2011-12-14 06:30:00

本田宗一郎氏と藤沢武夫氏の引退のとき、二人が交わした言葉に打たれました。「松明は自分の手で」より

テーマ:世の中の役に立つ経営の言葉
さて、前回に引き続きの藤沢武夫氏のお話です。

創業者である本田宗一郎氏に次ぐNo.2として本田技研を支え続けてきた藤沢氏は、かねてからの計画通り、創業記念日を節目に引退をする決心を実行に移されました。

その時の様子を、本の中でこのように語っておられます。

(引用ここから)

昭和48年の正月ごろでしょうか。当時の本田技研の専務に向かって、

「かねてのとおり今年の創立記念日には辞めたい。
社長(本田宗一郎氏)は今、社会的に活動されているので、どうされるかは、私からでないほうが、判断される時間が持てるでしょうから。
――専務から私の意向を伝えてもらいたい」

と申し入れました。

が、この人との永い二十四年間の交際で、たった一回の、初めての、そして終わりの、大きな誤りをしてしまった。私のことを聞くとすぐ、

「二人一緒だよ、僕もだよ」

とだけ言われたと聞いたとき、まったく恥ずかしい思いをした。

その後あるとき顔を合わせた。
こっちへ来いよと、目で知らされたので、一緒に連れ立った。

「まあまあだな」 と言われた。
「そう、まあまあさ」と答えた。
「幸せだったな」と言われた。
「本当に幸福でしたよ、心からお礼を言います」と言った私に、
「俺も礼を言うよ、良い人生だったな」とのことで引退の話は終わりました。

(中略)

社長は技術、私はかねに関する仕事。これがスタートだった。二人とも勝手放題。思った通り決裁もすれば行動もする。一致することは“会社を大きくすること”。相手のすることに疑念、指示は一切ない。
本田に私の構想を前もって話すとか、了解を得るとかしたことはありません。畑違いの人であると同時に、あの人の頭は、いつも技術のことでフル回転です。研究、生産技術、工作機械と、おどろくほどの知識をみなに教え込む。
「二日寝られない。どうも夜中にエンジンが頭の中で回って止まらない」ということがあったけれど、これは次の製品への準備なんです。ですから、私の部門まで指示されるようでは、これだけの急激な上昇はなかったでしょう。また私も自由な自分の発想でやれないようだったら、会社にはいなかったでしょうね。

(引用ここまで)

本物の人物どうしの会話ですね。
こういう夢を共有し、そして相手の強みの部分は全面的に信用・信頼する関係。
誠にうらやましく感じる方が多いのではないでしょうか。

「松明は自分の手で」は2009年にPHP研究所より復刊された名著です。
機会があれば、ぜひお手にとっていただきたい一冊です。
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