EmT.50 ブリュッセル
テーマ:EmT1999年12月13日、オランダ~ベルギーの小旅行を終え、再びパリに戻ってきた。
話はまず、12月11日に戻る。
アムステルダムを出発して、列車でブリュッセルに向かった。
ブリュッセルの駅に着くと、僕を待っていたのはマイクベルナルドみたいなドイツ人だった。そのスキンヘッドのごついドイツ人はなぜだか僕に道を聞いてきた。
「やあ、グランプラスに行きたいんだけど、知っている?」
もちろん着たばかりの僕が知るわけもない。だから知らないと言うと、「そうだよな。でもそっちへ行くんだろう?よかったら一緒に行ってくれないか?」と言う。
なんだかわからないが、きっと同じ旅人なんだろうと思い、「OK」と言った。
とりあえずベルギーフランもなく一文無しだったので、銀行で下ろす事とした。銀行は駅のすぐ側にあり、僕はATMですぐにお金を下ろした。ベルナルドはそれを待っていた。
銀行から出てくると、ベルナルドは急にこんな話を始めた。
「いやあ、僕はさっきまでアントワープにいたんだけど、街を歩いていたらお金を落としてしまってね。今は一文無しなんだよ」
「それは、大変付いてないね。すぐに警察へ行こう」と僕は返す。
「いや、警察は、今日閉まっていたんだ。よかったらお金を少し貸してくれないか?実は今日中にコペンハーゲンに行かないといけなくてね。実は困っていたんだ」
どう考えても信じられるはずがない。面倒な奴に引っかかったものだと思った。しかもベルナルド。駅近くで人通りは多いのでいきなり強奪してくることはないだろうが、実に面倒だ。
とりあえず僕はこう答える。
「僕も旅の終りでもうお金が残っていないんだよ。貸してあげるお金がないんだ」
「なんだ。僕を信用していないのかい?本当にお金を落としたんだ。今日中に何とかしないと大変なんだよ。カードを持っているのか?番号を教えてくれれば後でそこに振り込むから」
「いや、本当にお金がないんで」
「なんだよ!なんで貸さない!ドイツ人はみんないい奴だったろう!どうして信じない!」
いきなり逆切れだ。
ドイツ人は確かにいい人が多かったが、おまえは別だ、と言いたい。
「ダメなものは、ダメなんだ。警察へ行こう」と、とりあえず優しく言う。
「なんだよ!このケチ野郎!Fu○○ you!」
この言葉は!外国人まじFu○○ you。何たる衝撃だろう。まじで言われると、心に響く。頭にくるというか、悲しい。心臓が痛い。衝撃的瞬間だった。
「そうだよ、ケチでいいよ」僕はもう投げやりだ。
「Fu○○野郎、グランプラスはあっちだ!好きに行け!」
何だよ。グランプラスの場所知ってるんじゃんか。という落ちで、ベルナルドは無事に去っていった。
しかししばらくブルーだった。Fu○○youが心の痛みとして残る。冬で寒いし、ブルーだからグランプラスを歩いても楽しくない。だからすぐに中心地から離れたユースホステルに地下鉄で移動した。
ユースで待っていたのは、日本人っぽい若い男だった。
僕の部屋と一緒で、荷物の置き場を気にして僕に謝ってくる。「ソーリー、アイムソーリー、アイキャントスピークイングリッシュ」と頭を下げる。やけに腰の低い男、しかも僕を見て、英語は喋れないと来た。
だからとりあえず、「ホエアーアーユーフローム?」と尋ねる。
「サウスコリア」と若者は答えた。
『ああああ、なるほど』と思う。
だけど、僕はそんな韓国人のⅠ君と仲良くなった。
その日はユースで、ドイツ人とビリヤードをやったりして、一日が過ぎ去っていった。
Ⅰ君とは、翌日12月12日、一日を共に行動した。
Ⅰ君はキリスト教徒で、12月12日は日曜日だったので、ミサの日だった。僕はⅠ君とブリュッセルにある教会でミサに参加した。結婚式みたいに賛美歌を歌って、牧師の話を聞いて、最後にはパンの切れを食べる(僕はキリスト教徒でないので食べはしなかった。キリストの肉という事らしい)。
もともとⅠ君は巡礼の旅に来たらしく、ベルギーやヨーロッパの国を回った後は、イスラエルの方に行くと言っていた。
これがキリスト教か!?という経験をして、その後、昼飯に出掛けた。Ⅰ君はお金をあまり持っていなかったので、店に入ることを拒んだ。だから僕はⅠ君におごってあげた。チキンか何かを食べた。
それからグランプラスの広場に出掛けた。広場はクリスマスまで、クリスマスのためのリーフやら食料やらを売る露天でいっぱいになっていた。そこで飲んだホットワインはおいしかった。
最後に小便小僧の前で、Ⅰ君と一緒に記念撮影をしてからユースに戻った。二人の旅行は楽しい。
ユースに帰ると、また別の韓国人が二人いた。その二人はビジネスで、30代くらいだった。Ⅰ君のように腰が低いわけでもなく、腰が低いのは韓国人の特徴ではなくⅠ君の性格なんだという事を理解した。
そしてそのⅠ君にコリアンラーメンをご馳走になった。例のあの辛い奴だ。麺を食べて、最後にご飯を入れて雑炊にする。これが韓国風の食べ方だそうだ。ご飯を白米で食べていたら、そうじゃないと言われ、辛いラーメンの中に入れられてしまった。それはそれでうまいが、辛さを和らげるご飯が欲しい。それが日本人の食べ方って感じだろう。
そんなわけで、ブリュッセルに着いたときのベルナルドも忘れ、楽しいブリュッセルの時間が過ごせた。
12月13日朝、ユースホステルを出て、駅へ向かう。Ⅰ君と二人の韓国人も一緒だった。地下鉄で共に駅まで言った。「別れの言葉は韓国語で何だ?」とⅠ君に聞くと、「韓国では、別れも何も挨拶はアンニョンだ」と教えられた。それで、「アンニョン」と言って、韓国人と別れた。
あれから12年、Ⅰ君は今はどうしているだろう?当時彼女がいたからきっと結婚して、いいお父さんになっているんだろう、と想像する。
そして列車に乗ってブリュッセルを離れる。パリから来たときとは違うルートを使おうとして、普通列車で移動した。モンスという駅まで移動すると、その先は11時から16時まで列車がないという。
とんでもないルートだったので諦めた。その街にあるレストランで、ベルギー料理のクロケット(ベルギーのコロッケ)を頂いてから、結局タリス(新幹線)に乗って、パリへと向かった。タリスに乗らないつもりだったので、特急代で帰りは珈琲も飲めないほど金がなくなってしまった。
なんとか残っているお金で、タリスの車内販売で、ベルギーワッフルを買おうとした。しかしお金を払おうと思ったところで数円くらい足りない。僕が困った顔をすると、売店のおじさんは「いや、これでいいよ」と言って、ワッフルを渡してくれた。日本ならこうはいかないだろう。ベルギー人のゆとりを感じる。
12月13日、夕方、パリのノール駅へと戻りつく。
僕の最後の小旅行は終った。後は日本に帰るだけだ。この旅で、僕は少しは成長できただろうか?考えてみるとヨーロッパにいても異国の人と共に行動する時間はブリュッセルまでなかった。韓国人とは言え、異国の人と共に行動する時間を過ごせたことは僕にとって大きな成長があったためだろう。
きっと僕は成長している。どこかにやり残した気持ちはあるが、この時の僕は最後の旅行に十分満足していた。しかし本当の満足に至らなかったため、この数年後、僕はメキシコ一人旅に出ることになる。その話をする予定はないが、この旅が僕の未来を、ある方向へと進めた事は確かだろう。
ヨーロッパ旅行、残りはパリの3日間となる。
つづく






