◆トム・フォードの監督デビュー作◆
最近新作や準新作映画もいくつか観てるんですが、観たい映画は多いのに実際観てみると・・・というケースが続いていて、新作の記事がちっとも増えません。
まあ無理して書くものでもないので・・・ということで、2009年のアメリカ映画「シングルマン」を。
こちら、ファッション・デザイナーとして名をなしたトム・フォードが映画監督として初めて手掛けた長編監督作品です。
11月にトム・フォードの新作「ノクターナル・アニマルズ」公開予定ということで(日本公開は未定ですが)、その予習をかねて。
最寄りのレンタルDVD店では、私がチェックしたタイミングでは2本置いてあるうちの1本または両方が必ず借りられているところを見ると、結構人気作品なんでしょうか。
ボブ・フォッシーの「キャバレー」と同じくイギリスの作家クリストファー・イシャーウッドの小説が原作ということで、「キャバレー」が大好きな私にとっては興味を惹かれる作品です。
原作も読みたいのですが、こちらは翻訳本が出ていないようで、残念ながら読めません。
原作者のクリストファー・イシャーウッドはホモセクシャルで、本作も「キャバレー」の原作と同様にホモセクシャルのイギリス人男性(異国で生活する文学者という点も同じ)が主人公。
本作の場合には、主人公のジョージ(コリン・ファース)はアメリカの大学で教鞭をとっています。
16年一緒に暮らしたパートナーのジム(マシュー・グード)を突然自動車事故で失うという悲劇に見舞われたジョージ。
一見平静さを取り戻しているように見えながら、彼はジムの後を追うために着々と身辺整理を進めています。
作品では、いよいよピストル自殺を決行すると決めたジョージの最後の一日を追います。
◆死に裏打ちされた美しさ◆
正直言うとこの作品の美しすぎる映像が最初は好きになれませんでした。
なんてったって、トム・フォードと言えば超有名デザイナーですから、私自身無意識のうちに
美しさだけを追求した空虚な映画?
というバイアスのかかった見方をしていたのかもしれません。
しかし本当に端正で、美しい世界なんです。
ブルーを基調にしたフィルムが流行する中で、この作品の基調は柔らかなグレー。
この色、ほぼ全シーンに登場する主演のコリン・ファースをとても美しく見せるんですよね。
白髪混じりで髪色がグレーがかった彼に一番似合う色―――世界を主人公の色に染めるという発想は、ファッションデザイナーらしい。
ジョージが住むガラス張りの家の、落ち着いた色調の内装や、シンプル・モダンなテイストのインテリアがまた、コリン・ファースの品格ある佇まいにぴったり。
そしてジョージの恋人・ジム役のマシュー・グードの艶やかさは!
黒髪で黒い瞳、南欧のけだるい陽光が似合いそうな彼(でも彼イギリス人なんですよね)は、スノビッシュな英国紳士のモデルのようなコリン・ファースと並ぶと、スタイルブックから抜け出してきたように完璧なバランス。
これはまさに、生活感とは対極の美を紡ぎあげた映像です。
(ジョージのパートナー・ジム(マシュー・グード)。彼はアメリカ人という設定。)
ただ、何度か観るうちに、生活感はこの映画には不要な要素なのかもしれないと思い始めました。
この作品の中では、時間や空間が均質ではありません。
何でもない映像が突然スローモーションになったり、急に音が遠ざかったり、日常的な光景が幻想的に演出されたり・・・そして、しばしば唐突にジョージがジムと過ごした過去へと飛ぶ。
つまりこれは、ジムの主観に寄り添った映像なのであって、この作品の中の世界の美しさは、ジムがそこに重ね合わせて見つめているこの世との訣別=彼自身の死に漏れなく裏打ちされているわけです。
今日限りで日々の営みに終止符を打とうという人間が眺める世界が生活感を纏わないのはむしろ当然。
たまたまなのか敢えてなのかは別にして、本作の映像は存分に美しくて良いのではないかと。
ジョージにとってジムのいない世界は、悲しみだけが残された留まる意味がない場所。
そう思いつつも、なかなか命を絶つことへのためらいを捨てきれず一人で右往左往するジョージの姿は、本作の中で数少ない、等身大のリアリティーを感じさせるシーンです。
そして、その姿には、彼の中にあるこの世へのわずかな未練も感じ取れます。
そういうジョージの内面の迷いを見せ、彼の見る世界に惜別の彩りを加えることで、一層映像の美しさに対する説得力が高められているように思えます。
◆絢爛豪華な男たちの競演◆
しかし、まるでジョージの決意を試すかのように、彼の前に次々に現れる若く魅力的な男たち―――彼らがまた、ジムに負けず劣らず美しいんですよねえ。
(ジョージの講義の聴講生・ケニー(ニコラス・ホルト)。彼の着ている白いモヘアのセーターは、いかにもジョージの決意を試すために現れた獲物運命の天使風)
ジョージに自分と同類の匂いを嗅ぎ取り、キラキラした眼差しで彼を追って来る教え子ケニーは、なんとニコラス・ホルト!
「マッドマックス 怒りのデスロード」のウォーボーイ役とは180度違う装いの、ピュアで真っすぐな青年役が見もの。
強い関心を持ってジョージを見つめる彼のブルーの瞳を、カメラは宝石を愛でるように美しく映し出しています。
(ジョージが思わず「美男子だね」と口に出してしまうほどハンサムなカルロス(ジョン・コルタジャレナ))
ジェームス・ディーン風ヘアスタイルが似合う男娼のカルロス役ジョン・コルタジャレナは、トム・フォードのブランドのモデルをしていたという超美男。
彼の瞳はグレーの宝石。
そしてジョージの眼が吸い寄せられる彼の唇の完璧な形と湿った艶!
ジョージの女友達のチャーリーことジュリアン・ムーアもマダムのお色気ムンムンでジョージを搦めとろうとするんですが、本作の場合には絢爛豪華な男の色気が主役です。
ジュリアン・ムーアって、こういう映画ではちょっとうざいオバちゃんに徹してくれたりと、自分の立ち位置を過不足なくわきまえた絶妙な演技で作品を盛り上げてくれるところが好きです。
◆それぞれの住まいに込められたメタファー◆
ところで、ジョージがしばしば訪れるチャーリーの家が、とても独特で惹き込まれる造りなんですよね。
低木の茂みに囲まれた彼女の家。
小さな入り口を入ると狭く長い廊下があり、その廊下は真っすぐに居間へと通じています。
良い趣味の高価そうなインテリアで飾られた彼女の居間には暖炉に火が焚かれていて、とても暖かそう。
そして、暖炉に向かって置かれた大きな半円形のソファが、この部屋の印象を決定づける主役のインテリア。
繁みの奥の入り口に、長い廊下の突き当りの部屋、半円形のフォルム―――どこか子宮を連想させます。
ジョージが彼女に求めているのは母性。彼を包んで、束の間、ジムを失った傷を癒してほしい。
彼女の家の構造は、そんなジョージにとってのチャーリーの位置づけを暗示しているようにも見えます。
ところが、彼女がジョージに求めているのは、明らかに息子ではなく恋人で―――それは、彼女の言葉や態度だけではなく、彼女のまるで生活感のない「ザ・勝負服」的なドレスや非日常的なヘアスタイルにも表現されています。
家と言えば、回想シーンの中でジョージが彼にアプローチしてくるジムに言った言葉
「ガラス張りの家に棲む覚悟もないくせに」
にも、実は深い意味がありそうです。
「ガラス張りの家」は、どうやらエヴゲーニイ・ザミャーチンの反体制小説「われら」からの引用のようですね。
本作の原作が書かれたのは1964年ですから、まだイギリスでは男性同士の同性愛は認められていなかった時代です。
社会の偏見に監視された中で同性愛を貫く勇気があるのか、と彼は聞きたかったのでしょう。
本作のストーリーに直接絡んでくることはありませんが、「ガラス張りの家」のイメージは、ジョージ自身が住む美しい家にも取り入れられている(大きな窓のあるトイレなど)気がします。
つまり彼は自ら自分を「ガラス張りの家」に押し込めているのかも・・・この辺は原作を読めば解消する疑問だと思うんですが、原作が確認できないのが残念です。
◆欲望と抑制を滲ませたコリン・ファースの表情が最高にセクシー◆
さて、そんなジョージがいよいよ自殺を決行しようという週末、彼を探して街をさまよっていたケニーを自宅に招き入れるクライマックスは、コリン・ファースとニコラス・ホルトの本気の男の色気が炸裂し、響き合う、本作最大の見どころ!
進行形の時制ではずっと眼鏡をかけていたジョージが、このシーンで初めて眼鏡をはずす・・・という演出もいいですね。
生きる希望を見失った男が、みるみるうちに恋する心を取り戻していくさまを、眼鏡という覆いを取り去ったコリン・ファースの表情が、これ以上なく雄弁に物語っていきます。
彼の、露わになった欲望と捨てきれない自制心とが拮抗する表情は圧巻・・・身震いするほどセクシーです。
これはコリン・ファースの色気を余すところなく引き出したフィルムと言っていいんじゃないでしょうか。
この作品での演技が、そのまま「裏切りのサーカス」(2011)に繋がっているような気がします。
とっくに手のうちにあるようで掴みどころがなく、結局触れることさえできないまま酒に酔って眠ってしまったケニーを寝かせ、一人窓を開けて夜風でほてりを冷ますジョージ。
窓の外にいた梟は、彼の心に灯った真新しい秘密を知っているかのよう。
静かな夜・・・新しい夜明けを待つ希望がジョージの中に芽生えていた・・・はずなのに。
はずなのに。
ラストシーンとオープニングシーンのイメージを重ね合わせた構成が秀逸。
全てはジョージとジムの絆の物語であったことを明らかにして、作品は幕を閉じます。
バイオリンを効かせた音楽も映像の静けさに溶け込んでいて、切なさと完成された美しい世界観に酔いしれながらのエンディング。
コリン・ファース好きにはたまらない作品です。
それにしてもケニーは果たしてゲイだったのか―――私には彼はジョージの側から踏み出してくれるのを待っているように見えましたが、ジョージに確証は与えなかった―――そこを曖昧にしたまま終わるのも、この物語の余韻を複雑なものにしている要素のひとつですね。
◆余談:ニューヨークで見たLGBT運動の盛り上がり◆
監督のトム・フォードは2年前長年のパートナーと同性婚したらしいですね。
2人の間には子供も。
強引につなげる感じですが、旅行記に書ききれなかった余談をここで・・・
去年最高裁が同性婚を認める判決を出したアメリカでは、今LGBTが熱い注目を浴びている気配でした。
世界から観光客が押し寄せる美術館・MoMAでは、LGBTの象徴であるレインボーフラッグをコレクションに加えたそうで。
去年の最高裁判決を記念して、レインボーフラッグがロビー近くの階段に掲げられていました。
(レインボー・フラッグが掲げられたMoMA)
この判決を記念して、いわゆるストーン・ウォール(※1)の叛乱で知られるストーン・ウォール・インが今年6月に国定史跡に指定されたそうです。(日本でも来月公開されるエメリッヒ監督の映画「ストーン・ウォール」は事実を歪曲しているということでかなり不評みたいですが)
そしてもう一つ、個人的に驚いたことが。
あちらで観光するために買ったタイムアウトの旅行ガイドの中に、こんなページを見つけました。
これ、普通のニューヨークガイドなんですよ。
(TimeOutのニューヨークガイドの中の「ゲイ&レズビアン」という項目が設けられたページ。)
ゲイ・プライド始めニューヨークで行われるLGBT関係の行事や、LGBT向けのホテル・バーなどが紹介されたページがなんと9ページも続きます。
専門誌を作るのではなく一般ガイドの中に入れてしまうという発想が、私にはこれまでと違う新鮮なものに映りました。
時代は少しずつ変わっているんですね。
※1 1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」が警察による強制捜査を受けた際、居合わせた同性愛者らが初めて警官に真っ向から立ち向かって暴動となった事件」と、これに端を発する一連の「権力による同性愛者らの迫害に立ち向かうレジスタンス運動を指す。
(画像はIMDbに掲載されているものです。)