フィリピンvsメキシコ
ビッグマッチが近付いてきましたね。今週末のパッキャオvsバレラ。
Pacmanとメキシカンの対決は、本当に切符が売れます。写真はモラレスとの第2戦の模様で、トーマス&マックセンターに14618人を集めました。超満員に加え、あちらこちらにフィリピンとメキシコの国旗が揺れて、凄い熱狂でしたね。国歌を歌った2人の歌手も素晴らしかったです。
モラレスとの第3戦は18276人の観客が入っています。これはベガスで行われた世界戦歴代2位の記録だそうです(1位はチャベスvsカマチョ)。
つまり、タイソンvsホリフィールド、ホリフィールドvsルイスII、デラホーヤvsウィティカー、デラホーヤvsクォーティーらを凌いでいるんですね。
両者共、最高のコンディションに仕上げたことでしょう。激闘を期待します。
持病
先日、持病の腎臓結石で倒れた。これで3回目。もう38歳のオッサンだし、無理ができなくなっているのかもな~と鬱になる。
結石と共に、色んな思いでもあるのだが、まず思い浮かぶのは1997年3月だ。
最初に腎臓結石で倒れたのは、『伝説のトレーナー』故エディ・ファッチをインタビューする為にラスベガスに滞在していた時だった。滞在2日目の朝、文字通り七転八倒した。
病院に向かうまでの間、「死んでしまうのかな?」と感じる程の激痛だった・・・。
自分にとって、ファッチさんは英語で最初にインタビューした人物。今振り返ると、よくあんな英語で伝説のお方に話し掛けたなーと思う。
↓は、彼が亡くなってしばらくしてから書いた物です。御一読頂ければ幸いです。
http://www.byakuya-shobo.co.jp/boxing/reytime_hayashi/reytime15_EddieFutch.html
遅すぎた実現
ロイ・ジョーンズ・ジュニアとTITOトリニダードですが、2008年初頭に、本当に闘うようです。
TITOが快進撃を続けていた2001年夏、プエルトリコまで取材に飛びましたが「ホプキンスを下したら、マジでロイ・ジョーンズとやる!」と話していました。で、お父上が「あまりダメージを得ないうちに引退させる」と語っていたんです。
ジョーンズは、ヘビー級タイトル奪取という偉業を達成したのに、落ちてしまいましたよね(※僕と同じ歳です)。彼には99年にインタビューした事があります。
「どうせ勝つの分かってるからさ、モチベーションが続かないんだよ。1試合だけヘビー級に上げてホリフィールドとやりたい。勝算は十分ある」と言っていました。
両者がバリバリの頃に、実現して欲しかったカードですねぇ。どんな結末になるのやら・・・。
インタビュー
フォアマンを最初にインタビューしたのは『PENTHOUSE-JAPAN』というエッチな雑誌の仕事ででした。この雑誌、今は無くなってしまったそうです。97年から98年末まで17回、<チャンピオンズ>という連載をやらせて頂きました。
連載が終わった際、「一冊の本にしましょう」と言っていただいたのですが、生意気にも僕は断りました。なぜなら、一度だけのインタビューじゃなく、もっともっと言葉を聞いてみたい、取材を重ねてみたいファイターと出会えたから。
17人のうち、4人に絞って取材を続けました。フォアマンはその一人です。
チャンピオンであるフォアマンよりも、ヒューストンで現在どう生きているかが、書きたくなってしまいましたね。
『マイノリティーの拳』(新潮社)、まだご覧になっていない方は、是非買って下さい☆