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主夫のコラム〜家事と育児とときどき手品〜

主なしごと
・主夫
・くじら保育園園長
・NPO法人ファザーリング・ジャパン関西副理事長


座右の銘
「笑ろてるパパがええやん!」
「いきあたりバッチリ」
「無限多様性の調和」

フェイスブックnoriaki.wada
ツイッターnontapapa

物語の原型に「父親殺し」というパターンがある。

主人公は日常から旅立って試練を受け日常に帰る、という単純なパターン。

旅立つときの主人公は「子ども」だが、試練を乗り越えて帰った主人公は「大人」に成長している。

 

主人公を大人に成長させたのは「父親殺し」という試練。

主人公は父親、もしくは父親のような存在と戦って乗りこえる。

文字通り「殺す」場合もあるし、それ以外の形もある。

 

どうして「父親殺し」をするのに旅立たないといけないかというと、日常に「父親」「父親的存在」が不在だからだ。

古今東西の物語の主人公の多くは親がいない家庭で育っている。

孤児だったり、父親がいなかったり、いても父親として機能していなかったり。

あと、旅立たないと物語になりにくいという散文的な理由もある。

 

スターウォーズのルークは実の父親と対決して乗り越え、大人になった。

アナキンは父親的存在だったパルパティンを殺して善悪のバランスのとれた存在になった。

最近の映画からひろっただけでも、ロード・オブ・ザ・リング、ハリー・ポッター、機動戦士ガンダム(最初〜逆シャア)など、似たような物語は無数にあり、見事にこのパターンにはまる。

(それぞれ誰が「父親的存在」かを探りながら観ると面白い)

 

現実の父親殺しは多くの場合「反抗期」という形で現れる。

親に反発し、親と対立しながら成長する。

 

僕には「反抗期」がなかった。でも父親殺しはした。

僕の「父親殺し」は「主夫」になったこと。

外にばっかり出ていて、家庭に不在だった親父とは正反対の生き方を選んだ。

表立っては対立しない、親の家を出てからの反抗だった。

 

どんな形であれ、父親は乗り越えられるべき存在。

 

※父親はどこへ消えたか:映画で語る現代心理分析 樺沢紫苑 学生みらい社

 

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主夫業のススメ: 家族のカタチを柔軟にするコラム55

 

 

自分の名前が好きかどうかと聞かれれば、好きも嫌いもないと答える。

それは自分の顔が好きかどうかと聞かれるのと同じで、交換不可能なものに好きも嫌いもない。

ただ受け入れるだけだ。

 

キラキラネームが非難の的になっている。

非難する理由にいくつかのフェーズがある。

 

1 親が子どもを私物化してる

2 いじめや就職差別につながる恐れがある

3 読みにくい

 

1はよくわからない。子どもに元々名前の選択権はない。どんだけ親が子どものためを思って名前をつけても、子どもが気に入らない可能性はある。

 

2に関しては逆だ。キラキラネームが理由でいじめが起こる環境が悪いんだし、名前で就職差別をする方が悪い事はいうまでもない。キラキラネームが悪いのではない。

 

3は非難する意味を感じない。キラキラ苗字もあるしキラキラ地名だっていっぱいある。

名前だけ読みにくいと非難するのは筋が違う。

読みにくい名前なんですよ〜から始まるコミュニケーションだってある。

 

名付け親というものに憧れがある。

我が子が産まれる時、僕自身は子どもの名前にあまりこだわりがなかった。

妻は女の子だったら自分がつけたい名前がある。男の子だったらなんでもいい、というスタンスだった。

 

ということで、もし第一子が男子だったら、僕の父親に名付け親になってもらうつもりでいた。

血のつながりのある親の他に、「親」がいるというのはなんだか豊かな気がする。

それは祖父母や伯父伯母ともまた違う関係性。

 

子どもは2人とも娘だった。

そのとき名付け親がくれた名前「憲太郎」は幻になった。

だけど「憲太郎」はなんらかの形で存在してるような気がする。

名前をもらったから。

 

※コピーライターが教える 子どもを幸せにする名づけのコツ 清水章充 学研プラス

 

 

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主夫業のススメ: 家族のカタチを柔軟にするコラム55

 

 

父親が家族の中でいちばん権力、腕力、経済力が強かった我々の祖父世代。

それが我々の父親世代に変化した。

 

権力が弱くなった。

腕力は変わってないけど行使してはいけないものになった。

経済力も弱くなり続けている。

 

その結果、父親が「いない」時代がきた。

強い父→弱い父→いない父。

生きながら死んでるリビングデッド、ゾンビパパなんて言うそうだ。

 

補足、いない父について。

ここでいう『いない父』とは、生存していて一緒に生活しているのに存在感がない父親のことを指す。

死別であれ生別であれ、本当にいなくなった父親は別の形、別の場所で生きている。

 

本題に戻る。

強い父に育てられた子、弱い父に育てられた子、父がいなかった子…

いろんな人間がいることが、社会の多様性を担保して、社会を発展させる。

人類が一斉に絶滅するのを防いでくれる。

 

つまり、どんな父親かなんていうことは、子どもの将来には関係なく、実は母親と子どもだけで十分なのだ。

なんてくらい危機感を持ってもいい。

 

父親の存在意義は父親自身のためにある。

子どものため、家族のためじゃない。

ゾンビパパよりも、強くても弱くても存在しているパパであるほうが、パパ自身やり甲斐がある。

 

僕は『笑ろてるパパ』として我が子の記憶に残りたい。

 

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※強父論 阿川佐和子 文勢文春

 

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主夫業のススメ: 家族のカタチを柔軟にするコラム55

 

 

赤ちゃんの気持ちを思い出してみる。

どんなことが快適で、どんなことが嫌だったか。

覚えてる限り、できるだけ遡って。

 

赤ちゃんにも反抗心はある。

早く寝かせようとされたら、寝てやるもんかとテンションが上がる。

たくさん食べさせよう、嫌いなものを食べさせようとされたら、食べるもんかとがんばる。

 

ショートスリーパーもロングスリーパーもいる。

大食いも少食も、甘党も辛党もいる。

赤ちゃんも人間。当然ながら個性はバラバラ。

 

赤ちゃんは育児情報どおりに育たない。

身長体重、平均身長どおりに育たない。

平均って真ん中やから、それより上が半分で、下も半分。

平均より上か下かということには、個別にはほとんど意味がない。

 

育児情報は赤ちゃんの個性や家庭の事情を考慮しない、というかできない。

育児情報に意味がないわけではなけれど、ざっくり乱暴なものでうちの子に対応しているわけではないと知った上で利用する。

 

育児は家庭の事情に合わせてできることをする。父親母親の役割もその家庭できることをする。

ウチの赤ちゃんの機嫌を見極めて。それができるのは父親母親。

それが赤ちゃん自身にとっても最適。

 

乳母車から田舎のあぜ道のススキを見たのが僕の最初の記憶。

手を伸ばしたら抱っこでススキのそばへ。

おばあちゃんは好きやったけど、行きたい場所にすぐ抱っこで連れて行かれるのは嫌やった。

ハイハイ、ヨチヨチで行きたかった。

 

 

※私は赤ちゃん 松田道雄 岩波書店

 

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主夫業のススメ: 家族のカタチを柔軟にするコラム55

 

 

 

 

どの職業の父親も、仕事中はその職業にふさわしい服装をしている。

現場で働く方もオフィスで働く方も営業マンも、サラリーマンも自営業もマンガ家も、仕事場での服装には説得力がある。

 

自由業のはずの男性も、職業を聞くと逆説的にその服装に納得することが多い。

それは社会性と機能性のひっぱりあい。

制服があってもなくても、制服みたいなもの。

 

では家庭にいるときの父親の服装はどうか。

とってもラフで地味な服装が多い。

それは社会性にも機能性にも、ほとんどひっぱられないから。

 

仕事がONで家庭ではOFFという意識。

それが服装にもよく現れている。

 

父親にとって本当に家庭はOFFかというと、そうではない。

現代のほとんどの父親には、子どもの父親としての役割と妻の夫としての役割がある。

加えて地域人としての役割がある男性もいる。

 

父親・夫としての役割は、仕事ほどは社会性に縛られない。

なのに、自由なはずの家庭や地域での男性の服装も、あまり個性がないように感じることが多い。

一般衣料品売り場の女性服と男性服の色使いの豊富さの差がすごい。

男性の服は家庭でも色が貧しいのだ。

 

せっかく職業に縛られない場面なんだから、もっと色があっていいし、個性を意識していい。

それが逆に〇〇家の父親・夫としてのカラーをはっきりさせ、家庭や地域で父親自身の説得力・影響力を高めることにつながる。

 

服装にOFFはない。

 


※社長、その服装では説得力ゼロです 中村のん 新潮社

 

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