名本二六雄 先生
「 愛媛の『馬具』について 東アジアの視点から 」
楽しい語り口で、1時間半あっという間。(^-^)
そもそも先生が、考古学に興味をもたれたのは、50数年前、小学校の遠足で神社に行き、
そこの古墳に入って、金環等の遺物を見たのがきっかけだったそうです。
先生が小さかった頃は、近所の古墳などにも子供達が自由に出入りしていたんだそうですよ。
そこで、いろんなものを見つけて持って帰ったんだって・・
で、やっぱりその頃は、金のものやらが出てくると、
とにかく、「これはすごい」ということで、大事にしたけれど、
たくさん出てくる鉄くずのようなものには見向きもしなかったって。。
これが、後になって考えてみると『馬具』だったのでは・・とおっしゃってました。
馬具は、地味であまりおもしろくないようだけれど、
じつは、いろんなことを語ってくれます。
日本には、古くから馬がいて、
縄文時代の遺跡から歯やら骨やら出てきます。
どうやら食用にしていたようですね。。
馬に人が乗るようになったのは古墳時代から。
権力者達が馬にまたがって、闊歩していたんですな。
馬には、杏葉(きょうよう)などの美しい飾りがつけられ、
馬鐸(ばたく)という馬の首に付けた鈴が鳴ったり、
薄い金でできた花のような飾りをたくさん付け、これがぶつかり合って「さやさや」と鳴ったりすると、
下々の者がひれ伏したんだそうです。。
出土する馬具を見ると、中国・朝鮮のものと共通点が多く、
交易で入ってきたものだろうということが分かります。
さらに、その形式を見ると、どこのものだか大体分かるのだそうです。
そこから、国同士の関係だとか物の流れだとか、いろんなものが見えてきます。

これら馬具が、愛媛県からはたくさん出るんだそうです。
調査した古墳から馬具が出た割合をはじき出すと、
それは、日本でもトップレベルの多さなんだそうですよ。( ゚ ▽ ゚ ;)
なぜこのようにたくさんの馬具が出るのか。。
それは、おそらく天智天皇の時代に白村江の戦いがありますが、
朝鮮半島へ出兵する際の大本営が、道後平野にあったのではないかとの説が出されました。
額田王が、詠んだ歌に
熟田津(にきたつ)に 船(ふな)乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
というのがあります。
これは、まさに道後の近くの港において詠まれたものであるといわれています。
考古館からの帰り道、
山を登って、振り返るとちょうど道後平野と海が見渡せます。
その昔、この辺りは、柔らかな草に覆われ、
ぽつぽつと集落があり、
向こうの海には、今にも朝鮮に向かって漕ぎ出そうとしている
軍船がずらりと並んでいたのだろうか。。と妄想すると、
目の前にその古(いにしえ)の光景が鮮やかに甦るようで、
なんだかロマンに浸りながら帰途に着いたのでした。。( ̄▽+ ̄*)
そして、慌てて開店!!
夫の留守に、店閉めて古代妄想していた私です。。ごめんちゃい。
(これも勉強の一環としてお許しあれ。)(´∀`)
余談:
日本の在来馬をご存知ですか?
暴れん坊将軍など、時代劇で出てくる馬は、サラブレットですが、
サラブレットが入ってきたのは明治以降なんですよ。。
それまでは、各地の在来馬。。
例えば、愛媛には野間馬という、日本最小の小さなお馬さんがいます。
このHPおもしろいから見てみて(o^-')b
↓
畜産ZOO鑑 人と馬の歴史
つまり、昔は、こんなかわいい馬や、どっしりしたずん胴の馬に将軍様はまたがっていたんでしょうね~
そう考えると、なんだか楽しいじゃありませんか。。
在来馬の種を絶やさないためにも、
環境のためにも、そして私たち自身のためにも
みんな、車をやめて、おとなしくて働き者の在来馬に乗ることをお勧めしたい!!
と思っておりますが、どうでしょう。。ふふ


