なんで今、骨法が同タイミングでメディアで取り上げられるんだろう。
(※骨法って何?って人に説明はあえてしません!)
数週間前、TBSラジオ「たまむすび」で吉田豪が最近インタビューした相手の話をするコーナーにて骨法の堀辺正史氏の事を取り上げていた。
イヤホン越しに堀辺正史の名前が出た瞬間、本当に驚いた。
どうやら雑誌ブブカでインタビューをしたらしい。
っていうか買っちゃった。
すげえ。
いつの間にかAKBだらけになったんだこの本…。
そのインタビューは骨法自体の事にはほとんど触れておらず、あの頃のプロレス話がメインだった。
あと、ビートたけしの脛を蹴りまくった話とか(足砕きって言う蹴りだな)。すごかった。
あの頃と言うのは、堀辺正史氏が週刊プロレスに毎号出ていた頃。やがて格闘技通信にも出るようになりましたね。
で、今日ネット上で、烏合会の矢野卓見さんの、当時の話が盛りだくさんのインタビューを発見してしまった。
前編後編にわかれていて、後編を読むにはニコニコポイントだかを買わないといけないんだけど、迷わず買った。
308円。
おおおお、出てくる登場人物全員わかる。名前が伏せられている人もわかる。
そうなのです、俺は骨法を習っていました。
わかる人はわかると思いますが、なかなかの黒歴史です!
失礼な言い方ですが。
でもわかる人はわかる…。
失礼な言い方ですが。
でもわかる人はわかる…。
今まで、昔からの仲間にしか言っていなかった話。
それぐらい、言ってしまえば恥ずかしい話。
それぐらい、言ってしまえば恥ずかしい話。
まあでも、カポエィラの世界でそれなりに成功できているし、
なんか文句あるなら「じゃあお前はなんか今やり遂げてるのか?」と言えるぐらいに結果は出してるし、
叩かれるのには随分慣れたしむしろ楽しめるようになったので、
(ここ数年見てないけど2ちゃんとかのおかげです。匿名で叩いてくれたみんな、ありがとう。当時はだいたい誰か見当ついたけど)
金はないけど心には余裕があります。
なので色々言われるの覚悟でカミングアウトであります。よろしくお願いします。
あ、そうそう、俺は骨法の師範、堀辺正史氏の事を、創始師範と言う言い方でしか言えないのでこれからはそう書きます。
だってずっとそう呼ばされていたんだもん。
それに俺の中ではいつまでも創始師範なのです。
みんなはそれぞれ、俺の事をどう思っているかは知りませんが、っていうか最近は持ち上げてくれる人とかいますが、って言うか団体率いてるんだからそうあるべきなんだろうけど、まあ実態は別にそんな大した人間ではないです。
中学の時は忍者になりたいと思っていましたね。
ログインの忍者増田さんにも何故か憧れていたしって言うかログインかファミ通の編集者になりたかったし。
ログインの忍者増田さんにも何故か憧れていたしって言うかログインかファミ通の編集者になりたかったし。
まあ結局忍者みたいな事できるようになりましたけど。
SASUKEも3回出られたし。全カットされた事ないし。
SASUKEも3回出られたし。全カットされた事ないし。
忍者増田さんとはTwitterで繋がったし。
そして高校の時、本屋で立ち読みした創始師範の本を読んで、「忍者になりたかったようなボンクラ少年ファンタジー」が炸裂するような骨法に猛烈に憧れました。
そうです、ボンクラです。
当時の俺は身長172cmぐらいで、体重が48kgでした。
そうです、貧弱です。
カポエィラはじめてから身長が伸びて筋肉オンリーで体重が増えて、今では176cm体重63kgですけど。
いやあ、カポエィラって本当に素晴らしいですね。
みんなやりなよ。
ここにあるファンタジーは普通に叶うファンタジーだよ。
みんなやりなよ。
ここにあるファンタジーは普通に叶うファンタジーだよ。
で、まあそんなガリガリの高校1年生が、矢野さんのインタビューに書いてある通り2ヶ月に1回だけやってる入門テストに行って腕立てとかテストやらされてなんとか合格。そこからファンタジー内部の話の始まりです。
っていうか落ちる人っていたのか?
すげえたくさん人いたなあ。
ああ~、なんか書いてて昨日見たキック・アス(初代の方)とか、ナポレオン・ダイナマイトを思い出したよ。
決してキャプテン・アメリカの貧弱時代ではない。
俺はほんとにボンクラで貧弱だったので、こう言う映画の主人公の気持ちが良くわかる。
で、こう言う主人公がなんだかんだで目が冷めたり努力して成功するのも良くわかる。
俺がそうだから。
だから何気にすげえ感情移入してしまう。
映画版ののび太にも。
だから何気にすげえ感情移入してしまう。
映画版ののび太にも。
まあなので努力しない人の言い分がわからないんですけど。お前ら俺の昔を知ってるか?と。
それと同時に、矢野さんも自分の事を凡人と言っていて、天才じゃないからこそ教えるのが上手なんじゃないですかねとも言っていたけど、
俺もそんな感じなんだと思う。
できない人の気持ちが結構わかる。
もとから運動神経バツグンだったら今、先生としてはもっと結果出せていなかったと思う。
ほんと。
で、矢野さんのインタビュー通り、当時はずっとほとんど素振りだけでしたね。
すり足の稽古とか、マイカケだっけ?内側に足から螺旋を作る動作とか。
俺はずっと2階の人で、上に上がりたくても昇級審査で
「お前は体重増やさないとダメだ」
と毎回落とされていて、ほんとにソレ以外学べなかった。
「お前は体重増やさないとダメだ」
と毎回落とされていて、ほんとにソレ以外学べなかった。
ああ、足砕きだっけ。
脛あたりを蹴る奴はやったか。
それでも2年間ずっと週1ペースとは言え通っていたのは、骨法ファンタジーに酔っていたんですね。
今思えば、こう言う道場経営ってのもひとつの正解だなあと思います。
俺はやらないけど。
矢野さんのインタビュー見るとほんと色々わかる…。
ちなみに俺が入門テストに行った時に、彼と何かで関わった様な気がするけどそれぐらいしか記憶はない。
骨法やってて強烈に覚えている出来事は2つあって、2時間の練習の間の休憩の時、ある時期からおやつを食べるようになった事。
なんか突然みんな体デカくしろと言う方向になって、とにかく食え。チーズとバナナ食え。と言われて俺もそうしてた。
全く効果なかったし、今思えば本当にありえないと思う。誰が聞いてもありえないと思うだろうけど…。
でもみんなやってた。
指導者としてはなんて楽な環境だろう。
そうはなりたくないけど。
で、もう1つは、毎回練習の最後に総括とかなんかそんな感じで2階の人も3階に集まって創始師範のお話とかを聞くんだけど(俺はそれが好きだったなあ)、
ある日、その総括が終わって解散する時、俺は創始師範の前を横切ってしまった。
その場では何もなかったけど、総括終わって帰る前の2人組で背中とか腿とか踏み合うマッサージの時間(思えばあぶねえことを素人にやらせてたなあ)、先輩達に囲まれて
「創始師範の前を横切るとは何事だ!」
みたいに怒られて掌打で殴られた事。
まあそのシチュエーションがあまりにも体育会系すぎて、貧弱だけどそう言う世界に憧れていた俺は自然と嬉しくなって笑みがこぼれて、「何を笑っているんだ!」と結果もう1回殴られたけど。
あと、あまり痛くなかった。
実は優しい人だったのか?
大会も見に行ったしシングルCDも買ったし高校生なのにドリーム代(毎年、ドリームジャンボ宝くじをみんなで買うとか言うので強制参加させられた)も払ったし、
お年賀(なぜか年のはじめに払わされた)も払ったし、獣神サンダーライガーの素顔も見れたし(原チャリで来てた)、本も全部買ったし、高校生だけど1万ぐらい払わされて忘年会も行ったし(断りづらい雰囲気なのです)、
道着とクソ高いレガース(レガースだけ、ありえないぐらい高かった)も買ったしファウルカップも買ったけど、
とにかく体重が増えないので何も学ばせて貰えず、とりあえずいるだけの生徒みたいな感じで顔だけは知られて、深い仲になる友達もできず。
伊藤さんって言う早稲田大学の人とは同期で良く話したな。
彼が3階に上がった時、羨望の眼差しで見たなあ~でも嬉しかったな。
やがてグレイシーのせいで寝技をやる様になり、俺や多くの人が憧れていた昔のスタイルはなくなり柔道みたいになり、
なんか道着も例の黒いのからいつの間にか白い柔道着みたいなのになってきて、ソレも買うのかとか寝技はキモいから嫌だとか思ったのでやめた。
一応、ちゃんと事務の人に言ってやめた。名前が出てこない。
この人は好きだったな。動いている所見た記憶がないけど。
この人は好きだったな。動いている所見た記憶がないけど。
小柳津さんも本当に憧れていた。
ファンタジーを一身に背負っていたと思う。
北條さんには一番教えていただいたはず。イイ顔の人だった。今でも笑顔を想い出す。
(元・骨法内弟子、かく語りき「矢野くんや皆さんは骨法を誤解しています」も必見!泣けた)
小笠原さんも好きだったけど何よりなんか可哀想だった。
大原さんは柔道上がりで純粋な骨法育ちじゃないのでなんか応援できなかった。
ファンタジーを一身に背負っていたと思う。
北條さんには一番教えていただいたはず。イイ顔の人だった。今でも笑顔を想い出す。
(元・骨法内弟子、かく語りき「矢野くんや皆さんは骨法を誤解しています」も必見!泣けた)
小笠原さんも好きだったけど何よりなんか可哀想だった。
大原さんは柔道上がりで純粋な骨法育ちじゃないのでなんか応援できなかった。
事務局長(創始師範の奥さん)は全く絡まなかった。
創始師範と絡んだのは、前を通り過ぎたぐらい。
会話なんてゼロ。
創始師範と絡んだのは、前を通り過ぎたぐらい。
会話なんてゼロ。
ハーフの内田マチヤスさんとか、格闘技通信の骨法の祭典特集号でのインタビューが印象に残っている。
彼は何者かになれたのだろうか。
心配。
心配。
矢野さんの事は当時は全然わからなかった。
と言うかまだ埋もれていた。
と言うかまだ埋もれていた。
新宿スポーツセンターでカポエィラの練習をするようになってから、矢野さんの事は遠目に見ていた。
向こうは俺の事わからなかっただろう。
向こうは俺の事わからなかっただろう。
骨法をやめて、やがて寮の友達、先輩の影響でダンスをやるようになってそこからカポエィラに流れて、
良さんの下で闘うカポエィラをやるうちに、やればやるほどうまくなるし自分が憧れていた自分にマジでなれるカポエィラに心底ハマッた。
良さんの下で闘うカポエィラをやるうちに、やればやるほどうまくなるし自分が憧れていた自分にマジでなれるカポエィラに心底ハマッた。
自然と体も強くなり、筋肉がいい感じについていき、脂肪で太れない俺は筋肉オンリーで今の体重になった。
2年で。
2年で。
何度も書くけど、カポエィラやって身長も伸びたし。
すげえぜカポエィラ!マジで。
すげえぜカポエィラ!マジで。
で、矢野さんのインタビューを見て改めて、あそこで習った技術自体は本当に意味のない物だったってのがわかった。
悲しいけど。
この悲しいは自分に対してもより、創始師範に対してが大きい。
例えば今俺が自分の生徒を他団体と絡ませないで自分流でガンガン育てて、3年ぐらいたってある日突然解禁!
さあ他団体のカポエィリスタをガンガン倒すぞ!
と周りの期待も背負いながらホーダに行ってみたら見事に全員返り討ち!
なんて事になったら、なんて想像もしたくない。
悲惨。
悲惨。
俺はそう言う事しないぞー。って言うか俺自身がずっと前で闘うぞと思う。
そうです、骨法をやっていて何を学んだかと言うと、
「これは良くない」
ってのを学んだ…のかも知れない。
あのやり方を知っている俺が、そして今色んな事を経験して勉強して学んだ俺が、骨法のやり方を適度に取り入れたら一時的には成功するだろうね。
でもまあやりません。
あの時俺が思った良くない物とかを自分の生徒やカポエィラの世界で味わわせたくないです。
(まあちょっと似たような事やってる団体あるな、東京に…)
(まあちょっと似たような事やってる団体あるな、東京に…)
うん、俺がカポエィラ界で何故か第一人者とか言われちゃったり(第一人者は俺じゃなくて良さんですよ!)するぐらいになれたのは、この時の経験がいい意味で作用しているおかげかも知れない。
日本武道伝骨法、旧称喧嘩藝骨法と創始師範、何気に日本のカポエイラ界に影響を与えています。
俺の生徒達は堀辺正史氏の孫弟子です。
(ごめんなさい、矢野さんのをパクりました)
あの当時本で見て憧れまくったけど学べなかったしそもそも道場内で見たこともなかった蹴り、浴びせ蹴りとか竜巻蹴りとか…
今なら全部空中で出来ます。しかも当てられます。
なんて話を明日、初の他団体向けのワークショップをやってくださる良さん、彼の授業を11年ぶりに受ける俺がナイスなタイミング(?)で書きましたよ。
創始師範の話を延々書いといてなんですが、俺が本当に師匠と思っているのは良さんだけなのです。
メストゥレ トニーは、俺にとっては師匠と言うか、トニーなのです。
失礼な言い方に見えるかもですが。
俺のもう1人の親父なのです。
失礼な言い方に見えるかもですが。
俺のもう1人の親父なのです。
(メストゥレ バンバはまたちょっと違う高いところの存在…)
そうそう、創始師範は年に1,2回ぐらい街中で見かけます。
この前は東中野のドトールで隣同士で座っていました。
この前は東中野のドトールで隣同士で座っていました。
…声かける度胸がない自分はほんとにまだまだダメな人間だ。もっと大きくならないと。
(矢野さんと同じように、なんだかんだ言っても、直接のやりとりがほとんどなかったとしても、創始師範の事も骨法も、今も昔も好きなんです。不思議な話なんですけど)