西園寺マキエの「フリーターの彼氏と幸せに生きられる?」

フリーライターとフリーターが17年付き合い続けて47歳を過ぎるとどうなるか? 仕事・お金・恋愛・結婚、そして人生について考える、アラフィフのブログです。


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暇だ(笑)。

 

去年の9月くらいから3月の頭まで、なんだか仕事が異様に忙しい日々が続いていた。もちろんフリーランサーとしては、ありがたい限りなのだが、その間、ずっと週休1日ありやなしや体制で、正月も2、3日休んだだけだったから、2月頃はさすがにへとへとだった。

 

で、3月になって、今度は逆に、びっくりするぐらい暇になった。仕事はあるにはあるが、現状ではほんのわずか。当面、忙しくなる気配もない。これぞ、フリーランサーの良いところでもあり、困ったところでもある。

 

フリーランサーとはいえ、たまに暇になるのはいいもんである。忙しいときにできなかったことがいろいろできるし、思うぞんぶんのんびりできる。

 

本来、フリーランサーはこういうときに自分から企画を作って売り込みに行ったりすべきなんだけれども、そういうことをする時間があるなら、昔から自分が書きたいと思っていたものを書きたいと思ってしまう。たとえ、金にならなかったとしても。

 

なーんて、偉そうに言ってみたりしているが、実態としては、ここ2週間ばかりだらだらと過ごしてしいるだけである。

 

要するに、怠けているだけなわけだな。困ったもんだ。

 

さて。

 

先日、ヨシオとふたりで、大阪に2泊3日で旅行に行ってきた。ついでに京都にも立ち寄って観光もしてきたが、主な目的は、エレファントカシマシの30周年大阪城ホールコンサートだった。

 

大好きなエレカシとはいえ、その30周年記念コンサートとはいえ、コンサートのためにふたりで大阪まで行くなんて、以前のヨシオの経済状況ではあり得ない話であった。金があるというのは、やはりいいもんである(そんな言うほどは、ぜんぜんないけど・笑)。

 

そういえば、エレカシの宮本浩次さんが、デビュー30周年ということで、最近テレビやラジオに出まくっている。そこで目立ったのが、「お金ほしいんですよ、ホントは」的な話を何度かしていたことだ。数年前のコンサートでも、そうした発言をしていたっけ。

 

宮本さん、今年で51歳。我々とほぼ同い年である。若い頃あんなにとんがっていたロッカーの「お金ほしい」発言には、ファンとしてはがっかりさせられそうなものだが、私は「この人、つくづく正直な人だなあ」と、思ってしまった。

 

私自身、年取るにつれて、「お金ほしいんですよ、ホントは」と思うことが増えてきた。

 

若い頃はそうでもなかった。

 

若い頃は、夢も希望もある。そしてなにより、若さがあった。

 

だから、金なんていらない。

 

それに、たいして稼いだこともなく、自分の力で暮らしていたわけでもなかったから、金のありがたみもたいしてわからなかった。

 

しかし。

 

人間、50にもなると、社会経験、人生経験を経て、金のありがたみが身に染みてくる。

 

それと引き換えに、若さは失われていく。

 

そして、若い頃に比べれば、夢も希望も、ほんのわずかしか残っていない。

 

反対に、社会的立場や居場所はそれなりに固まってくる。

 

そうなると、人間、最後に金がほしくなってくるものなんだろう。たぶん。

 

あとは、健康だな。笑。

 

やれやれ、なんだかなー。

 

そうそう。

 

宮本さんの話を書き始めると、あれこれ止まらなくなってしまうのだけど、ひとつだけ書いておきたいのは、先日、NHKの「The Covers」という番組に出たときのことだ。

 

カバー曲を披露するということで、松田聖子の「赤いスイトピー」と、ちあきなおみの「喝采」を歌った。

 

どちらも素晴らしかったのだけど、何がすごいって、どっちも原曲キーで歌っていたことだ。

 

特に「赤いスイトピー」なんて、原曲キーだと最高音は、ハイCである。普通の男性歌手の最高音(地声)はGかせいぜいA、相当高い人でもBフラットがぎりぎりだろう。

 

それを2音上まわるハイC……。

 

宮本さんは、見事に歌い切っていた。声質がしっかりしているから、ぱっと聞いただけでは、そんなに高い声に感じない。ゆえに、彼がどれほど高音が出せるすごい歌手なのかいまひとつ一般に知られていないが、ハイCが出るのがどんだけすごいことかは、自分でちょっとでも歌ったことがある人なら、わかるだろう。

 

そういやあ、ハイCといえば、往年のテノール歌手のパバロッティが、「キング・オブ・ハイC」と呼ばれていたっけ。パバロッティの場合は、もうちょっと上まで出るのだけど、高いハイCをあまりにも美しく出すため、こう呼ばれていた。

 

まあ、世界的オペラ歌手は別として、ポピュラー音楽の世界でハイCが出せる男性歌手なんて、そうそういません。だから私は勝手に、宮本さんも「キング・オブ・ハイC」とお呼びしたいと思っている。

 

あ、でも、エレカシのオリジナル曲には、ハイCが出てくる曲は実は何曲もあるので、ファンの人にしてみれば、「何をいまさら」という話ではある。そして、宮本さんの歌の一番の魅力は、そんな技術的なことなどではないのだけれど。

 

と、どんどんファン目線のつぶやきと化していったところで、今日はこのへんで。何せヒマなので、また近いうちに更新できると思います。

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実は先日、ヨシオのお母さんのお誕生日だった。

 

毎年ヨシオは、お母さんとふたりでちょっとしたお食事に出かけていたのだけれど、私は別段、何かしたことはなかった。まあ、結婚してるわけじゃないしね。

 

しかし、今年は「婚約者」となった以上(?)、何もしないのもどうかな~とちょっと思っていた。もうしばらくしたら、みーちゃんの結婚式でも顔を合わせるわけだし、その前にちょっとお会いしていろいろおしゃべりしておこうかしら、なんて考えたわけだ。

 

そうしたら、ヨシオのほうから「今度のおかーちゃんの誕生日のお食事会、マキエも一緒にいかが」と誘ってくれた。

 

というわけで、実際に、ヨシオのお母さんのお誕生会に、ヨシオと一緒に行くことになったのである。

 

何度か会っているとはいえ、久しぶりのご対面だ。結婚はしてないが、普通でいえば、お姑さんである。どんな話をしようかしら、なんて、事前にちょっと考えたりした。

 

私とお母さんをつなぐ最大にして最強の話題といえば、ヨシオ以外にありえない。基本はヨシオの話をしよう。「ヨシオさんは優しい」とか「ヨシオさんは面倒見がいい」とか、褒めるのもよいだろう。でも、褒めてばかりもわざとらしいのではないか。などとあれこれ考えた挙句、私はこの機会に、ヨシオについて思っている「心配なこと」をお母さんに話して、お母さんからヨシオに、何かひとこと言っていただこうかと画策した。

 

いうなれば、ユーミンの『ルージュの伝言』の歌詞みたいなもんだ。「ママから叱ってもらうわ、マイダーリン」というやつである。

 

あ、念のため断っておくと、ヨシオは浮気はまったくしてないので、そういう方向の話ではなく、私が一番「叱って」ほしかったのは、「酒の飲み過ぎ」である。

 

ヨシオは明らかに「酒を飲み過ぎ」ている。若いうちはまあいい。しかし、50を超えたいま、毎日毎日ウイスキーをダブルで5~6杯、ワインなら1本飲むというのは、いかがなものか。確実に頭と健康がやられるに違いないと、私は最近、ひじょーに心配しているのだ。

 

まー、ヨシオは基本的にがんこですから、私が何か言っても、まず、いうことをきいてくれない。いや、私以外の誰に何を言われても、まあ、基本的には言うことをきかない。でも、唯一、この人に何か言われたら、態度を改めざるを得ないだろうという人がいる。それが、お母さんなのだ。かつ、この話題なら、お母さんも、「あら、マキエさんは、うちのヨシオのからだのこと、こんなに心配してくれてるのね」と、好感を持って受け止めてくれるにちがいない、嫁的立場もアップするだろうなどと、余計なことまで考えていた。

 

そして私はさらに、予備の話題として、「ヨシオさんはものをまったく捨てないから、部屋がモノであふれてる」とか、「あんまり手を洗ってくれないから、ノロとかインフルとか心配だ」といった話題なども頭の片隅に用意し、いざ、お食事会に臨んだのであった。

 

しかーし。

 

私の読みは実に甘かった。お母さんの反応は、私の予想とはまったく異なるものであったのだ。

 

たとえば……。

 

マキエ「ところで、お母さん。ヨシオさん、ちょっとお酒飲み過ぎじゃないですかねー。大丈夫でしょうか……」

 

お母さん「あー、お酒ねー」

 

マキエ「はいっ!」

 

お母さん「この人の父親は全然飲めなかったんだけどね、私のね、父親がとても強い人だったのよ~。その血を受け継いだみたい」

 

マキエ「はぁ……」

 

お母さん「そうねぇ、うちで飲むのはヨシオだけね。でも、私もね、最近はちょこちょこ飲むの。量はたいして飲めないんだけどね。お酒、楽しいから、好きなのよ。うふふ」

 

あっさり玉砕。

 

となりではヨシオが勝ち誇ったような笑顔で私を見ている。

 

そこで、しばらくして、私はめげずに、もうひとつの話題にもトライしてみた。

 

マキエ「そういえば、お母さん、ヨシオさんって、何でもモノをとっておく人ですよね~。全然捨てないから、お部屋にモノが一杯で大変で…」

 

お母さん「やっぱり? 実はね、私もそうなの。押入れの中にいろんなものとってあって、あれがなかなか捨てられないのよね~。あれは人には見せられないわ~」

 

マキエ「あはは~」

 

またもや玉砕である。

 

私とお母さんの話を聞いて、ヨシオはとなりで笑いをこらえていた。

 

ああ、そうであった。

 

ヨシオのお母さんは、本当に怒らない人だったのだ。

 

そういえば昔、ヨシオがお母さんに怒られたのは、お姉さんのテストの点数が悪かったのを馬鹿にしたときぐらいだったって言ってたな~。

 

ヨシオがどんなに酒を飲もうが、うかつな失敗をしようが、留年しようが、せっかく入った会社を辞めようが、ニート状態で暮らそうが、稼がなかろうが、彼女と長年結婚しなかろうが、まったく怒らなかった人だ。

 

だからこそ、こういうヨシオという人間が出来上がったわけである。

 

それを今更、私なんぞが、やれ、「酒の飲み過ぎ」だの、「モノが捨てられない」だの、ちまちましたことを言ったところで、お母さんにしてみれば、実に他愛のない話題に感じるだけなのであろう。

 

というわけで。

 

結局この日は、ほかに、いろいろとお母さんの趣味やお友達のお話なんかをして、会は楽しく進行し、終盤を迎えつつあったのだが、最後の最後に、もうひと山あった。

 

そろそろ店を出ようかと、ヨシオが、「俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」といって、席を立ったときのことだ。

 

そのときばかりは、お母さんとふたりきりになるとあって、私の中で、ぐっと緊張感が増した。

 

だって、先日、みーちゃんの結婚式の件で、「婚約者」を名乗ったばかりである。何か、おかーさんからひとことあっても不思議ではないだろう。「マキエさん、ヨシオのこと、よろしくお願いしますね」なんて、言われるのではなかろうか。あるいは、「マキエさん、ヨシオがいつまでも結婚しないでごめんなさいね」なんて、言われたりして! などと、思ったわけである。

 

しかーし。

 

ヨシオが席を立ち、私が緊張した瞬間、お母さんはこうおっしゃった。

 

「男の人って、意外とトイレが近いのよね。ね、そう思わない? うちのお父さんもそうだったのよー」

 

私は思わず、笑顔で「あはは~そうですね~」と笑ってしまった。

 

きっとお母さんも、気を遣って話題をいろいろ考えてくれたのに違いない。それはそれでありがたいことだったけど、当初わたしが目論んでいた、「ヨシオを叱ってもらう」という計画は、1ミリも遂行されずに終了した。いまとなってみれば、私の考えが甘かった。計画自体が、実に安易であったとしか、言いようがない。

 

帰り道、ヨシオとふたりきりになったところで、今回の「叱ってもらう」計画をヨシオに改めて説明した上で、思わず私は言った。

 

マキエ「ま、完全に玉砕したわけですよ。さすが、あなたのおかーさんだわ。それにしても、あれだね、お母さん、あなたのことは、ほんとーに、まったく怒らないよねー」

 

ヨシオ「そりゃそうさ。だって俺、別に、怒られることなんて、全然してないもん(笑顔)」

 

いやはや、ほんと、実に無敵な親子なのでありました。

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すっかり日が空いてしまった。

 

正直、ヨシオが「多少は稼ぐ男」になって、このブログを書く意義を見失いかけていたというのもなくはないが、まあ、実態としては、単に仕事が忙しくてどうにもならなかっただけである。ときどきブログをのぞいて下さっていた皆様、ごめんなさい。

 

さて。

 

今年でもう52歳になるわけで、「あー、いよいよ、人生も終盤だな~」と、あまりぱっとしない気分で年を越したわけですが、つい先日、久しぶりにおめでたいことがあった。

 

ヨシオの姪っ子のみーちゃんが結婚することになったのである。

 

みーちゃんは今年で28歳。ちょうどよいお年頃だ。ヨシオは一時一緒に住んでいたこともあって、みーちゃんとは、昔からかなり仲良しだったのだ。

 

私とヨシオがつき合い始めたのは、かれこれ20年以上前だから、その頃、みーちゃんはまだ8歳ぐらいだったのかな。私はあんまりしゃべったことはないけれど、何度か顔は合わせていたし、ヨシオからみーちゃんの成長について、たびたび話に聞いていた。たとえば、高校受験とか、大学受験とか、こんなこと言ってたとか、こんなことやってるとか、就職とか、どうやら恋人ができたらしいとか。

 

だから、そんなみーちゃんの結婚は、ヨシオはもちろん、私にとっても、なんだかとてもほっこりするおめでたいできごとだったのである。

 

そんなわけでヨシオは、以前からみーちゃんに、「結婚式やるんだったら、西園寺さんも呼んであげてね」と、お願してあった。

 

で、先日、実際に、私のもとに、みーちゃんから結婚式の招待状が届いたのであーる。

 

うー、久しぶりの結婚式。私は、友達が結婚してなかったり、してても式を挙げてなかったり、フリーランサーで会社のつきあいがなかったり、そもそも女友達が少なかったりとかで、結婚式には数えるほどしか出席していない。だから、久しぶりの結婚式、しかも、ヨシオと一緒に出席するみーちゃんの結婚式とあって、とってもワクワクしてしまった。

 

しかーし。

 

ヨシオの親族の一員として結婚式に出るということは、それなりに重みのあることだと、あとからようやく気付いた次第である。

 

まず、しばらくして、ヨシオのお母さんから、「西園寺さんの肩書はどうしようか」というお問い合わせをいただいた。

 

そういやあ、結婚式の会場に行くと、各席に出席者一覧みたいな席次表が置いてあるよね。あそこにつける肩書があるわけだ。

 

ヨシオと私は、「『新婦叔父・パートナー』でいいんでない?」と言って、こりゃあいい肩書思いついたねなんて、満足していたのだけれど、「式場と相談した結果、そういうのはないと言われました」というお話になり……。

 

ヨシオ:「思い切って、新婦叔父妻、とかにする?」

 

マキエ:「え~、それは、おかしい。だって、妻じゃないんだから。籍入れてなけりゃ、一緒に住んでもいない」

 

ヨシオ:「じゃ、えーと……新婦叔父友人?」

 

マキエ:「なんで叔父の友人が、結婚式に出席してんのよ~」

 

ヨシオ:「だよねー。うーん、新婦叔父・パートナーがやっぱり一番しっくりくるんだけどな~。なんでダメなのかなあ」

 

マキエ:「まあ、言われてみれば、知らない人から見れば、『パートナー? 何それ?』って感じになるんじゃないの? やっぱり」

 

ヨシオ:「うーむ……」

 

で、この際、もう「新婦友人」でいいんじゃないか、など、いろんな意見が出る中、たどりついた結論が、「新婦叔父婚約者」。これなら問題ないと、式場のプロの方も太鼓判を押してくれたそうである。

 

うーん、別に「婚約」なんてしてないけどな・笑。

でも、まあ、間違ってはいないか。

 

というわけで。みーちゃんの結婚式はまだだいぶ先だけれど、「新婦叔父婚約者」となった途端、なんだか妙に緊張してきたのであった。

 

そして、私は実感した。

ああ、いわゆる社会というものは、こういうものなんだなーと。

 

いや、別に、いいんだけど、こういうふうに、社会の中で認められるためには、それなりの肩書が必要なのだ。何においても。

 

そして、男女の関係性を示す肩書のひとつが、「妻・夫」であり、その肩書を持つために、結婚という制度があるのね。って、

 

今、私はしごく当たり前のことを書いていることになるけれど、こんなことを改めて書いてしまうほど、私とヨシオは、これまでずっと、自分たちの好きなように、勝手に「パートナー」という社会では認められていない関係を、やり続けてきた、ということになるんだろう。

 

ま、ある意味、社会性に欠けるふたり、ってことか。(今更かよ・笑)

 

そして、さらによく考えてみると、みーちゃんの結婚式は、私は単にお呼ばれして出席するお気楽なもんじゃなくて、いわば、「嫁デビュー」の場となるわけだ。

 

ひょえー。

 

いや、ヨシオのご家族とは私は何度かお会いしてるし、お母さんとは何度か食事もしているんだけど、「婚約者を名乗るからには、ちょっと、今までとは違うぜ」という意識で臨まねばと、あれこれ考えてしまうのでありました。

 

あと、追伸。

あ、それから、ここのところ、急激にアクセス数が増えて、何があったのだろう? と、ナゾなのですが、きっとどこかでどなたかが、このブログについてふれてくださったのでしょうね。この場を借りて、御礼申し上げます。

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またまた日が空いてしまった。

前回の書き込みからちょうど1か月だ。

 

毎年、年末はやはり仕事が忙しい。そのほかにもなんやかんやと約束が入るので、なにかと時間が足りない。

 

そんな中で。

 

今日、23日は、30年以上にわたってヨシオが仕切ってきた野球大会(といっても、参加するのは毎年同じ2チームのみ)の日である。

 

毎年、昼過ぎから神宮外苑の球場に行って、仲間たちの草野球を見て、終わったら風呂屋に行き、夕方から代々木の居酒屋で飲み、夜になったらカラオケに行って、夜中にべろべろになったヨシオとうちまで歩いて帰る……、というのが、毎年のフルコースだった。

 

ところが今年は、開催以来初めて、神宮の球場が抑えられず、別の友人が急きょとってくれた大田区の球場でなんとか開催する予定だったのだが…

 

昨日の嵐のような雨のせいで、今朝になって中止が決定。急に、ぽっかりと時間ができてしまった。

 

まあ、本当は仕事を先に進めればよいのだが、棚ぼたのようなこの時間、なかなかそういう気分にもなれないもので、こんなふうにブログを書いたりして過ごしてしまうわけだ。

 

さて。

 

最近、つくづく思うのだが、なんだか、ここへきて、自分のまわりが急に変わり始めている気がしてならない。

 

いや、たぶん、客観的にみればそんなに大きな変化などどこにもなくて、人生なんて、いつもそこそこ変わり続けているものなわけなんだが、ただ、そうした変化を感じる自分の気持ちのほうが、以前より敏感になっているだけなんだろう。

 

改めて言うまでもなく、私は、ほぼ生まれてこのかた、今生活している町で暮らしてきた。要するに実家暮らしを続けてきたわけだ。50年も同じ場所に住み続けている人って、東京では案外少数派なんじゃないだろうか。

 

そんな私にとって、最近、ちょっと悲しいことがあった。

 

我が家のけっこう近くにある有名な大病院の、もっとも古くからある建物が取り壊されてしまったのだ。赤茶色の煉瓦でできた、大正末か昭和初期の建物で、当然、私が物心ついたときから、ずっとそこにあったものだった。そんな時代の建物だから、中の作りもそこらのビルとは全然違っていて、重厚で趣があった。たとえば、私が子供の頃までは、手動で扉を開け閉めし、自分たちでレバーを操作して動かす旧式のエレベーターがあったのを、今もよく覚えている。

 

その病院は、歴史的価値のある建物として知られていたし、あれだけはずっと保存され続けるだろうと勝手に思っていたのだけれど、先日近くを通りがかったら、すでにがれきの山と化していた。いつもの道から見上げると、そこにあるべき姿が消えていて、ぽっかり空が見えただけだった。

 

その建物に限らず、最近、近所ではいろいろな家やビルの建て替えが進んでいて、町の景色がどんどん変わっていく。住んでいる人も変わっていくし、町の雰囲気も当然変わっていく。50年以上住み続けている私の心境はフクザツだ。

 

もちろん、変わっていくのは町だけではない。自分も変わった。まあ、自分のことはよくわからないので、“老けた”ぐらいにしか思えないが、たとえばヨシオの暮らしぶりも変わったし、母親は急に年寄りになったし、我らのつきあいのある友人関係も少なからず変わってきた。

 

ま、そんなの、生きている限り当然の変化なんだろうけれど、人生の秋季を迎えている中年のココロには、一抹の寂しさが広がっています。

 

まー、変化を恐れる臆病な人間ってことなんでしょう。

 

そこに必ずあると思っていたものが、

いつか気づくとなくなってしまうことがあるのね~。

 

これからは、「そこに必ずいる」と思っていた人が、

ある日突然、いなくなってしまうことも、きっと増えていくんだろうな。

 

あれ、なんだか、思い切り感傷的な書き込みになりましたね。

 

別に、最近、調子は悪くないんだけどな。

今は今で、楽しいこともいろいろあるし。

 

なーんて、いったい誰に、何を言い訳しているんでしょう。笑。

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お久しぶりです。

 

前回ブログを書いてから1か月ぐらいは経ってしまったかな~と思っていたら、1か月半は優に超えてましたね。

 

投稿が空いてしまった理由としては、ヨシオの仕事が決まって気が抜けていたというのは最初だけで、あとは、仕事に忙殺されていました。今日は、本当に久しぶりの休日です。

 

そんなわけで、ここ最近の状況をざっくりご報告させていただくと……。

 

現職に就いたヨシオは、精神状態も健康状態も基本的にかなりよくなりました。ひどくなっていたアトピーはずいぶん治り(この病気、本当に精神状態に左右されるのね)、一時は一目で〝痩せた〟とわかるほど落ちていた体重も、瞬く間に戻りました。笑。

 

あー、やはり、今思うと、病院の裏方の仕事も大変だったが、酒屋さんの仕事も大変だったな~。あの頃、ヨシオは寝ているとよくうなされていたっけ。酒屋さんのときの寝言は、「2980円……2980円。20円、20円足りない……」とかそんなのばっかりだった。しかも、一日中自転車をこいでいたせいで足が異様につりやすくなっていて、よく、夜中に痛がっていたな~。よくぞ乗り越えました。良かった良かった。

 

さて。

 

前回、「これで、ヨシオが食いっぱぐれる心配がかなり低くなった」と書いたけれど、よく考えたら、大きな問題がひとつ、まったく解決されていないことに気づいた。

 

ヨシオの老後の問題だ。

 

ヨシオは、今の職場で60歳以降も、アルバイト的立場ならある程度仕事を続けられそうな雰囲気ではある。それでも、普通に考えたら、60代後半までだろう。

 

そうしたらその後、ヨシオはどうやって食っていくのだろうか。年金が出るったって、たかだが6万ぐらいだ。まあ、普通に考えれば、たぶん、その頃には私と一緒にこの家に住んでいると思うから、実情としては、生活はなんとかできるだろう。しかし、それは、客観的には、ある程度の部分を私の世話になっている状態、と言わざるを得ない。

 

うーん、本人、それでいいのだろうか…。

 

そう思って、先日、飲みながらそんな疑問をヨシオにぶつけてみた。

 

「ねえねえ、ヨシオちゃん。仕事が落ち着いて、なんだかすべて解決したみたいな感じになってるけどさ、老後のことは考えた? どうするの、老後の生活は」

 

「なに言ってるの、マキちゃん。そんな考えたってしょうがないこと、考えてませんよ。ははは」

 

「げげげっ」

 

「いや、それは半分冗談。でも、まあ、とにかく、マキエと一緒に住まなかったとしても、俺は俺でなんとかするって。金がなくても、金がないなりに生きる方法を探っていくしかないだろうさ」

 

「そんな、あーた、そうは言うけど……」

 

と、言いかけてやめた。ま、これ以上、この話題を今続けても、何ららちはあかないことは明白である。でもなー、本当に、それでいいのだろうか…。

 

と、思いつつも……。

 

現状、ふたりの日々は、順調に楽しく過ぎていっている。昨日も、ドラマ「逃げ恥」を、ふたりできゃーきゃー、おぅおぅ言いながら見て楽しんでいた。平和で幸せな晩であった。

 

しかしこれは、「ヨシオ、やがて下流老人になる」という問題の、先送りに過ぎないのだろうか。

 

などと、新たな問題を提起したところで、今日はここまでといたします。

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