2001年~2006年イタリア留学の話
前回の話はこちら↓
http://ameblo.jp/macorina/entry-10977247856.html
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ここまで書いてきて感じたこと。
10年前のことなのに、様々な記憶がリアルに蘇ってくる。
その時感じたこと、思ったこと・・・私には鮮明すぎて痛いくらいだ。
とくにあの8月は、私にとって大きな一歩前進だった。
時には尻込みしたり、時には前のめりになる自分がいて、
それでも必死で何かを掴もうとしたからこそ、今があるんだと思う。
それまでも、イタリアには長くて3か月滞在したこともあったけれど、
やはり表面的なことしか知らなかった気がする。
イタリア、そしてヨーロッパの本質が見えてきたのは、
そして私の音楽の要素が変化してきたのは、
この留学の終わり頃だったかもしれない。
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イタリアでの生活が始まった当時は、ユーロではなく、まだイタリアリラだった。
憶えている方もいるかと思うが、やたらとゼロの多い通貨だ。
初日に電話とテレビを購入した時、合計で450,000リラ、
日本円で3万円弱だったのではないだろうか。
日本にいるときは意味が分からなかった3ケタでのコンマも、
向こうの数の数え方を勉強していくと分かることになる。
2002年1月にユーロが流通し始めたから
8月に到着した私としては半年も満たないご縁だったけれど、
翌年の同じ時期に留学するのに比べたら、確実にラッキーだった。
というのも、ユーロになってからのイタリアは、紛れもなく物価が上がったのだ。
当初はユーロに変わることに伴う物価の高騰はない、とイタリア政府は言っていたが、
切り上げなどしつつ、3か月後には価格が変化していて
駐在員の奥様であるM子さんとも一緒に嘆いていたのだが、
周りのイタリア人がそれに気が付きはじめたのは、その数か月後であった・・・。
音楽院の授業料も、プライベートレッスン代も、変わっていった。
家賃は契約したのがリラだったし、数年後もそのリラの値段を換算していたから
その後の不動産の高騰を傍目にホッとしたものだ。
ちなみに、私が借りていたアパートは、私の出た2005年次の人が借りる時に
日本円で5万円の違いがあって、もちろんその値段では到底借りれなかった。
一番の恩恵を受けたのは、奨学金。
アメリカにある財団からの支給で、ドルをその時のレートでユーロに換算した額になるのだが、
なんと翌年の奨学生は、6か月の支給がで2,000ユーロ近い減額になってしまった。
留学とは、好機を掴むことも大事なひとつなのだ。