、白川静、裘錫圭、徐中舒、Richard Sears)。矢を収納した時、すぐつがえられるようにその矢羽部分が露出した形状をしており、矢羽の破損を防ぐ為に矢全体を覆い収納する靫(ウツボ)、つまり函(カン)とは別形態(cf.函、晉)。即ち、𤰈は箙(フク:えびら)の初文。現在の字形は初形を甚だしく失っており、𤰈の"用"の部分は矢柄と鏃と箙本体が一体化して発達した形、それ以外の外側の構形は矢羽の形が基になっている。つまり、矢羽に箙本体が飲み込まれている。楚文字も原形を留めぬ程デフォルメされいる。いずれも、恐らく字形上別源の茍(ケイ、キョク)の影響を受けた譌形だろう。

 

既に字は商代の甲骨文に見えその起源は古いが、その多くは族氏名、貞人の名、地名に用いられている。これらの固有名詞用法以外では、「牛を𤰈(フク)す」(合集27123)、或いは「一牛を𤰈す」(粹533, 林2·3·11, 合補532甲, 合集1973片, 合集23718等)という慣用句がしばしば見られる。例えば、『合集23719』に「三牢、一牛を𤰈すか?」(多分「犠牲用に畜舎に閉じ込めてある三頭の牛の内、一頭を𤰈して良いか?」の意)の様に用いられている。ここでの用法は祭祀での犠牲用家畜の処理方法を指していると考えられている。具体的には、箙に矢を収納するが如く、祭祀で牛を木製の檻に閉じ込めておく事だとも(つまり箙(フク)からの引伸義とする)*2、𠠦(ヒョク)の仮借で犠牲を切り開いて両分する事(白川静)だとも解釈されている。又、「旋を𤰈(フク)す」という成句も用例が見られるが(合集301, 合集34076, 屯917, 后上28·3等)*3、意味はよく解らない(徐中舒によれば、ここでの旋の意味は「戻る、返ってくる」の意味で使われているらしいので、復(フク)の仮借だろうか?)。

 

金文では原義の「えびら」での用法が見られる。『大克鼎』(西周晩期:集成2836)と『番生簋蓋』(西周晩期:集成4326)銘中に賜与品の一つとして「魚𤰈」が見え、これは『詩経、小雅』の『采薇(サイビ)』と『采芑(サイキ)』に見える「魚服」に対応。魚𤰈、魚服とは魚の形をした箙とも鱗の模様が施された箙とも考えられており、また一方で「魚𤰈」の魚とは動物のオットセイを指しているだの、猪に似た獣*1であるとの指摘も有り、それらの獣の革を材料としたものと解釈する。

 

又、既に西周中期に備(ビ)の「備える」の意での仮借用法が見える。

●『伯唐父鼎』(西周中期:近出356):「𠦪(の)りを咸(お)ふ。白唐父、𤰈(そな)はるを告ぐ」(王が乗船を終えると、伯唐父が王に準備が整った旨を告げた)
●『羖簋蓋』(西周中期:集成4243):「用(もつ)て五邑(イウ)に大いに𤰈(そな)へ、堰(せき)を守れ」(賜与の見返りに五邑(地名?五つの村?)に於いて大いに準備を整え、堰を守れ)

 

郭店楚簡『語叢、三』第39号簡にも「勿(もの)、𤰈(そな)はざらば、(ジン=仁)城(な)らず」の例が見える。望山楚簡1.54に「𤰈玉(ハイギヨク)一環」の句が見え、佩(ハイ:おびる)の意で用いられている。これは備の更なる転義から生じた用法だろう。

*1:馬持盈『詩經今註今譯』p.268
*2:http://blog.sina.com.cn/s/blog_5958fe3a0102dx3d.html
*3:http://thuir.thu.edu.tw/bitstream/310901/9191/1/%E7%94%B2%E9%AA%A8%E6%96%87%E8%A9%9E%E7%B5%84%E7%A0%94%E7%A9%B6.PDF

 

【備】  上古音:並母(?)代部(李栄*、Baxter *、鄭張尚芳*brɯɡs)

『説文』八上

■■■■■■■■■■甲骨文■■■■■■■■■■

合集185 合集565甲 上海博物館藏甲骨文字46956

■■■■■■■■■■金文■■■■■■■■■■

[冬戈]簋(西周中期前段(穆王世):集成4268)第一器63 [冬戈]簋(西周中期前段(穆王世):集成4268)第二器63 呂服余盤(西周中期:集成10169)9 呂服余盤(西周中期:集成10169)28 元年師[㫃史]簋(西周晩期:集成4279)42 元年師[㫃史]簋(西周晩期:集成4279)42 元年師[㫃史]簋(西周晩期:集成4280)42 元年師[㫃史]簋(西周晩期:集成4280)42 元年師[㫃史]簋(西周晩期:集成4281)42 元年師[㫃史]簋(西周晩期:集成4282)42 洹子孟姜壺(春秋晩期:集成9729)第一器83 洹子孟姜壺(春秋晩期:集成9730)第二器58 洹子孟姜壺(春秋晩期:集成9730)第二器83 中山王さく鼎(戦国晩期:集成2840)

 

■■■■■■■■■■簡白■■■■■■■■■■

曾侯乙墓竹簡第137号簡 包山楚簡第213号簡52 同第213号簡36 新蔡葛陵楚簡乙一013号簡 同乙一021号簡 同甲一4号簡 同甲一11号簡 同甲三4号簡 同甲三52号簡 同甲三137号簡 同甲三81号簡 郭店楚簡『語叢一』第94号簡 同『成之聞之』第3号簡 同『成之聞之』第5号簡 同『成之聞之』第7号簡 同『尊徳義』第25号簡 同『唐虞之道』第3号簡 同『唐虞之道』第13号簡 同『老子乙』第1号簡 同『緇衣』第16号簡 同『緇衣』第41号簡 上博楚簡『従政甲』第18号簡同『民之父母』第6号簡 同『民之父母』第11号簡 同『容成氏』第15号簡 同『容成氏』第41号簡 同『容成氏』第47号簡36 同『容成氏』第47号簡40 同『蘭賦』第2号簡 同『緇衣』第9号簡同『緇衣』第21号簡 楚帛書・甲10 長沙子弾庫帛書文字編『戦国[弋⻏]布考』 睡虎池秦簡『秦律雑抄』第10号簡 同『秦律十八種』第138号簡 同『秦律十八種』第142号簡 同『法律答問』第132号簡 同『效律』第11号簡 同『效律』第19号簡 同『效律』第41号簡1 同『效律』第41号簡2 馬王堆『五十二病方』207 同『合陰陽』108 同『戦国縦横家書』130 同『戦国縦横家書』181 同『天子至道談』55 同『老子乙本巻前古佚書』103 同『老子乙本巻前古佚書』114 同『老子甲本巻後古佚書』288

 

■■■■■■■■■■その他■■■■■■■■■■

説文古文 汗簡『古論語』 汗簡 汗簡 古文四聲韻『王庶子碑』 古文四聲韻『古孝経』 古文四聲韻『天台経幢』 漢印文字徴『侯備私印』 石刻篆文編『天璽紀功碑』

意符は人、声符は𤰈。『説文』八上に「愼むなり」とあるが、「備える」意に用いる。直に弓に番えられる様に矢羽部分が露出した箙(えびら)を担ぐ人の意匠を以て、「整っている、備える」意を表した。声符の𤰈(フク)は「えびら」が原義だが、語源的に関連し「矢備え」の様な意味から発生したものだと思う。

 

原義「備える」の備の用例としては以下のものがあげられる。
●『元年師[㫃史](シシ)簋』(西周中期:集成4279~4282):「大𠂇(タイサ)に備はりて、豐還の𠂇又(サイウ)師氏を𠂇官𤔲(クワンシ)せよ」(大左(役職名?)に加わって、豊還(地名)に配置されている左右師氏(軍隊の名)を統括せよ)
●『叔向父為簋』(西周晩期:集成3870):「弔向父爲(人名)、寶𣪘(ハウキ)兩と寶鼎(ハウテイ)二を備ふ」
●『中山王サク鼎』(戦国晩期:集成2840):「昔者(むかし)、吳人𩁹(ヱッ)を并(あは)せ、𩁹人斅(カウ)を𩛢(おさ)め恁(シン)を備へ、五年にして吳を覆し、克(か)ちて之を并(あは)す」(昔、呉は越を併呑したが、越の人々は勉強に努めて知識を習得し誠心誠意を備えた事で5年後に呉に逆転し、戦争に勝って呉を併合した)[呉越戦争の臥薪嘗胆の故事の嘗胆に相当する記述?]

 

西周期には箙・𤰈(フク)「えびら」の仮借用法がある。『[冬戈]簋(シュウキ)』(西周中期前段(穆王世):集成4268)に作器者の[冬戈]が異族に戦勝し、敵からの鹵獲品として「弓備矢」(弓と箙と矢)を獲たと記されている。

 

春秋期に至って、原義「備える」からの派生義「帯びる、飾る」が確認できる。"佩(ハイ)"はその転義の専用字として新たに作られたものだろう。
●『洹子孟姜壺(カンシモウキョウコ)』(春秋晩期:集成9729, 9730):「上天子に、璧玉備一𤔲(シ)を用(もち)ふ」(上天子という神への祭祀に璧(輪形の玉)の帯玉を一箱使用した)、「南宮子に、璧二備(ハイ)、玉二𤔲、鼓鐘一肆(シ)を用ふ」(南宮子と言う神への祭祀に璧を二佩(ハイ)、玉を二箱、鼓鐘を一セット用いた)


楚簡では「備玉(ハイギヨク)」(佩玉)や「備璧(ハイヘキ)」(佩璧)の用例が頻出。戦国期には「衣服」の意味での用法も多い。原義の「備える;装備」から「(衣)服」への転義だろう。現在の"服"字で「衣服」の意味に用いるのは、"備"の仮借と考えられる。"服"字の原義は「服従」であった。
●上博楚簡『昭王毀室』第1号簡:「一君子の備(バウフク)にして廷を曼(こ=蹣)ゆらんとするもの又(あ)り」(喪服を着た一人の君子が(宮廷の)中庭を越えていこうとした)
●上博楚簡『三徳』第9号簡:「凶備(=凶服)」(喪服)
●上博楚簡『武王践阼(センソ)』第2号簡:「武王、(=祈)すること三日、耑備(タンフク=端服)して〓(ベン=冕)す」(周の武王は三日間祈りをささげ(て準備し)、端服(周代の礼服の一種)を着て冕(大夫以上が用いる礼装用の冠)を被って身を整えた)
●上博楚簡『容成氏』第15号簡:「乃(すなは)ち卉備(サウフク)し𦴈冒(ホウジヤクバウ)す」(禹は草で作った服を着、竹製の帽子をかぶった)
●上博楚簡『緇衣(シイ)』第9号簡(下掲写真参照):「民を長(をさ)むる者、衣備(イフク)改めず」(一般市民を統治する者は、服装を変更してはならない)[現行『礼記、緇衣』第9のテキスト「民を長むる者、衣服貳(たが)へず」に対応]


●郭店楚簡『緇衣』第16号簡:「民を倀(をさ)むる者、衣備(イフク)改めず」[同上]

 

又、服(フク)の仮借による「服従する、従う」意味での用例も見える。
●上博楚簡『容成氏』第6号簡:「甚(はなは)だ緩やかにして、民備(フク)す」(非常に緩やかな政治を行ったので人民はみな服従した)
●郭店楚簡『唐虞之道』第13号簡:「夏(カ)、戈(クワ)を用ひて正(セイ)し備(フク)せず」
●郭店楚簡『尊徳義』第25号簡:「侖非ずして、民備(フク)し、殜(よ)此れ亂なり」(倫理無く人民を服従させる事は世の乱れである)
●精華楚簡『皇門』第5~6号簡:「卑(しもべ)、厥(そ)の家を備才(フクザイ)す」(召使はその家の業務に従事した)

 

三国蜀の初代君主劉備の字(あざ)は玄徳。玄徳は『老子』第10章、第51章、第65章に見える語で、第10章に「之を生じ之を畜(やしな)い、生じて有せず、爲して恃(たの)まず、長じて宰(サイ)せず。是を玄徳と謂ふ」(万物を生み出し生育しても所有はせず、恩沢を施しても見返りは求めず、成長させても支配はしない。これを奥深い徳というのだ)*1とあって、「形には見えないが奥深い徳」を意味する。第51章も殆ど同文。「備える」意味の名"備"に合わせて『老子』から取材した字と見られ、「奥深い徳を備える」という意味の名字対待となっている。

*1:蜂屋邦夫訳注『老子』p.45~49

 

・・・その2に続く

ドイツで一番長い苗字

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こんな記事を見つけた。


ドイツで一番長い名字  文化   ドイツ 2010.11.10
ドイツで最も長い名字は、「Ottovordemgentschenfelde」。この名字の所有者であるベルント
(Bernd Ottovordemgentschenfelde)さんは、公的文書の記入の大変さを語っている。ドイツメディアが8日、これを伝えた。この最も長い名字の人物は、ラインラントに住む45才の住民だ。この男性は、電話で自分の名前を言うと、相手はみな混乱するという。ノルトライン=ヴェストファーレン州 (Land Nordrhein-Westfalen)のLeopoldshöheで床板張業を営む彼は、仕事用の車の側面になんとか名前を入れられたと語る。銀行の文書には名前が書ききれない。
同じ問題はクレジットカードでもあり、そのため、名字を短くして使用しなければならない。妻や娘は、短くした「Gentschenfelde」を使っているという。「父親は、違う名前をつけようとしたが、それは、母親が制止することに成功したんだ!」と笑った。たくさんの問題を引き起こす名字だが、彼は、この名字を短くするつもりはないという。
http://www.bashotsu.jp/316/


以下のサイトも参照。
http://nozeki.newz.cx/mt/archives/201011091906.php


ネットを調べたらこんな記述があった(http://hanryumomo.blog34.fc2.com/blog-entry-1408.html )。
"恐らく Gentschenfelde から分家して、Ottovordem オットーフォル
デム を追加したのだろうとの名前研究者‘教授’の説明です。"
この教授というのは、後述するシュヴァンケ女史である。


更に、上記ブログにリンクしてあるドイツのブログに、オットーフェルト(Ottofeld)という名前の人からの投稿で、
自分の父親の姓も本来はOttovordemgentschenfeldeだったが、流通業界での仕事で邪魔になる為、Ottofeldの名前で活動しているとある。やはり、通常の生活で面倒が出るのも無理がないと思う。
http://rundumkiel.de/2010/11/10/bernd.ottovordemgentschenfelde/


オットーフォアデムゲンチェンフェルデ(Ottovordemgentschenfelde)。24文字もある長い姓である。今まで私は、ドイツで最長の姓は19文字のアルブレヒツキルヒンガー(Albrechtskirchinger)、18文字のヴァーグナーホーエンロッベーゼ(Wagnerhohenlobbese)だと思っていた。これより長いのが有ったとは・・・。調べてみると、確かにノルトライン=ヴェストファーレン州のビーレフェルト市(Bielefeld)と、その南隣にあるギュータースロー(Gütersloh)郡に多い。ドイツ全域で14世帯確認できる姓で、比較的珍しい姓である。内約はビーレフェルト市に7件、ギュータースロー郡6件(うちSchloß Holte-Stukenbrock市に4件)。上記の床板張工(45才)の居住地レーオポルツヘーエ(Leopoldshöhe)はビーレフェルト市の東隣に隣接するリッペ(Lippe)郡にある町である。姓の発祥地は、ギュータースロー郡シュロース・ホルテ=シュトゥーケンブロック(Schloß Holte-Stukenbrock)市内のシュロース・ホルテ(Schloß Holte)とみられ、1942年の
電話帳に当地に1件だけ登録されている(当地以外では記録が無い)。名前の構成要素が繋げられていないオットー=フォア=デム=ゲンチェンフェルデ(Otto vor dem Gentschenfelde)という姓も存在する。もっとも、ファーストネームがイルムガルト(Irmgard)という女性の一軒だけの登録であり、やはりシュロース・ホルテ=シュトゥーケンブロックに見える。


構成要素がちゃんと分けられている、フォア=デム=ゲンチェンフェルデ(vor dem Gentschenfelde)姓もあり、ヴェストファーレンのアッシェベルク(Ascheberg)、ハム(Hamm)、アーレン(Ahlen)、ベックム(Beckum)で見られるが、分布がそれぞれ1~2件ずつで、こちらの方がよっぽど稀姓だ。


語源に関して、ライプツィヒ大学の人名研究の専門家ユーディット・シュヴァンケ(Judith M. A. Schwanke)(*1)が簡素だが、的確な指摘をしているので、ここで紹介してみよう(出典:http://www.thelocal.de/society/20101108-31027.html )。彼女は、24文字のこの姓がドイツで最長の姓であると認めた人である。
「この長たらしい姓は、恐らくは家族の新しい農場の起源としている。多分ゲンチェンフェルト(という耕地)の手前に、或いは「ゲンチェンの耕地の近く」に、オットー(Otto)一家が新しい耕地の一角を設けたのだろう」
※()内は引用者まるぴこすによる補足


vor dem Gentschenfeldeという語句は、前置詞vor「~の前に」と冠詞dem(中性名詞単数与格形)、そしてゲンチェンフェルト(Gentschenfeld)という耕地名と思しき地名の単数与格形(語尾の-eがその格を表す)から構成されている。つまり、シュヴァンケ教授が指摘するように、「ゲンチェンフェルトの手前に」を意味している。Ottovordemgentschenfeldeとは「ゲンチェンフェルト農場手前のオットー家」といった様な意味の姓ということになる。オットー(Otto)という姓は、
そのままの形でドイツ人の男子名にも存在しているが、英語の男名エドワード(Edward)やエドウィン(Edwin)の
第一要素に見えるEd-と同語源で、「富」とか「財産」を意味している。日本語の男子名「豊、裕(ユタカ)」と同じ様な意味の名前だと捉えれば判りやすいだろう。よって、Ottoは「豊」という意味の男名が姓となった父称姓だ。


では、肝心のゲンチェンフェルト(Gentschenfeld)はどういう意味なのか。Gentschenfeldという地名がヴェストファーレンに有れば、話が早いのだがそうは問屋が卸さないのだった。そんな地名はドイツには何処にもない。第二要素-feldはドイツ語で「野原」を意味するFeld(英fieldと同語源)だが、地名要素としては多くの場合「畑、農場、耕地」の意味で使われている。問題はゲンチェンの部分で、これが全く何だか良く判らない。


レヴァークーゼンでOtto vor dem gentschen Feldeという姓が有り、何故かgentschenと頭文字が小文字になって、Feldeと切り離されている(http://www.stadtbranchenbuch.com/leverkusen/787904.html )。益々、意味が判らない。


ネットを徘徊していたら、リトアニア語の掲示板でこの姓が話題に上っているのを発見
(http://www.delfi.lt/news/daily/hot/vokietijoje-paskelbtas-ilgiausios-pavardes-rekordininkas.d?id=38351983&com=1 )。当方リトアニア語はチンプンカンプンだが、どうもgentschenはベルギーの都市ヘント(Gent)の形容詞形であると主張しているようだ(2010年11月10日00:18 taiの書き込み)。書き込みの日付から見て、ドイツでこの姓が話題になったのを何かで知った人達による会話だろう。確かに、低地ドイツ語でGentsch「ヘントの、ヘント産の、ヘント出身の」(*2)という単語は存在する。地名Gentに形容詞を作るドイツ語・オランダ語の語尾-ischが付いて出来た語だ。


更に面白い情報が乗っているサイトを発見した(http://www.ndr.de/ndr1niedersachsen/programm/nnds888.html )。
以下に訳を載せる(かなり意訳)。
起源:これはヴェストファーレンに特徴的な姓である。ビーレフェルト市中部に分布する。又フリードリヒスドルフ(Friedrichsdorf)付近にもよく見られる。もともと、この地にゲンチェンフェルトという地名が存在したのだろう。
意味:ヴェストファーレンでは農場主は、農場の所有権が他者に移るまで、しばしば姓に農場名を添加して名乗ることがある。姓に耕作地の名を補っただけの事である。この場合、ゲンチェンフェルトの前方に(vor dem Gentschenfelde)住んでいたオットーである。Gentschenfeldeとは、恐らく「ガチョウの野原(Gänsefeld)」のことであろう。Gentschとはヴェストファーレン方言で「小さなガチョウ」(Gänsken、Gänschken)である。


確かに、低地ドイツ語でgantje「小さなガチョウ」(*3)という単語は存在し、これがGantschとなったと言うのは
有りそうな話である。因みにgantjeは低地ドイツ語gante「ガチョウ」(Gottschald(1982)p.198)の指小辞形だ。-jeという語尾はマネキン(mannequin)等の語尾に見える指小辞と語源上関係が有る。ganteは英語のgoose「ガチョウ」と同語源である。


このサイトは、ドイツの有名なサッカー選手ダーヴィト・オドンコールの姓Odonkorの語源も載っているので、ついでに
紹介しておくと、「慎み深い者」を意味するDonkorから生じたガーナ人の男名Adonkorに由来するそうだ。


結局のところ、Ottovordemgentschenfeldeの-gantschen-という枢要部分が何を意味しているのか良く判らない。もし、Otto vor dem gentschen Felde姓が一番古い形を保持しているのならば、上掲のリトアニア人が示したヘント由来説が正しいように思える。然し、ヨハネス(Johannes)の名から生じたスラヴ姓Gentsch、或いは*Gandiko(*4)という
古いドイツ人の男子名に由来している可能性もある。どっちにしても、姓の古い記録が残っていて、古い綴りが判らない限り憶測の域は出られないだろう。この様な稀姓の記録は、現地に行って郷土史的なアプローチをしていかないと、判るものではないので、これ以上踏み込んだ考察は出来そうにない。



*1:彼女の名前は、今回のこの最長の名前に関するあちこちの記事でJudthとなっているが、Judithの誤りである(海外のサイトで既にそうなっている)。タイプミスであろう。以下に、簡単な人物紹介を載せたサイトのURLを貼っておく。
http://www.uni-leipzig.de/~onoma/gfnwcms/index.php?option=com_content&view=article&id=140:schwanke-judith-ma-leipzig&catid=8:mitgliederverzeichnis&Itemid=23
*2:Jean Desroches,A. Grangé"Nederduytsch-Fransch Woórden-boek"(1820)p.194
*3:Eduard Adolf Ferdinand Maetzner"Englische Grammatik: Die Lehre vom Worte"(1885)p.265
*4:私がでっち上げた語形。フェルステマンの古いドイツ人の名前の辞典にはGantfrid、Ganthar、Gandrad、Gandirihという名前が見え、記録には残らなかったものの、これらの男名の愛称形として*Gandiko、*Gantikoが存在した可能性は十分ありえる。母音間の-k-が-g-に有声化し、更に硬口蓋化を受けて-j-に転訛し、母音の弱化を経れば*Gentjeという形は容易に得られる。