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2010-07-02 00:47:11

日本代表総括

テーマ:ブログ
2夜明けて
ようやく少し心が落ちつきました。

イタリア、フランス、イングランド…

何も出来ずに去って行った彼らに比べ、
日本は本当に出し切りました。

ここ10年で確実に最弱のチームが、最高の結果を出しました。


PKはしょうがない…

駒野は外しそうだったけど、順番的に…
でもPKはやはりしょうがない。


次回に期待したいところだが、
次回また勝てる保障はどこにもない…




カメルーン戦の本田の一発…
思い起こすこと2002年のベルギー戦の鈴木の渾身のゴール…


あの一発が日本の流れを変えた…
あの一発がなかったら、日本の歴史は違ったものになっていただろう。


逆に史上最強のジーコジャパンが、
オーストラリア戦の終了6分前の3発で沈んだ…

98年の岡田ジャパンも

アルゼンチンのバティストゥータ
クロアチアのシュケルの2大ストライカーに沈められ、
それは善戦ともとることが出来るが
すでにジャマイカに勝つ気力もなく、
3戦全敗と言う記録だけが残った…


一瞬のゴールで歴史は動く。



そしてやはり、



サッカーは舞台


一度動いてしまえば、後は流れに身を任せるしかない。


イングランド戦の世紀の大誤審も

あのシーンに戻ってやり直すことはできない…

例え誤審でも、
そこから前に進むしかないのである。

進むことによって、流れを変えることは出来るかもしれないが、
流れに逆らうことは出来ない。


サッカーは舞台であり、
人生でもある…



だから今回、

勝てる勢いの時に勝って欲しかったという悔いも残る…

また振り出しからスタートするのは本当につらいし、
次、どういう流れがくるのかは誰にもわからない…



もちろん次回こそ更にこの上を行ってもらいたい。


次回、


俺、45…


いや!

例え45になろうと49になろうと、


例え90になろうと、










俺は日本代表を応援し続ける。
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2010-06-29 20:11:06

世紀の大誤審

テーマ:ブログ

四年に一度のワールドカップ、忙しい日々を送っています。

さて先日の決勝トーナメント一回戦、屈指の好カード、イングランド対ドイツ戦、

ご存じのとおり、世紀の大誤審が起きました。

事のおこりは前半、2-1でドイツがリード、1点を追うイングランドはランパードがシュート、ボールはゴールポストの上に当たり跳ね落ちたボールはそのままゴールに中に…

喜ぶイングランドの選手達、しかし主審の判定は「ノーゴール」

確かに一瞬の出来事、微妙なゴールだった。

主審、そしてラインズマンの位置からは微妙に見づらく、ワンバウンドしてゴールに入ったボールはツーバウンド目には確かにゴールの外に出ていた。

しかしリプレイ映像を観た世界中の人々は衝撃の事実を目の当たりにする。


「ボールは誰の目にも明らかに、ゴールに入っていたのである…」


「これは後世に語り継がれる世紀の大誤審になるぞ…」

全世界のサッカーファンが瞬時にそう思ったに違いない…

無論、イングランドが勝てばさして問題にはならないかもしれない、

しかし結果は勢いづいたドイツが4-1でイングランドを撃破する。


もう収拾はつかない。

 

しかしこれには前史があった。

遡ること44年前、ワールドカップ1966年イングランド大会決勝戦

イングランドとドイツが2-2のまま延長戦へ、そしてこの時「疑惑のゴール」が生まれた。

イングランドのシュートがまさに今回と同じくクロスバーのあたり、ボールはそのまま真下に落下。判定はイングランドのゴール。

イングランドは更に1点を追加し、4-2で地元優勝を果たすのである。

しかし、当時の映像を観る限りでは、落下したのはクロスバーの真下、つまりどうやら

「入っていない…」のである。


ドイツの老人達とサッカーの話をすると、今だにあのゴールのことを

「あれは入ってなかった…」と熱く語りだす人が多いと聞く。

歴史は巡り巡る…

今度はイングランドが「入った」筈のゴールが「ノーゴール」とされドイツに敗れるのである。



そして民放で解説していた「さんま」がこの大誤審を振り返ってこうコメントしました。


「サッカーにビデオ判定だけは絶対に入れないで欲しい…」


サッカーと人生にはミスジャッジが付き物、だからおもしろい。

「あれは入ってた」とか「入ってなかった」とか、ああだこうだと何年も言い続ける

それが楽しい。

サッカーをわかっている人の発言である。



サッカーはヨーロッパで生まれたスポーツ、そこにはアメリカには無いヨーロッパとしての長い歴史観、伝統、文化、精神性が根底に流れています。

人はミスする。

選手も監督も審判もみんなミスする。それを全部ひっくるめてサッカーなんだという哲学がそこには存在します。


今、手元に、スポーツライターの玉木正之氏が書いた新書

「スポーツとは何か」 1999年 講談社現代新書があります。


ここにサッカー、ラグビーを始めイングランド発祥のスポーツと

アメリカ発祥のスポーツとの考察が記されています。

アメリカ発祥のスポーツと言うと、ベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケー、バレーボールが五大スポーツといわれてますが、

アメリカのスポーツの特長としてまず、

選手交代が可能

複数の審判

情報の公開

が、挙げられます。

最近でこそサッカーでも選手交代は3人まで認められ、

審判も副審が主審に助言を行うようになったり、

ロスタイムの時間が表示されるようになった。

これはあきらかにアメリカ的デモクラシーの影響であり、アメリカンスポーツのルールのほうが、公正であり、合理的であり、民主的であり、世界的な普遍性を獲得しやすいといえるからである。

試合の残り時間など、アメフトやバスケットのように電光掲示板により観客にもわかるように情報公開されているが、サッカーの場合は基本は主審の腕時計の中にすべてがある。

そしてすべての権限は最終的には主審の手中にある。

それは絶対王政の歴史を持つヨーロッパと、建国以来、王様を持たないアメリカとのメンタルの違いとも取れるが、

少々の判定ミスや数分の試合時間の長短など、長い歴史の中では些細なことであるというヨーロッパ的な思想を、ここで読み取ることもできる。

またもう一つの違いに、アメリカのスポーツは総じて

間が多い

ということもあげられる。アメフトやホッケーなども一回一回プレイが止まり、その度に電光掲示板の時計も止まる。

野球に関して言えば3時間の試合中、ボールがインプレイにあるのは25分少々で、残りの2時間半はボールデッドの状態(プレイを休んだ状態)にある。

私見ではあるがこれを演劇に例えると、サッカーは暗転の無い芝居

アメリカンスポーツは暗転だらけの芝居ということが言えよう。

サッカーのほうがより「演劇的」であるといえる。

このようにアメリカのスポーツが全体的に間を楽しむスポーツということができるが、間が多いということは商業的なアドバンテージを持つとも言える。

つまり「間」があると「コマーシャル」を入れやすいのである。

かつてJリーグが発足したころは試合中にタイミングを観て強引にコマーシャルを入れる試みもあったが、結局うまく機能せず、Jリーグのナイター中継もテレビからほとんど姿を消した。

何度も言うがサッカーは演劇と一緒である。演劇の途中にコマーシャルを入れてしまえばそれはもはや演劇ではない。

他にもアメリカンスポーツの特徴として

チアガールの存在

なども挙げられているが、長くなるのでここでは触れない。

話がそれた、元に戻そう…

我が日本選手にとっての誤審と言えばまず頭に浮かぶのは、シドニーオリンピック、柔道男子無差別級決勝の篠原選手の誤審でしょう。

このときも篠原選手が「一本」を取り、金メダルかと思いきやニュージーランド人の主審の判定は逆に相手のフランス選手への「技あり」。

試合後、山下団長率いる日本選手団が猛烈な抗議をするも判定は覆らず、篠原選手は屈辱の銀メダルに終わる。

この時、ビデオ判定を取り入れるべきという議論が最高潮に達したのを思い出す。

確かにそのほうが公正であり、サッカーのように主審に全権力を与えるというのに比べればより民主的で現代的であるとも言える。ミスも減るだろう。

しかし、どんなにビデオ判定の技術が進歩しようとも、それに人間か関わる以上、ミスは無くならない。

人間はミスをする動物である。ミスをする動物である以上、ミスは「絶対悪」ではない。

今回の大誤審、実は続きがあります。

続くアルゼンチン対メキシコ戦でも、オフサイドを巡るジャッジで、明らかに「ノーゴール」であったものがアルゼンチンのゴールとみなされ、

結果メキシコは敗退するのである。

つまりあってはならない「大誤審」が一日に2回も立て続けに起きたのである。

これはイングランドやメキシコ、当事者にとってはたまらない問題である。

今後相当物議を交わすことになると思われるが

今のところFIFAは、ビデオ判定の導入や、ボールに電子チップを埋め込むというような電子判定システムは導入しないことを発表している。

最近テレビなどで、

GPS機能搭載のタクシーとか、

厨房に監視カメラを付けられ、マニュアル通りに調理しているか常に本部から監視されている回転すし屋など、

なかば好意的に紹介されることがあるが

まったくもって愚かとしか言いようが無い。

もしヨーロッパでこんな企業があったら非難の嵐になることでしょう。

人としてどこからがやってはいけないかと言う線引きできていない企業は幼稚な企業とみられても仕方が無い。

サッカーには長年ヨーロッパの人たちが培ってきた文化や生き方、英知などが詰まっている。

ミスは悪ではない。発想さえ変えればそれを楽しむことも出来る。

またどんなにテクノロジーが発展しようと、侵してはならないアナログな部分が存在する。



僕は

そんなことを体現しているヨーロッパ人の生き方が好きだし、

そんなサッカーが好きである。

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2010-05-03 14:14:58

「朝イチでメールは読むな!」

テーマ:書評

おそらく今まで300冊から500冊位は新書を読んでいるが、

唯一「朝日新書」だけは何故か興味をそそられる本がなく、一冊も読んだ事がなかったんですよ。


そんな中初めての朝日新書


「朝イチでメールは読むな!」


酒巻 久 著



キャノン電子社長が書いた本で、書店に山積みされていて評判の本のようですが、



なんか結局処世術のような内容で、「サラリーマンとして」の「成功術」を越えたのものが得られない感じでした。


言っていることは至極真っ当です。一切反論はないし、その通りだと思います。


著者のサラリーマンとしての人生から出た言葉は説得力はありますが、


「ひたすらサラリーマンとして生きてきた人なんだなあ… 」と言う感じがひしひしと伝わってきます。


サラリーマンなら一読の価値は大いにあると思いますが、

いわゆるアーティスト、アスリートのような人間が読んでも、もう一つ響くものがないのは、


芸術家、アスリートと、サラリーマンはやはり違った生き物なんでしょうか?


前回読んだ

「マラソンは毎日走っても完走できない」は、ひたすらマラソンのトレーニング方法の本でしたが、

それでも僕みたいな芸術畑の人間が読んでも楽しめたのはやはり根底に相通ずる何かがあるからなのでしょう。


「朝イチでメールは読むな!」は楽しく読めたけど、通ずるものは少ない。


しかもそれは前々回読んだ「だから演劇は面白い!」の北村明子さんのようなスパッとした爽快感もない。


北村明子さんも演劇プロデューサーであり、シスカンパニーの社長でもあるわけだから、

同じ「社長」が書いた本ではあるものの、やはり同じ社長でも何かが決定的に違う。

男性、女性の違い以上の何かが違う気がする。


良くも悪くも「昭和のサラリーマン」として成功をしてきた人の本だと思います。

結局煎じ詰めて言えば


長いものには巻かれろ…

我慢することが大事…

でもその我慢している間も色々なことに興味を持っていたものが最終的には勝つ…


みたいな論調で、まったく異論なく、ぶれてもいないが、すごく当たり前で目新しさというものは特にない。


で、どちらかと言うと組織論と言うか


「団体論」なんですね。


いかにして団体の中で生きていくか、いかにその組織が効率よく機能するか

というところがやはり芸術家とかアスリートのような孤高の人達とは違った視点なんでしょうね。


あくまでも昭和型サラリーマンとして成功した人の本だと思います。


初めて触手が動かされた朝日新書、

BOOK OFFで350円で購入しましたが、


またBOOK OFFに戻ることになりそうです。


でも最後に一応弁明だけさせていただくと、


酒井 久さんと北村 明子さん、


実際にお会いして親しみやすいのは酒井さんだと思います。



なんだか知らないけどそう思います。

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