源行近のブログ

山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。
城を歩き始めて12年……


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久々の更新となる今回は上里氏について記したいと思います。

佐田町誌に伊秩城主伊秩氏について記載がありますが、その中に萩の上里家の系図が記載されています。
その祖は造酒弥太郎高実となっており、系図は官位や某が多く名前のはっきりした人物はあまりみえません。
伊秩氏と上里氏は姻戚関係による接点があったようです。


上里氏について調べてみたところ、三吉氏の一族で備後丸山城主に上里九郎通職、上里民部助実、上里四郎五郎元実の名がみえます。このほか上里越後守守光の名もあります。

上里氏は三吉氏のどの人物から始まったのでしょうか?三吉氏の系図に兼家の次男家信の子家通が酒屋太郎を名乗っています。文頭の上里家系図の造酒氏は酒屋氏であろうと思われます。となるとこの酒屋氏の後裔に上里氏を名乗った人物がいた事になりますが、今のところ資料がないので何とも言えません。

【萩上里家系図】

造酒弥太郎高実ー※周防守高実ー伊豆守高秀ー五男>周防守広秀ー二男>※河内守兼忠ー規為ー安房守元忠(伊秩元処の子)

※周防守高実ー二男>肥前守某ー二男>伊岐守ー与三左衛門ー三左衛門ー勝左衛門尉ー正左衛門尉保連(伊秩左京亮)

※河内守兼忠ー二男>兼正・三男>采女正元処(伊秩家の養子)

肥前守の娘は姉が伊秩美作守元久の室となり、妹が一族の周防守広秀の室となっています。
伊豆守高秀の四男越中守の娘は祝長門守の室となり、その娘が伊秩安房守元忠の室となっています。

上里氏の本拠は比熊山城の麓で現在の三次町であったようで、旧地名に上里村とあります。

【旧上里村辺り】

三吉氏が比熊山城に移るまでは一族の上里氏が領していたものと思われ尾関山城の城主に上里越後守守光の名前があるようです。

祝氏は備後江田氏家臣で高杉城主。1553年に毛利氏の高杉城攻めでは甲斐守貞近の父高貞と二男の高智が討死しています。三男高家と四男広縄は毛利方であった事から祝氏の血筋は今なお続いています。

また長門守亮綱と名乗る人物がおり、これが系図にみえる祝長門守であるかは定かではありません。

今後も調査をしてみたいと思います。



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