2005年07月12日

推理小説的思考と授業①

テーマ:

推理小説的思考


少し前に書いた記事 の理由を書きます。

といっても、つまらない内容なので、期待されても困りますが。


現在、小説では、どのようなジャンルが最も売れていると思いますか?


答えは、ミステリです。

ミステリといっても、その中には新本格から冒険小説、ノワールなども含まれますが、ここでは広義の意味で、ミステリという言葉を使います。


マンガでも、ジャンル的にミステリのものが人気です(例としては、新しくはデスノート、古くは様々な小説からトリックを盗作した金田一少年の事件簿など)

テレビでも、毎週のように2時間ドラマでミステリをやっていることから、ミステリというジャンルが日本で、どの年代にも幅広く受け入れられているジャンルのひとつだと思われます。


また、コナン・ドイルのシャーロックホームズシリーズを聖典として崇めるシャーロキアンやホームジストなどの熱烈なファンがいます。佐和は、両者の違いはわかりませんが。



では、何故、こうもミステリというジャンルは人気なのでしょうか?




人間は理由の分からない状況を気持ち悪く感じます。

逆に、安易な理由でも、原因が明確な状況を好みます。


そのことは神話や民話について考えると、よく分かります。


例えば、天災です。

地震や台風など、目の前で、人の力を超えた不可思議な現象が起きたとき、人々は恐怖したと思います。

もちろん、現在でも、台風や地震は怖いですが、今とは比べ物にならないくらい怖かったと思います。

何故なら、そこには理由がなかったからです。

現在では、天災のメカニズムの大部分は、知られていますが、昔の人々はそんことはわかりません。

何故、天災が起きたかわかりません。


わからないということは、人間にとって、大変なストレスなのです。

そこで、例えば、どこの誰それが、掟を破ったから、神様が怒ったんだ。

あるいは、神様同士が喧嘩をしているなどという話を思いつき、そのように理由付けを行ったと思います。その結果、人の命を神様に捧げるなどしたのではないでしょうか。


わからないことをわからないままにしておくのは、人間にとって、大変、難しく、わからない状況よりも、話を作ったほうが人々は安心できるです。


このようなことは、昔のことではなく、現在でも頻繁にあります。


理由のわからない少年犯罪が起こったとき、マスコミをはじめとした大人たちがゲームやアニメ、マンガを悪者にするのは、安易でもいいから、何らかの理由が欲しいからだと、佐和は思っています。


そもそも、分からない状況を分かる存在にするために、言葉が存在しているのかもしれません。


さて、話を戻します。


つまり、ミステリは、

部屋にはすべて鍵がかかっているのに、被害者を殺した犯人はどこへ行ってしまったんだ?

どうして、わざわざ殺してから遺体をばらばらにしたんだ?

犯行時間には被疑者のアリバイがあるのはどうしてだ?

といった、一見したところ、不可能に見える状況に、探偵だったり、警察だったり、主人公だったり、犯人だったりが、論理的(あるいは妄想的)な理由付けを行い、事件を解決します。


ミステリほど、理由付けを行うことに特化したジャンルはないと佐和は思います。


この物語的な構造が、多くの人々にとっては、面白いと感じさせ、さらにいうと、快感に与えるのではないでしょか?


だからこそ、世間一般にミステリ物が溢れているのではないのでしょうか?

(ある小説家は、ミステリ的なオチを用いると話がよく纏ると、あとがきで述べていました。このように、小説家サイドでも、製作が楽だからかもしれません)



もしも、このようなミステリ的な話の運び方で、授業を行えば、生徒は興味を持ち、授業を面白いと感じるのではないかと佐和は思うのです。


続く。。。

人気ブログランキングに登録しました。よかったら、クリックを。

ブログランキング



AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005年06月10日

愛しの数学

テーマ:

中学の数学では、三角形の合同条件を覚えなければならない。

なぜなら、それらを知らないと、図形の証明問題を解けないからだ。

 

それでは、三角形の合同条件は何かというと以下の条件である。

 

 

2つの三角形において

     3辺がそれぞれ等しい。

     2辺とその間の角がそれぞれ等しい。

     1辺とその両端の角がそれぞれ等しい。

のうちいずれかをみたせば、その2つの三角形は合同である。

 

 

これは先輩の話であるが、教えている生徒がこの合同条件を正しく覚えてくれなかったらしい。

 

テストなどの問題には、しっかり合同条件を書き、正解する。

しかし、間違っているというのだ。

 

この話を聞いて、佐和はどうしてそのような意味不明の事態になるのか、頭をひねったが、詳しく聞くと思わず納得してしまった。

 

 

以下が、その先輩と生徒の話の再現である。

 

 

 

(´Д`

それじゃ、三角形の合同条件は完璧だね」

 

 

(゚∀゚)

「もうバッチリです。」

 

 

 

(´Д`

それじゃ、もう一度、簡単に復習するね」

 

 

 

(゚∀゚)

「わかりました」

 

 

 

 

(´Д`

それじゃ、この三角形とこの三角形の合同な条件は?」

 

 

 

 

 

(゚∀゚)

3辺がそれぞれ愛しい

 

 

 

 

??(Д゚≡゚Д)??

愛しいって、なに?

 

 

 

 

(゚∀゚)

「だから、3辺がそれぞれ愛しい

 

 

 

 

 

 

??(Д゚≡゚Д)??

愛しいって、なに? なに? どういうこと?

(三角形の辺って、互いに愛し合っていたの?辺同士の恋の物語で数学を学ばせるのか? というかこれが本当の三角関係?)

 

 

 

 

(゚∀゚)

「だから、さっき教えてくれたじゃないですか? 3辺がそれぞれ愛しいとき合同だって

 

 

 

(;´Д`

「いや、【等しい】っていう字は、いとしいって読むんじゃなくて、ひとしいって読むから」

 

 

 

∑(゜∇゜|||

「そ、そうなんですか!?

 

 

 

(;´Д`

(そうなんですか? って、俺の方が驚きだから)

 

ちなみに、この生徒は、何度も何度も等しいを愛しいといい間違えたらしいけど、無事、高校に進学できたらしいです。数学でこれだけ、愛しい愛しいという言葉を連発していたのだから、本当に図形の辺を愛し始めて、将来は数学者になったら面白いだろうなぁ、と佐和は考えてます。

 

人気ブログランキングに登録しました。よかったら、クリックを。


ブログランキング

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005年05月25日

国語を教えるということ。

テーマ:

バイトをしている塾は、

一斉指導と共に個別指導もやっている。

 

個別指導の特徴は、

一人の先生が特定の生徒につき、

生徒一人、一人に合わせた

授業ができることである。

 

 

生徒の都合をなるべく汲み取るので

学校の用事とかで、

生徒が来られない日は、

振り替えとして他の日に

授業を行うことになる。

 

しかし、塾講師も毎日、

都合がつくわけではないので、

必然的に

いつも生徒に教えている以外の

先生が教えることになる。

 

 

振り替えのため、

先日の授業で国語を教えた。

生徒は小5だった。

 

佐和は国語は普段、教えない。

自分に国語を教える資格がないように

思えるからだ。

 

しかし、人がいなかったので、

仕方なく引き受けた。

 

佐和は

国語という教科が嫌いだ。

特に現代文が嫌いだ。

 

決して、点数が悪いわけではない。

 

センター試験の国語Ⅰ・Ⅱでも

現代文は、ほぼ満点だった。

 

普通の人に比べて、

本も読むほうだと思う。

 

理系ということもあるが、

学科では、おそらく一番本を読んでいるだろう。

 

しかし、国語という教科が嫌いだ。

 

国語という学問が

嫌いなわけではない。

 

学校で習う国語が

嫌いなのだ。

 

特に

お決まりの、

傍線部の言葉を何故、主人公が言ったのでしょ?

という問いが許せない。

 

その手の問題は

答えの選択肢が並んでいるが、

そのどれも正しいと

佐和には思えない。

 

ただ間違っていないだけだ、

と感じる。

言葉に表せない違和感がある。

 

 

それでもテストでは、

しかたく正解とするであろう答えを

書いて丸をもらった。

 

そんなテストを繰り返すたびに、

自分の中の何かが壊れていく気がした。


塾で国語を教えるということは、

設問に対して、

正解と言わなければならない。

自分が全く信じていないことに

対して、正解と言わなければならないのだ。

だから、今まで

ずっと国語を教えることを

避けてきた。

 

何故、こんなにも

国語という教科が嫌いかと

考えたことがある。

 

おそらく日本語は

個人の心情や感情を吐露するのに

適している言語なのだろう。

つまり、

うだうだとツマラナイことを

愚痴ったり、一人ブツブツと

つまらないことを呟くのに

適しているのだろう。

 

土佐日記といった日記文化や

布団といった私小説、

最近のアメリカとは異なる

日記を主としたブログの発達は

このよい例であると思う。

 

某番組で

金田一秀穂という国語学者が

もっとも自分の気持ちを伝えやすい言葉が

その人にとっての最もいい日本語である

といった意味のことを言っていた。

 

この言葉が日本語の特性をよく表していると思う。

相手に理解されるようにしゃべるのではなく、

自分の気持ちを伝えやすいといっているのだ。

 

 

佐和が、

国語が嫌いな理由が

これなのだと思う。

 

つまり、佐和の問題文を読んで

感じた心と設問者との間に

衝突が生じているのだろう。

だから、違和感がある。

 

 

先日の国語の授業では

生徒に対して、

何故、正解なのかを教えるのではなく、

何故、他の答えが不正解なのかを

教えた。

 

それに対して、

生徒は笑顔でわかったと頷いた。

 

いまも耳に

その言葉がこびりついている。

 

その言葉に対して、

佐和も笑顔で、頷いて

授業を進めた。

 

自分がまったく、

信じていないことを正解とし、

生徒のノートに正解として、

赤で丸をつけた。

 

どうしようもなく、

自分が嫌になった。

 

 

もう国語を教えることはないだろう。

 

きっと。

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005年05月17日

暗記は悪い?

テーマ:

先日、たかがバイトのくせに、塾で必要だと書いた。

本来なら、こういうところで、僕のような中途半端な身分と

少ない知識で意見を書くのは、

自分自身が

知識もなく、

教養もなく、

礼儀もなく、

常識もない、

ただのバカだと見なされ、

自分自身の価値を貶めるので、

やるべきではないと、僕は考えている。


しかし、僕がその文を書いたのは、

自分自身の中に溜まっているものを

どうしても吐き出したかったからであり、

なんとも思っていない。

(こういうやらないほうがいいとわかっているのにやってしまう、という点が自分自身がダメな人間だと考える理由なんだけど)




ところで、

今日、livedoorを見ていたら、

こんな 記事があった。


livedoor パブリック・ジャーナリスト 中村厚一郎さんが

書いたものだが、一部を引用すると


>妻が先生から聞いた話では、教員は丸暗記を指導してはいけないと指示されているそうである。


>現在の小学校では、

先生は、「憶えなさい」と指導することは許されず、

「自分で考え、自分で発想しなさい」と指導しなければならないのだとか。






もうね。





バカ





それ以外言いようがないね。



この前、学校は教える気がないんじゃないかと

書いたけど、ホントに教える気がなかったんだね。



ちょっと考えれば、わかるけど、

僕たちの生活の大部分は暗記に頼っているのに、

なにを考えているのでしょう?


例えば、

あなたは何かを贈り物を貰ったら、

お礼をいうと思います。

それはお礼をいうと、その後のコミュニケーションが

うまくいくからと予測し、考え、発想して、

お礼を言う行為を身につけたのですか?


一部の天才を除いて、違うでしょ!


日本という国の社会に適応するために

自然とそんな慣習を暗記したのではないですか?


このように、暗記はとても重要だ。



また、知性を

身につける過程においても

暗記はとても重要だ。


(ここでの知性の定義は相手の思考をトレースする能力、社会への適応能力、何らかの発明をする能力としておきます)

私たちは、よく新しい発明をしたり、

新しい発見をした人を賞賛するが、

それらの発想はどこか出てきたかというと、

暗記なのだ。


何もないところから、新しい発想は出てこない。

既存の発想の組み合わせなのだ。

科学で新しい発見をしたときは、論文を書くが

その最後に膨大な引用した文献を書くが、

それは上に書いた理由があるからだ。

既存の研究の上に、新しい発想や発見が

あるからだ。


僕の考えに同意できなくてもいい。


しかし、考えてほしいのだが、

例えば、中学の数学でやる

三平方の定理(ピタゴラスの定理)は、

紀元前6世紀半ばの古代ギリシャの自然哲学者

ピタゴラスが考えたものである。

(その弟子という説もある)

それらを暗記もせずに、

いちいち定理を証明しながら、

テストの問題を解けというのだろうか?

あるいは、おそらく世界中の人間に

最も知られた公式である

E=mc^2

という公式があるが(中学校の範囲じゃないけど)、これを

テストのときに、証明しながら、物理の問題を解く

高校生はいるだろうか?


(全くのゼロから、この式を発想ができたら、それはアインシュタイン級の頭脳の持ち主だから、今すぐ名乗り出るべきだ)


あるいは、

バカでも知っているとよく例にされる

1+1=2 

を証明した数学者がいるが、

そんな数学的な頭脳を持ち合わせてもいないのに、

ただの暗記で使用しているではないか?



もうね、

日本、マジで滅びるんじゃないの?

塾、必要だわ。



塾に行かないと

テストでまともな点数をとれないなら、

金を出して、塾にみんな行くでしょ。

金がない人間は、成績が落ちて、

ダメ人間の烙印を押される。


そうなると、親が無教養な人間の子供は

大部分が無教養になって、

どんどん貧富の格差も広がるし、

犯罪も広がるよね。


あぁ、気が重い。


(もちろん、livedoorの記事は小学校の話だけど、記事にも書かれているように、こんな指導された子供が中学校で十分な学習を自らの力でできるか、疑問ということで、こんな文章書きました。それにしても、論点が微妙にずれていて、例もわかりづらい気が、自分って文章下手だなぁ)


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005年05月15日

塾って必要?

テーマ:

塾は必要だ、と思う。


塾でバイトしている単なる学生が何を

偉そうに言っているんだ、と思われそうだが、

僕は現在の日本には、

塾が必要だと思う。


さらに偉そうに言ってしまうと、

僕は教育とは一種の洗脳だと思っている。


洗脳という言葉の響きが悪ければ、適応といってもいい。

多かれ少なかれ、教育とは、

ある個人を社会に適応させるための方法である、と考えている。


つまり、現代の日本社会に適応するためには、

当然、日本語をしゃべることができなければならないし、

読むこともできなければならない。

買い物するために、簡単な計算もできなければならない。

昔から、言うところの

読み、書き、ソロバン、である。


昔も、いまもこれらができて、はじめて、

最低限の生活が営めると思う。


某私大では、卒業するまでに

漢字の読み書きなど、

最低限の学力を身につけさせることを

売りにしているところもある。

大学にとって、学生は商品であるから、

その商品を企業に売りつける場合、

品質保証をするという意味なのであろう。

(もちろん、直接金銭による授受というわけではなくて、入社した学生の質により、大学の価値が高められて、多くの学生が入学するという間接的っていう意味だよ。って、こんなこと説明する必要性がない気もするけど)


しかし、本来、そのような最低限の学力は、

義務教育によって養わなければならないのではないか?


実際、就職活動をする人向けのSPIの問題には、

現在、中学生に教えている問題と同じものが載っている。


ということは、実際、入社するための試験で、

そのような問題が出ているということである。


企業側が最低限の常識を持ち合わせた人間かどうかを

確認のためにやっていると思うのだが、本来なら

そんな試験は必要ないのではないだろうか?


なぜなら、日本人のほとんどが日本語をしゃべれるように、

義務教育で、みんな学んで、できるはずなのだから。


こんなことが起こっているのは、いままで学校が

生徒に教える義務を完全に負っていなかった証拠のような気がする。


実際、ゆとり教育で変な科目に時間をとられて、

学校の授業だけで、十分な学力を得ることは

不可能である気がする。


だから、補完する意味で、塾が必要だと僕は思う。


なんか前に文部科学省の役人も、そんなこと言っていた気がするし……


(まぁ、ゆとり教育がはじまったのって最近だし、今回の発言はかなり強引だと自分でも思うけどね。まぁ、未熟者なんで、これを見て、学校関係者は怒らないでね。って、いうかこの記事見る人って、たぶんいないでしょうけど。)





いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。