マキオカのネイチャーな日々

山梨県の牧丘に手作りの2区画だけのキャンプ場を作りました。

広い空には満天の星。
ティピィの煙突からはバーベキューのけむりと笑い声。
ハイジのブランコは空まで届きそう。

いるだけで気持ちが和んでいく。そんな不思議なキャンプ場から贈ります。


テーマ:
こんにちは。今日も楽しいマキオカです。


宮司の日原先生と、マキオカの話や、息子の話をさせて頂きました。その際、「何かお手伝いできることがあったら、させて下さい。」とお願いしました。
すると年末ご連絡くださり、息子がお正月お手伝いさせて頂くことに。

それ以来、親しくお付き合いさせて頂くようになりました。
考えてみれば、不思議なご縁です。


先生の祝詞は、本当に気持ちがいい。
これは断言できますが、絶対天に届いてる、と思う。

そして、先生はとっても謙虚。
以前、お話している時に何気なく、17年不妊治療されてる方が、お医者様にあきらめるように言われ、最後に気持ちに踏ん切りをつけるため大嶽山にお参りして、すぐ妊娠したお話をされたので驚きました。さらに伺うと、そんな話はごろごろあるようでした。


ネットで調べてみてびっくり。
知る人ぞ知る、だったんですね。

「子宝ネット」
http://www.kodakara.jp/bbs3/spot/54.html


日原先生は鼻にかけるどころか、そんな奇跡を当たり前のように思われているようで、ご祈祷を受けた方おひとりおひとりに心をかけていました。


昔は山梨で大嶽山を知らない人はもぐり、と言われたそうです。
今でも石和に石でできた昔の道案内の標識があって、富士山と大嶽山が並んで彫られている、と聞きました。

大嶽山の概略を載せておきます。


大嶽山那賀都神社

御祭神
大山祇神 大雷神 高オカミ神
景行天皇の頃、日本武尊東征に際して甲武信越境の時に神助をうけ、日本武尊がその佩剣を国司ヶ岳(2159m)
にとどめて三神を祀った事にはじまる。(現 奥宮)
天武天皇の頃、役行者小角が当山の霊験あらたかなるをもって修験道場として開山。昼夜連日鳴動したことから当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」と呼び、さらに元正天皇養老元年(717)に奥宮から遷座をおこなった際にも鳴動したといわれている。
天平7年、行基が観世音菩薩を彫り「赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留神の みゐづや高く 那賀都とは祈る」と神歌を奉じたことより当社を「大嶽山那賀都神社」と称した。養老年間に最澄、天長8年空海が来山してたとされいる。
江戸初期に大破し小祠となってしまったが、元文5年に再建のため羽黒派修験東叡山支配となり社殿再建。


と、とっても霊験あらたかな凄い神社なのでした。
まさに神がおわす、そんな感じがします。

そして日原先生の奥様もチャーミングで素敵。
謙虚な先生ととってもお似合い。

ところがその謙虚さが、わたしにとっての大ピンチに繋がるとは、誰が想像できたでしょうか。




つづく




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