routine

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It's very important for me a matter as a routine . That's common to all of us, isn't it?

The time of the train, the seat in the tearoom, kind of a coffee in the every morning, When they are different from always , I lose my head .

When I was small, that's a weak point for me . When I wake up in the morning, I didn't want to open eyes any number of times because I was afraid of the times .

How long have I been noticing that I thought the morning put me in a cheerful, and favorite time . And at the time , I wanted to eat just baking bread, making coffee .

I didn't know the deep emotion by then. I would spend wasting my time .

If you can spend a good time in the morning, it means a good luck all day.

Always I want to have enough time in my heart , I don't like barely in time . I think that's good method for success .


おれは、日常のルーティーンを大事にしてるんだ。みんなだって、それは同じだろ。

毎朝の電車の時間、カフェでの席や、コーヒーの種類が、いつもと違うと気持ちが悪いよ。いつもと同じで、初めてその日一日を始められるんだ。

昔は、朝が本当に苦手だった。朝が怖くて、目覚めたくない日だって、数えきれないくらいあるよ。

いつからだろうな。朝が、新鮮で気持ちが良くて、自分のフェイバリットな時間になったのは。 焼き立てのパンが食べたくて、コーヒーが美味しく思えたのは。

それまでは、こんな感動を知らなかったんだよ。全く、損な時代を過ごしたものだ。

朝を気持ち良く過ごすことができれば、その日一日が良い一日になることを暗示している。とにかく、焦らず、落ち着いて、余裕を持って、毎日を過ごすことだ。

おれは、ギリギリが好きじゃないんだよ。いつも、心の余裕を。それが、成功への近道なんじゃないかなって、おれは思うんだ。
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to you

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We wait for the moment we will say hello!
You are the same,aren't you?

The world you will be birth is brimming over happiness.
You may go your own way.
We will support all our strength.
You mustn't forget only this.

How superb you can find in the life!
If only you hope strong,you will get everything
by your eyes, by your ears, by your heart.

We're looking forward to live with you,
and the happy you will bring.

Where do you want to go, as a first trip for us?
The place you hope is the answer we think.

Appear to our heart without having to worry about anything.

Nothing is too good for you.
We promise you to make happy today,tomorrow,always.


ぼくたちは、君にhello を言う、その瞬間を楽しみに待っているんだよ。君だって、それは同じはずだよね。

君が生きる世界は幸せに満ちている。君は好きなように、自分の道を進むばいい。いつだって僕達は君の味方だよ。そのことだけは、忘れないようにね。

君は人生において、どんな素晴らしいものと出会うだろうね。でもね、君の瞳や耳や心は、君が望みさえすれば、色々なことを叶えてくれるんだよ。

僕達は、君と暮らす毎日が楽しみでしょうがないんだ。君が、どんな幸せを運んできてくれるのだろうかなってね。

最初の旅行はどこに行こうかね。君が望んだ場所、その場所が、答えかもしれないね。

さぁ、何も心配しなくていい、僕達の胸に飛び込んでおいで。

君のためであれば、何だって惜しくない。君をいつも幸せにすることを、僕達は約束するよ。


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一日一話

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ここ最近、毎日のようにmixiで日記を更新している。単純に文章を書くことが好きというのもあるが、理由は別のところにもある。それは、松下幸之助の「一日一話」を読んでからのことだ。これは、実際、松下幸之助が、毎日、日記として書いたものではなく、彼の本から言葉、文章をチョイスし、日記ように編集したものだ。一日の終わり、自分のその日一日を振り返ることの大切さ。 振り返った時に、必ず、明日を良く生きるためのヒントが隠されている。

みんなは、どういった想いでmixiに日記を書いてるか分からない。誰かに自分のことを知ってもらうために書いている人もいるだろうし、暇つぶしの人もいるかもしれない。そもそも、そんなにも考えてなく、もっと軽い気持ちで書いている人も、きっといることだろう。

けれど、おれは、そのどれでもない。おれは、、、、、、、。真剣に書いている。すごい本気で書いている。笑われるかもしれないし馬鹿にされるかもしれない、けれど、おれはアメーバのブログもmixiの日記も、軽い気持ちでなんか書いていない。読んでくれる人はどう思うか分からないが、自分では、いつだって全力でぶつかっているつもりだ。そうでなければ、得るものなど何一つないと思う。大学の時の論文レポートのように、「これに賭ける!」くらいの気持ちで。そうでなければ、やっている意味がない。

「だったら、ノートにでも書いて、自己満足でいいじゃん?」と思っている人もいるだろうけど、それは、満員の観客の前でサッカーするのと、誰もいないとこでやるのでは、どちらが気合いが入るかというのと同じで、もちろん、見てくれた人がいた方が、より良いものを目指す気持ちが強くなる。そんなふうに、おれは自分でモチベーションを上げているし、見てくれる、読んでくれる人がいるのなら、やっぱり中途半端な文章にはしたくない。いつも、「書いてよかった」と、自分にOK!を出せるように。

毎日、日記を書く、或いは書かなければいけないと自分に意識づけることによって、’目’があらゆることに注目を始める。何気なく生きているのではなく、一瞬一瞬に、意味があるような、そういう生き方をしている気がしてくる。文章を書くということは、とりもなおさず、現在の自分自身との距離を確認することだ。そして、日記というのは、今、自分がどこにいるのか、自分はどういう状況なのか、それを確認することだ。振り返って、確認して、そこで初めて気付くことがある。一日の終わり、振り返らなければ、大切な何かを忘れて、明日を迎えている。思い出した時に、もう遅いという状況になっていれば、それは本当に悔しいことだ。


みんなの日記は、すごく面白いと思う。読んでいても飽きないし、ユーモアや写真などもあって、読みやすい。でも、おれのはどうだろう。ありきたりな当たり前のことを、あたかも自分が出来ているように、偉そうに言っている。決して読みやすくはないし、内容もつまらない。本当のことを言えば、おれはmixiでは、ユーモアに富んだ、読む人が読みやすい日記にしようと思っていた。何ヶ月か試みたが、自分にはそれが出来ないことに気付いた。なぜなら、それは、やっていて自分が面白くなかったからだ。おれには、当たり前のことをくそ真面目に書くことしかできない。だったら、それをとことんやろうと思った。そんな時に出会ったのが、上記の松下幸之助の「一日一話」である。


松下幸之助の言葉は、本当に力を持っている。自分に足りない部分を、丁寧に語りかけてくれ、忘れかけている大切なことを思い出させてくれ、人生の知恵を、たくさん授けてくれる。おれはいつも、カバンに入れて、電車に乗っている時など、ちょっとした空き時間で読むことにしている。そして、落ち着いた状態で、その日あったことを振り返り、本当に良く頑張ったと心から思えることや、こうすれば良かった、あ~すれば良かったと思うことなどの反省を繰り返したりもする。仕事のことは、仕事は基本的に毎日あるのだから、次の日に生かせる。自分の中に、「一日一話」の考えを取り込むことで、以前よりも、考えて生きていけるようになった。観察力が養われたと言ってもいいかもしれない。笑われようが、馬鹿にされようが、おれは、日記を書くことを、かなり楽しんでいる。


死んだじいちゃんは、日記を書くことが好きだったらしい。何でもないことなのに、夜、自分のノートを開いては、いつも嬉しそうに書いていたようだ。おれが文章を書くことが好きななのは、そんなじいちゃんの血を引いているからなのかもしれない。




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部屋で見つけた小さな感動

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人の声、あなたはどうやって、「きくこと」をしますか?

「耳」を使って聞きますか?

それとも、「耳」、「目」、「心」で聴きますか?

おれは、いつも、後者でありたいと思うのです。


世の中が少しずつ疲弊してきて、一つ一つの存在理由あるいは意義みたいなものが、暗いところへ追いやられていっているような、そんな錯覚に陥ることは、ここ最近、1度や2度ではない。マスコミが、あまりに声高に不況を叫ぶものだから、人間関係において、あるいは社会的秩序において、不信の例を色濃くしていっている。みんな何かのせいにしたくて、自分は悪くないという理由が欲しくて、穴を掘ってはそこに怒りを叫び、放り込んではいるけれども、そんなことをしても何も意味がないということを知っているから、余計に疲れ、虚しくなるのだ。


派遣切りや、リストラなど、去年から続く大不況の波による労働者関連のニュースは、連日、新聞の一面を独占している。また、今日もどこかの企業の人を辞めさせる話かと思うと、驚きも徐々に薄れていく。そんな日が続けば、誰だって嫌になる。否応なく世の中から見捨てられた気分で、孤立している人も少なくないだろうし、おそらく活動的に仕事をし、懸命に自己実現を果たそうとしている人でさえ、心の中は空虚なものが広がっているのかもしれない。


ディズニーアニメのチーズのように所々穴が空いたチーズのようなルールに従わなければならない若者、「個人の時代」なのだから、何をするのも自由、あるいは、何を信じるのも自由、というルールは、もしかしたらきつい要求なのかもしれない。欧米にならい、ある種の憧れを持って、持ち込まれたフィロソフィーは、この国に定着するのは、もう少し時間がかかるのかもしれない。バラバラに切り離された個人個人が、情報の洪水と巨大化したメディアにさらされ、何を信じたらいいのか分からない、何も信じるものがない、と無機的な気分になっている。そしてその結果、得体の知れない不安に襲われて、無性に気が滅入り、この国が世界に誇る組織力、あるいは団結力が徐々に弱くなっている。


「そのうち、携帯電話一つで何でもできるようになる。」と言ったホリエモンの言葉が、少しずつ実現しようとしている。それにしてもIT関連の急発展には、あまりにも早すぎて、おれはついていけそうにない。家電量販店などに行けば、その度に、時代の流れの速さに、ただただ戸惑うばかり。10年前にも、「情報化社会」という言葉は確かにあった。しかし、現在の「情報化社会」は、当時謳われた「情報化社会」と同じものとは思えないほど、極限まで達している。しかし、世の中が便利になればなるほど、何かが失われていっているような、そんな感覚になることもある。例えば、携帯電話。おれが小学生、中学生ぐらいの時は、女の子の家に電話することって、すごく緊張した。でも、繫がった時は、感動にも似た、とびっきりの嬉しさがあったものだ。今の中学生は、携帯電話を持っているし、メールなどもできる。すごく便利かもしれないけど、あの時のおれと同じ感動は、きっとないのだろう。カメラもそうだ。海外旅行のときなんか、素晴らしい景色や思い出を、いつまでも自分のものにしておきたいから、上手く撮れてなかったことを考えて、何枚も同じものを撮ってしまったりしていた。現像するまで分からなくて、心配で心配で、けれども、上手く撮れていた時は、本当に心の底からの感動があった。今は、デジカメがあるから、便利だけれど、そういう感動はないのだろう。


世の中が便利になることは悪いことではないし、おれだって携帯もデジカメも持っている。人々の営みにとって、欠かせないものであるけれど、何か森林の伐採のように、世の中から感動とか、感激とか、そういうあるべきものが、どんどん切り落とされていっているような、そんな感覚になることもあるのだ。やはり、おれは感動には、もっと出会いたいと思う。もっともっと、心が躍るような、たとえ、ささやかな小さな感動でもいいから、素晴らしい出来事に出会いたいと思う。


上記に書いた「きくこと」の文章は、ずっと前に買い、部屋の隅に追いやられ、埃をかぶった本の中に眠っていた小さな感動。素晴らしい文章、素晴らしい景色、あるいは素晴らしい心、この先、おれには、一体どれくらいの素晴らしい出会いがあるのだろう。しかし、まずは、自分自身が、素晴らしいものを素直に素晴らしいと思える、キレイな心でありたいと思う。







師走の候

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(12月1日~)


12月は、いつだって何となくそわそわした気持ちになり、慌ただしい一日が続く。仕事はもちろん、私生活だってそうだ。この月に入った途端、1年を振り返り、知らぬ間に自分の中でカウントダウンが始まっている。そうそう、おれもそんな気持ちでこのブログに振り返りの日記を書いているのだ。とにかく、みんな忙しく働く月、すべては気持ち良く新年を迎えるために。


仕事では、11月の反省を活かすため、とにかく冷静に物事を判断しようと思っていた。何事も大きく考えず、小さく考えず、急いでやらなきゃいけないものほど、ゆっくり正確にやるくらいの余裕を持って。12月は、仕事の面では、ほんの少しではあるが余裕が出てきた。慣れてきたといえば、一般的だが、自分の中では、あらゆることに自分の意見を持てるようになったと言ったほうが、上手く説明がつく。このようになれたのは、やはり周りのサポートがあったから。それ以外、理由なんて見当たらない。感謝ができる誰かが自分の周りにいることに、感謝したい。


このブログには、強気なことを書くし、かっこいい理想を書いたり、多少自分を大きく見せようとしていたりするけれど、現実のおれは、もっとちっぽけな存在で、マイナス思考にもなるし、後ろ向きな気持ちが何日も続いていたりもする。壇上からモノが言えるほど、何かができるわけでは決してない。このブログは、特に最近は、自分へのメッセージだ。上手く言っているときは、調子に乗るなよという言葉、上手く言っていないときは、自分を励ます、あるいは救いの言葉。文章を書くということは、自分の現実と理想の間の距離の確認することなのかもしれない。おれは、ここに何かを書くことによって、新たな発見、あるいは再確認を見つける。それは、自分にとってすごく必要なことで、大切にしたいものだから、今もこうやって続けているし、今後もそれは変わらない。出来事をただ書くだけでは、おれは1ヶ月もしないうちにブログをやめていたことだろう。


「こだわり」

’時間’におれは、こだわりを持っている。仕事の日は、余程の事がないかぎり、約1時間前には会社に着く。そして、心に余裕を持った状態で、その日一日の自分自身の動き方をイメージする。11月の時に書いたが、残業をしないためには、これしかない。この始業前の数十分が、その日一日を決めるといっても過言ではない。とにかく、朝は余裕を持つこと、それが大事。おれは毎朝、同じであることに、徹底的にこだわりたいと思っている。同じでない時は、ひどく気持ちが悪いし、心が落ち着かず、良い仕事はおそらくできない。


待ち合わせは、待つほうが良い。待たせるのは、自分自身が嫌になる。待ってるのは、自分は悪くないということで、いくらか気持ちが楽になる。この1年、特に仕事の面で、待ち合わせの時間を、すごく強く意識した。なぜなら、待ち合わせ相手は、ほとんどが自分より上の人であったからだ。いや、ほとんどではない、全てだ。自分より下の人なんていなかった。いつも、30分前には待ち合わせ場所に着こうと決めていた。一つは、相手が早く来てしまったときにも対応できるように、あとはトイレの時間なども含めて、余裕を持った状態で相手に対応していくためだ。この部分は、強く意識していたので、仕事もプライベートも、遅刻がなかったのはそのためだ。これは、本当に大切なことだと、おれは考えているから、ずっと続けていこうと思う。ノリスケおじさんと、イササカ先生、待つ方と待たせる方、果たしてどちらが辛いかね!?


本当に何十年かぶりで、ゆっくりとした年末年始を過ごすことができた。部屋の掃除もできたし、テレビも本当に楽しく、毎日、たくさんの芸人が見れて、本当に幸せであった。2008年は、これまでにないくらい、自分にとっては激動の1年であったけれど、それでも、否応無しに次の1年はやってくるし、もしかしたら次の1年は、もっと激しい1年になるのかもしれない。こういうことは、ずっと続くのだ。いろいろなことがあったけれど、何事も前向きに、そしてポジティブに、自分が持つ可能性を広げていけたらと思う。2009年は、様々な意味で最高の1年にしたい。そういうふうに考えている。


最後まで読んでくれてありがとうございました。


1月から全部読んでくれた人がいたなら、それは特別な感謝です。







晩秋の侯

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(11月1日~)


この月、仕事では非常に勉強になることが多かった。なぜなら、何て自分は非力なのだと思うことが多々あったからだ。考えても考えても、急に仕事ができるわけでもないのに、もしかしたら名案が出るかもしれないなんて淡い期待を抱いていた自分を本当に恥ずかしく思っている。ミスではなかったが、力不足により多くの人にも迷惑を掛けた。迷惑を掛けてしまったと、自分自身で感じていると言った方が的確な表現なのかもしれない。どうすれば良いのか分からず、迷って悩んで、それでも答えなんか出なくて、途方に暮れた。そういう日々が何日か続き、気持ちが後ろ向きになることもあった。


今だって、この時、自分がした決断が正しかったかなんて分からない。これまでだってそうだ。あの時、あの瞬間、自分が決断したことは本当に正しかったのだろうか、なんてことは仕事に限らず、本当にたくさんある。もう二度とその時には戻れないからこそ、余計に考えてしまうことなのだ。けれど、人間は前向きに生きていかなければいけない。生きていれば、世の中の不公平さに直面することはたくさんあるけれど、それでも人間は前を向いて生きていかなければいけない。おれは、この月、仕事で様々な経験をしたことで、ポジティブであること、前向きに生きることの’強さ’を再確認した。どんな状況でも、ネガティブからは何も生まれない。少なくとも、新たな建設的な考えは、絶対に生まれない。


1年間応援し続けたジャイアンツが日本シリーズへ進出した。そして、シリーズ第1戦、これまでの応援が報われたのか、おれはその場にいることができた。日本シリーズは、やはり他のペナントの試合とはわけが違う。応援する人、一人ひとりが野球を知っているのだ。そして、選手一人一人の一つ一つのプレーが、本当に大きな意味を持ってくる。だからこそ、見ているほうは面白いし、力が入るのだ。両チームのエースが投げあい、1点を争う好ゲーム、そういった試合を見ることができ、負けてしまったけれど、本当に幸せであった。


この月あたりから、仕事以外の時間、いかに仕事に活きるための時間にできるか、これをテーマにしていた。第1弾は、中国語である。これまで、仕事ではもちろん必要になってくるので、独学では少しずつやってはいたが、早いうちに本格的に勉強したいなぁとは思っていた。しかし、それがなかなか1歩踏み出せないでいた。できるだけ、生きた中国語を少人数で低価格で、という条件で探したところ、意外にも以前のパン屋の知り合いが、良い先生を紹介してくれた。こういったところでも、’つながり’ってホント重要だし、あたたかいなぁと思っている。


仕事が終わって、急いで中国語教室へ。基本的におれの会社に残業はない。残業無しは会社の方針だ。これは、おれは新たなビジネスモデルなのではないかと考えている。今の自分にとって、残業することは、仕事が遅いから残ってやらなきゃいけないものというふうに考えている。そう考えることによって、どうやったら時間内に全ての仕事ができるかを頭の中で組み立てる。これを考えるか、考えないかで、仕事の能率は全然違うと思う。もちろん、他の会社では、残業ゼロなんて到底無理なくらい忙しい会社であることは理解している。おれの前の仕事もそうだったし、日本の大多数がそうであるかもしれない。しかし、残業ゼロの会社が多くなり、多くの人が自分の自由な時間を、遊ぶなり、勉強するなり、趣味の時間にするなり、そういうことにたくさん使えるようになれば、日本はもっと’楽しい国’になると、おれは思う。家族の結びつきがより強くなり、一人一人が、もっと人間らしくなり、そうなれば、新たな産業が出てきて、新たな職業も生まれ、今まで想像もできなかった新しいアイディアが生まれるようになり、国全体が活気が出てくるのではないだろうか。人によって、いろいろ意見があると思うけど、少なくてもおれは、こんなふうに考えている。


この月は、様々な’選択’を求められた月であった。それぞれの選択が、最良のものであったかは分からないが、少なくても今後の’経験’になるという部分で、多くの知識を得た月でもあった。

秋冷の候

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(10月1日~)


少しずつ風が冷たくなってきた。街の色も赤や黄色に染まっていき、服装も徐々に重たくなっていく。仕事では、上手くいかぬことも多々あったが、それでも前を向いていこうと必死であった。とにかく、目に見える結果を出したい、どれだけ頑張っていたとしても、結果が出ていなければ、それは証明できるはずがない。頑張ることだけで評価されるのは、小学生までだ。おれは、焦っていた。焦って、安易な方法で結果を出そうともした。それが、自分では間違っていると分かっていても、早く楽になりたいと考えてしまったこともあった。


しかし、この頃、素晴らしい人との出会いがあった。この人に救われたといっても過言ではない。決して優しい言葉をかけてくれるわけではないが、人生の知恵を教えてくれ、今の自分に何が足りないか明確に教えてくれ、そして今後何をするべきかのヒントをたくさん授けてくれた。そして、今の自分の良い部分もきちんと言ってくれた。褒められたいわけではないが、指摘された上で、良い部分がどのように良いのか、またなぜそれが良い部分なのか、そういうふうに言ってくれる人なんてほとんどいなかったから、嬉しかった。本当に偶然であるが、この方は、おれと干支、誕生日、血液型が一緒だった。年齢は24歳上だが、こんなこと、そうあることではないし、運命的なものを感じずにはいられない。もっと、いろいろな指導をしてもらえるように、頑張りたいと思う。


生活面で劇的な変化に挑戦してみた。それは、禁煙だ。タバコ代が上がるというニュース、タスポの導入、公共施設での喫煙スペースの削減、または排除、その他様々な、喫煙者にとって良くない世の中の流れ。しかし、おれの禁煙理由は、これらの一つにも当てはまらない。ただ単に、健康を考えた上での判断だ。禁煙車にとっては、なんで今頃気付いたのだろう、と思うだろう。おれもそう思う。ただ、一度吸っていた者にとって、辞めることは簡単なことではない。これを書いている今も、禁煙は続いているけれど、これは本当に辛かった。高校の時に部活で暗くなるまで、足が動かなくなるまで、走らされたことよりも、何十倍も苦しかった。それまでは、タバコを吸って、病気になったとしても、自分だけが苦しむだけだから、別に気にしなくていいや、そんなふうに考えていた。けれど、それは違う。一人の人間が大きな病気にかかるということは、本当にたくさんの人に迷惑をかける可能性があるということなのだ。何かを犠牲にしてでも、自分の事を心配してくれる人がいるかもしれない。いま、吸おうとしているその1本が、誰かを傷つけているのかもしれない。そんなふうに考えたら、火を点けることに、罪悪感を感じるようになった。禁煙を始めて、数週間は、脱力感や倦怠感が消えなく、それも本当に辛かったけれど、辞めることが出来て、本当に良かったと思っている。支援してくれた人に感謝したい。


ジャイアンツにとっては、歴史的な1年になった。13ゲーム差をひっくり返しての優勝。「メイク・レジェンド」は、現実のものとなった。この1年ほど、東京ドームに足を運んだこともなかったし、テレビで応援する時間も、これまでよりも多かっただけに、優勝は格別であった。おれが、この月に行った試合は、惜しくも負けてしまった試合であったけれど、シーズン優勝、そしてクライマックスシリーズも勝ち、日本シリーズに進出した。ここ何年か、スローガンに掲げている「奪回」の準備が整った。日本シリーズに進出できるチームは2チームだけ。最後まで、野球の応援ができ、興奮させてもらっていることに、感謝せずにいられなかった。


10月は、仕事では新しい出会いが多く、プライベートでも、学生時代の友達や前の職場の人ともあったりして、いつもの月よりも、充実した1ヶ月となった。自分の話をして、相手がそれに対して意見を言う、逆も同じ。相手の話に対し、自分の意見を言う。そういう時間を持つことで、新しい発見、刺激を得ることができる。自分に何が足りないかも明確になりやすい。その結果、自分って言う人間の幅を広げることができる。そういう生き方に憧れていたから、少しでも自分の理想とするライフスタイルに近づけたという意味で、この月は充実していたと思う。






初秋の候

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(9月1日~)


9月は、先ずこのことを、何よりも先に書かなければいけない。それは、大好きであったじいちゃんが亡くなったことだ。あまりにも突然のことで、どうしていいか分からなかったし、信じることもできなかった。早朝の電話、何となく嫌な予感がした。そういった電話は、相手が何かを話す前から、決して良い話ではないことくらいは、理解できる。そして、今回もまたそうであった。誰からも愛されていたじいちゃん、最期は本当にあっけなく逝ってしまった。おれは、じいちゃんにとって良い孫であったのだろうか。でも、おれは、じいちゃんの孫で本当に良かったし、感謝している。そして、じいちゃんの孫であったことを、誇りに思っている。


この月は、じいちゃんのこともあり、家族はすごく落ち込んでいたし、家の中に暗くどんよりとした空気が広がっていて、精神的に辛い場面が多かった。この月ほど、他者の無理解や、世の中の不公平を嘆いた月はないであろう。おれ自身もまた、この月を境に、仕事への情熱の向け方が大きく変わっていった。自分を守るのは、自分でしかない。人間は優しい、けれど、残酷さも持っている。人間は強い、けれど、人間ってすごく弱い。For the teamのためには、どれだけFor myselfになれるかであるかもしれない。つまり、組織に貢献するためには、いかに自分自身の個人のレベルアップができるか。ただ、それが出来ない自分に頭にきた。毎日、言いようもないくらい悔しさが自分自身にぶつけられ、常にイライラしていた。上手くいかないことが続いて、誰かを憎んだりしたこともあった。その矛先は、本当に誰かであったかもしれないし、あるいは自分自身であったのかもしれない。そんな自分が、たまらなく嫌いであった。ただ、どうしていいか分からない日々が続いた。


仕事での悔しい思い、それは仕事でしか返せないと思っている。酒でも飲んで、愚痴を聞いてもらって、それで少しでも楽になれる人は羨ましい。おれは、そんんふうには出来ない。悔しいことを経験したなら、その怒りは仕事にぶつければいい、そんなふうに思っている。それでしか、自分の中で納得できない。生きていれば、絶対に許せないことを言われたりすることもあるのかもしれない。それを感情だけに任せたなら、収拾がつかない局面になってしまうことだろう。プライドがあるなら、そういう状況になるのかもしれないし、あるいはプライドを守りたいから、その状況に持ち込まないのかもしれない。果たして、おれはどっちであったのだろう。この時のおれは、何とも始末の悪い感情が、夏のTシャツのように、べったりと背中に張り付いていて、おれはそれを剥がすことに必死になっていた。


「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し。必ず急ぐべからず。」(徳川家康)


少しずつではあったが、自分自身が落ち着いていくのが分かった。諦めたわけでも、許したわけでもないが、そんな自分でいても、しょうがないと感じていたし、そんな自分に嫌気も差していた。ネガティブからは、何も生まれない。ポジティブに、とにかくポジティブに。それを完璧になんてとても出来ないけれど、そこに少しでも近づくために常に意識する努力はしていきたいと思った。


毎日使うカバンを変えてみた。メガネも毎日、気分によって変えてみた。自分のデスクを整理して、要らないものは全部捨てて、すっきりさせた。いつもと違うルートで帰ってみたりもした。何とか自分のリズムや流れが良い方向にならないものかと、意味がなさそうなことにもチャレンジしてみたりした。そうしたことで、劇的に良い方向へ向かうわけなんてないことは、百も承知。ただ、少しでも新鮮なものに触れることにより、自分の心も何か触れることが出来るのではないかと思った。


9月は、良くない状況が続いた。毎日雨で、台風も来て、、、そういう風な状況であった。ただ、得るものがなかったわけではない。とにかく、どこかに落ちているポジティブを、拾い集めていかなければと思った。










晩夏の候

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(8月1日~)


華々しく、4年に1度の祭典、北京オリンピックが始まった。今回はお隣、中国とあって、時差がなく、多くの競技がリアルタイムで見ることが出来た。オリンピックは、やっぱりどんな競技でも、面白いと思う。国と国の勝負、純粋な勝利への想い、そこに嘘なんてない。これこそが、オリンピックの醍醐味なんだと思う。今回も、多くの感動があり、勇気を与えられ、改めてスポーツの大きな力を感じた。残念ながら、今も世界各地で起こる醜い争い、いつだって罪のない市民が犠牲になる無意味な争い、どれだけ文明が発達しても、このような人間と人間の争いがなくならないのであれば、人間の知能はおそろしく低いものだと思う。ただ、解決方法がどこかにあるのであるのならば、それはスポーツの力だと、おれは思う。憎しみあっている国と国の勝負でも、このオリンピックでは、一人のアスリートで、一つのチームだ。国家の事情なんて関係なく、ただ純粋にスポーツの素晴らしさを伝えることで、国家と国家の間に、美しい糸が結ばれるだろう。


「絶対に金メダルを取る!!」と言って、金メダルを取った有言実行の男が日本にはいた。ライバルが誰とかではなく、自分の力を証明するために。テレビの前だからといって、テレビ用のコメントをするわけでもなく、普段の彼の少々ぶっきらぼうな彼自身の言葉で。それが、見ていて、すごく好感を持てた。おそらく、多くの人がそう思ったに違いない。新聞、メディアはこぞって彼を称えた。なぜなら、彼の態度、言葉には’嘘’がないからだ。嘘がないものに人間は惹かれる。それは、スポーツの分野だけではない。’嘘がない本当のもの’。それは、今後のこの国のテーマにしてもいいくらい、重要なものだとおれは思う。


「年齢・経験ではなく、個人としての主張・意見。

 そして、あらゆることに自分の意見・見解を持つこと。」

これは、仕事でのおれのテーマだ。そして、意識していること。朝、電車の中で新聞を読んでいるときから、それは始まる。新聞に書かれている記者の意見に対し、自分は何を考えるのか。同意するだけなら、誰でも出来る。同意しても、その上に自分の考えを重ねなければ、意味がない。もしかしたら、あらゆることに疑いを持って対応していたほうが、良いのかも知れない。批判したり、疑ったり、そういうのは、相手の言葉を注意していないと出来ないことだ。ビジネスにおいて、それが時に大きな意味を持つ局面があることをおれは知っている。どんなに良い人そうに見えても、相手の目をじっくり見て、相手が言う言葉一つ一つに注意を払い、まずは疑い、その人がどういう考えなのか、相手の話が終わるまで集中力を切らすことなく聞く。全てがクリアであると判断して、初めて少し同意する。そして自分の意見を、見解を。いまの仕事を始めてから、このことを強く意識している。なぜなら、おれは、この考えがなかったために、痛い目にあったからだ。ただ、あの時の失敗がなければ、もっと大きな失敗をしていたのかもしれない。そう考えれば、少しは自分自身に説明がつく。どうすればよかったか、そして今後どうするべきか、そういうことを考えることが出来る。


仕事をしていれば、不公平や無理解の局面は、誰にでもある。その時その瞬間は、自分だけが不運であると感じてしまうけれど、冷静になれば、それは誰にでもあることなのだ。この月くらいから、そういう考えが少しずつ出来るようになったが、それまでは恥ずかしながら、誰かのせいにしたり、失敗に対して悲観的になっていたり、そしてそんなふうになってしまう自分自身がすごく嫌いであった。いまでも、おそらくこれからも、嫌なことは当たり前のようにやってきて、おれをネガティブにさせていくであろう。しかし、それは誰にだって同じこと、嫌なことがあった瞬間、ポジティブな気持ちになる人なんていない。大事なことは、そのあとだ。大事なことは、何かが起こったそのあと、どう考えるかなんだ。オリンピック選手のこれまでの努力の話と、自分自身を照らし合わせて、自分には何が足りないか、そういうことを考えていたりした。


本当に何年ぶりかで「夏休み」があった。どこかに行ったりしたわけではないけれど、気持ちの面で、すごく大きかった。主観的に見ていた自分を、違った角度から客観的に自分を見つめなおす、すごく良い時間であったし、意味のある時間であった。あえて、自分自身と距離を置くことによって、見えてくるものがある。休みというのは、肉体の休みという意味だけでなく、精神的にも休むという意味だ。パン屋のときは、このことに気付かなかった。大きく分ければ、たくさん仕事をしている人が偉いという、非常に幅の狭い発想であった。今思えば、非常に安易な発想であったと思う。


8月8日、オリンピックの開会式の日は、おれの誕生日でもあった。大学を卒業しても、パン屋をやめても、忘れずにいつも、連絡をくれる友人たちがいる。相手がどう思うか知らないが、おれは勝手に支えにしている。それは、自分にとって本当に大きな力で、嬉しいことであるから。

炎暑の候

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(7月1日~)


横浜から通勤することは、何だか新鮮であった。京浜東北線、湘南新宿ライン、横浜市営バス、学生時代に何度も乗ったことがあるはずなのに、なぜか新しい気持ちであった。一つ一つの駅の名前、窓の向こうを流れる景色、それらすべてが、横浜に帰ってきたことを少しずつ教えてくれている。そういうふうに故郷を思えることは、幸せだと思った。


梅雨が空け、毎日暑い日が続いた。横浜に帰ってきたことにより、通勤時は往復で80分、毎日歩くこととなったが、新しい気持ちの自分にとって、それは新鮮であった。実家に戻ったので、大学時代まで使っていた部屋に戻ったわけだが、狭くはなったが懐かしい気持ちが急に心の隙間に入り込んでは、おれに何か良い事を暗示してくれているような、そんな気分であった。ただ、残念であったことは、部屋が狭くなった分、一人暮らしをしていた時に大好きであったインテリアたちは、その半分がマンション近くのレンタルボックスに入れることとなった。疲れて帰ってきた時、高圧的にではなく、とても静かに優しく、疲れを癒してくれるインテリア、自分の部屋のその空間が、本当に大好きであった。しばらくは、お別れ。いつか必ず、再会を信じて。その時は、前よりももっと、おれに新たな感動、癒しを与えてくれるに違いない。


実家に帰ってきて、再び親と一緒に住むことになったわけだが、やはり恥ずかしさはあった。それは、26歳にもなって、親と一緒に住んで、毎月いくらかは入れているとはいえ、家に帰ればゴハンがあるという状況は、自分を甘やかしすぎているように思えて、それがすごく恥ずかしかった。これは、長期的なものではない。来年になれば、この部屋とお別れする日が来る。ぬるま湯に浸り続けてはいけない。ぬるま湯は、その時その瞬間は、暖かくて心地よいのだけれど、あとから振り返ってみると、そんな良いものではなく、ある瞬間は冷水よりも冷たかったのではないか、そんなふうに思えてしまうかもしれない。親に感謝する気持ちは、もちろん大きくあったが、それを形で示すことは、一日も早くここから出て、経済的にも余裕を持つことであると思った。


横浜に戻って、良かったことは、やはりドライブである。車に乗れば、慣れ親しんだ道があり、慣れ親しんだ景色が目の前に広がり、それは本当に嬉しかったし、昔と変わっていないことに感謝したかった。車を運転することは、自分にとって趣味であり、リフレッシュできる時間だ。大好きな音楽を聴きながら、その時間に浸り、気持ちを高ぶらせたり、リセットさせたり、とにかくその時の感情をよりプラスに、よりポジティブにしてくれる。車に乗って、運転をしている時、仕事のこともプライベートのことも、何か新しい考えが思いつくことが非常に多いことと、その時の気持ちが非常に落ち着いたものになっていることは、決して偶然であるとは思えない。これからも、このドライブの時間は、楽しんでいけたらいいと思う。


東京ドームには、この月は2回行った。そして、2試合とも勝利。おれが行った試合、今年に入り5戦5勝、負けなし。順位は3位くらいを彷徨っていたけど、徐々に主力が戻ってきて、勝ち方にも安定性が出てきていたので、この先、非常に期待が持てた。ライトスタンドは、いつだって紳士だ。ジャイアンツの選手はもちろんのこと、相手選手への文句も、ほとんど誰も言う事はない。ただ、純粋にジャイアンツが好きで、ジャイアンツの選手を応援する。それが、素晴らしい光景であるから、またもう一度、ライトスタンドに来たいと思うのだ。


7月は、環境の変化、様々な変化があった月。

また、横浜に戻ってこれたこと、それはすごく嬉しかった。