1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

自立する中流の国

テーマ:日本論 2012-02-15 00:00:00

「「超先進国」日本が世界を導く」  日下公人 PHP研究所


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


日下氏は、311以降、潮流としては「戦後派が災前派」になり、「戦前派が災後派」になるという逆転現象が起きる、と予言しています。戦後派とは革新思想で、戦前派は保守思想だと考えればよいと思う。


そして、米国、欧州、中国がそれぞれの理由で危機に陥る中、2012年以降の国際情勢は、ひと言でいえば「世界中が日本に助けを求めてくる」という時代になるので、「有色人種はこれまで白人に踏みつけにされてきた。だが、白人の意に従っても世界は一向によくならない。今後の日本は無用な遠慮はせず、いうべきことは主張する」という新しい立ち振る舞い方を身につけなければならない、と説いています。


保守の論客として知られる著者ですが、日本の強さを良く理解している識者のひとりではないかと思います。

日下氏の主張の核心は、日本は「中流」の自立精神を大切にする国で、日本という国には「上流」はさほど要らない、ぶら下がるだけの「下流」はないほうがよい、という言葉に集約されると思います。


dog-eared

・いま世界中で稼働している原発は29カ国で431基だが(アメリカ104基、フランス59基、日本54基)、ほとんどがウランを燃料に使用する原発で、インドが一部トリウム発電を始めたという段階でしかない。

おススメの大学

テーマ:教育 2012-02-14 00:00:00

「なぜ、国際教養大学で人材は育つのか」  中嶋嶺雄 祥伝社黄金文庫


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


小規模だが評価できる大学 1位

国際化教育に力を入れている大学 1位

入学後、生徒を伸ばしている大学 3位

教育力が高い大学 4位

面倒見が良い大学 5位


秋田県に、全国から志願者が殺到し、入学難易度はいまや東大、京大、一橋大に迫る勢いで、就職率が100%という驚異の大学があります。

それが国際教養大学です。

国際教養大学は2004年にミネソタ州立大学機構秋田校の施設をそのまま引き継いで開学した新設校で、その運営方針は極めてユニークです。


1. 授業はすべて英語で行う

2. 少人数教育を徹底(1クラス15人程度)

3. 在学中に1年間の海外留学を義務化

4. 新入生は、外国人留学生とともに1年間の寮生活

5. 専任教員の半数以上が外国人

6. 厳格な卒業要件

7. 24時間365日開館の図書館


元東京外国大学の学長であった中嶋氏が、既存の大学ではしがらみが多くて実現できなかった国際標準の理想の大学を秋田の地に実現したのが国際教養大学です。

極めてユニークな大学と書きましたが、実際には、まっとうな国際標準の大学の一つに過ぎません。日本のこれまでの大学が世界の標準的な大学とあまりにもかけ離れていたことが問題の核心です。


グローバル化の流れは個人の好き嫌いとは関係なくこれからも進んでいきます。東京大学は既にアジア1位の座を香港大学に奪われています。国際教養大学が日本ナンバーワンの大学になることもありうると思います。


dog-eared

・シンガポールやオーストラリアは自国の高等教育を21世紀の重要な「輸出産業」と位置づけ、優秀な留学生を積極的に招いていました。

・国際基督教大学(東京都三鷹市)、立命館アジア太平洋大学(大分県別府市)、早稲田大学国際教養学部(東京都新宿区)の三大学と連携協定を結びました。私たちの国際教養大学と合わせて「G4(グローバル4)」と称しています。

・外資系は日本に市場を求めて来ているので、わざわざ日本で採用した人を海外へ出すという発想は基本的にありません。ですから海外で活躍したい人は、そもそも外資系に入る意味がないのです。それなら、海外展開している日本の企業に入ったほうが、ずっと海外で活躍するチャンスがあります。

リメンバー・アメリカの手口

テーマ:歴史 2012-02-13 00:00:00

「大東亜戦争の正体」  清水馨八郎 祥伝社黄金文庫


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


「一国の人々を抹殺するための最後の段階は、その記憶を失わせることである。さらにその歴史を消し去った上で、まったく新しい歴史を捏造し発明して押し付ければ、間もなくその国民は、国の現状についても、その過去についても忘れ始めることになるだろう」(ミラン・クンデラ)


戦後の戦争史観は(1)侵略戦争史観(左翼文化人)、(2)大東亜戦争は絶対侵略戦争ではないという史観、(3)アメリカが巧みに侵略戦争を仕掛けたという史観(主客逆転発想)、(4)戦闘(手段、戦術)に負けたが、目的(戦略)を果たした、本当は日本が勝った戦いであったとする史観(世界史的大観論)との、四つに大別されます。

保守系文化人によって(2)の段階まで議論が進みましたが、本書の目的はさらに(3)、(4)へと議論を進めて、大東亜戦争は日本国が起こした侵略戦争ではなく、米ソの世界二大覇権国が、ヨーロッパ白人の植民地化に日本が従わないのを憎んで、巧妙な謀略で日本を無理矢理に戦争におびき出したものであること、を明らかにしています。


著者によると、大東亜戦争は、昭和天皇の開戦の詔書にあるように、帝国の自存自衛と東亜の安定のため、正当防衛として立ち上がった正義の戦いで、米ソこそが侵略戦争の張本人である、ということです。にもかかわらず、勝ち誇った占領軍は、日本の軍国主義者が起こした侵略戦争と断定し、戦犯を指名して処罰し、アベコベの洗脳政策と洗脳教育を実行した、と主張しています。


確かに、大東亜戦争の結果、アジア・アフリカは、白人の植民地からすべて解放され、日本が独り「天に代わって不義を討つ」と立ち上がった目的である大東亜共栄圏も八紘一宇の理想も、結果としては見事に実現している、つまり長期的に大観すると、この戦争は人類の世界地図を一変させた、と言えなくもありません。


アメリカ史をみると、リメンバー・アラモ、リメンバー・メーン、リメンバー・パールハーバーなど、驚くほどアメリカ政府にとって都合よく、アメリカ国民を戦争支持へと駆り立てる“事件”が勃発していることが分かります。


リメンバー・アラモ砦  メキシコ戦争

リメンバー・サムター砦 南北戦争

リメンバー・メイン号   スペイン戦争

リメンバー・ルキタニア号 第一次世界大戦参戦

リメンバー・パールハーバー 第二次世界大戦参戦

リメンバー・トンキン湾 ベトナム戦争

リメンバー・311    対テロ・アフガン・イラク戦争


清水氏は、リメンバー・パールハーバーはアメリカが演出し、日本がまんまとのせられて主演を演じたトラップであった、という説を裏付ける事実として、ルーズベルト大統領の言葉を引用しています。


「戦後、日米戦がルーズベルトが巧妙に仕掛けた謀略であることを告発した書物は、数多く出版されている。その中でも第一級の資料は、ルーズベルトの長女の夫であるカーチス・B・ドールが身内から告発した書で、「操られたルーズベルト」である。真珠湾攻撃の前日、家族との朝食の席で大統領は「私は決して宣戦はしない。私は戦争を造るのだ。明日戦争が起こる」と話していたという。このことを知っていたのは、大統領と、ハル国務長官とスチムソン、ノックスの陸海軍長官の四人だけだった。その半年前にスチムソン陸軍長官は、「私たちの戦争準備はすべて終わった。あとはハル国務長官、あなたの出番ですね」と洩らした。それは、戦争に持ち込めるか否かは、日米交渉で、ハルがいかに日本をいじめて、日本に開戦の決断をさせるかにかかっているということを示唆した発言と受け取れる。


リメンバー事件は、果たして、アメリカ政府による計画的な犯行なのか、それとも偶発的な事件なのでしょうか。



dog-eared

・二十世紀の前半は、まさに戦争の世紀であった。この世紀の初めに起こった日露戦争は、ヨーロッパ白人が非白人に敗れた最初の戦争で、人類解放の出発点になった。そして、その36年後に起こった大東亜戦争は、ヨーロッパ白人の植民地勢力をすべて米国に追い返した人類解放の完結戦であった。東亜の一角に日本という小さな国が存在しなかったら、世界はいまだに白人の奴隷的植民地支配下にしんぎんしていたであろう。

・敵は郷土で働く農民に対しても空から機銃掃射を浴びせ、列車を襲い、日本の113都市に焼夷弾の雨を降らして焼きつくしたのである。非戦闘員を攻撃してはならないという国際法など平気で犯しているのである。これに対して日本軍は、ハワイ攻撃においても、戦闘機は軍艦や軍事施設を攻撃しても、ハワイの一般住民には全然手を触れなかった。このように日本軍の戦いは、国際法を厳に順守する天晴れな戦い振りであった。

・「笑いと忘却の書」を著わしたチェコの作家ミラン・クンデラは、次のような言葉を登場人物に語らせている。「一国の人々を抹殺するための最後の段階は、その記憶を失わせることである。さらにその歴史を消し去った上で、まったく新しい歴史を捏造し発明して押し付ければ、間もなくその国民は、国の現状についても、その過去についても忘れ始めることになるだろう」

・「太平洋戦争」史観を押し付けるにあたり、GHQが最も活用したのは、情報発信の中枢であるNHKと朝日新聞、岩波書店などであった。これら重要な言論機関には検閲官が常駐し、厳重にチェックするばかりか、占領政策に都合のよい報道を積極的に流させた。

・戦後の神道指令によって、公文書において使用が禁止された用語には、「大東亜戦争」「八紘一宇」「大東亜共栄圏」のほかに、次のようなものがあった。それは「神州日本」「大和魂」「敵」「紀元二千六百年」「四海同胞」「万邦帰一(ばんぽうきいつ)」「大東亜の盟主」「アジアは一つ」「忠臣蔵」「仇討ち」などである。

・異なる二国間での歴史観の共有は困難である。たとえば、ジョージ・ワシントンはアメリカでは独立と建国の英雄だが、英国では自国の植民地を奪った反逆者、悪人となっている。また英仏百年戦争のジャンヌ・ダルクは、フランスでは救国の女性英雄だが、英国では火あぶりの刑が妥当の魔女となっている。

・満州進出の野望を持つロシアは、ドイツ、フランスと組んでいわゆる三国干渉を行い、遼東半島を清に返還させた。その後でロシアは、あろうことかその遼東半島を清から譲り受け、旅順に大要塞を築いた。

・乃木の第三軍が多くの犠牲者を出しても、なかなか二百三高地が落ちないのを見て、大本営は北海道の旭川に編成されたばかりの第七師団を応援に派遣し、ついに二百三高地の陥落に成功したのだが、二百三という数字を割ることができる数字は七しかないというのは、奇縁と言うべきだった。

・世界の国々で、日露戦争における日本勝利のニュースを聞いて最も喜んだのは、それまでロシアに占領されたり、圧迫され、いじめられつづけていたフィンランド、ポーランド、トルコなどの国々であった。この勝利をわがことのように喜び、日本国と東郷平八郎を称賛した。トルコのイスタンブールには「東郷通り」があり、さらに「乃木通り」、さらには陸軍大将で満州軍総参謀長だった児玉源太郎にあやかった「児玉通り」もある。ポーランドでは、トーゴーやノギが人名になっているほどだ。フィンランドには「アドミラル・トーゴー」と銘打った東郷ビールが発売されていた。

・1836年、アメリカは当時まだメキシコ領だったテキサスのサンアントニオに、独立運動の象徴アラモの砦を築かせた。これはメキシコ軍が襲ってくるのを見越した上のことだったが、案の定、籠城した200人の人々はたちまちメキシコ軍の攻撃を受けて全滅してしまった。アメリカはこの事件を「リメンバー・アラモの砦」という合言葉で、国民の戦意を鼓舞し、戦争を正当化して侵略戦争を起こした。この米墨戦争の勝利で、米国はニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア州など当時のメキシコ領の半分にあたる広大な領土を併合し、国旗の星の数を一挙に増やした。

・メキシコ戦に味をしめた米国は、1898年、同じ手口でスペインと戦端を開くことになった。今度は「メーン号を忘れるな」であった。米国はキューバのハバナを表敬訪問中の戦艦メーン号を自ら爆沈させ、260名ほどの犠牲者を出した上で、これを敵の仕業だと因縁をつけ、スペインに宣戦布告した。これによってカリブ海のスペイン領プエルトリコなどを占領し、中南米諸国を支配するきっかけを作った。

・英国についてはどうか。かつで世界の四分の一、次に挙げる五十五カ国を支配していたのだから、謝罪し、保証金を払い始めたら、たちまちイギリスは国家として破産してしまうだろう。

・近世欧米諸国の繁栄は、植民地略奪と奴隷酷使によってもたらされたものだ。それが大東亜戦争後、西欧の列強はその虎の子の植民地を全部失い、奴隷制度も廃止させられ、いずれの国も従来の繁栄を失い、斜陽国に転落している。ところが日本のみ、言うところの植民地を失ったにもかかわらず、独り突出した経済発展を遂げているのはなぜだろう。それは逆に植民地をすべて捨てさせられたからである。日本にとっての植民地は略奪の対象でなく、当時の国費の二割を持ち出さねばならぬお荷物だったからだ。そのお荷物を降ろさせられて、かえってサバサバして、日本のみ大繁栄を謳歌することができた。

・世界史的に大観すると、大東亜戦争はアジアが西洋に勝ったいくさであり、それはこの戦いをリードした唯一のアジアの独立国・日本の功績にほかならない。

・日本国は、今から2670年も前に、神代の神武天皇が「八紘一宇」を建国の理想として国を建てられた。八紘一宇とは、一軒の家の中のように、親しみ睦み合う理想の世界のことである。

共産党マニュフェスト

テーマ:政治 2012-02-11 00:00:00

「共産党宣言」  マルクス エンゲルス 岩波文庫


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」

「自由民と奴隷、都市貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、要するに圧制者と被圧制者はつねにたがいに対立して、ときには暗々のうちに、ときには公然と、不断の闘争をおこなってきた。この闘争はいつも、全社会の革命的改造をもって終わるか、そうでないときには相闘う階級の共倒れをもって終わった。封建社会の没落から生まれた近代ブルジョア社会は、階級対立を廃止しなかった。この社会はただ、あたらしい階級を、圧制のあたらしい条件を、闘争のあたらしい形態を旧いものとおきかえたにすぎない。しかしわれわれの時代、すなわちブルジョア階級の時代は、階級対立を単純にしたという特徴をもっている。全社会は、敵対する二大陣営、たがいに直接に対立する二大階級-ブルジョア階級とプロレタリア階級に、だんだんとわかれていく。」


共産主義を勧めるつもりは毛頭ありませんが、自分の考えとは対極の考え方を仕入れておくことは、思考の幅を広げ、複眼的な視座からものごとを観るとてもいい訓練になります。


人類の歴史をそれなりに勉強している人ほど、共産党宣言の冒頭(“今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である”)の箴言に示された着眼点の鋭さと言葉の切れ味には唸らされるはずです。またその後ブルジョア階級とプロレタリア階級という単純な二元論に誘い込んでから、資本主義の問題は貧富の格差が拡大し恐慌がたびたび起きることだと指摘するなど150年前に書かれたとは思えないほどの正確さで事の本質を指摘していることに驚かされます。

しかし、積極的に評価できるところはここまでで、問題解決策として、万国のプロレタリア団結せよ、ブルジョアジーの国家を打倒し、プロレタリアート独裁を樹立せよ、とアジテーションするところから話はおかしくなります。


マルクスは、資本主義こそが諸悪(圧制者と被圧制者の存在)の根源と捉え、であるから、資本主義なんか捨てて、新しい社会システム(共産主義)を作るべき、だと考えます。


このマルクスの主張をたった一言で表現するなら私有財産の廃止という言葉に要約することができます。


日本の大和時代は豪族や皇族が土地を所有する私有財産制でしたが、大化の改新を経て、701年の大宝律令において公地公民制度にもとづく班田収授が始まることになります。

しかし、すぐに口分田の不足という事態に直面し、これを解消するために三世一身の法(723年:自分を含めて三代までは土地を使ってもいいよ)が定められ、それでも自分の土地でないため積極的な開墾が進まず、また税金に喘ぐ農民が田畑を捨てて逃亡するといったことが続出したため、、墾田永年私財法(743年:新たに開墾した土地は永遠に自分のものよ)が定められたことをきっかけに私有財産を認める方向に舵をきることになります。

つまり日本の奈良時代の私有財産の廃止という共産主義的な取り組みはわずか50年たらずで崩壊を迎えることになったわけです。


「労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を闘いとることである。プロレタリア階級は、その政治的支配を利用して、ブルジョア階級から次第にすべての資本を奪い、すべての生産用具を国家の手に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリア階級の手に集中し、そして生産諸力の量をできるだけ休息に増大させるであろう。」


さて私有財産の廃止、国家の否定という共産主義社会に移行する過程に出現する社会の姿が、プロレタリアート独裁政権の誕生、ひらたくいうと社会主義政権の樹立ということになります。「共産党宣言」の中には、プロレタリアート政権(社会主義政権)は、次の10の政策を実行するのがよいと記載されています。


1. 土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り向ける。

2. 強度の累進税。

3. 相続権の廃止。

4. すべての亡命者および反逆者の財産の没収。

5. 国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する。

6. すべての運輸機関を国家の手に集中する。

7. 国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良。

8. すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、特に農業のために。

9. 農業と工業の経営を統合し、都市と農村との対立を次第に除くことを目指す。

10.すべての児童の公共的無償教育。今日の形態における児童の工場労働の撤廃。教育と物質的生産との結合。


現代日本では意味を失った政策もありますが、よくよく見てみると、「強度の累進税」は所得税の最高税率の引き上げ検討、「相続税の廃止」は相続税に代わる資産課税の検討、「国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する」は郵政民営化の見直し、「都市と農村の対立を次第に除くことを目指す」は農家への個別所得補償、「すべての児童の公共的無償教育」は高校の無償化、と民主党政権の目玉政策のオンパレードとなっていることがわかるはずです。


「共産党宣言」の英語名は、Manifest of the Communist Party(共産党のマニュフェスト)です。


民主党はマニュフェストを守らないと野党から攻撃を受けていますが、社会主義・共産主義思想の根源にあたるこの共産党宣言(1848年)というマニュフェストに書かれていることはブレずに守り続けています。


余談に走りすぎましたが、ソ連が崩壊した現代から過去を振り返ってみたとき、優れた問題提起と無謀な解決策というよくありがちな提案をマルクスがなぜしてしまったのか、という観点で読むと学びが得られると思います。


dog-eared

共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するのは世界である。

万国のプロレタリア団結せよ!


国家が再び重要になる

テーマ:国際情勢 2012-02-10 00:00:00

「日本人が知らない世界と日本の見方」  中西輝政 PHP


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


東側が自壊し、もはやイデオロギーの対立は終了し、自由主義・民主主義が世界的に普及するという立場を取るフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」、文明の衝突がおきるという立場を取るサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」に対して、中西教授は、国家が再び重要となる時代が来るというリ・ナショナライゼーションを唱えています。


フランシス・フクヤマの見立てはアメリカ人好みですし、中西氏の考えは日本国内の保守陣営が泣いて喜ぶ主張であることを考えると、ハンチントンの論考が一番、学者らしいと言えそうです。

実際には、自由主義・民主主義が広がり、文明の衝突は続き、国家がその重要性を急速に失うということはなさそうなので、皆さんの主張はそれなりに妥当だと言えそうです。


さて本書は京都大学で行われている中西教授の国際政治学の授業をもとにしたもので、保守の立場からの国際政治学がとても分かりやすく語られています。


軍隊に対する共産党と自民党の立場の変化に関する記述は驚きました。


中西教授によると、昭和22年まで、日本共産党は「憲法9条は認めない」、「軍隊をもたない主権国家などあり得ない」と主張していたそうです。ところが、この(保守陣営にとって)正論がどこかでねじれてしまい、「憲法9条をどう解釈しても、軍隊は持ってはならない。自衛隊は軍隊だからだ」「アメリカの軍隊を国内に置くのも日本の独立性を放棄したものでけしからん」などと主張しはじめるようになりました。

一方、自由民主党の吉田首相は「この憲法は、二度と侵略戦争をしないと謳っている。(だから軍隊はいっさい持たない)」と当時国会答弁で述べていたそうです。その後、自民党政権は「自衛のための軍隊は持ってよい」、「自衛隊は軍隊ではない」という皆さんがよく知る立場へと変化したそうです。


dog-eared

・やがで「国家と革命」の中身が理解できるようになると、要するにこの本は「共産主義革命を起こせば国家はなくなる」といっている、ということに気付いた。人間の不幸はすべて国家から来るものであり、国家は労働者階級を抑圧するための道具、階級搾取をする道具である、と。(中略)人々が国境を越えて横につながり、全世界の労働者が団結すれば世界はひとつになる。世界中の労働者が連帯して立ち上がれば、世界革命に発展して世界から国家がなくなり、戦争は起こらなくなる。

・1875年に日本はロシアと「千島・樺太交換条約」を結び、樺太はロシア領、千島列島はすべて日本領となります。(中略)この条約は日本側を大きく譲歩させましたが、平和裡に結ばれたことは確かです。だからこそ第二次世界大戦後に日本は、日露戦争で奪った樺太を返しました。(中略)逆に千島はすべて日本のものとされるべきです。ちなみに日本共産党の北方領土問題に関する基本的態度も「全千島を要求するのが日本の正しい立場」というものです。

・共産党がモスクワ・北京の子分、自民党はワシントンの子分である。

・要はHonesty will payで、「正直者は得をする」というわけです。これがイギリス的プラグマティズムです。

BBC放送は、第二次世界大戦中もほとんど真実を放送していました。戦争中でも、めったに嘘は報じませんでした。ですからドイツ人も含め、正確なニュースを知るため、世界中の人はいつもBBCを聞いていました。ところが決定的な瞬間、ここで負ければ戦争そのものがイギリスの敗戦に終わるといった場面で、BBC放送はあえて嘘をつきました。それがノルマンディ上陸作戦です。このときBBC放送は、連合軍は北フランスのノルマンディ半島ではなく、ずっと北東にあたる「カレー周辺に上陸する」という情報を「一回だけ」流した。

・林房雄の「大東亜戦争肯定論」:幕末日本は外国勢力によって侵され、脅かされた。そして、その脅威は二十世紀に入っても続いた。昭和に入って最後の最後に、これら三国(つまり米英露)から同時に攻められた。その結果、日本はあの戦争に敗れたのです。だから林房雄はこれを幕末以来の「80年戦争」だといいます。終戦が1945年ですから、1965年頃から始まった戦争というわけです。そして、この戦争を「文明間闘争の問題として論じよ」と主張しています。

・ナポレオンに勝利してから第一次世界大戦までの時代を「パクス・ブリタニカ」といいます。1814年から1914年までの100年間は、イギリスの世界覇権の時代です。

大人はつらいよ

テーマ:自己啓発 2012-02-09 00:00:00

「大人の流儀」  伊集院静 講談社


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


若い女の子に“KY”といういい方があって、空気が読めない人のことだ、と説明された。

「馬鹿言ってるな。なぜいい年して、女、子供の吸ってる空気を読まにゃならんのだ」

誰のお陰で生きてるんだ。人が人を叱るのに、空気を読む必要などさらさらない。


週刊現代に連載しているエッセイを単行本にまとめたものです。

社会人になりたての人が、現実の社会で大人の男として生きるとはどういうことか、ということを学ぶのに最適の一冊です。


新成人に向けて、伊集院氏が思いつくままに書いたアドバイスはなかなか奥が深い。


一 すぐに役に立つものを手にして、何かが上手くいってると思うな。すぐに役にたつものはすぐに役にたたなくなる。

二 金をすべての価値基準にするな。金で手に入るものなどたかが知れている。金を力と考える輩は、さらに大きな金の力で、あっという間に粉々にされる。

三 自分だけが良ければいいと考えるな。ガキの時はそれも許されるが、大人の男にとって、それは卑しいことだ。

四 世界を見ろ。日本という国がどれだけちいさく、外国からどう日本人がみられているか。将来、この国はどうなっていくのかを自分で考えるんだ。

五 神社、寺で手を合わせた経験があるなら、キリスト教、イスラム教、仏教を学んでおくことだ。そこに世界観の出発点がおうおうにしてある。

六 他人をみてくれで判断するな。自分の身なりは清潔にしておけ。

七 二十歳から酒を飲めるようになるが、乱れるな。愚痴るな。品の良い酒を覚えろ。

八 今はこう言ってもすぐにはわからないだろうが、周囲の人を大切にしろ。家族、友、恩師・・・

大船建造の禁止令

テーマ:歴史 2012-02-08 00:00:00

「この国のかたち 三」  司馬遼太郎 文春文庫


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


「幕府が当初からおそれていたのは、西国の有力大名が伊勢の鳥羽湾に集結し、そこから航洋船に乗って一挙に江戸湾を衝くということだった。江戸の防衛は、西方の敵が陸路からくるなら箱根のケンでふせぐこともできるが、“江戸前”(江戸の海のこと)からの敵がおそろしかった。なにしろ鳥羽から江戸まで三百キロほどしかなく、航洋船の艦隊を組んだ敵が江戸湾にはいりこめば江戸は大混乱におちいる。げんに嘉永六年(1853年)、ペリーがひきいるアメリカ艦隊が江戸湾に侵入しただけで幕閣はお手上げになった。」


大船建造の禁止は、鎖国や参勤交代と並んで260年に渡る徳川政権の安定と秩序をもたらした重要な制度設計の一つと言えます。

しかし、そのおかげで日本の造船技術は大きく後退することになりました。

大船建造が禁止される前までの日本、つまり豊臣期から徳川初期の日本は、それまでの歴史に登場したどの船よりも堅牢な朱印船を操って台湾や東南アジアとさかんに貿易をしていました。

江戸時代中期には、日本国内の海上輸送網が発展し、国内貿易が盛んになるわけですが、小さい船に1枚の帆という条件が制約となり、多くの船乗りが命を失うことになりました。また、司馬氏が指摘しているとおり、ペリーの来航を前になすすべもなく白旗をあげることにもなりました。

鎖国はともかく、大船建造の禁止は徳川政権のリスク管理としては少々やりすぎだったのではないでしょうか。


もし大船建造を禁止していなければ、蒸気機関はたとえ積んでいなくても、江戸末期の頃には大型造船の技術は大いに進歩していたでしょうし(そうすれば経済はもっと発展していた)、幕末のオランダ等からの軍艦購入や海軍操練所などの泥縄式の対応を見るにつけても、1800年代に世界の先進国が熱中した海外植民地侵略の魔の手に対してもう少し余裕をもって対処できたのではないかと思うと残念でなりません。


歴史を変えた法律と言えるでしょう。



dog-eared

・それよりすこし前の3月10日、「江戸寒士、前島来輔」という署名で、大久保の宿所に投書をした者があった。みると、大きな構想力をもった意見で、精密な思考が明晰な文章でもってのべられており、要するに大坂は非で、江戸こそしかるべきであるという。大久保の卓越した決断力が、このときあざやかに躍動した。かれはこの一書生の投書の論旨に服し、江戸をもって首都とするに決めた。

“江戸寒士”の投書の要旨は、こんにち蝦夷地(北海道)が大切である。浪華は蝦夷から遠すぎる、とまず言う。

ついで、浪華の港は小船の時代のもので、海外からくる大艦巨船のための修理施設がない。江戸には、横須賀の艦船工場がある。修理工場があってこそ安全港といえる。さらに浪華は市中の道路がせまく、郊外の野がひろくない。その点、江戸は大帝都をつくる必適の地である。浪華に遷都すると、宮城から、官が、第邸、学校をすべて新築せざるをえない。江戸にはそれがすべてそなわっている。浪華はべつに帝都にならなくても、依然本邦の大市である。江戸は帝都にならなければ、百万市民四散して、一寒市になりはてる。この筆者が、明治の郵便制度の創始者前島密であったことを大久保が知るのは、明治9年になってからのことである。大久保が前島密という希代の制度立案家を前に、当時を述懐し、あの当初のぬしは君とおなじ姓だが、いったいだれだったろう、といったとき、はじめて前島は自分であったことを明かした。

・酒も、伊丹・池田・灘五郷の醸造業者によって大量につくられ、樽廻船で江戸に送られた。江戸付近でも酒はつくられたが、水がわるいのと技術の遅れのためにまずかった。このため、江戸では下り(上方から江戸へ)の酒がよろこばれ、下らない酒はまずい、とされた。このことからつまらぬコトやモノを“くだらない”(江戸弁)というようになったという説がある。

・明治30年(1897年)、京都帝大が設立されるまで30年間、日本の“配電盤”は一つしかなかったが、じつによく作動した。当時におけるこの大学の諸学をかりに電流とすれば、当初はその電流の役目を“御雇外国人”が果たした。当時のかれらの給料表をみると、太政大臣や右大臣級の高級だったことにおどろかされる。貧乏国によって負担が大きかったが、新政府はかれら外国人の役割を十余年と見、いずれ日本人と交代させることを考えていた。分野ごとに日本から留学生が、独、仏、英、まれに米などに派遣され、明治10年代のおわりごとには、“御雇外国人”たちはほぼ第一線から退き、“新帰朝”の日本人学者たちと入れ替わった。

ミスター・ハイパー

テーマ:自己啓発 2012-02-07 00:00:00

「モノを捨てよ 世界へ出よう」  高城剛 宝島社


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


「このまま日本の留まっていては良くないことが起こると直感した僕は、生活のスタイルを大きく転換する決意をする。それが、長期の定住場所を持たずに世界を回る「ハイパーノマド」だった。ハイパーノマドとは、フランスの経済学者で同国政府のブレーンでもあるジャック・アタリが提唱した21世紀のライフスタイルのひとつで、彼は今後、国を越えて稼ぎを得る非定住者と国を出ることができずに貧困に過ごす定住者とに世界は分かれるといっている。」


ハイパー・メディア・クリエイターを名乗り、何が何だか分からない仕事をしている高城氏ですが、ジャック・アタリが提唱するハイパー・ノマドのコンセプトに共感し、アイ・フォーンを片手に、モノを捨てて、世界各国を渡り歩いて、ハイパー・メディア・クリエイターとしての仕事をこなしながら、ハイパー・ノマドなライフスタイルを送っているようです。


特に9.11が起きた2001年からは、本格的なハイパー・ノマドのライフスタイルを実行するために、日本を拠点に各地を訪れるのではなく、世界各国を約6年かけ転々と渡り歩いようです。し、ハイパー・ノマドのライフスタイルを実行すべく、モノを捨て世界各国を渡り歩いた。


そのときの体験をもとに、沈み行く日本を脱出して、今こそ洋行しよう、と提案しているのが本書の内容です。

タイトルは、寺山修司氏の「書を捨てよ、町へ出よう」のパクリのような気がして、ハイパーがつくほどのクリエイターの名が泣きます。


1年の3分の2を海外で生活するハイパー高城氏は、本書で面白い予想をしています。


「効率化やコスト削減を至上の目的として世界に蔓延したグローバリゼーションの次の時代には、水や食料、エネルギーなどを自ら入手できる個人や集団が台頭するようになると僕は予想している、」


地産地消する地方の姿をイメージしているのだと思いますが、私は、グローバル化する都市と個性化する地方とが両立している姿をむしろ予想してます。


dog-eared

・「ショックドクトリン」とは災害資本主義と呼ばれるもので、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインが著者の中で提唱したものだ。大きな災害を被った後に、「安全はただではない」「いつ災害が起こるかわからない」という危機意識を煽り、極端な税率変更を押し通そうとしたり、どさくさに紛れて都合のいい法案を成立させようという動きが加速するというのだ。海外からも、表向きは温かな支援のように見えながら、資源などの権益簒奪を本心とするアプローチもあるだろう。

・この街(サンセバスチャン)を語る上でキーワードとなるのが、ローカルだ。特定の産業だけで町おこししようとするでも、無理して近代都市を目指すでもなく、もともとあったローカル色をとことん突き詰めようとしている。

2300年ぶりに世界を騒がせたギリシア

テーマ:歴史 2012-02-06 00:00:00

「世界史再入門」  浜林正夫 講談社学術文庫


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


著者の浜林教授は、教科書では掴みきれなかった世界史の全体像が浮かび上がることを意図して本書を執筆したそうです。実際の読後感としては多少は読みやすい教科書という印象です。


世界史の通史から今回は今話題のギリシアを中心に歴史をピックアップしてみたいと思います。


古代ギリシアはヨーロッパで最古に成立した国といえます。紀元前五世紀のはじめペルシア戦争に勝利した後に黄金時代を迎え、ソクラテスやプラトンに代表される哲学、ピュタゴラスなどによる数学、ヘロドトスやトゥキュデイデスなどによる歴史学など、学問や文化が発達し、アテネのパルテノン神殿に代表されるドーリア式建築も生まれました。

しかし紀元前338年にマケドニアのアレクサンドリア大王の侵略をうけて支配下に組み入れられることになり、このとき以降、今のギリシアと呼ばれている地域はローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国の支配を次々に受け、文化的にはヨーロッパ世界全体に非常に大きな影響を与えたものに、政治的な独立を守ることができない状態が長く続き、1829年になってようやく国家としての独立を達成することができました。


現在、ギリシアは財政破綻で世界中を騒がせていますが、その前に世界中を騒がせたのはなんと2300年以上前ということになります。


dog-eared

・西ヨーロッパ以外の諸地域にとっては、近代とは西ヨーロッパ諸国による支配と抑圧の時代にほかならなかったのである。このため世界史をみる見方にも、西ヨーロッパを中心としてみる見方が定着していった。たとえばコロンブスがアメリカ大陸へ到着したことをアメリカ「発見」といい、アフリカを「暗黒の大陸」、東アジアを「極東」(遠い東方)とよび、ヨーロッパ以外の地域はすべて「未開、野蛮」で、ヨーロッパがこれらの地域を支配することは「文明の恩恵」をほどこすことだとする見方などがそうである。

・近代という時代は西ヨーロッパ諸国がそれ以外の地域を支配し抑圧した時代であった。しかしそれと同時にまた近代という時代は西ヨーロッパにおいて生存、自由、平等という普遍的な価値理念のつくりあげられていった時代でもあった。

・一般に「文明」とは、国家の成立、文字の発明、金属器の使用という三点をさすといわれている。

・ローマははじめキリスト教を禁止し、これを迫害していたが、下層民のあいだで支持されていたキリスト教はしだいに上流階級へもひろがり、その力を無視しえなくなったので、313年にコンスタンティヌス帝はこれを公認し、392年にはテオドシウス帝がこれを国教として逆に伝統宗教を禁止するにいたった。これ以降、キリスト教は国家権力をうしろだてとしてヨーロッパ全域へひろがっていくのである。ドイツの法学者イエリネックがのべたように、ローマ帝国はまず武力によって、つぎには協会によって、そしてさらにローマ法によって、三度世界を支配したのであった。

・「苛斂誅求は虎よりも恐ろしい」といわれたのはこのころのことである。この激動の時代にはまた諸子百家とよばれる多くの思想家があらわれた。そのうち、もっとも有名なのは紀元前6世紀の末ごろにあらわれた孔子で、徳による政治を説き、その教えは漢の時代に儒教として国教とされ中国の思想の主流となっていった。これにたいして、万人にたいする無差別の愛を主張する墨擢(ぼくてき)や、自然のままに生きることを説く老子などがあらわれ、老子の教えはのちに道教となっていく。

・アジアからヨーロッパにいたる世界史上最大の帝国となったのがモンゴル帝国である。

・アフリカの西海岸には象牙海岸、奴隷海岸、黄金海岸などという地名があった。これらは、いうまでもなく、15、6世紀ころ、ここへ進出してきたポルトガル人やイギリス人がつけた名前で、彼らがなにをもとめてこの地方へやってきたのかということが、この地名からよくわかるであろう。

・1770年の大飢饉のさいにはベンガル地方の住民の3分の1が餓死したといわれている。

・中国は、すでにのべたように、マルコ・ポーロの「東方見聞録」などによってヨーロッパ人によく知られており、16世紀にはポルトガル人がマカオの居住権をえていたが、18世紀には中国の綿織物や絹や茶がヨーロッパ商人に歓迎されるようになった。この貿易は中国側にとって有利なものであったにもかかわらず、清朝は広東を窓口とする官営の貿易以外はいっさいみとめず、鎖国政策をとった。このことは商工業の発達をさまたげ、中国の経済発展をおくらせる原因となった。

・イギリスは世界最大の工業国となり、「世界の工場」とよばれるようになった。19世紀の中ごろ、イギリスは世界の石炭総生産量の3分の2、鉄の半分、自家消費用以外の綿布の半分を生産し、世界のすみずみにまでその製品を売りさばいていた。世界中のおもな国ぐにの鉄道もイギリスの資本と技術でつくられた。世界の経済はイギリスを中心としてまわるようになり、ポンドが世界通貨となった。

・北アメリカではアメリカ合衆国の発展がめざましかった。独立当初、東部十三州であったアメリカは、1783年のパリ条約でミシシッピ川以東の領土を獲得し、1803年にはフランスからルイジアナを、1819年にはスペインからフロリダを購入し、1845年から53年にかけてはメキシコからテキサスや西部地方を獲得し、1846年にはそれまでイギリスと共有していたオレゴン、アイダホなどの北西地方を領土として、現在のアメリカ合衆国の領土をつくりあげた。

・先進国であるためにかえって独占の形成がおくれたイギリスは、19世紀の末には工業の面ではドイツやアメリカに追い抜かれるようになるが、しかし金融の面では第一次大戦が終わるまでトップの座を守りつづけた。とくにイギリスが優位を占めていたのは海外投資の面で、1914年当時、おもな帝国主義国の海外投資の残高は総計95億ポンドであったが、そのうち4割以上にあたる41億ポンドはイギリスのものであり、これにつづくフランス19億ポンド、ドイツ12億ポンド、アメリカ7億ポンドを、はるかにひきはなしていた。イギリスはこの海外資産からあがる利子、配当などの収入で、貿易の赤字を生めてなお余りがあったのである。

・アフリカには十九世紀にはなお多くの独立の王国がつづいていたが、20世紀のはじめにはアフリカ大陸はリベリアとエチオピア以外はすべて植民地となっていた。

・1960年、「アフリカの年」に一度に17カ国が独立してからも、独立はつづき、1980年のジンバブエ独立で、アフリカ大陸から植民地は姿を消した。

・今では地球の南半分には核兵器は存在しないという状況になっている。

・現在、安保理常任理事国は国連憲章23条によって米英仏ロ中の五カ国に固定されており、これらの国が拒否権ももっている。これら五大国はまたすべて核保有国なのだが、これらが国連を左右する仕組みになっていることは、国際社会の現状にはまったくあっていない。

・戦前、日本史は「国史」とよばれ、日本史は特別なあつかいをうけてきた。その根底には「神国」日本には他国との比較をゆるさない独特な歴史があるという思想があった。

天皇とケガレで読み解く日本史

テーマ:歴史 2012-02-05 00:00:00

「日本史の授業2 天皇論」  井沢元彦 PHP研究所


dolphinのBookLOG 目からウロコが落ちました。


「ケガレ」と「怨霊信仰」をキーワードにした井沢史観で、主に日本の古代、中世史を分かりやすく解説してくれています。


日本史は長い期間を対象にしているので、山川の教科書は事実関係をぎっしりと詰め込んであるだけなのに、かなりの厚さになっています。本書では随所に山川の教科書からの引用がしてあり、教科書ではカバーしきれていない、どうしてそうなったのかといった背景や理由、また時代区分を超えた全体的なつながり、がよく分かるように説明されています。


なかでも本書は難題と言われる天皇というテーマに正面から向かい合い、淡々とした記載しかされていないため今一つ教科書では腑に落ちなかった天皇にまつわる歴史が、おばあちゃんが膝を打つような納得感で頭の中にスッキリと納まるようになります。


天皇と「ケガレ」から“武士”が成立するメカニズムに関する井沢氏の考察も本書の見所の一つでしょう。今、大河ドラマで話題の平清盛の政権はどうして長続きしなかったのか?源頼朝は、なぜ圧倒的な力を誇った平家を倒すことができ、日本で始めての武士による武士のための政権を打ち立てることができたのか?歴史の結果を知っている者から見れば、なかなか疑問を持ちにくい因果関係についても、きっちりと見立てが示されています。


dog-eared

・今で言えば、「あんな仕事はケガレているからしたくない」という理由で、警視総監にも、現場の警察にもなり手がいないということです。もしも、今そんなことになったら、その国はどうなってしまうでしょう。間違いなく治安は悪くなります。いいえ、そんな生やさしいものではないでしょう。何しろ悪事を働いた人を罰する法律はあっても、その悪事を取り締まる人もいなければ、それを裁き、刑を執行する人もいないのです。これでは法律がないも同じです。ですから平安時代中期以降というのは、まさにこの無法状態だったのです。

・中央で出世の望みが断たれた中流貴族が、地方に土着し、財産を守るために武技を磨いた結果、誕生したのが「武士」なのです。各地で自然発生的に生まれた武士は、身を守るためにやがて集団化するようになり、武装集団から生産集団へと成長していきます。これが「武士団」です。

・平家を滅ぼした頼朝は、1185年に朝廷の代表者である後白河法皇と直接会談をします。そしてそこで、自分に味方をしてくれた武士たちとの約束を果たすために、「武士にも土地所有の権利を認めて欲しい」と交渉します。その結果、彼が勝ち得たのが、日本国の公職である「地頭」を任命する権利でした。これが「日本国惣地頭」です。(中略)ここに長年にわたる武士たちの「土地の正式な所有者になりたい」という悲願が達成されたわけです。

義経の追捕を口実に得た「日本国惣追捕使」という身分を使って、頼朝は全国に「追捕使」を置きました。追捕使というのは、今の言葉で言えば警察長官のようなものです。この追捕使は一つの国に一人と決まっていました。当時は全国を66の国に分けていたので、66人の追捕使が、頼朝によって任命されたことになります。追捕使は犯罪者を捕まえるということから、その国の治安を守る役職と見なされるようになり、やがて名前を追捕使から「守護」に変えます。

・部落差別の根源は支配階級になった農耕民族による下層階級である狩猟民族に対する文化的差別です。

・稲作文化を持ち込んだ外来民族の長こそが「天皇」だと考えられるのです。

・日本の古代の歴史というのは、天皇家と高級貴族(豪族)との覇権争いの歴史です。古くは蘇我氏が天皇家と争い、中大兄皇子(後の天智天皇)が蘇我氏を討ち、勝利しますが、次には藤原氏が台頭してきて、やはり天皇家と覇権を争うことになります。

・御曹司と言うのは源氏の呼び方で、平家は「公達(きんだち)」と言います。

・鎌倉時代、仏教が庶民に広まったのは、新たな念仏の方法が開発されたからです。いくら念仏すればいいだけだといっても、そのために浄土庭園や来迎図が必要になるのでは、現実的には裕福な貴族しか念仏できないことになってしまいます。

・往生というのは、念仏の結果、極楽浄土に生まれ変わるというのが本来の意味です。ところが、ほとんどの日本人は、「いい死に方をした」という意味でこの言葉を使っています。

・成仏というのは、本来は、念仏をして極楽に生まれ変わり、極楽で阿弥陀様の指導を受けて一人前の仏になるという意味です。ところが、ほとんどの日本人は、「死後に、恨みなど心残りが晴らされたこと」という意味で使っているのです。

・「念仏無間(ねんぶつむけん)、禅天魔(ぜんてんま)、真言亡国(しんごんぼうこく)、律国賊(りつこくぞく)」。これを「四箇格言(しかかくげん)」と言います。

・天照大神は大日如来、八幡様と熊野権現は阿弥陀如来、愛宕権現は地蔵菩薩、大国主命は大黒様とそれぞれ同じものだとされたのです。

・「天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく)

これは誰が誰に向かって言った言葉かというと、天照大神がこれから降臨しようとしている孫のににぎのみことに言った言葉です。これを訳すと、「我が日本は、我々の子孫が治める王であるべき土地である。だから、その子孫が治めなさい。その皇統がずっと続いていくことは、この天地が窮まりないのと同じである」

・国家の形というものに対しても、王様のいない「共和政」のほうが正しいとか、あるいはもっと極端に共産主義のほうがいい、と考える人たちが現れるようになっていきます。

・絶対性を持つ神が「こいつに国を治めさせる」と支配権を授けたのだ、としたのです。こうした考え方を「王権神授説」と言います。

・聖徳太子というのは、今風の言い方をすると国際人です。幼い頃から当時の国際公用語だった漢文(中国語)を学んでいました。しかも、その漢文を教えてくれていた先生は高句麗の僧である恵慈という人だったので、太子は朝鮮語も話すことができたと考えられます。つまり、日本語、朝鮮語、中国語が話せたということです。

日本のようにもともと絶対神が存在しないところにおいては、話し合いで物事を調整することが一番大切な原理であって、それが古くからずっと行われてきた結果なのだと思います。

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>