林壮一の『マイノリティーの拳』レポート -32ページ目

フィリピンvsメキシコ

フィリピン-メキシコ
 ビッグマッチが近付いてきましたね。今週末のパッキャオvsバレラ。

 Pacmanとメキシカンの対決は、本当に切符が売れます。写真はモラレスとの第2戦の模様で、トーマス&マックセンターに14618人を集めました。超満員に加え、あちらこちらにフィリピンとメキシコの国旗が揺れて、凄い熱狂でしたね。国歌を歌った2人の歌手も素晴らしかったです。
 モラレスとの第3戦は18276人の観客が入っています。これはベガスで行われた世界戦歴代2位の記録だそうです(1位はチャベスvsカマチョ)。

 つまり、タイソンvsホリフィールド、ホリフィールドvsルイスII、デラホーヤvsウィティカー、デラホーヤvsクォーティーらを凌いでいるんですね。

 両者共、最高のコンディションに仕上げたことでしょう。激闘を期待します。




12月8日

メイウェザーvsハットン2

 デラホーヤも「次の試合でハットンとやりたい」と語っているので、12月8日はプロモートしながら、力量を見定めるつもりかな。




メイウェザー vs ハットン

メイウェザーvsハットン

 12月8日に行われるフロイド・メイウェザー・ジュニアvsリッキー・ハットン戦のチケットは、早々と完売しました。ひょっとすると、デラホーヤvsメイウェザーより早かったかもしれません。
 でも、試合はきっとMayweatherの圧勝でしょうね。ハットンは、あのスピードについていけないだろうから。僕は5~7回でMayのKO勝ちと予想します。



持病

 先日、持病の腎臓結石で倒れた。これで3回目。もう38歳のオッサンだし、無理ができなくなっているのかもな~と鬱になる。

 結石と共に、色んな思いでもあるのだが、まず思い浮かぶのは1997年3月だ。

 最初に腎臓結石で倒れたのは、『伝説のトレーナー』故エディ・ファッチをインタビューする為にラスベガスに滞在していた時だった。滞在2日目の朝、文字通り七転八倒した。

 病院に向かうまでの間、「死んでしまうのかな?」と感じる程の激痛だった・・・。

 自分にとって、ファッチさんは英語で最初にインタビューした人物。今振り返ると、よくあんな英語で伝説のお方に話し掛けたなーと思う。

 ↓は、彼が亡くなってしばらくしてから書いた物です。御一読頂ければ幸いです。
http://www.byakuya-shobo.co.jp/boxing/reytime_hayashi/reytime15_EddieFutch.html




遅すぎた実現

ロイジョーンズ

 ロイ・ジョーンズ・ジュニアとTITOトリニダードですが、2008年初頭に、本当に闘うようです。

 TITOが快進撃を続けていた2001年夏、プエルトリコまで取材に飛びましたが「ホプキンスを下したら、マジでロイ・ジョーンズとやる!」と話していました。で、お父上が「あまりダメージを得ないうちに引退させる」と語っていたんです。

 ジョーンズは、ヘビー級タイトル奪取という偉業を達成したのに、落ちてしまいましたよね(※僕と同じ歳です)。彼には99年にインタビューした事があります。
 「どうせ勝つの分かってるからさ、モチベーションが続かないんだよ。1試合だけヘビー級に上げてホリフィールドとやりたい。勝算は十分ある」と言っていました。

 両者がバリバリの頃に、実現して欲しかったカードですねぇ。どんな結末になるのやら・・・。




延期

フェルナンドバルガス2

 本来ですと、9月8日にフェルナンド・バルガスvsリカルド・マヨルガ戦が行われる予定でしたがキャンセルになりました。11月23日に延期するとか・・・。
 理由は、血液検査の結果、バルガスが貧血と診断されたからです。
ドクターストップってやつですね。鉄分が不足しているそうです。

 それで11月って大丈夫なのかな? 「最後の試合」と公言していますから、無事にリングを降りてくれることを祈る思いです。
 TITOに挑むのが早過ぎましたね。残念ですが、あの1戦で壊れた気がします。




フォアマン-拳

 この写真は、フォアマンを4度目にインタビューした時の物です。当時彼は、リングに復帰するかどうか、揺れ動いていました。
 まだ、ファイターである自覚があったんでしょうね。こういうポーズもしてくれました。
 引退を決めた今は、カメラの前でファイティングポーズはしてくれなくなりました。



教会

教会

 日曜日、フォアマンはこの教会で午前10時からサービスします。僕はクリス
チャンではないし、特別な信仰も持っていませんが、彼の言葉を聞いていると、
マジで心が洗われます。

 試しに他の教会にも行ってみたんです。でも、特に感じるものはありませんで
した。
 
 フォアマンの言葉だから、心に染みこんでいくんでしょうね。



インタビュー

フォアマン
 フォアマンを最初にインタビューしたのは『PENTHOUSE-JAPAN』というエッチな雑誌の仕事ででした。この雑誌、今は無くなってしまったそうです。97年から98年末まで17回、<チャンピオンズ>という連載をやらせて頂きました。

 連載が終わった際、「一冊の本にしましょう」と言っていただいたのですが、生意気にも僕は断りました。なぜなら、一度だけのインタビューじゃなく、もっともっと言葉を聞いてみたい、取材を重ねてみたいファイターと出会えたから。

 17人のうち、4人に絞って取材を続けました。フォアマンはその一人です。

 チャンピオンであるフォアマンよりも、ヒューストンで現在どう生きているかが、書きたくなってしまいましたね。
 『マイノリティーの拳』(新潮社)、まだご覧になっていない方は、是非買って下さい☆



ユースセンター

ユースセンター
 これが、ジョージ・フォアマン・ユースセンターです。非行少年や崩壊家庭の子を集めて面倒をみる-----。
 いくら人生に成功して億万長者になった方だって、なかなか出来ることじゃないですよね。

 フォアマン曰く「昔の自分のような子供たちを正しい方向に導いてやるんだ」。

 単にボクサーとして強かっただけじゃない。男として、人間として、彼は本物なのです!!