2011-02-11 09:58:36 テーマ:瞑想 和尚の講和

瞑想 抑圧からの解放

質問

  私たちの中では、抑圧というものが心身の自動的反応となっています。私たちはそれに気づいくこともないし、それを変えたいとも思いません。どうしたら、自分の中の偽りのイメージと本物を区別できるのでしょうか?


和尚


色々理解すべきことがある。ひとつ。あなたの顔はすべて偽りだ。あなたには真の顔がない。だからこそ「どれが偽りでどれが本物か」という疑問が起こるのだ。真の顔を持っていれば、おのずとわかるーーけっしてそのような疑問は起こり得ない。

あなたの場合、すべての顔が非真実で偽りだから、比較ができない。あなたには真の顔がわからない。だから難しい。

あなたは真の顔を見た事がないし、またそれは簡単には見えない。それを見つけるには、大きな努力が必要だ。


禅においては、「真の顔」は「本来の面目」と呼ばれる。本来の面目とは、生まれる前に持っていた顔、死んだ顔にもつであろう顔だ。つまり、生きている時の顔はみな偽りだということだーーいわゆる「生きている」時の顔は。では、どうやって真の顔を見つけたらいいか。そのためには誕生の前に戻る事だ。


それが真の顔を見つける唯一の道だ。

生まれた瞬間から、あなたは偽りを開始している。なぜそんなに早くから偽りを開始するのかといえば、偽ることで得をするからだ。


子供が生まれる。だが子供はもう政治家だ。子供が世界に関係するやいなや…

親や家族に関係するやいなや、もう政治が現れる。子供は自分の顔に気を使う。

その微笑みは賄賂だ。いったいどうふるまったらもっと喜ばれるか、もっと愛されるか、もっと感心されるかーー子供はそれを見出そうとする。

そして遅かれ早かれ子供は、両親や家族の嫌いなものを察知し、それを抑圧するようになる。そこに偽りが現れる。


だからあなたの持つ顔はすべて偽りだ。今現在の顔から真のものを見つけようとしても、それは無駄だ。みな偽りだ。等しく偽りだ。顔は役に立つ。だからこそ使われているのだ。有用ではあるが、真実ではない。そしてもっとも深い欺瞞、それは、自分の顔が偽りだと気づくと、つねに新しい顔を創りだし、それを真の顔だと考えてしまうことだ。


たとえば、普通の環境の中、ビジネス社会の中で、普通の生活を送っている人間が、「自分の生は偽りだ、本来のものではない」と認識し、それを去ったとする。彼は求道者となり、世を捨てる。すると往々にして彼は、今度の顔は真実だと考えてしまう。しかしそれもやはり偽りの顔だ。


その顔を選んだのは、元の顔に反発したからだ。しかし反発したところで、けっして真の顔には到達できない。偽りの顔に反発すれば、別の偽りの顔が生まれるだけだ。ではどうしたらいいか。真の顔は到達するものではない。偽りの顔こそが達成物だ。真の顔は達成するものではない。


培うものではない。発見するものだ!すでにそこにある!到達しようと努める必要はない。どんな努力も新たな顔へとつながるだけだ。偽りの顔には努力が必要だーー

それは培うものだ。真の顔については何もする必要がない。すでにそこにある。

偽りへの執着を去りさえすれば、偽りの顔は落ち、真がそこに残る。落とすべきものがなにもなくなり、落とせないものだけが残るとき、真なるものが認識される。


瞑想とは偽りの顔を落とす道だ。

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