テーマ:エッセイ
フランスはイタリアと並んで、世界最高の革産地だ。中でもカーフと呼ばれる仔牛の革に関しては最高の素材がつくられる。この背景には質の良い原皮が大量に取れるという事情がある。つまり、なめされた革以前に、仔牛の皮がたくさん取れるのだ。イタリア原皮に関しては、イタリア国内に世界一大きな革製造(なめし)産業を擁するので、多くは国内で消費されてしまい、日本まではなかなか届かないが、フランスのタンナー(革なめし業者)の数はそれほど多くなく、フランスの仔牛皮は、ヨーロッパはもちろん全世界に輸出されている。これは、フランスやイタリアに古くから仔牛を食べる文化があったことで、ドレスシューズにとって最もポピュラーな素材であるカーフが存在しているということだ。少なくとも今はそういう状況である。

カーフが生まれた当初のことは正直分からない。昔の貴族が靴をはじめとした装い全体に、尋常ではない情熱を注いでいたことを考えると、もしかしたら、カーフを取るために仔牛を殺めたのではないかと思ったりもする。肌理が細かいが故に艶やかな光沢を放つ、その上適度に柔らかくしなやかな仔牛の革はそれほど魅力的な素材なのである。まあでも、人間の強欲という観点で考えれば、食以上のものはないのかもしれない。きっとたまたま死んでしまった仔牛の肉が思いのほか美味で、その副産物として生まれたカーフが革製品として理想的な素材だったのだろう。普通に考えれば成牛になるまで育て上げ、食肉部分を大きくしたほうが効率的だが、きっと昔の貴族の食に対する欲求はそんなことを気にもしなかったのだろう。

さて話は戻るが、何故質の良い原皮が取れる土地だから質の良いカーフが出来るのか? 日本のタンナーだってフランスをはじめとしたヨーロッパ各国から最高の原皮を輸入して最高のなめしを行っている。何が違うか? 輸送の距離が違うだけだ。通常、原皮は塩漬けにして寝かすから鮮度は関係ない。これはカーフを製造する業者にとって長い間の謎だったようである。ところが最近、ひとつの仮説が真実味を帯びてきたという。何と、原皮が運ばれてくる過程で赤道を通過するからだというのだ。ヨーロッパ原皮は船で輸入される。塩漬けにした大量の牛皮は嵩も張るし、それ以上にものすごい重さを有する。とても飛行機で運べるものではないし、第一そんなことをしたら原皮の値段以上に輸送費がかかる。同じ理由で冷凍船も使えないのだろう。よって、フランスの仔牛の原皮は南アフリカ喜望峰を廻るまでに一回、そして東南アジアを北上するときにもう一回、計二回赤道を通過することになる。この際にどうしようもなく付きまとう熱が原皮を痛めているのではないかというのだ。

その仮説をもとにすると、フランスから北極を通って日本に運べばOKということになる。近年の地球温暖化によってこのまま北極海の氷が解け続けたら、きっとそうするのだろう。そのほうが距離も圧倒的に短いし効率的だ。ただし、そんなことでは決してチャラにならない、遥かに大きなマイナスこそが、現在深刻に討議されている環境問題そのものだ。軽々しく「効率的だ。」などと言ってはいえない。もし「愛」というものの様々な表現に関するコンテストがあれば、環境保護はかなり有力な優勝候補だ。我々人間が自然界に対して行ってきた無智な行動を自覚し改める行為は、我々の未来に対する愛から来るものだ。自然界への罪に対する懺悔というものが一体どこまで意義のあることなのかは分からない。恐らく歴史にしか証明できないことであろう。ただ、自分たちの子供に残す未来のために環境を保護するという行為には真摯な愛がある。きれいごとは抜きにして信用できる。

いずれにしても、フランスの食文化によって生まれる最高の仔牛皮は、フランスの最高のタンナーによって最高のカーフとなる。そしてフランスの最高の靴職人が最高の靴をつくる。ただ残念なことに、フランスの靴産業はほぼ壊滅状態で、多くの靴ブランドが生産地をイタリアやスペイン、ポルトガルなどに移してしまっている。それでも小さな規模で手縫いのオーダーメイド靴をつくっている素晴らしい職人さんたちも現存する。一足の靴に四、五十万円の値段を受け入れられる人は決して多くはないが、それでも多くのビスポークシューズショップを目にするたびに、フランスには深い靴文化があるのだなと実感する。

フランスにはたくさんの有名紳士靴ブランドが存在する。JMウェストン、パラブーツ、コルテ、ベルルッティー。そして洋服とのトータルブランドのそれを含めると枚挙に暇がない。それにバッグ等の革製品ブランドの靴も合わせると膨大な数になる。その中でも、最もフランスらしい、それもクラシックなドレスシューズという範疇の中で最高の靴はジョン・ロブであろう。ご存知エルメスの持つブランドである。ジョン・ロブというブランドはちょっとややこしい。

もともと、ジョン・ロブはイギリスのビスポークシューズブランドである。ロンドンのセントジェームスストリートにある由緒正しき、英国王室御用達の店だ。ここではビスポークシューズのみを販売する。そして、パリにもビスポークシューズを販売するジョン・ロブ・パリがある。これはもともとロンドンのジョン・ロブの支店だったのだが、結局この店をエルメスが買い取り、自社の顧客に向けて靴をつくったのがいまのジョン・ロブの始まりである。そして、「ジョン・ロブ」の既成靴はイギリス・ノーザンプトンでつくられる。もともとエドワード・グリーンというイギリスのブランドの工場だった場所だ。イギリス最高の既成靴メーカーであったエドワード・グリーンの工場を買い取って「ジョン・ロブ」の既成靴をつくったのだ。つまりロンドン・セントジェームスストリートの「ジョン・ロブ・ロンドン」以外の「ジョン・ロブ」は、すべてエルメスによるもので、ロンドン・ジャーミンストリートのほか、全世界中で販売する「ジョン・ロブ」はイギリス製のフランスのブランドとなる。

一九九八年、私が靴の販売職を始めて間もない頃、ここの黒のシングルモンクストラップシューズを毎日眺めることを日課としていた。昼食を早々に済ませて、仕事がある日は一日も欠かさず毎日、銀座のとあるセレクトショップに飾ってあったこの靴をただじっと眺めていた。三度の飯より、という言葉があるが、正にこの靴を眺めることは私にとって最高の時間であった。いま思うと、私が持っている靴の美意識と、靴に対する愛はここで培われたように思う。その美しい一足の靴は、いまでも細部にわたって克明に、鮮明に思い出すことが出来る。本当に美しい靴だった。あとで知ったところによると、その靴は(一時的に)イタリアでつくられたものであったようだが、私にとっての美しいフランスは、いまでもこの一足に集約される。
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テーマ:エッセイ
二〇一〇年、シーシェパードというアメリカの動物愛護団体が日本の調査捕鯨船を妨害していたことがニュースになった。実際には監視船への攻撃という犯罪行為によって大きなニュースになった。この団体に港を提供し、このテロを行った小型高速艇を発進させたのがオーストラリアである。それまでも、オーストラリアは日本の調査捕鯨に対しては一貫的に攻撃的な態度をとってきたが、この事件でさすがにその機運もひと段落したようだ。しかし、この国際捕鯨問題は各国の利害が入り混じって一層、複雑化して来ている。

私も含めて、捕鯨といわれてもピンと来ないという人が多かったのではないだろうか? 私に関して言えば、鯨の肉はこの三十年食べていないし、小学校低学年の給食メニューにあったのをかすかに覚えているくらいだ。なので、アメリカやオーストラリアの(我々に対する)非難を聞いていると、何だか別世界のことのように思えてしまうが、これは現実の深刻な問題なのだ。

現在、捕鯨推進国は日本、ノルウェー、アイスランド、ロシア、カナダなどで、反対派はその他の多数、その急先鋒がアメリカ、ニュージーランドとオーストラリアである。(ただし、アメリカは自国アラスカ先住民のエスキモーに関しては、絶滅危惧種を含めて全ての捕鯨を認めている。) 日本は現在、一切の商業捕鯨は中止し、生存数の多いミンク鯨などの調査捕鯨のみを行っている。まだまだ解明されていない鯨の生態などの研究・調査が目的ということになっている。もちろん、必要のない部分がほとんどなので、それらは国際規約に則って国の管理の下、魚市場や他の流通にまわされている。鯨からは食用の肉以外にも、鯨油、ひげなどの副産物がとれる。これら日本の態度は大変礼儀正しいものだ。ノルウェーは商業捕鯨を再開し、カナダは捕鯨委員会自体を脱退してしまっている。正直、原理原則に従えば、一〇〇年前(イギリスやアメリカなど、現在の反捕鯨国がシロナガスクジラの乱獲を始めた頃)と比べて増えすぎている種の鯨のみに限った商業捕鯨再開という日本側の主張は正しいと思う。それに対してオーストラリアは、絶滅の危機云々の問題ではなく、鯨は特別に知能の高い可愛い哺乳類だからいかなる捕獲も許さないと言っている。増えすぎたカンガルーを国の政策で殺している国らしい言い分だ。賛成、反対ともに言い分や論拠は様々だが、調べてみると、日本側の本音のひとつには、鯨の増加による漁獲量減少の危惧のようだ。裏返すと、捕獲した分の鯨が食べるはずだった魚が獲れるということだ。ある調査によると鯨の食べる魚の量は全世界の漁獲量の三倍から五倍との結果が出たそうだ。まあどの程度正確なものかは分からないが、その数字だけ見せられるとちょっとびっくりする。では全世界の魚全体はどれくらいいて、鯨がどれくらいの割合で我々人類が食す魚を食べているのかはよく分からない。よくあるレトリックなのか。

そしてオーストラリアの本音はというと、これが良くわからない。オーストラリアにとって鯨が、インドにとっての牛のように特別な動物だとは思えないし、ノルウェーやカナダの捕鯨は批判していないのも変だ。白人至上主義による日本人差別だという人もいるが、政府が堂々とそんな感情をむき出しにするとも思えない。とりわけ批判的なニュージーランド、アメリカと同様にオーストラリアも日本への牛肉、穀物の大輸出国ばかりなので、捕鯨のせいで自国経済が危うくなるからだという人もいるが、これもちょっと納得できない。捕鯨した肉が牛肉の替わりになるはずもなく、量もせいぜい知れている。
ひとつ言えるのは、オーストラリアの対日感情が悪化しているということだ。私が中学生であった一九八〇年代前半には、地理の授業で「オーストラリアは大変な親日国です。大学で選択する第二外国語で最も人気のあるのは日本語です。」と教わったものだ。今は中国語に変わっているのであろう。オーストラリアがオセアニアで生き残っていくために必要なアジアとの連携を考えて、中国に乗り換えたというのは言い過ぎではないだろう。

捕鯨反対をはじめとして、動物愛護を強硬に訴える人の多くは、程度の差こそあれ、ベジタリアンだという。程度の差というのは、卵や乳製品を食べたり食べなかったり、ゼラチンをどう捉えるかとかそういったことだ。とにかく肉と魚は食べない。そして厳格なベジタリアンは革靴を履かない。宗教上の理由でなく、信条としてベジタリアンになった人は、だんだんと厳格になる傾向があるらしく、いずれは革靴を履かなくなるらしい。これはちょっと悲しい。確かに現在は合成皮革と呼ばれる化学製品の進化も成されてきてはいるが、どう進化しても、逆立ちしても天然皮革には追いつけない。それに合成皮革の開発にはたくさんの動物皮膚実験が必要不可欠です。布の靴は寒くて湿った土地では非機能的だし、ゴムの靴は蒸れて水虫の天国となる。そしてどれもエコロジーからは程遠いものだ。

我々人類は、まだ宗教的なべジタリズムなんてものが存在する前から、食肉の副産物である革とともに生きてきたのだ。革は呼吸し、伸び、縮み、屈曲に強靭に耐え、水を遮断し、蒸気を逃がし、熱の調節をし、人間の身体に溜まる静電気を地面に通電し、そのうえで年を経るごとに美しくなる。植物でなめされた革はその役目を終えた後では完全に土に還る。医療における最高の人工皮膚が人間の(実際の)皮膚なしではあり得ないのを見れば明らかだが、革は靴の素材としてはまず最高のものである。

私はこの職業についてからは意識して牛肉を食べるようにしている。私の扱う革製品は圧倒的に牛革が多いからだ。もちろん豚革も羊革も扱うので、すべての肉を意識して食すようにしている。ヤギは食べないのでなるべく扱いたくない。爬虫類は別として、我々が扱う哺乳類の革のほとんどが、食肉の副産物として生まれたものだ。革のために哺乳類を殺すことは私も罪悪のように感じる。だからこそ、それらの肉を天の恵みとしてありがたくいただく。それが動物の魂にとって最高の供養だと信じる。二〇〇九年からは我々の店で扱う馬革の割合が飛躍的に大きくなったので、機会があるたびに馬刺しを食すようにしている。高価な場合も多いが、いくら食べても食べ飽きないくらい、とても美味しい。可愛い馬や牛だからこそ、最後までしっかりと食べたい。もしアラスカに行く機会があれば是非アザラシの肉も食してみたい。(少量だがアザラシの革も扱っている。)
ベジタリアンの方の信条、心情は理解するが、出来れば人類の叡智である革靴を毛嫌いしないで欲しい。私があなたたちの分まで食べますから。
余談だが、一九四〇年前後には鯨革の靴というのがあったそうだ。戦時体制で牛革や豚革が庶民の靴にまでまわらなかったのだ。戦争の話だ。
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テーマ:エッセイ
ジャマイカの生んだ偉大なるポピュラーミュージックは、何といってもレゲエとスカだ。イギリス支配によって英語が公用語であったことがこの二つの音楽ジャンルを世界的メジャーにした要因であったことは確かではあるが、もちろんそれだけではない。国民の九割以上がアフリカ系人種という南米では珍しい民族性と、アメリカのジャズやリズム&ブルースが出会うことによってそれらは生まれた。最初にスカが生まれた。単調なバックビート(二拍目と四拍目を強調したリズム)にのせて自由奔放なトロンボーンやピアノが絡み、ベースとドラム、そしてリズムギターはあくまで単調なリズムを刻むその音楽は、当初もっぱらレコーディングを基本とした音楽であったらしい。この点が様々な音楽の中でも極めて珍しい性格を持つ音楽となった要因である。感覚的な表現で申し訳ないが、スカは閉じた音楽である。北方音楽と南方音楽の例でいうと完全に北方の性格を持つ。北方音楽は寒い地域で発展した音楽で、内省的で神経質で身体が縮こまり背筋がピンと伸びるような音楽、南方音楽は暑い地域のそれで、開放的、伸びやかでリラックス効果のある、そして出来ればソファーに身を横たえて聞きたくなるような音楽のことをいう。いずれにしろ、スカはもともとジャマイカの炎天下のもと鳴らされた音楽ではなかったのだ。

これに対しレゲエはというと、そう、全く逆の音楽である。「スカを遅くしたのがレゲエで、レゲエを早くしたのがスカでしょ?」というくらいに考えている人も多いと思うが、これら二つの音楽は成り立ちからして真逆である。レゲエはもともと野外演奏を前提とした音楽であった。リズムとしては、ギターが二拍目と四拍目を強調するのはスカと同じだが、ドラムは三拍目にアクセントを置く。そしてベースは複雑なリズムでうねるようなラインを弾くのが特徴だ。

私自身はレコーディング音楽の愛好家である。多くの音楽ファンがそうであるが、普段はレコーディングされた音楽を聴く。そして、感動したそのアーティスト(演奏者)がライブコンサートを開くたびにそれを聴きにいった。しかしどのコンサートに行っても、そのCDなりレコードを聴いたときの感動ほどの満足は得られなかった。それは私にとって、コンプレックスでもあり、どうしても解けない謎でもあった。音楽が元々ライブ演奏で楽しまれたことは周知の歴史だし、人々は必死になってチケットを入手し嬉々としてコンサートに足を運ぶ。確かにそこには迫力のようなものは存在する。アーティストと同じ空間を共有していることも実感できる。音が空気を震わせ、その振動が自分の心臓を揺らす感覚もある。しかしなかなか心は震えない。

初めは自分の性格が内向的だから、とか、自意識過剰で周りの目を気にしながら聴いているからコンサートをうまく楽しめないのだと思っていた。周りの近しい人たちにもコンサートのどういうところが楽しいのか、いろいろと聞いてみたりもしたが、それ以上の理由は見つけられなかった。ところが、三十歳を越え、四十歳になろうとして、そんなことが理由ではないと確信した。ライブ会場で自由に踊ってみたり、大きな声を上げてみたりすることにそれほどの恥ずかしさも覚えなくなり実行してみたが、それでも結果は何ら変わりなかった。

ライブミュージックは実話、そしてレコーディングミュージックは物語なのである。

これに思い至ったのは、大岡昇平氏の『靴の話』という短編小説を読んだのがきっかけだった。内容は、戦死した戦友の靴を盗んで履いてしまう、というそれだけの話だ。そこにはドラマチックな展開も、涙を誘う郷愁も、そして何の教訓もない。きっとそれこそが戦争の真実なのだろう。それを読んだ後、私はライブミュージックを聴いた後のような感覚にとらわれたのだ。私は物語を期待して『靴の話』を読んだ。するとそこで語られたのは物語ではなく実話だったというわけである。主人公はただそこにあった靴を盗んで履いた。生きるために必要な靴だったからだ。それが戦友のものであることは意識していたが、戦友の生前の意志や生きたかった想い、彼の生を引き継ぐとか、自分が彼の分まで生きるとか、そういった意識はない。恐らく潜在的な意識もなかったはずだ。そこに描かれているのは、生き抜くための本能と戦友の遺品を盗んでしまったことの事後葛藤だ。もちろんその小説はフィクションであろうし、欧米の逸話に基づいたものであったようだ。ただし、語り口は実話としてのそれであり、戦争という何とも表現のしようのない、無力感、絶望、やり場のない怒りといった感情を伴う悲劇を表現する一つの方法だったのだろう。今思えば、スピルバーグの『セイビング・プライベート・ライアン』という映画もそのような語り口であった。

私は物語を愛する。この奇妙で歪んだ現実、そして人間というものを整理して置き換え、そこから学び取れる教訓を手に取れる形にして差し出してくれる、心を震わせてくれるドラマを愛する。それがゆえに、ライブミュージックに対して過大な期待を抱き、相対してしまっていたことに気付いた。ライブミュージックは実話のようなものであり、決して構えて聴いてしまってはいけない。実話は実談として語られ、それは対話に発展すべきものだ。ライブ演奏のDVDを観るようにして聴いては駄目なのだ。

その昔、レコーディングミュージックが存在しなかった時代の音楽はもっとシンプルだったに違いない。人々、それもごく限られた豊かな人々にとって、音楽はライブでしかなかった。そこでは皆、何の先入観もなく、音楽を楽しんだことだろう。いま私を取り巻く音楽環境はその時代とは比べ物にならないほど恵まれているが、現代には現代の息苦しさみたいなものがあるのも確かだ。奇妙なことだが、それが我々人間のつくりあげてきた世界だ。

いまの日本では靴が生きるためのライフラインであるという意識は遠くのほうに押しやられてしまっている。また、戦争中に我々の先達が、胃の痛くなるような思いをして盗んだ革靴の話もごく最近の話だ。もっと以前においては良心の呵責もなく靴を盗んでいたことだろう。ちなみに二十世紀初頭のイギリスやアメリカでは、紳士靴は立派な質草だったそうだ。質屋に入れられた靴は高い確率で(利子の返済とともに)回収されたという。もちろん今とは比べ物にならないくらい高価なものだったのだろうが、とても興味深い話だ。
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テーマ:エッセイ
ポルトガル第二の都市ポルトの郊外には、一大革靴生産地がある。サン・ジョアン・ダ・マデイラという名の小さな街だ。ポルトから車で三十分ほど南へ下ったところにある。この街とその周辺にポルトガル靴産業を支えるほとんどが集中して集まる。数多くのメーカーが存在するが、残念ながら聞き知ったものはほとんどないのが事実だ。何故なら、ほとんどのメーカーは自社ブランドではなく、他社のブランドの靴をつくっているからだ。それもポルトガルのブランドではなく、フランスやイギリスのものが多い。

フランス人やイギリス人はブランディングが上手い。ある程度の広告費と靴の紙箱や靴の袋、靴べらのような販促物など、靴周辺の備品に投資し、付加価値をつくる。あとは芸能人などに履かせて話題を作り、メディアを利用したブランディングを行う。もちろん能力のあるデザイナーを登用したりしてキャッチーな商品づくりをする。そうしておいて、製造は他国の職人と設備に頼ることになる。ただし、そこでは職人の工賃などはコストのうちのほんの一部となり、非常に高価な商品として店に並ぶ。消費者はそれをブランド=信用として受け入れて対価を支払う。そこには素の商品である靴そのものを購入する満足以外に、そのブランドを所有する満足が加わる。話題になっている今年一番の流行を、または、ジュード・ロウと同じ靴を履くことの満足が加わる。そこには非常に高度な、そして年々高度になっていく資本主義経済が成り立っている。

この仕組みは何も今始まったことではなく、三十年前から行われてきた。最初はイタリアで製造した。当時イタリアには、安価な労働力、熟練の職人、高度な設備という、製造に必要なすべてが揃っていた。イタリアの工賃が上がると、スペイン、ポルトガル、トルコと、下請けの国は変化している。現在、下請け国のトップは中国だ。いくらポルトガルの労働力がEUのなかでは安価だとはいっても中国にはかないっこない。

イタリア人はフランス人やイギリス人ほど上手ではないけれど、何とか自分のブランドを立ち上げてきた。イタリアの工場は、自社ブランドの開発に日々努力している。イタリアブランドが中国やルーマニア、クロアチアなどに下請けを出すようにもなってきている。スペインもイタリアとは違うアプローチで独自のブランドを立ち上げつつある。今度はポルトガルの番だ。

いま現在、ポルトガルの工場は非常に厳しい状況に追い込まれている。いままで様々なブランドの下請けとして仕事を受注してきたメーカーたちは、その仕事を中国などに奪われつつある。職人技を必要とする高価な靴の分野ではまだ下請けを受注できているが、これも時間の問題だという人もいる。

それにしても、大航海時代には栄華を誇った国である。ブラジルをはじめとしてインド、アフリカなどにその勢力を広げていた。ただしそこには、ヨーロッパ西端の小国という前提があったのかもしれない。事実、スペインとの国境は世界で最も古い国境として知られている。つまり、スペイン側には勢力を広げようとしなかったのだ。また、近代のポルトガルの歴史は、栄華を誇った時代の植民地支配を喪失してゆく歴史そのものであった。少し寂しい歴史だ。
一時的にイギリスの実質支配を受けていた時代があるにもかかわらず、ポルトガル自身はイギリスよりもフランスとの関係が深い国である。実際、十数年前には、第二外国語としてフランス語を勉強していたそうだ。(現在は他国同様に英語である。)そのせいで、ある程度年配の人にはフランス語を話せる人が多い。そして現在もフランスブランドの靴や洋服を下請け製造しているわけだ。

ポルトガルの紳士靴で有名なのは、ドライビングシューズやデッキシューズなど、モカシン製法を用いたおしゃれなカジュアルシューズと、イギリス式のグッドイヤーウェルテッド製法の堅牢なドレスシューズだ。いずれもフランスの下請け時代に培ったノウハウを活かしたヨーロッパテイスト溢れるものだ。そしてこの、「ヨーロッパテイスト」こそがポルトガルの生き残る道だと思う。人々はこの「ヨーロッパテイスト」を求めてヨーロッパブランドの商品を購入する。中国にはこれが出せない。中国製品にはどうしても実用品の匂いがある。足を保護するために履いてボロボロになったら捨てる、といった雰囲気が漂ってしまう。地中海の燦々と降り注ぐ太陽のもとに生まれた、リゾート気分溢れる商品をつくるのが難しい。また、ヨーロッパ伝統の格式高いドレスシューズにしても同じだ。紳士の洋装文化という点では、我々日本も中国も大幅な遅れを取っている。そしてヨーロッパの最高の素材を自由に使用できる環境が整っているのも大きなアドバンテージだ。

ポルトガルの人々は本当に陽気だ。イタリアやスペインにも増してのんびりとして楽天的な感じがする。ギリシャの次に破綻する国とまで言われているその暗い国内情勢とは裏腹に、心底から嘘のない、豊かな人間性を備えているように感じられる。そんな彼らのつくる靴には、やはり誤魔化しのない誠実なものが多いが、ブランドをどうするか? という問題でいつも困る。お客様の安心という点では、我々の店の名前を冠したオリジナルネームにしたほうが良い場合がある。何しろ他ブランドの下請けを業としてきたメーカーだし、オウンブランドは見たことも聞いたこともないネームになってしまう。メーカー側も自分たちのつくった靴に他ブランドを冠することには慣れっこなので何とも思わないのだが、彼らの素晴らしい人柄と、そのまっすぐな瞳を見ていると、ビジネスは抜きにして迷ってしまう。そして、今後彼らがますます厳しい状況に追い込まれ、自社ブランドのブランディングが不可欠になってくるということを考えてしまうと、ついつい彼らのブランドを日本に紹介してあげたくなってしまう。例えそれがあまり洗練されたロゴでなくとも、キャッチーな響きでなくとも、彼らの嘘のない、まっすぐな眼差しがお客様の足元に届くことを信じて。

現在、多くのショップではその店のオリジナルブランドを冠した靴が存在する。そして実際はメーカーのオリジナル商品のネームを張り替えただけのものがほとんどだ。そこにはビジネス、利益、(建前として)お客様の安心があるが、つくり手へのリスペクトはない。リスペクトのないところに発展はないし、ただ高度な資本主義原理による消費が繰り返されるだけだ。私を含め、皆こんなことは望んでいないと思う。最高の形としては、ユーザーがつくり手へのリスペクトを持って誇らしく履くことだ。買い物の際にも、またその靴を履くたびにリスペクトの交換が為されるとしたら、本当に最高だ。世界はずっと理想に近づくに違いない。
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テーマ:エッセイ
ヨーロッパではイタリアに次ぐ第二の靴輸出国と知られる。革靴の生産地は、アリカンテ、アルバセーテ、サラゴサ、そしてマヨルカ島とスペイン東部に集中しているが、エスパドリーユと呼ばれる麻製ロープを底材に使ったカジュアルなものは中央北部でつくられる。このエスパドリーユはもともとスペインとフランスにまたがるバスク地方で履かれていた民族的な靴だからだ。水辺で履けば濡れてもすぐに乾き、夏の暑い日には足がべたつかず、室内で使用すればおしゃれで開放的な、とても快適な靴であることから、一九三〇年代には世界中のリゾートファッションとして流行した。今でも春になるとショップには様々なエスパドリーユが並ぶ。

エスパドリーユは現在では、ワインの産地として有名なリオハでつくられるものが多い。リオハの赤ワインは素晴らしい。フランスにもイタリアにもないテンプラニーニョという種の葡萄からつくられ、果実味が豊かで重く渋い。ボルドーとブルゴーニュの良いところを併せ持つ。リオハのワインはスペインの有名なタパス、ピンチョスといったアペタイザー(前菜、オードブル)と共に楽しまれる。スペインでは一般的に夕食の時間が遅く、人々はその前にワインとタパス、ピンチョスを楽しむ。昔からスペインでは一日五食を食べる文化があり、他の国と大きく異なる。朝起きてからパン等を食べ、十一時頃に軽食、昼の二時頃から一日のメインである昼食をフルコースで食べ、夕方六時ころからアペタイザー、そして夕食は九時以降に取る。何とも豊かな食文化だ。スペイン料理のフルコースはイタリア料理に似ているが、もっと油が少なく、素材のフレッシュさを活かしたものが多い。生の魚も食すし、ある種、日本料理に通じたところもある。そしてタパスの多種多様さが愉しい。日本の居酒屋メニューに通じるかもしれない。ピンチョスはエスパドリーユの里、バスク地方伝統の料理で、とても小さな料理だ。一口で食せるような様々なピンチョスは、さながらワイン文化の凝縮した形のようだ。他にも日曜の昼に家族で囲むパエリヤやガスパチョなど日本でもおなじみの料理が目白押しだ。

靴の話に戻ろう。アリカンテにはレディースの靴メーカーが多く、アルバセーテはアルマンサという街に多くのメンズシューズメーカーがあり、マヨルカ島にはイギリス伝統のグッドイヤーウェルテッド製法を得意とするメンズメーカーや王室御用達のバラッツというブランドがある。中でも、アルマンサという小さな街は靴の街だ。一九五〇年代には紳士靴産業しかなかったらしい。当時世界で初めて接着剤で靴の上革と底を接合することに成功し、その簡易な製法による安価で高品質な靴を求めて世界中から未曾有の注文が舞い込んできたということだ。もちろん現在ではそういった靴は珍しくなく、その需要は、より安価な労働力を有する中国やブラジルなどに取って代わられている。現在のアルマンサは、高級な紳士靴をつくることで知られている。

アルマンサで最も成功している紳士靴ブランドはマグナー二(MAGNANNI)である。ボロネーゼ製法と呼ばれる袋縫いで仕立てられたドレスシューズは全世界に輸出され、そのスタイリッシュで、まるでスニーカーを履いているような柔らかな、それでいて足に吸い付くようなフィット感を持つ独特の履き心地で、おしゃれなビジネスマンたちを魅了している。ニューヨークをはじめとしたアメリカのビジネス都市、コロンビアなどの南米諸国、アラブ諸国、ロシア、イタリアを除くヨーロッパ先進国(イタリアは自国の靴の独壇場だ)、香港や上海などの中国、フィリピンなどの東南アジア、そして日本の大都市では必ず売られている。国によって嗜好は様々だが、変わらないのはその最高の素材を用いた誠実な靴づくりと安定した高品質だ。

ブランド名は古いハリウッド映画女優からその名を戴いているが、スペインでの製造業社名はブランコ・アルドマール社という。アルドマールというのはアラビア系の名前だ。その昔イスラム支配下にあったスペインでは、ラテン民族にアラブ系の血も混ざっている。現在は二代目のセバスティアン・ブランコ・アルドマール氏のもと、六人の子供たちが実務をこなすファミリー企業だ。従業員は百五十人ほどで、現在も年々規模を拡大している。頭首は木型を担当する職人で、長男が実質的な経営を行い、次男は製造のマネージメント、長女はヨーロッパのセールス、五男がデザインを担当するといった具合に世界的なビジネス展開を家族で行っている。その中で異彩を放つのが三男のパスクァル・ブランコで、彼はアメリカに在住して、アメリカとアジアのセールスを担当している。

パスクァルは十五歳でアメリカに渡り、アメリカの高校、大学を卒業している。人生の半分以上をアメリカで過ごし、これからも一生アメリカに住み続けると言っている。そう言う彼は少し寂しそうだった。彼のホームはどこか? と質問すればすぐにアメリカだ、と答える。私が彼に会うときは大抵ヨーロッパで、いつも彼の兄弟たちと妹が一緒なのでつい仲の良いファミリーの一員として彼を見てしまうのだが、実際はそうではない。実際は、アメリカで孤独と人種差別と戦いながら生きているヒスパニック系アメリカ人というところだ。

彼は言う。「アメリカでうまく商売しようと思ったらアメリカに住まなければならない。」 そしてその裏には、自分がその役を買って出たという事実が隠れている。父親が祖父から受け継いだシュービジネスを六人の兄弟・妹で分け合うためには、アメリカへの輸出が欠かせなかったのだ。彼はマグナーニ・インクというアメリカ法人を興し、学生時代の友人と数人のセールスマンを雇って会社を経営している。表向きは平和な、ときに牧歌的とも映る「家族経営」の現実はとてもシビアだ。

パスクァルの誠実な人柄とまっすぐに人生と向き合う姿勢、そして現場でのコミュニケーションによって真の良靴を模索する気持ちは、取引するすべての靴小売店に伝わり、それは多くのユーザーたちの足元へと届けられている(と信じたい)。彼とは映画の話を良くする。彼のベスト3は、1位「ゴッドファーザー」 2位「ゴッドファーザーⅡ」 3位「ニューシネマパラダイス」だ。私とほとんど変わらない。1位と2位が逆転しているだけだ。歴代のアカデミー作品賞を受賞した映画はすべて観ている。それも私と同じだ。好みが似ている。そして会うたびに最近観た映画、直近のアカデミー作品賞獲得作品の話になる。ただし、「クラッシュ」みたいな人種差別をテーマにした映画の話だけは、いまだにうまくできない。できるわけがない。
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テーマ:エッセイ
メキシコはコカコーラの消費量が世界一の国だそうだ。年間で国民一人当たり五〇〇本近くの消費量を誇る。赤ん坊や老人の分を減じて計算すると、一日に一人二本は飲む計算になる。それを聞いたときは、乾燥した国で昼間の強い日差しの下に飲むコカコーラは格別においしいのだろうと思っていたのだが、最近、本国アメリカに逆輸入されたメキシコ産コカコーラが売れているというニュースを知った。何でも、アメリカ産に比べて炭酸が少なく、甘味料にコーンシロップではなくサトウキビやテンサイなどの砂糖原料を使用しているため、甘さが強いのだそうだ。そしてこれは、コカコーラ発明当初のオリジナルレシピに近いらしい。いまやサトウキビはコーンシロップよりも高価であるが、昔のアメリカでは当たり前のように使用されていた。現在のメキシコの安価な労働力と物価がそれを可能にしているのだろう。より原始的なのだ。合理化、効率化に乗り遅れている反面、そのものの本質と言ったら語弊があるが、それが発明された際の「想い」みたいなものが失われずにいるように感じられる。私個人としては炭酸の強い日本のコカコーラのファンであるが、それはより現代の嗜好に合わせて改善した成果だ。ただ、後進国に行って飲むコカコーラはまた違った味わいがある。そこにはより、手に取って確認できるような形でのロマンが残されているように感じる。

メキシコは敬虔なカトリック信者の国である。スペインから伝わったものだが、より原始の宗教を色濃く残しているように感じるようになったのは最近のことだ。それまでは、キリスト教のオリジンであるイタリア、スペイン、フランスのそれが本来のカトリックだと信じて疑わなかった。ただ今は、メキシコのカトリックのほうがオリジナルに近いのではないかと思ってしまう。ヨーロッパの教会には、信仰そのものの周辺に付随する余計な物事が分厚い脂肪のようにこびりついていて、その核とも言うべき精神が視認し難くなっているのだ。

大学生のときに、自宅の近所の本屋で一冊の写真集を衝動買いしたことがある。題名は『ウルトラバロック』 小野一郎氏の作品だ。写真集といってもサイズがコンパクトな単行本だった。その頃はロシアの古典文学を好んで読んでいた時期で、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を買いに行ったときのことだ。何故そんなことを覚えているかというと、そのときを最後に新たにロシア文学を読むことは(現在まで)なかったからである。そのとき買いそびれた『アンナ・カレーニナ』は未だに読んでいない。

その写真集はかなり有名な写真集だったのだろう。単行本の形式で出版されていたし、埼玉県の小さな街の本屋に並んでいたのだから。もっともその本屋はとても志の高い書店で、一九八〇年代には珍しかった郊外型の大型書店で、広い駐車場、広い店内通路、ジャンル別・出版社別の区分け以外の並べ方など、とても新鮮で店主の意志が感じられる書店だった。そこで私の人生にとって大切な本を何冊も見つけた。『ウルトラバロック』の表紙にはメキシコの教会内部の写真が使われていて、帯には「横尾忠則氏絶賛」とあり、序文は学者の中沢新一氏が書いていた。(当時トレンディーだった二人の知識人だ。) その帯にも序文にも大した感慨は抱かなかったが、私を釘付けにしたのはその写真だった。血の涙を流す褐色の肌をしたキリスト、スペースというスペースを埋め尽くしたグロテスクな装飾、不気味な無数の赤ん坊の頭部(天使か?)が、私の脳をかく乱して目を離せなくしていた。

建築におけるバロック様式は十六世紀ルネッサンス期のイタリアで生まれ、スペインに渡った後にイスラム様式のモザイク、アラベスク模様、タイルが組み込まれるようになり独特のスペインバロックが出来上がる。壁中を埋め尽くした装飾模様は見るものに畏敬の念を抱かせる。それをつくらせた、そしてつくった人々の信仰と信心深さに自然と敬意を抱いてしまう。この感覚は日本の日光東照宮などを見ても同じように生まれる。

『ウルトラバロック』とは小野一郎氏が名づけた名前で、スペインバロックが植民地であったメキシコやペルーに渡って、メキシコ土着の宗教とカトリックが融合したように建築様式も融合した。基本はスペインバロックであるが、模様は更に複雑化し、褐色の肌をしたキリストやマリア、聖人、天使たちがその壁、天井にまで埋め尽くした。葡萄をモチーフとしたバロック装飾はメキシコのフルーツに変わり、大理石は黄金に変わった。聖人たちは髑髏を抱き、天使には胴体がない。(顔と羽根だけ) 私の描いていたキリスト教教会とは全く異なるその雰囲気は、何か見てはいけないものを見てしまったような感覚を私に与えた。

結局、『アンナ・カレーニナ』の替わりに買ってきたその写真集を手に帰宅した後、一週間、ずっとその写真を眺め続けた。電車の中でも、授業をサボって寝転がる気持ちのよい陸上競技場でも、就寝前のベッドでも。いくら眺めていても何故か飽きなかった。そこに写っている装飾の数々には、それぞれの「想い」が込められていて、無垢な美しさを発散していた。人々は仕事、義務感でそれをつくったのではない。信仰から来る純粋な「想い」からつくられたのだ。だからこそ、隙間という隙間を探しては装飾を施したのではないだろうか? 少なくとも、そんな風に見えた。そこには純粋な信仰がある。

その写真集の衝動買いから二十年が経った。残念ながら本自体は何度かの引越しの際になくしてしまったが、いまでも大切な思い出として残っている。思い出に残る買い物には、衝動買いというケースが少なくない。確かに購入した後に後悔する衝動買いもあるが、思わぬ転機をもたらしてくれる衝動買いが多いのは事実だ。そしてそれは洋服や靴に関しても言える。特に靴は洋服以上にその可能性が高い。何故なら靴は、その人生を歩む過程が一歩一歩刻まれていくものだからだ。是非後悔を恐れずに靴の衝動買いをしてみていただきたい。そんな際に、「合わせずらい」「すぐ流行遅れになる」「仕事で履けない」等、いろいろな声を聞く。現実的には最もな憂慮だと思う。しかし、もしかしたら自分の転機になるかもしれない、一生の思い出になるかもしれないと考えれば、決してリスキーな投資ではないはずだ。自分の感性と直感を信じて、悔いのない靴選びをして欲しい。いや、最も残念なのは、買ってする後悔ではなく、買わずにそのまま通り過ぎてしまう「可能性」のほうだ。皆にとって、一度しかない人生なのだから。
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テーマ:エッセイ
世界の大部分の国、場所では靴というよりは、サンダルや素足で一生を過ごすところが少なくない。我々人類は寒い不毛な土地に住むよりも、温暖で肥沃な土地に住むことを好み、そしてそこで圧倒的に繁栄しているのだ。たとえばインドでは、多くの人々が革靴などは履かずに一生を終える。ダージリンやカシミールなど北東部の山岳部を除けば国土の大部分が熱帯気候のインドでは、足が凍傷に罹る心配はなく、したがって皆が革靴の必要性をあまり感じずに生活をしている。もっとも日本でも職業によってはそんなものを感じずに生きている人はいっぱいいる。(特に田舎に行くとその割合はぐっと高くなる。)私の知り合いで奄美大島に住むある方は靴とか靴下とかいうものを履いたことがない。マタギとして山に入り猪などを獲っているが、そういった際も平気で素足でいる。足自体が靴のように硬く、変形していて、確かにいまやもう靴を履くのも困難な足になっている。温暖な土地と言えども、冬はある程度寒くなるのに、驚くべき事実だ。そして現在ではそういう人物は稀な存在となっている。極端な例だ。ただ、インド南部を旅していると、その圧倒的な非革靴率に驚かされる。家で農業や小売業、製造業に従事する人はもちろん、ビーチやそれなりに立派なレストランで働くサービス業、郵便局や役所で働く人に至ってまで皆サンダルである。スーツにネクタイをしてサンダルを履く人も多い。

そんな旅の折に、私の職業についてよく聞かれる。初対面でのお決まりだ。シューズビジネスだと答えると、小売か?製造か?と聞かれるので小売だと答える。問題はその次だ。たいてい私はスニーカーなどのカジュアルな靴かビーチサンダルを履いているので、どんな靴だと聞かれたときに当初説明に戸惑っていた。特に相手が若い青年などだと説明が難しい。あるとき、「それはウェディングのときに履くような靴か?」と聞かれてなるほどと思った。

インドでTVを見ていると、そのコマーシャルが面白い。現在の日本ではあまり宣伝されない商品のCMがたくさん放映されている。もちろん、乗用車や携帯電話など、高需要、高利益率の商品は日本と同じであるが、目立つのは石鹸、ペンキ塗料、歯磨き粉、フライパンなどの調理器具など、日本ではあまり見られないものだ。確かに私が子供の頃は、こういった商品のCMが盛んに放映されていたように記憶している。いま(二〇一〇年)インドは高度成長期真っ只中なのである。そしてその中に結婚をテーマとしたCMも目立つ。女性向けの宝石、男性向けのスーツが宣伝されている。ヒンドゥー教、イスラム教、仏教を問わず、インドでは結婚は人生で最も大きなイベントである。親戚一同、近所総出で準備をし、贅を尽くした宴が催される。参列者はサンダル履きが多いが、主役の花婿は黒い革靴を履く。形はストレートチップではなく、ちょっとデザインされたものが多い。紐なしの靴であることも多い。ただ、貧しい層、そして中産階級の層でも、それが人生最初の革靴体験であることが多いそうだ。

南インドでの観光シーズンは冬である。十月から一月がハイシーズンだ。そしてそれはデリーなどの北部も同じで、三月からは暑すぎて観光客は減っていく。それでも南インドの特に海沿いはまだましなほうだ。暑くても気温四十度に達することはまずない。北部内陸は五月には気温五十度にも達する。真冬だって長袖要らずの土地が多い。そんな土地では革靴文化が育つ訳がない。だから、ドレスシューズ=ウェディングシューズとなるわけだ。温暖な土地ならではの考え方ではある。

そこで考えるのが、結婚式という儀式についてだ。全世界で、人種、宗教を問わず、様々な形式を採って行われる結婚式には、それなりの服装が伴う。これは、神聖なる儀式にふさわしい服装という敬意の顕れである。最近では、教会や神社などの宗教的な場所ではないところで行われることも多いので、主役の新郎新婦の服装は、参列してくれた人への敬意から来るものという意味合いが強くなってきており、参列者は招待してくれた本人とその家族に対する敬意を持ってドレスアップする。新郎に関しては新婦のエスコート役にふさわしい服装という意味もあるかもしれない。もちろん、結婚式に限らず、その他のパーティー、ビジネス、法事、そして友人宅への訪問に至るまで、同じことが言えるが、一般的に、結婚式が人間の敬意の交換の場として最上格のものであることに異論の余地はない。そう考えると、この儀式は、我々が継承し、大切にしていかなければならない伝統なんだなぁと思う。何故なら、人間の他者に対する敬意こそ、世界の幸福実現に不可欠なものだからだ。

人々は結婚式に招かれたり、ましてや自分の結婚式を執り行うとなると、着ていく洋服や履いていく靴を購入する動機を得る。実際にそうして(アドバイスを求めるとともに)靴専門店に来店する人が多いのに驚く。まあ普通の人は私のように四六時中靴のことを考えているわけではないから、それがひとつのきっかけになるのだろう。そうして来店する人には、もうそれだけで敬意に溢れている。そこで購入する靴は、相手への敬意のための靴なのだから、正直、何を購入しても間違いはない。ただ、結婚式には年配の参列者も多いことがほとんどだし、そうした人に配慮して伝統的なルールは説明することにしている。黒の紐靴、革底が基本だ。更に言うなら、内羽根式のプレーントウかキャップトウ。ただし、これはあくまでもマナーブックに載っているようなディテールであって、そのマナーブックも誰がどのような根拠で書いたのか分からない。まあこう書いておけば間違いないだろう、という程度のものだ。マナーブックどおりの汚い靴よりも、きれいに磨かれた茶色の靴のほうが結婚式にふさわしい。それがその日のために購入されたくつであれば尚更だ。私は、結婚式のために靴を購入しに来店された方々に敬意を払う。そして、購入されていったその靴を誇りに思う。人々の敬意の顕れとなるその靴を誇りに思う。そして、それこそが、私がドレスシューズに魅せられている一番大きな要因だと考えるようになった。

インドのシュリナガルで素敵な光景を見た。新郎の友人たちが集まって彼の結婚式に履く靴を買うためのカンパをしていた。皆それぞれくしゃくしゃの紙幣を出し合い、うるさいくらいに怒鳴りあっている。でも皆が笑顔だ。何だか関係のない私まで嬉しくなって、十ルピーだけカンパしてきた。私も笑顔だった。

インドはマザー・テレサの国でもある。彼女は皆に、常に笑顔でいることを説いた。
「施しなど何もしなくてよいのです、ただインドの貧しい人々に対して笑顔で接して下さい」と。
笑顔と敬意。これが世界を救う。
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テーマ:エッセイ
中国に「纏足」という風習があったことはよく知られている。人為的に少女の足を奇形化して成長を阻害し、小さな足にするものだ。ポイントは小さな足、そして尖ったつま先である。尖ったつま先により、小さな、そして先の尖った靴にぴったり収まる足になる。成長を阻害したため甲は盛り上がるが、甲は婦人靴の外に出る部分だ。そういう足にするために足の指を折って骨折させたり、ガラスの破片を踏ませて壊死させた部分を削ぎ落としたりと、たいそう残酷な処置をすることが知られている。結婚した後逃げられないようにしたという俗説もあるが、やはりその美意識によるものであったようだ。そしてその美意識は、男性の美意識だ。事実、纏足の女性に対しては結婚の申し込みが殺到したらしい。大人の女性としての全身が足元で消えてなくなるように収斂したその見た目の美しさだけではなく、よちよちと歩くその様が可愛らしかったこともあった。そして美意識は性的フェティシズムにつながり、男性の想像を掻き立てたということだ。それほど大昔の話というだけではなく、家によってはつい最近まで行われていたことのようだ。

この種のことは中国の女性だけでなく、イギリスの男性にもあったと聞く。細い靴を履くために足の骨を削ったというものだ。何とも恐ろしいような、馬鹿げたことのように聞こえるが、やった本人は大真面目だったことだろう。(真面目でなければできない類のことだ。)流行による多少の差異はあったものの、二十世紀の服装は概ね、広い肩幅、豊かな胸から細いウエストを経て小さな足元に収斂していくシルエットが基本となっていた。そしてより魅力的な装いを完成させるために、小さな(足を小さく見せる)靴はどうしても必要だったのだ。

ただ、中国のやり方は徹底している。纏足に限らず、拷問の仕方や宦官という文化、所謂「下手物食い」に代表されるような食に対する飽くなき欲望など、その徹底ぶりは他国を圧倒している。それらのやり方は残酷さばかりが目立って、国際社会からは非難の対象となるが、実は、本質をしっかりと見て行われてきたことのようにも捉えられる。目的のためには手段を選ばず、最も効果的な方法を試みるその姿勢は、現在の中国の外交などにも垣間見られる。そのおかげで、今やすっかりアジアのリーダー、世界一の大国と成ろうとしている。食に関しては世界中からの尊敬と賞賛を浴びるものをつくりあげているし、電機、繊維、靴に至るまで世界一の輸出国となった。安価で豊富な労働力がそれを可能にしているが、物事の本質を見て、周りの目や体裁を(あまり)気にせず突進するそのパワーは驚愕の実績を上げている。

J・D・サリンジャーの小説『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』の冒頭に中国の古い話が登場する。皇帝が新しい馬を探しているとき、近臣の友人に馬の目利きがいることを知り、その名伯楽に自分の馬を探させる。しばらくして彼が一頭の白馬を連れて皇帝のもとを訪れた際に皇帝が「その馬は雄か雌か?」と尋ねると、その目利きは間違えてしまう。怒った皇帝が彼を紹介した近臣にクレーム
をつけるとその近臣は驚いて言う。「彼はもうそのような境地にまで達してしまいましたか・・・。」
結局その白馬は文句のつけようのない名馬だったという話だが、教訓としては、表層の細部に囚われることなく物事の本質だけを見つめることが大切であるという話だ。一歩踏み込んで言ってみると、どうしても目に付いてしまう表層のディテールを見ているうちは、本質を見ることはできないということだ。この場合、その馬が雄か雌かという問題はどうでもよいことだ。皇帝は名馬を探していたのだし、馬の性別はそれに関係がない。ただ、我々はいつも、何の判断材料にもならないそういった情報を集めたり、その関係ない物事についてあれやこれやと考えたりしてしまう。

私の仕事のひとつは靴の仕入れで、お客様のために目となり、つくりに関して信頼の置けるメーカーを吟味し、お客様の要望、潜在的な要望も含めてそれを形にすることである。お客様が望む靴の本質は何であろうか? それをいつも考えている。その際にいつも注意するのは、表層のディテールに惑わされないことである。良い靴とは、「買って良かった!」と思える靴である。それもある程度長い期間に渡ってそう思える靴だ。そして、最高の靴はその人の人生のパートナーとなり、ボロボロになっても思い出として大切に取って置きたくなるような靴だと思う。そしてその基準は、当然、履く人によって十人十色である。そして、人は歳月とともに好みや価値観が変化して行く。したがって、そういった靴になってもらうためにはどうしたらよいかという答えはない。ただ、普遍的な要素だけを抽出していくと、一番のポイントはその靴をつくる人だと思っている。その人が本当にその靴を履く人のことを考え、その靴を買って良かった、と思ってもらうことを志していれば、すべての要素は自ずと満たされていく。例えば素材に関しては、永く履くことを前提とした頑丈なものや、経年変化でどんどん美しくなってゆくものを選び、あるいはまた、希少な素材を探して来て「他にはない」というポイントでユーザーの所有満足を醸造しようとする。デザインは様々な好みがあるが、オーソドックスなものにしろ、愉しいデザインにしろ、どれも普遍的な魅力を持ちうる、クラシカルな基本に根ざしたものになる。そして当然、靴の製法は修理をして永く履くことを可能にする製法を採用する。だから私はなるべく靴を見ないで、その靴をつくる人を見るようにしている。実際に手を動かして靴をつくる職人でなくとも、オーナー、経営者を見るようにしている。それこそが良い靴を見極める本質だと信じて。

皆さんも自分の靴選びをするときにそうしてみてはいかがだろうか? 靴を(あまり)見ずに、応対する販売員なり、その店の姿勢を見るようにしてみてはいかがだろうか? センスや価値観がある程度共有でき、誠実で信用できる、上辺だけでなく本当に親身になって靴選びを手伝ってくれる販売員なら、信じて良いと思う。きっと本質的に良い買い物ができるはずだ。そして信用できる店なり販売員が見つかれば、それはそこで購入する靴と共に、一生の宝になるのではないだろうか?
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テーマ:エッセイ
スペインとアメリカによる長い植民地時代を経て、キューバが革命により独立を果たしたのは一九五九年のことである。有名なチェ・ゲバラとフィデロ・カストロらの指導による革命であった。この革命は、現在のキューバで布かれている社会主義国家体制を目指したものではなかった。単に親米派のバティスタ政権を打倒して、その政権、アメリカ企業、そしてアメリカンマフィアが独占していたキューバの富をキューバ国民に取り戻そうという若者の熱い、血の煮えたぎるような想いだけで成立した革命だった。思想が行動を定義するのではなく、行動が思想を定義した良い例かもしれない。

現在のキューバは従来の砂糖産業をはじめ、主に有機栽培に力を入れた農業中心の国家として食料の自給自足体制をつくろうとしているらしい。確かに貧しい国ではあるが、現在の世界状況を鑑みると、目の付け所が鋭く、行動に移すスピードが速いと言わざるを得ない。革命戦士の意志が生きている感じがする。
私にとって初めてのキューバ体験は一九九八年のことであった。いや、未だにキューバに行ったことはないのだが、初めてキューバという国を意識したのがその年だったということだが、それは一枚のCDを通しての体験だった。

『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』と題されたそのCDは、映画のサウンドトラックという形式をとって紹介された。正直言って、ヴィム・ヴェンダースによるその映画にはあまり興味を持てず、世界的大ブームとなり、日本でも大々的な宣伝がなされている中も、いま現在も未だ観ていない。しかし、その音楽には、TVやラジオ、街頭で耳にするたびに思わず身震いしたものだ。それは、いままでに耳にしたことのない音楽だった。ルンバ(ソン)のリズムにのせたグルーブ感溢れるベースとギター、そして少し外した老獪なピアノにトランペットが絡むその音楽は、一瞬で私の身体を金縛りにした。アフリカの貧しい青年が二十年間生きてきて初めてアイスクリームを食べたらこんな感じなのかな、と思うような体験であった。そこには世界の現代音楽のエッセンスがミックスして存在しているかのような雰囲気が感じられた。複雑なミックスすぎて最後には結局シンプルになった音と、やはり複雑な演奏があった。アフリカのリズムにスパニッシュギター、そこにアメリカのジャズを通過したピアノとトランペットが老練な素晴らしい演奏をし、ブルースミュージシャンであるライ・クーダーの素晴らしいプロデュースでまとめ上げた素晴らしいCDだった。

音楽の魅力は、一言で言うと、音のずらし方、雑味の妙だ。すべての楽器が奏でる音は、雑味の混ざった音であり、和音は少しずつ周波のずれた響きである。雑味のない音はつまらないし、完璧な和音のハーモニーはひとつの音に聞こえてしまう。オーケストラにあれだけたくさんのバイオリン奏者が必要なのは、その音のずれによる厚み、奥行きを期待してのことだ。平均律によって調律されたピアノは、完璧な和音が生まれる周波数比からはずれる。そして、更に、ピアノ調律師による微妙な音のずらし方、腕ひとつでその和音は大きな膨らみを持つこととなる。

グルーヴという言葉がある。グルーヴィング、グルーヴィーということもあるが、本来は溝を彫るという意味で、音楽用語では、音なりリズムなりが少しずれて気持ちよく鳴ったときのことを表現する言葉だ。ずれ過ぎては気持ち悪い。少しだけずらすことが肝心で、たとえば、素晴らしく熟練した演奏技術を持つ何人かが、とても難解な演奏をしたりするときに生まれやすい。逆は絶対に駄目だ。あくまでも完璧を目指して自然に滑っていくくらいでないとグルーヴは生まれない。そして、この完璧から離れそうで離れない、粘り強い演奏の果てに、何とも言えない浮遊感を誘う音楽が待っているのだ。この浮遊感は譜面上だけの作曲・編曲でも生まれ得る。基本のコードで鳴らすべき音の半音低い音を使ったり、基音(その小節で鳴っている一番低い音)とすべき音以外の音をベース楽器(最も低い音を鳴らす楽器)が演奏したりすると、そこに我々の脳を刺激する違和感が生まれるのだ。そしてそのノート(譜面)を完璧な調和を目指しながら演奏していくとそこにグルーヴが生じる。

これは、ファッションの世界にも存在する。例えばジャケットやパンツで言えば、ナポリの素晴らしい職人たちは敢えてまっすぐ縫わない。ハンガーに吊るしたり平面に置いたときには、それらの服はどこかヨレヨレとしてみすぼらしく見えるが、それらを身に着けたときにピシッと極まる。木を見ずして森を見るというところか。また、アメリカンカジュアルウェアの世界で言えば、縫い糸の最後の処理をせずにただ垂らしておいたり、ジーンズの縫い糸の色を場所によって微妙に変えてみたり。(クラシックなものでは十色以上の縫い糸を使い分けている。)ブルックス・ブラザーズのボタンダウンシャツの襟のボタン位置は決して測らない。熟練した職人の勘に頼っているが、どの襟も美しいロールを描く。(特にアイロンをかけずに、第一ボタンを開けたときが美しい。)

イタリアの靴職人もそうだ。型紙に合わせてパターンを切っては行くが、結構いい加減なものだ。特に木型が複雑な起伏を持っていたり、全体がねじれた、また内側に大きく振ってあったりした場合には、多少の遊びが最後に利いてくる。釣り込みといわれる、靴の立体化の工程で全体を見て微調整をするのだ。残念ながら日本の靴づくりにはこの感性がまだ未成熟なように見受けられる。熟考に熟考を重ねて、きれいに線を引き、一分の狂いもなく丁寧に裁断する。これ自体はどれも素晴らしいことなのだが、問題は出来上がった靴が発する美しさだ。よく一流の芸術には鍛錬の積み重ねはないという。科学の天才的な発明もそうだ。A=B、B=C、C=D、ゆえにA=Dではなく、ただA=Dなのだ。大切な最後の結果に辿り着くための工程を細分化して、効率的なものづくりをする日本人気質の良さはもちろん認めるが、最終完成品でみてどちらが魅力的かという問題とは別の話だ。

この「遊びが大事」という考えは、結局は完璧なパターンなど存在しないというところから来ているのではないかと思う。大切なのはあくまでも森を見ることで、木々の細部に捕らわれ過ぎて全体の魅力を創造することに疎かになってしまうことを戒める考え方だと思う。本質を見ること。いつ何時でも本質を見据え続けること。これにより所謂「味」といわれるものが醸造されるのであろう。
『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』には「味」と「グルーヴ」が溢れている。全員が必死に全体の美を追求して演奏し、零れ落ちそうになるいくつもの音を皆で必死に紡いでいるのが感じられる最高の一枚だ。是非体感してみて欲しい。
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