再び「ある考古学教室の午後 その2」 | 旅するとんぼ玉~まあちゃんの備忘録。

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年末に受けた愛媛大学の考古学講座。
      過去のブログ→ある考古学教室の午後 その1
年末のバタバタやら、年明けの海外出張やら確定申告やらですっかり報告が遅くなってしまいました。。

第2回 「青い小玉と緑の管玉-身を装う」 吉田広先生

 実は、これが一番興味があったのですが、抜けられない仕事があり、最後の1時間ほどしか参加できなかった・・残念。。
 用意された資料を見ると、日本最古の装身具旧石器時代にまで遡り、
縄文時代の人骨の写真の歯がきれいにギザギザと削られていたり、抜歯してたり、それと刺青。。これらが、日本の最古の直接身体に施した装身なのだそうな。。。
そして身に着けた物では、貝製の玉類や腕輪、石製の耳飾や、骨角製のピンや腰飾りなどがあるんだそうです。

縄文時代の装身具春成秀爾1997「古代の装い」歴史発掘④より

それが、弥生時代に入ると南海産巻貝の腕輪や金属製、ガラス製の装飾品といった、外来の装身具にがらりと交替するんです。

弥生時代のガラス玉岩永省三1997「弥生時代の装身具」日本の美術第370号より

交易が盛んに行われたんでしょうね。。

そんな中で、おもしろかったのは、
弥生時代の玉類は、外から入ってきたものだと思っていたのですが、文京遺跡にガラス生産の名残と見られるガラスの滓(かす)などが出てきているんですよ。
作っていたんですね。。ちっちゃい玉も。。
ただ、再生ガラスがほとんどだったのでは・・というお話でした。

あと、石の管玉なんかは、うまく穴を開けたもんですね。
店で、電動ルーターなんかを使ってトルコ石の穴の小さいのを大きくしようとしたりするんだけど、
なかなかうまくいきませんよ。。
昔の人は根気があったんでしょうね。じっくりじっくり手動で開けていったんです。

パンダモにある、古いアマゾナイトやメノウの玉なんかもそうなんですが、
両面穿孔片面穿孔があって、
両面穿孔のものは、穴の真ん中が狭くなります。
そして、時に両方から掘ってきたトンネルがうまく合ってなくて互い違いになってるものなんかもあります。
片面穿孔のものは穴の片側が大きく反対側が小さくなっています。
石の玉の場合は、穴の開け方を見ると古いか新しいか見分けが付きやすいのです。
これは、うちのお客さんは皆さんご存知ですよね。(o^-')b

それと、「アマゾナイト」というと、古い玉を扱っているとよく出てくる名前です。
特に海外で聞くので、最初は「アマゾネッ」とか「アマゾニッ」とか、なんのこっちゃと思っていたのですが、
日本名では天河石-Amazonite-。
ただ、現代ではあまりなじみのない天然石で、
「これはアマゾナイトという石で。。」と言いながらも、実は私自身なんとなくおぼろげな理解でしかなかったのですが、

「弥生・古墳時代の玉」の表を見るに、この時代、主に装飾品に使われていた素材は、
翡翠・凝灰岩・滑石・碧玉・瑪瑙・水晶・鉄石英・琥珀・埋木・
そして ”天河石”


ここで、この名前を聞いて、正直「やっぱり。」というか「ほっとした。」というか、納得。。

アマゾナイト西アフリカで出た古いアマゾナイト

             ・・・・・・長くなってきたので、次回につづきます。 (・∀・)/