YARDBIRD SUITE

~チャーリー・パーカーの思い出~

チャーリー・パーカーについて聞き書きでは「バード」、当方自身の話の中では「パーカー」と呼んでいます。ときどきはパーカー自身が語ったりもしますが、ご容赦を♪


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1月のライブにご来場下さった皆様、ありがとうございました。

その後、私事で演奏活動から遠ざかってしまい、ブログも放置状態。

ランプシェードのメンバーも街の復興が実体化(?)してきたこともあってそれぞれに忙しく、今のところ次回ライブの予定が立てられません。

そんな訳で、ご容赦くださいm(__)m

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河北新報で記事にしていただいた。本当に有難い。

あとは良い音楽を演るだけだ。


1月24日(日)6:00~8:00(ドリンクその他持ち込み自由)

入場料 1、000円

南町ヴァンガード 0226(22)6411


ご来場をお待ちしています♪

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本年もよろしくお願いします。

今月、ヴァンガードでのライヴは24日・日曜日です。

入場料1000円、ドリンクその他持ち込み自由はいつものとおり。

開演は午後6時です。ご来場をお待ちしておりますm(__)m

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年令的には幼稚園に入る辺りから、洋楽のレコードばかり聴いて育った。そんな家庭の事情があったのだ。ラテンやタンゴのダンス音楽(ぺレス・プラドとかアルフレッド・ハウゼとか)、ムード音楽(マントヴァ-ニとかパーシー・フェイスとか)、そしてヴォーカル。女性ヴォーカルはドリス・デイくらいしか記憶にないが、男性ヴォーカルのLPが結構あった。ナット・キング・コール、ディーン・マーチン…ポール・アンカ、トミー・サンズ…そしてパット・ブーン。パット・ブーンの歌声は明るく甘く、エイプリル・ラブや砂に書いたラブレターが好きだった。今でもその2曲はイントロからエンディングまで覚えている。


11月からずっと懐かしい歌なんかについてあれこれと書いて来たけれど、ついにネタ切れの感がある。また思い出したら書くことにして、ひとまずYARDBIRD SUITEに戻ろう。


皆さま良いお年をお迎えくださいm(__)m

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中学生の頃、フォークソング・ブームに節操なく乗って、LPは高くてなかなか買えないので雑誌や本でいろいろと勉強した。ダルシマーやオートハープ(ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャンがDo you beleive in magicで弾きながら歌っている。五つの赤い風船の「遠い世界に」でも使われていた記憶がある)を欲しがっていたら、アンティーク・ショップをやっていた叔父がそれを知り、五弦バンジョーをくれた。ピート・シーガーの教則本で練習しながら、別の叔父から貰ったギターも弾いて、高校生だった姉が買ったビートルズのLPを聴いてはコードを探って歌っていた。ボブ・ディランはメッセージソングやトピカルソングを自ら書き歌うフォーク界の新星で、まだちゃんと聴いてはいなかったが、何か特別な存在という印象だった。その傍らベンチャーズも聴いてノーキー・エドワーズのソロを一生懸命に真似していた。小学生の頃に習っていたピアノは、先生のせいで嫌いになって蓋も開けなかった。ウクレレも持っていて、大正テレビ寄席で見た牧伸二の「あ~嫌ンなっちゃった~」を歌っていた…実にどうもけしからんもんで…どうしようもない中学生だった。このFREEWHEELIN'は、あの時代の中学生男子、おそらく誰もがそうだったように、ジャケットに憧れた。10年くらい前にCDを買って、今でもときどき聴いている。

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記憶にはないのだが、幼い頃はキングストン・トリオのファンだったらしい。美空ひばりの「お祭りマンボ」や春日八郎の「お富さん」、三橋美智也の「夕やけとんび」が好きで歌っていたことは何となく覚えている。「お富さん」の一番は「粋な黒塀 見越しの松に 婀娜(あだ)な姿の洗い髪」と始まって「エッサオ-源治店(げんやだな)」と終るのだが、詞の意味が分からず「行きな黒兵衛 神輿の松に あだ名姿の~」という気分で歌っていた。結びは「ゲンヤだな~」つまり「ゲンヤであることよ」と解釈していた。ゲンヤの意味は深く考えなかった。それはさておき、キングストン・トリオと言えば「トム・ドゥーリー」だ。当時はブラザース・フォーも人気があって(アラモの何とかいう歌は好きだった)ブラフォーなんて呼ばれていたが、キングストン・トリオはキントリだったんだろうか。王手金取り。ずいぶん後になって彼らの「グリーンバック・ダラー」という歌が好きになってシングルを買ったが、歌の中のDon't give a damnのdamnという部分が、歌われずにギターのジャーン♪というストロークになっていた記憶がある。あれは自主規制だったんだろうか。


二、三日更新をお休みします<m(__)m>

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小学校から高校卒業時までを過ごした小さな町は、東京の外れにある静かな住宅地だった。住んでいた家から小学校へは歩いて30秒という距離で、始業の予鈴を聞いてから玄関を出ても遅刻しない。学校の帰りに寄り道することも出来なかった。小さな町でもひと通りの店が揃っていて、たいていの買物は町内で事足りていた。小学校の前には文房具と本を売っている店があり、毎週そこへ少年マガジンと少年サンデーを買いに走った。そのとなりのそば屋からはよく出前を取った。やはり歩いて1分弱の距離にある最寄駅の前には八百屋、肉屋、写真屋、パン屋、酒屋なんかが並んでいた。貸本屋もあって、そこで「蛸の八ちゃん」や「ロボット三等兵」を借りた。貸本屋の隣りで風呂釜を扱う店は同級生の家、その隣りの薬屋は下級生の家だった。薬屋の隣には、元は交番だったような構えの小さな文房具屋があった。そしてその文房具屋の隣りに、ある日突然「セブン」という名の、白い扉の小さなスナックがオープンしたのだった。衝撃的だった。おそらく中学生になっていたと思うが、友だちと店の前をうろうろしては中の様子を伺ったりした。スナック「セブン」は静かな町の小さな商店街に、いかにも不似合いな店だったし、その後繁盛していたのかどうか記憶はないが、流行歌の持つ力というものを象徴するような出来事ではあった。
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ゴジラの音楽はいいよね。でもその話じゃなくて、昨日書いてた「砧」で思い出したこと。従兄弟たちが砧に住んでいて、小学生の頃よく遊びに行った。すぐ近所に水の江滝子の家があったりする高級住宅地だったけど、ちょっと歩けば小川が流れモンシロチョウが飛ぶような田園地帯が広がる…半世紀前は、まだそんな鄙びた土地だった。従兄弟宅のすぐ隣りが東宝の砧撮影所。撮影所というと華やかな感じだが、山の中の廃校のような古びた木造の建物もあったりして、子供の目にはパッとしない場所に見えた。従兄弟の家の庭には発泡スチロールに彩色を施した岩があり、それは撮影所から拾って来たものだった。つまりゴジラが投げた岩だ。ちぎれたゴジラの手もあった。撮影所の裏手に捨てられていたそうな。セキュリティなんて言葉が無かった時代の、のどかな話だ。夏になると従兄弟たちと、そう遠くない場所にあったオークラランドというアミューズメント・パークに行ってプールで泳いだりしたが、オークラランドも東宝撮影所の跡地で、そのプールも、そもそもは特撮の撮影現場。かつてはそこでゴジラが暴れまわっていたのだ。

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ブッカ―TとMGsはオーティス・レディングやサム&デイブのバックでやってるのがカッコ良かった。このグリーン・オニオンは今でもいろんな映像のバックに使われている気がする。スティーブン・クロッパーとかシャドウズのハンク・マーヴィンとか、名手と言われていたギターは一応チェックしていた。テン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リーとか。寺内タケシも。「レッツゴー運命」とか「レッツゴー越天楽」…って、すごいねえ。「エレキ部落の大統領」という自叙伝も持っていた。ブルージーンズでドラムを叩いていた人が、後年、バンド仲間のアルバイト先の居酒屋で焼き鳥の串刺しをやっていたそうだ。オルガンの人は日暮里だかにあったアルハンブラという店でハコやっていた。加瀬邦彦もブルージーンズにいた。黒沢博(ヒロシ&キーボー)や大石吾朗はバニーズだ。寺内タケシは加山雄三の「エレキの若大将」にも出演していた。やたらとギターの上手いそば屋の出前持ちだったかな。地元の長原劇場か荏原オデヲン座で観たんだけど、筋はよく覚えていない。 あの頃、映画は映画館でしか観られなかったから(と一応断わっておくべき時代になった)どこの街にも必ず映画館があった。鵜ノ木には安楽座、二子玉川には二子劇場。当時の二子玉は本当に鄙びた土地で、砧線という玉電の支線がガタゴト走っていた。親戚が砧にいたのであの辺はよく通ったが、中耕地や吉沢なんていう駅名を覚えている。多摩堤通りに踏切が一ヶ所あって、そこが吉沢駅だったか。その辺り右手の方角に、白くて四角い外見に黒い丸窓が並ぶ、仮面ライダーが出て来そうな建物があったが、あれはいったい何だったのだろうか。

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ずっと以前にも書いた、東芝ラジオ・ヤングセブン。当方が持っていたのはパネルが黒だったような気がする。当時はラジオの深夜放送が貴重な情報源で、いろんな番組を聞いていた。テンプターズのトーク番組は何といったか…「テンプターズがぶっちゃけて(はっちゃけて?)お送りするナンタラカンタラ!」というオープニングだったのを覚えている。「フォーク・ビレッジ」もときどき聞いていた。キャッスル&ゲイツというデュオがいたんだが、その後GSのズー・ニー・ヴ―に加入してフォーク・ファンをがっかりさせた…ような記憶がある。当時のフォークブームというのは学生バンドが中心で、カレッジ・フォークなんて呼び名もあった。モダン・フォーク・カルテット(マイク真木がいた)、フォー・セインツ、ブロードサイド・フォー(黒沢久雄がいた)、ヴィレッジ・シンガーズ(の「暗い砂浜」は好きな歌だった)等々、みんなそもそもは学生バンドだった。キャッスル&ゲイツも。「海は恋してる」のザ・リガニーズもそうかな?書いていて唐突にシモンサイという二人組がいたことを思い出した。下田と斉藤でシモンサイ、だったかな。どこかで聴いた記憶もある。ベイ・グランド・カルテットというような名前も記憶にある。シュリークスという名前も。シャデラックスも覚えてる。「君について行こう~♪」とか歌ってたけど、かなりオジサンっぽい印象だった。ものすごくボディがでかい(分厚い)ギターを弾いているメンバーがいた。そういえば井上陽水は帽子とサングラス姿でアンドレ・カンドレと名乗って「カンドレ・マンドレ」という曲を歌っていたが、聴いた記憶はない。
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