音楽家の徒然日記

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2011年10月29日

月下美人

テーマ:日記
なんだか季刊ブログになってしまいました。

私は生きてます・・・っていうと変ですが。

留学日記もそろそろ更新しようとは思っています。
少々お待ちを。

さてと。
なぜ再開したかと申しますと、載せたい写真がありまして。

これです。↓




我が家の月下美人が昨夜咲きました。

90歳になる祖母が栽培していて、そろそろ開花するとは聞いていたのですが、
帰宅途中に普段めったに連絡してくることのない祖母から携帯に連絡があり、
「そろそろ咲きそう」

カメラ好きの母も外出していて、ひとりであたふたしていたそうです。

その後、家に戻り、開花していく間の祖母の嬉しそうな姿を見て、
こちらまで嬉しくなりました。

また来年咲くことを楽しみにしています。
2011年08月08日

クエストゥーラ その1

テーマ:イタリア留学中の話

2001年~2006年イタリア留学の話


前回の話はこちら↓

http://ameblo.jp/macorina/entry-10977862506.html


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ミラノ市内の公共の交通手段は、地下鉄とバス。

地下鉄も3線しかないので、バスが殆どの地域を網羅している。


バスを乗りこなせるようになるのが、ミラノの暮らしには必須だ。



ミラノに着いた途端、自宅付近を走るLineaRossa(赤線)が

工事に入ってしまったので、否が応うにもバスが唯一の足となった。



こまどり通りのアパートからすぐ近くを走る58番のバスに乗り、

途中で61番に乗り換える。

そうすると、クエストゥーラの近くで降りることができる。



クエストゥーラはミラノの各地区にあるものの、

当時はViaFatebenefratelliにある中央署で

外国人の滞在許可書の申請をまとめて受け付けていた。

(これも毎年制度が変わってくるので、そのたびに振り回される)



直訳すると『兄弟仲良く通り』という場所にあるにもかかわらず、

残念ながら、クエストゥーラの人々は外国人に不親切だ。



月曜の朝、私は6時頃着いたにもかかわらず、

すでに外国人の列にはかなりの長さがあった。

たしか開館するのが8時。

玄関の所で、ひとりひとりパスポートのチェックを受けながら中へ入れてもらう。

そして9時から開く窓口の前に並んで待つのである。



あの場所へ行くと、自分が外国人であり、東洋人であることを認識する。



窓口は、EU国籍の人、アメリカや日本など8か国ほどに当てはまる人、

(この対象国の意味は分かる気もするが・・・あえてここでは書かないことにしておく)

それと上記以外の国籍を持つ人、これら3タイプに分かれていた。



EU国籍の窓口には殆ど並ぶ人がいない。

たまに人が現れても、手続きが簡単なようで、すぐに終わってしまう。

誰も来ない時は隣の窓口に並ぶ人を受け付ければいいのに、

そんなことをまず彼らが行うはずがない。

窓口の係員は手持ち無沙汰になり、隣の人と雑談が始まる。

それに応じる隣の係員は、話しながら仕事をしているので、明らかに対応が遅れる。

人の列は長くなるばかり・・・。



これが、イタリアっていう所なのだ。




2011年08月07日

イタリアリラ

テーマ:イタリア留学中の話

2001年~2006年イタリア留学の話


前回の話はこちら↓

http://ameblo.jp/macorina/entry-10977247856.html


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ここまで書いてきて感じたこと。



10年前のことなのに、様々な記憶がリアルに蘇ってくる。

その時感じたこと、思ったこと・・・私には鮮明すぎて痛いくらいだ。



とくにあの8月は、私にとって大きな一歩前進だった。

時には尻込みしたり、時には前のめりになる自分がいて、

それでも必死で何かを掴もうとしたからこそ、今があるんだと思う。



それまでも、イタリアには長くて3か月滞在したこともあったけれど、

やはり表面的なことしか知らなかった気がする。

イタリア、そしてヨーロッパの本質が見えてきたのは、

そして私の音楽の要素が変化してきたのは、

この留学の終わり頃だったかもしれない。


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イタリアでの生活が始まった当時は、ユーロではなく、まだイタリアリラだった。

憶えている方もいるかと思うが、やたらとゼロの多い通貨だ。



初日に電話とテレビを購入した時、合計で450,000リラ、

日本円で3万円弱だったのではないだろうか。



日本にいるときは意味が分からなかった3ケタでのコンマも、

向こうの数の数え方を勉強していくと分かることになる。



2002年1月にユーロが流通し始めたから

8月に到着した私としては半年も満たないご縁だったけれど、

翌年の同じ時期に留学するのに比べたら、確実にラッキーだった。



というのも、ユーロになってからのイタリアは、紛れもなく物価が上がったのだ。

当初はユーロに変わることに伴う物価の高騰はない、とイタリア政府は言っていたが、

切り上げなどしつつ、3か月後には価格が変化していて

駐在員の奥様であるM子さんとも一緒に嘆いていたのだが、

周りのイタリア人がそれに気が付きはじめたのは、その数か月後であった・・・。



音楽院の授業料も、プライベートレッスン代も、変わっていった。



家賃は契約したのがリラだったし、数年後もそのリラの値段を換算していたから

その後の不動産の高騰を傍目にホッとしたものだ。

ちなみに、私が借りていたアパートは、私の出た2005年次の人が借りる時に

日本円で5万円の違いがあって、もちろんその値段では到底借りれなかった。



一番の恩恵を受けたのは、奨学金。

アメリカにある財団からの支給で、ドルをその時のレートでユーロに換算した額になるのだが、

なんと翌年の奨学生は、6か月の支給がで2,000ユーロ近い減額になってしまった。



留学とは、好機を掴むことも大事なひとつなのだ。




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