旅するとんぼ玉~骨董屋の娘・・もとい女房の言いたい放題。

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東日本大震災後まもなく、愛媛新聞にこの記事が載った。
$旅するとんぼ玉~骨董屋の娘・・もとい女房の言いたい放題。


この記事に出てくる京都大助手の海老沢徹氏は、今注目されている熊取6人組の一人。

伊方原発訴訟・・・それは、1973年、原発周辺住民が、原子炉設置許可の取り消しを求めて起こした日本で最初の原発裁判である。

1978年4月、松山地裁で棄却判決。住民側は高松高裁に控訴。
 同 6月、住民が2号機の設置取り消しを求めて提訴。これは弁護士をつけない本人訴訟であった。
1984年12月、1号機裁判に高松高裁、棄却判決。住民側は最高裁に上告。
1992年10月、1号機裁判に最高裁、棄却判決。
2000年12月、2号機訴訟に松山地裁、棄却判決。住民側、控訴せず・・・

23年という長きにわたった住民達の闘いは、被告である国側も司法も住民側の訴えに耳を貸すことなく終わった。
「行政・議会・司法、そして警察、さらに学者までが一体となった原子力の推進は苛烈であり、
住民の力はあまりにも弱い。
刀折れ矢尽きるように、いや住民は初めから刀も矢も持たず、ある時は警察に弾圧され、
ある時はだまされ、ある時は資財を擲ったあげくに倒れていった。
残ったものも自分の命を削るように抵抗を続けてきたが、闘いの当初若者であった人々もいまや老年にさしかかっていた。。」(斉間満著「原発の来た町 伊方原発の30年」内、小出裕章氏の文章より)
小出裕章氏もまた、熊取6人組の一人だ。

上記の記事を繰り返すが、
国を相手に住民が起こしたこの裁判の焦点は、原発と地震・・「原子炉設置許可の国の安全審査は違法である」と強く訴えたものだった。

この裁判で問われたことが、まさに福島で起こってしまった。。ということに、私は衝撃を受けた。
それで、東日本大震災以降、仕事や家事の合間にずっと伊方原発の30年を振り返ってきた。

住民達は、訴え続けてきたのですよ。ずっと。

いま、福島の人々に対する差別が問題となっている。
なかには、「あの人たちは、原発があるからって優遇されてたんだから・・」
「たくさんお金が落ちてんでしょ・・」などと、言う人もいて、私には本当に驚きだった。

なぜなら、伊方原発訴訟や反原発運動を知っていたから。
落ちたお金で道路はできたかもしれない。立派な施設はできたかもしれない。
しかし住民はどうか・・?
その人生を原発反対に捧げ、闘い、倒れていった人がたくさんいるのだ。
この事実を、知ってほしいと思う。

伊方に限らず、福島もそう。浜岡もそう。
原発の歴史は、地元住民の闘いと苦悩の歴史でもある。

斉間満氏が「原発の来た町」の中でこのように書き記している。
「伊方一号炉訴訟弁護団の藤田一良団長が、その準備書面の中で”サタンの火”と称した原発は、その指摘どおり、莫大な金と巨大な権力、そして現代の魔術というべき科学技術を駆使して住民の生活と心をボロボロに踏みにじり、立ち上がれないほどに傷つけ、その後に進入してきた。」

放射能差別には、「放射能がうつる・・」といったこと以外の差別感情もあるように思える。

このような差別は、絶対にあってはならない。
原発は住民が望んだことでは決してない!

なぜ、サタンの火が日本中を席巻したのか。。
それを冷静に見極めなければならない。


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