June 27, 2010

坂口安吾が呼んでいる!?芸術論はいかが?

テーマ:美術のこと

京都の美術教室

先日行った「風博士と行くエイデン号」
「風博士」とは坂口安吾の小説からとったそうな
知らなかった
だから読んでみようかと思い、家を探してみると、「風博士」は無いけど坂口安吾がいた
「堕落論」
これじゃないんだけれど、、、、読んでみるかと開けると、、、、、、、、、
「堕落論」ちゃうし、中身は「芸術論」やんか、びっくりしたわ

ずーっと考えている「美」について
「堕落論」の中に「美」についてが満載だった

すると先日テレビで坂口安吾をモデルとした演劇「無頼派の女房」が放送

坂口安吾が呼んでいるとしか思えん

(安吾からは「呼んでへん」と言われそうだけど)
こういうのは心理学では共時性というそうだ
意味のある偶然の一致

とにかく「堕落論」を半分読み進め、図書館で「風博士」「白痴」をかりて読んだ
どれもおもしろかった

中で安吾は「嘘をつけ、嘘をつけ、嘘をつけ」と私たちに問いかける
芸術を志すものは、どろどろの闇を観ろ!自分の目を通して世の中を観ろ!
ただし観えすぎる目は評論家だから、観えすぎてはいけない
そして「芸術」という言葉さえ捨ててしまえと言い放つ

「芸術」という言葉を捨ててしまえばいい
是からの時代はそうでなくては成らないと思う

ある人が私に「鑑賞される宿命の芸術」ということばを放った
話の流れがあっての事なので是だけを取り上げるのはどうかとおもうが、ひっかかって仕方が無い
現在の「芸術」が駄目になった理由は「鑑賞される宿命」だったからだ
これからは味わって、楽しんでもらわなけれなならない
でも、こんなことはとうに行われているが、浸透していないのも事実
「芸術」という言葉の性で、観る人創る人の間に溝が深まるならばそんな言葉捨ててしまえば良い

作家の頭の中なんてわかるはずは無いのだけれど、「鑑賞される」だけでは作家も何もないだろう
「芸術」本来の意味は、作家が何を伝えているのかである
伝えたい事が伝わらない「芸術」はいらないかもしれない

さすれば「表現」を!
「表現」さえも鑑賞の対象なのでしょうか
そうだったとしたら、大人は何をしているのか

キットを与えるだけの表現作品が多すぎて、考える事さえしなくなるということは表現していない事と同じである
キットを与えるだけの、自分の利益だけを考えている美術工芸教室がどれだけ多い事か

哀しすぎる現在の「芸術」事情である



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