明日は早いもので初月忌です。
その前に姉から依頼されたこのblogを完成させなければ。。。
お読みいただく方によっては辛い場面かもしれません。
なので申し訳ございませんが、その場合はこの先を読み進めるのを
お辞め頂きたく存じます。
ご理解賜りますようお願い申し上げます。
6/22
お腹が痛いとの事で、フェントスを1mg増やして頂く。
本人の希望により腹水穿刺をして頂く。
姉はお腹の痛みが腹水による圧迫だと思っていたようだ。
実際は胃と腸を繋いでいる部分に腫瘍が転移し増大していたための痛みだったが
姉には説明していませんでした。
在宅医の先生が帰る際、母に「あと1~2週間位」と告げる。
私は前日姉に会いに行くことが出来なかった為、この日は会社を定時ぴったりに
退社し、帰宅後たまたま家族全員が揃っていたので皆で実家へ。
姉の足と手を姉が大好きなロクシタンのクリームで娘がマッサージ。
手と足は氷の様に冷たいのに上半身と頭がものすごく熱く、
熱を測ったら40℃あったので、主人が冷えピタを買いに行ってくれました。
おでこと首に冷えピタを貼っていたら、ちょうど看護師さんが到着したので
状態を伝え、座薬を入れて頂きました。その際姉に横を向いて貰うため
看護師さんが「まささん、大丈夫?体動かさせて頂きますね」と声をかけると
振り絞るような声で「大丈夫」と答える。
その後いつも通り睡眠薬を入れる準備をしている時にいつものように私が
「お姉ちゃん大丈夫だよ。明日もちゃんと目が覚めるからね」と声をかける。
その時何故か今まで照れくさくて言えなかったのに、言わなくっちゃ!と思い
「お姉ちゃん、大好きだよ」と言ったら「分かってる」と返事をしてくれ、
そのまま眠りにつきました。
これが姉と私の最期の会話になり、最後に発声した言葉となってしまいました。
6/23
朝6時頃、姉が吐きたそうな仕草をしたのを母が気づき、
母が「お姉ちゃん、吐きたい?」と聞くとうなづく。
背中をさするが吐けず、まだ昨夜同様熱があり熱そうだったので
母が冷えピタを貼り替え、背中と手をさすっている途中で
気付くと白目をむき呼吸が止まっていたそうです。
母によると、6:15頃だったそうです。
6:23頃父から電話があり「まさがちょっと・・・。今日会社休めないか?
今すぐ来られないか?」と。
危篤状態だと思い慌てて実家へ。私が実家へ到着したのが6:40頃。
姉はもう旅立ってしまっていました。
以上が姉の終末期から旅立ちまでです。
48歳4か月の人生そして2年4か月の闘病生活でした。
膵臓癌が憎いです。姉の命を、人生を、笑顔を奪ったこの病が憎くて
仕方ありません。
一日も早く膵臓癌の治療方法が確立し一人でも多くの笑顔を守れるよう
願わずにはいられません。
現在闘病中の皆様、そして支えている方々の笑顔がずっとずっと続きますように。
皆様、今まで姉がお世話になりました。ありがとうございました。
姉に代わりお礼を申し上げさせていただきます。
皆様の今後のご健勝を心よりお祈り申し上げ、このblogを完了させて頂きます。