ジャッキー・ブラウン | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

「イングロリアス・バスターズ」があまりに素晴らしかったので、それ以前のタランティーノの最高作「ジャッキー・ブラウン」を再見した。

「ユリイカ」のタランティーノ特集でも何でもそうなのだが、これはパム・グリアやブラックスプロイテーションのどうたらこうたらという映画ということになっていて、石田美紀という人などはタランティーノが「強くて美しい、聡明なこの黒人女優に「なろう」としている」とまで書くのだが、いや、どう考えても、これはパム・グリアってより、彼女を見つめるロバート・フォスターの映画だろうが。
彼女を「little bit」恐れながらも見つめ続ける、中年で髪の薄い(かつらの)B級男優の恋物語ではないのか。

ファーストショットのパム・グリアの横移動はもちろんいい。ミラマックスの社名ロゴからいきなり「110番街交差点」が流れるのもかっこいい。ちなみに、この横移動だが、imdbで「卒業」のファーストショットと同じとの指摘がありなるほどと思ったのだが、タランティーノとしてはどうなんだろうね。

それはともかく、やはりパム・グリアが最も素晴らしいのは、拘置所から出てくるロングショットと"Didn't I Blow Your Mind This Time"のレコードをかけて煙草をくゆらすフルショットに間違いはない。
そしてこの2つのショットは共に、ロバート・フォスターの主観ショットとしてある。つまり、ええ女やなぁ~という彼の純情が滲み出てるショットなわけだ。

さらに現金受け渡しのシーンで試着室から出てくるパム・グリアを捉えた長い1ショットも素晴らしいのだが、これと対を成すように、試着室から駐車場に出るロバート・フォスターもまた1ショットで捉えられる。

この一連のショットで、フォスターがふと大丈夫かな、尾けられていないかと後ろを振り返る。ショッピングモールの入り口から二人の女性が出てくるロングショットが一瞬、インサートされる。このロングショットの空気感、挿入ぶりが実に映画なのだが、それはいいとして。

パム・グリアのショットは警察を騙すために芝居をうつという、つまり二重に演技をしているわけで(この二重性をキーワードにした馬鹿げた評論を読んだことがある)どうしたってここでのパムグリアの素晴らしさはシナリオやカメラ、お話の素晴らしさでしかない。
一方、フォスターはまんま自然体、いかにも芝居を楽しんでいる風の余裕綽々で、これはどう考えてもロバート・フォスターに軍配が上がる。

というわけで、メジャーの晴舞台にのぼったロバート・フォスター、その錦を飾る映画なのだ、これは絶対にぃ。
彼のラストショット(「110番街交差点」の流れる中のパム・グリアのアップショットの前のショットな)が泣ける。去っていくジャッキー・ブラウンを見送り、再び仕事にもどるフォスター、そのアップから後ろ姿をアウトフォーカスで追い続けるのだ。アウトフォーカスってのがタランティーノのセンス抜群なとこで、これはタランティーノの泣きのショット、涙で画面がにじんだショットなのだと解釈するがどうか。

かくして彼は(多分)最初で最後のアカデミー助演男優賞にノミネートされたわけだが、当然、賞は逃す。その時のロバート・フォスターの苦笑い、傍らに座る妻に向かっての苦笑いを思い出し、涙した。漢な役者である。