源行近のブログ

山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。
城を歩き始めて12年……


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出雲国楯縫郡の八幡山城主に大西三河守とあります。出雲大西氏は大原郡が本拠のはずですが、何故に楯縫郡にいるのかです。その家臣に西尾氏がいますが、調べてみると西尾氏は三河国幡豆郡を本拠としていた一族でした。それで大西氏も三河守なのかと…

大西氏については阿波国にも存在しています。この一族に大西出雲守元高とあり、なんと出雲守で、共通点がありそうです。大西とは出雲の意宇(おう)の西方の意味でしょうか?出雲大西氏は宇多源氏とか飯沼氏の流れとも言われています。その居城は大原郡で現在の雲南市加茂町にある高麻城です。現在の徳島県には麻植郡(おえ)があります。オウとオエはほぼ同じですね。この麻植郡には忌部氏がいて麻を植えたのでこの地名となったといいます。これを繋げれば出雲大西氏の城は高麻城で、つまり麻なのです。大西氏は忌部氏か?この大原郡から北に抜けると松江市の忌部町に出ます。この忌部は湯氏の領していた地域で、玉造と隣り合わせになります。出雲の忌部氏は玉(勾玉)を作り貢納することだったので玉造という地域があります。この事から大西氏と湯氏は忌部氏の流れがあり、今まで佐世氏の系図にヒントを得て調べていた事が四国と出雲の繋がりだったのです。佐世氏の系図には四国から多くの氏族が出雲に入ってきた痕跡を垣間見ることができます。出雲国の大半は勝部氏族が支配権を持っていたように思えます。そのなかで忌部氏の一族も徐々に広がっていったのではないのでしょうか?また信州諏訪系の諏訪部氏(三刀屋)や中沢氏(牛尾)飯島氏(三沢)なども
入ってきています。歴史とは一点で見るのではなく、広く古代から現代までを繋げて見ないと分からないものです。

歴史に正解、不正解は要りません。史料があれば幸いですが、そのほとんどが残されていないのですから…

さらに調べて見ます。以上


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