旅のその後

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およそ1ヶ月にわたってブログを放置していた理由はというと。


ネット環境が思いのほか整っていなかった…12.4%

自身の連載で先に旅の経過を書きたかった…5.7%

面倒だった…87.3%


と、足してみれば105.4%になる、北斗の拳SE(設定6)の機械割のような内訳なのだけど、今日は飲みに行くまでに小1時間ほど空きができたので、ドイツ以後の話をざっくりと記しておきたい。


まず、前回に書いたドイツの国際平和村でお祭りがあったのが9月10日のこと。その日はデュッセルドルフという、5回も連続で言えば確実に舌を噛み切ってしまう地域に宿をとっていたのだが、用事を終えたこともあって翌日は鉄道でフランクフルトに移動した。


フランクフルトはドイツでもっとも大きな空港を持つ大都市であり、かつて寿司ボンバーと呼ばれた男が住んでいたところでもあるのだけど、駅前の目抜き通りを一歩逸れるとそこはドラッグと酒とギャンブルと女のニオイがプンプンする凶悪な地帯。そこにうっかり足を踏み入れてしまい、非常に恐ろしい経験をした。そんなこともあってほとんど出歩かないまま滞在を終えてしまったわけだ。……ところで、目抜き通りってどういう意味?


で、そんなところはさっさと後にしようということで、翌日は鉄道で国境を越えてスイスに突入。本来は首都のチューリッヒに行こうと思っていた。しかし欧州の中でも屈指の物価の高さを誇るスイスではホテルが軒並み1万円以上。もちろんそんなところに泊まるつもりはさらさらないわけで、なんとか格安の宿を探した結果、チューリッヒ、ジュネーブに次ぐスイス第三の都市・バーゼルに2000円で泊まれるタコ部屋を見つけたので、目的地をそこへ変更することにした。


2段ベッドが4つほど置かれた、いわゆるドミトリーでの宿泊はオーストラリアのケアンズ以来、人生2回目。正直言って知らない人と一緒に寝るなんて売春婦じゃあるまいし得意ではない。実際にあまり乗り気ではなかったが、宿について評価が一変した。だってここの女主人、むちゃくちゃカワイイんだもの。


きれいな金髪に青い目。小柄な体型にタンクトップからはみ出しそうな胸…と、これ以上書くと本気で引かれそうなのでヤメておくけど、これで2000円は安い(そういう店じゃないし)。というわけで、スイス旅行へ行く際の宿はバーセルにあるバックパッカーズホテル。ここを筆頭候補にすることをススメておく。



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翌日はまたしても鉄道で国境越え。スイスからイタリアを目指したわけだけど……って、ちょっと待った。ぼちぼち飲みに行くという電話があったから巻きでいくよ。文体も変えるよ。


バーゼルからチューリッヒを経由して、まずはイタリアのミラノにズームイン。で、翌日にミラノから夢の超特急、ユーロスターに乗って3時間。首都のローマに到着したわけ。


ローマではね、特になにかをしたわけではなく、味もよく分からないのにモッツァレラチーズを食ってみたり、ひとりで寂しくトレヴィの泉に行って肩越しにコインを投げてみたり、またローマに帰ってこれますようにウフフっとか言ってみたり、ワインを飲んでへべれけになってみたり、空いているホテルが見つからずに3時間も街をさまよったり、結局1万円のバカ高いけど汚ったない宿しか空いていなかったり、スイスの節約はいったいなんだったんだとヤケになってみたり、まあ、そんな感じで過ごしたわけですよ。うん。



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ひとりでこういう写真を撮るの、ちょっと切なかったり。コロッセオにて


まあ、そんなこんながひとしきりあって、寂しくなってちょっとだけ泣いて、アンと出会って、スペイン広場でジェラートを食べて、ベスパに乗って。


そしてついに、イタリアを離れることになったわけです。

次の目的地はここ。



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赤は独立のために流された血を。

黄色は金鉱山など豊かな地下資源を。

緑色は豊かな森林と実りある農業を。

そして中央の黒い星は、アフリカ解放と独立のシンボル。


赤く燃える大地、アフリカはガーナへ。

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ドイツ国際平和村

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自身のイメージに合うわけでなく、ブンデスリーガ狂なわけでなく、さほどビールが好きなわけでもない。そんな自分が日本→フィリピン→タイ→ドイツと過酷な乗り継ぎをしてまで渡独した理由はただひとつ。それは、散髪屋で見たキン肉マン。第20回超人オリンピックでのブロッケンマンの壮絶な死に様に心を打たれたから……ではない。タイトルにあるドイツ国際平和村(FRIEDENSDRF INTERNATIONAL。以下、平和村)で9月10日、「ドルフ・フェスト」なるお祭りが開催されたからである。


そんなのお前に関係ねーじゃん。そう思われるかもしれないが、自分と平和村には多少の縁がある。


実はパチスロライターを辞した去年の11月に自分が漠然と思い描いていた将来設計は、簡単に言うとこんな感じだった。


11月から半無職→1月まで食って寝るだけの毎日→1月から6月までセブでボランティアをやらせてもらいつつ英語(できればドイツ語の基礎も)の勉強→8月から最低1年間、平和村で住み込みボランティア。


そう。自分は平和村で住み込みボランティアをするつもりだったのだ。まあ、応募したもののドイツ語がサッパリできないという理由であっさり落選したのだけど、それでも日本人担当者と定期的に連絡を取り合っており、そんな縁もあって、今回のお祭りに参加することになったわけである。


平和村はどんなところか。それは各自にHPで調べてもらいたいところなのだけど、ざっくり説明すると、主にアフガニスタン・アンゴラ等、紛争で被害を受けた地域。そこで暮らす母国で治療を受けられない重症・重病の子どもの治療をヨーロッパで行い、そして母国へと送り返す活動を行っていて、その治療期間中やリハビリ中の子どもが生活する場所が平和村となっている。


とまあ、そんなわけで、ドイツへ向かった。



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ケルンにある大聖堂は世界遺産。お上りさん全開で記念撮影


平和村があるのはオーバーハウゼン市というところ。近くにあるデュッセルドルフという都市に前泊して、かなり迷いながらも10日の11時、なんとか平和村に到着する。



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よくわからない人形2人がお出迎え。黒板には……ごめん、読めないや


当日は誰でもフリーで中に入ることができ、チケットを買えば飲食も自由。ソーセージにかぶりつきながらビールをぐびぐび飲んでもよく、さほど大きくない村の中には開始から1時間ほどしか経っていないのに、100人以上の外部参加者で賑わっている。



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完全に旨し。100点



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雰囲気はこのような感じ。ドイツ在住の日本人も割と多かった


自分がなぜ平和村に興味を持ったのか。その理由はふたつあって、ひとつはその活動がすべて寄付と会費のみでまかなわれているから。こういう活動というのはいろんな周りの思惑が入り込むことが多く、単純に善意の寄付や会費だけでやっていくのは難しい(と思う)。たとえば、多く寄付をした会社なりの意向を汲み取らなければいけないことがあってもおかしくないんだろうけど、平和村はそういうことがなく、お金を得るために本来の趣旨とは別の、なにか商業的なことを行っているわけでもない。さらに、治療も100以上の協力病院が無償でやってくれるし、子どもの移送は地域の会社や住民が完全なる善意のボランティアで動いてくれる。なんか気持ち悪い言い方だけど、そういう、善意しか存在しない、ある意味で神聖な場所に、身を置きたいと思ったのだ。ギャラがどうとかあいつの仕事がどうだとか、そんなくだらない(こういう表現をするといらぬ誤解を招きそうですね。まあ、当時はね、いろんなことをぐるぐると考えていたのです。というわけで念のため加筆。補足)話題のない場所に身を置いてみたかった。


ふたつめは、平和村の代表者であるゲーゲン・フルトナーというおっちゃんの言葉。なんかのテレビでこのおっちゃんの言葉を聞いて、グッときたから。平和村にいる子ども達は目の前で家族を殺害され、自身も撃たれて重症…という子も少なくない。戦争が、紛争があたりまえの地で育った子ども。そんな子ども達について聞かれて、おっちゃんは言った。


平和村から母国に帰国した子ども達が兵士になったという報告を、私はまだ、1度も聞いていない。彼らは人を殺さない。本当は、誰も人なんか殺せやしない。


戦争を直接止めることは難しい。だけどもこうやって子どもを助けることで、その子どもが平和というものに触れ、人を殺さない大人になる。人を殺さなければ、戦争は……。特効薬のように即効性はないけれど、少しずつ変わっていく。子どもの意識が変われば、国が変わる。国が変われば、世界が変わる。


自分が子ども支援に興味を持ったのは、この人の言葉があったから。子どもが真っ直ぐに育つ。子どもが充分な教育を受けられる。そんな土壌さえあれば、その子どもが大きくなって、世の中を変えてくれる。最終的にその恩恵が必ず自分に返ってくるのだから、支援してあげるという100:0の一方通行ではなく、50:50なのだ。


まあ、いまあまりに熱くなりすぎて、これを書いているフランクフルトの街に急に大雨が降り出したので、このあたりでヤメておくけど、つまりはそういうこと。


子ども達の半分くらいは松葉杖を使っていて、手や足のない子どももちらほら。顔をやけどでやられて、お尻か太ももかの皮をベタっと顔に張り付けたんだろうね、目と鼻と口のところだけくり抜いたような、表情を作ることのできない子も何人かいたけど、表情がなくてもね、動きで、仕草で、楽しんでいることが十分に伝わってくる。通りすがりに「ハロー」と声をかけてくる。なにも言わず手を握ってくる。



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Tシャツに大量のポップコーンを仕込んでおります



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アフガンの子もアンゴラの子も仲良し。そこに国境はない



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平和の象徴のような、天使のような子


ドイツにきてよかったよ。

ただね、いままでの東南アジアに比べて物価が鬼のように高いわけで、すごい勢いでお金が減っています。子ども支援と同時に、誰か、田中支援してくれませんか?

いつか必ずなにかを……お返しできないかもしれませんので、あなたの犬になってさしあげます。わんわんっ!!

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はじまり

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フィリピンの5日間が終わって、ただいまマニラ空港で待機中。

フィリピンに関しては旅という意識がなく、第3の故郷に里帰りしている感覚なので、「旅」という意味においては、ここからが始まりということになる。


今回のフィリピンでは、プルメリアという、セブ時代にお世話になっていたNPOを通じて、セカンドチャンスという名の孤児院へ行ってきた。個人的には、セブ時代にも通っていたからいつも通り楽しく遊んだだけなのだけど、あらためて、思うところがあった。


孤児院に行くなんて偉いね、と言われることがあるけれど、こっちは都合がいいときにフラっと行って、なにも考えずに遊んでいるだけ。今回だって、そのNPOの方が事前にしっかり話を通してくれたからこそ好意的に受け入れてくれたわけで、こちらはその、NPOが長い年月をかけて築き上げてきたところに乗っからせて頂いただけ。そうでなければ信用もなにもない僕たちなんて、門前払いをされてもなんらおかしくないのだ。


支援しています! とか、こんな社会貢献をしています! と、一時的におこなって、それを世の中にアピールというか、発表することも、結果的に考えればいいことだとは思うけれど、日が当たらなくても、誰にも褒められなくても、ずっと続けていく。そういう人でありたいと、そういう人になりたいと、自分、世間の評価なんて気にしていませんからと、そういう人に魅力を感じるわけですよ。ボクは。


世界にはきっと、素晴らしい人が、溢れるほどいるんでしょう。この旅で、そんな人にひとりでも多く出会えればいいなと、そんな思いを胸に旅をしてきます。


こんなもっともなことを書きながら、飲み過ぎて吐きましたとか、そんな更新ばかりすると思うけれど、そこはまあ、広い心で見逃してやってください。

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